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4 似た者同士

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「結婚しないと、拓人が離れていっちゃう気がしたんだよね。それに、拓人となら穏やかにお互いの生活を程よく尊重しつつ暮らせるかなって思ったし」
「でも実際は結婚を口にしたら、余計に相手は離れていった、と。……本末転倒よね」

 まったくもってその通りである。

 まさかあんなに拒絶されるなんて思ってもみなかったし、そんなに引くほど自分と結婚したくないのかとひどくショックだった。言葉では今はまだ仕事が中途半端だから、とかあと何年かたって自信がついたらとかありきたりな文句で引き伸ばしていたけれど、表情にはあからさまに強い拒絶が浮かんでいたからよほど結婚したくなかったのだろう。

「そもそも私と拓人って、ちゃんと好き合ってたのかな。拓人のこと、よく考えたらほとんど知らないままだった気がする。なんかもうよくわかんないや」

 恋をするのは初めてじゃないし、何人かと付き合った経験も一応ある。でも拓人との恋は、わからないことだらけだった。
 拓人は無口で自分の気持ちを話すのが苦手だったせいか、いつも近くにいるのに遠くに感じるような寂しさがつきまとった。触れているのに体温を感じないみたいな。でもふと目が合うとその目はすごく優しくこっちを見ていて、時には驚くほど強い気持ちも垣間見えて。それが嬉しくて、自分が拓人にとって特別な存在なんだと思い込もうとしていた。

 でももしかしたら、それは私の都合のいい勘違いだったのかもしれなかった。そう思ってほしいだけの、悲しい勘違い。

「何もわかり合えてなんてなかったのかも。四年も一緒にいたけど、あまり深くお互いの気持ちとか話したことなかった気がするし。それはお互いにかもしれないけど」

 今さら何を後悔したところで、時間は戻ってこない。でもどこか気持ちに整理がつけられなくて胸の底がじくじくと痛む。

 自嘲するように吐き出した私に、都が慎重に言葉を選ぶようにして話す。

「んー……、なんかさ。二人ともお互いの核心に触れるのを怖がったまんま肝心なことを話さずに別れたって感じよね。向こうは他人を信用してないし、灯里は拒絶されるのを極端に怖がってるしでどっちも踏み込めないまんま、じりじり相手の様子をうかがったまま終わった、的な」
「何よ、それ。テリトリー争いしてる猫じゃあるまいし……」

 都の言葉を頭の中で反復する。

 部屋の隅と隅に離れて、猫が相手の出方をうかがってにらみ合っている、そんな光景が浮かんだ。お互いの顔色をうかがって近づきたい気持ちはあるのに、距離を詰められるとなんだか怖くて不安で後ずさる。永遠に互いの距離は縮まらないままずっと近づけずにいる。
 私と拓人はお互いの心の奥深くに触れるのが怖くて、愛情をきちんと伝えあうことも意見をぶつけ合うこともできなかったのかもしれない。そう思った。

「意気地のないところは似た者同士ってことよ。だから居心地が良かったんでしょ。ぐいぐい核心をついてこない分自分の気持ちをむき出しにしなくていいし、怖くないもんね。でもさ、結婚とか長続きするとかなるとやっぱりお互い良いところも悪いところもさらけ出してぶつからないとしょうがないってとこ、あると思うんだよね」
「似た者同士、かぁ……。うん、そうかもしれない。だめなところが似てたのかな。だからうまくいかなかったのかな……」

 胸の奥がちり、と痛んだ。

 好きで一緒にいたはずなのに、心の奥底にある不安や怖さを隠したまま表面だけ取り繕って、喧嘩らしい喧嘩もせず馬鹿笑いした記憶すらない。なんて穏やかで、なんて中身のない薄っぺらい関係だったんだろう。

「不毛……だね。私も、拓人も」
 
 不毛な恋。その表現がぴったりだと思った。不毛なのは私たちの関係だけじゃなくて、私自身も不毛だ。自分に自信もなくていつだって不安で失敗ばかりで。もう取り返しがつかなくなって、はじめて自分の間違いに気づくのだ。

