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6 信号が変わる

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 大量の段ボール箱と戦うこと、二時間。
 
「あ、あああ、あったぁ!! これよ、これ! 桐野くん、あったよ!」

 嬉しさのあまり、大声で叫んだ。勢い余ってぐらりと脚立から落ちそうになった私を、桐野が慌てて駆け寄り支えてくれた。
 ようやくこれで会社の皆に良い報告ができる。

「ざっと外箱の数を見た限りでは十分な数がありそうだし、これでなんとかなる! 良かったぁ」
「友井さんが覚えてなかったらきっとつんでましたよ、今回の案件。先方は納期に厳しいと評判ですから」

 正直に言えば記憶は朧気だったし、確信はなかった。でもここの所長の性格からいってきっと保管してあるだろうと思ってもいたのだ。

「よし! これをすぐ持ち帰って宿でチェックしましょう。朝一で工場に名入れ作業を頼み込めば、期日には間に合うはずよ! ということで桐野くんっ、疲れてるところ悪いけど帰りの運転もよろしくね」
「はい! 任せてください」

 まるで十代の若者のような少し幼い顔で、桐野が笑った。
 ああ、こんなかわいくも笑うのかと胸がざわめく。こんなに長時間一緒に過ごしたのは初めてなせいか、いちいち反応してしまう。胸の奥がくすぐったい。高校生の文化祭の準備で放課後遅くまで残っていた時のような高揚感にも似た、どこか懐かしい感覚を思い出す。

 桐野が荷物を手早く車に積み込んでいる間に課長に急ぎ連絡したら、電話の向こうで歓声が聞こえた。きっと今か今かと待ってくれていたに違いない。
 桐野もくたくただろうに、文句一つため息ひとつつかずに穏やかな表情のままハンドルを握っている。

「桐野くんが一緒にきてくれて、本当に助かった。すごく頼もしかったし安心できた。本当にありがとう」

 素直な言葉が口からするりと出た。

 疲れて気が抜けている分、取り繕う力が残っていないからだろうか。無防備感が心地いい。他人相手にこんなにふわりと肩の力を抜いて接することができたのは久しぶりだな、と思う。

「桐野くんって不思議な人だよね。周りをほっとさせるというか、癒やし系っていうのかな」

 桐野は驚いたように目を見張った。

「そうですかね。いわれたこと、ないですけど」
「ふふ。なんていうか、ちょっと犬っぽい。柴犬とかゴールデンレトリバーみたいな」

 言ってから、都に駄犬呼ばわりされていた拓人の顔が浮かんで、この例えはちょっと失敗だったなと思う。しかもあの時、駄犬から番犬に乗り換えろなんて言ってなかったか。

「犬好きなんですか? 灯里さん」

 さりげなく苗字ではなく名前をさん付けで呼ばれたことに気がついて、わずかに反応が遅れた。

「あ、……う、うん。まあ動物全般好きで」

 ここはあえて突っ込むべきか、スルーすべきか。

 別に先輩呼びしてほしいわけではないし、名前で呼んでもらっても構わないのだけれどなんだかこうちょっと一気に距離を詰められたようなそんな気がして落ち着かない。が、当然何も返せないまま曖昧に笑いを浮かべて華麗にスルーするしかない。

「なら今度車で動物園にでも行きませんか? 一人暮らしだと動物に触れる機会、あんまりないでしょう。このプロジェクトが終わったら、ご褒美も兼ねて。どうです?」

 スルーしたのは失敗だった。名前呼びを突っ込んでおけば、この誘いは回避できたかもしれない。

「えっと……。それって二人で、だよね?」

 桐野の横顔をちらりと伺う。

 今のお誘いはいわゆるデートの誘い、と判断していいんだろうか。それとも今日日の若者は異性だろうが先輩だろうがそんな垣根なしに動物園くらい気軽に行くものなんだろうか。ぐるぐると愚にもつかない事を考えながら、暗い夜道に照らされた木の本数なんかを無駄に数えてみたりする。

「そうですね。でも別に変に身構えなくてもいいですよ。打ち上げの変形程度に思ってもらっても構いませんし」
「打ち上げ……。そ、そっか……」

 桐野の考えがわからない。純粋にドライブ相手がほしいだけなのか、それとも。

「今回の話、役得だと思ったんです」
「……役得?」

 前方を見つめたまま運転を続ける桐野の横顔を、こっそりと見つめる。

「灯里さんはいつも僕のずっと先を行っている人ですから。先輩の昔の仕事が垣間見れるチャンスだと思ったんです。所長が言ってましたよ。先輩は一見大人しそうに見えるけど仕事への熱量は高いし、回りを引っ張っていく力があるって。あなたの下で働けばきっといい経験が積めるって」
「所長がそんなこと……? いや、でも私はそんな大した働きした記憶なんて……」

 二年前のプロジェクトと時も今も、自分がそれほど会社の役に立てているとは思えない。縁の下の力持ち的な役割は嫌いじゃないし、地味な仕事も必要だからなんだってやるけれど、そんな目立つ働きぶりではないはずだ。けれど過去関わった人にそう言われて嬉しくないはずはない。地味でも頑張っていたら誰かが見ていて、それをきちんと評価してもらえるのかもしれないと思えばもっと頑張ろうとも思える。

「でも自己評価が低いのが玉に瑕だとも言ってましたけどね」

 なぜか小さく吹き出しながら、桐野が付け加えた。

「そ、そんなことまで……。その余計な一言さえなければ気分良かったのに」

 都にも自己評価が低いと注意されたばかりで、まさか所長のダメ出しを桐野からも聞く羽目になるとは思わなかった。どうも風向きがおかしい。

「低い、のかなぁ……。都にも言われた。自分が選ばれるんじゃなくて自分が選べって」

 桐野相手に選ぶだの選ばれないだの言っても、意味がわからないだろう。私の不毛な恋話なんて知る由もないのだから。それでもつい口からついて出てしまった。ずっとぐるぐると同じことを考えすぎているせいだろうか。選ばれなかった自分と、自分が選ぶなんて考えもしなかった自分の不甲斐なさを。

「低いというか、過小評価し過ぎだとは思います。それが灯里さんのいいところでもあるんでしょうけど、自分が持っている武器とか積み重ねてきたものを活用するのは傲慢でもなんでもないでしょう。もっと自信を持っていいと思います。それに、僕はあなたに選ばれたいとも思ってます」

 桐野がそう言い終えたタイミングで、信号が赤に変わった。一時停止した静かな車の中で、私は息を止めたまま動けずにいた。


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