「ま、今度はありのままの灯里をさらけ出せるようなそんな相手と恋をしてみるのね。素っ裸でぶつかり合う、みたいなさ。その方がずっと楽だしこじれないから」
「素っ裸でぶつかり合うって……相撲のぶつかり稽古じゃあるまいし。都ってば」

 冗談とはいえ、それが分かり合う近道なのかもしれない。いや、あくまで比喩であって本当にそんなぶつかり稽古みたいな真似する気はないけど。
 とはいえ、ありのままの姿を他人に特に好きになった相手にさらけ出すなんて、なかなかできることじゃない。自分に自信が持てない人間にとっては特に。

「私は灯里っておもしろいと思うよ。自分では気づいてないみたいだけど結構思い切りいいし、男気あるし。結構思い立ったら猪突猛進って感じで傍で見てて気持ちいいし。その辺の上辺だけ着飾ってる子なんかより、ずっと見応えありよ」
「それって女性としての売りになるとこ? どっちかっていうと社会人とか男性枠としての褒め言葉じゃない?」

 恋愛とか結婚とかの売りになるのは、時代が変わってもやっぱり見た目とかかわいげとか気配り上手とか、そういう部分じゃないんだろうか。それらしい褒め言葉はひとつも見当たらなかった気がする。
 
「恋愛ったって結局は人と人なんだから、人間として魅力的かどうかって大きいよ。それに今どきの男だって結構男男してる暑苦しいの少ないんだしさ。ほら、桐野なんかそうじゃない。あのマメさとか気配りなんてもう才能でしょ」

 確かに桐野のあの気配りとマメさは、もはや性別の枠を超えている。むしろおかん枠と言っても良いかもしれない。かゆい所に手が届くというか、まさに今ここだというところで発揮されるスキルとも言える。

「まあねえ。あんな弟がいたらかわいいんだろうなぁ。あんな弟となら、誰とも結婚せず一生同居してもいいかも」
「なんで弟なのよ。そこは素直に恋人でいいでしょうよ。なんで恋愛とか結婚すっ飛ばして家族枠になってんの」

 そんなことを言われても、年下もイケメンも付き合う相手としては枠外だ。拓人だって初対面でイケメンと気づいていたら付き合ってなかったと思うし。競争率の高そうな相手と付き合うと自分との落差がどうしても気になってしまうし、落ち着いておちおち隣で寝落ちもできない。
 なんとなく桐野が自分の隣に並んで寝っ転がっている光景を思い浮かべてしまい、ぶんぶんと頭を振った。

「いや、無理無理。もうしばらく恋はいい。っていうか多分私結婚向かないし。そもそも誰かに選ばれる自信もない。当分一人でいい」

 そこまで言ったところで、目の前の都から丸めた紙ナプキンが顔面めがけて飛んできた。

「選ばれるんじゃないの。選ぶのはあんたよ、灯里。なんで自分が誰かに選ばれる側って決まってるのよ。自分から相手を選び取るくらいの心づもりでいなきゃ」

 自分が誰かを選ぶ。まるで目の前に並んだ洋服をこれはいらない、これとこれどちらもいいけど形はこっちのほうがいいかな。そんなことを思いながら選ぶみたいに。
 そんな自分を想像してはみたけれど、しっくりこない。

 自分に自信が持てないのは、何も持っていないからなのか。それとも自分の持っているものの価値に気がついていないだけなのか。もしかしたら自分ではガラクタだと思っているものが、誰かにとっては宝物のように見えたりするんだろうか。

 投げつけられた紙ナプキンを丁寧に折りたたみ、皿の上に乗せた。

「私にできるかな。そんな偉そうなこと」
「できるに決まってるじゃない。他人が灯里の何を決めつけられるっていうのよ。灯里の良さに気付けもしないへたれ駄犬が、あんたを幸せにできるわけなかったのよ。つまり灯里を幸せにするには、あの男は役不足だったの」

 都の歯に衣着せぬきっぱりとした物言いに、ほんの少し胸がすく思いがした。

 選ばれもらえなかった悲しさと不毛さに打ちひしがれてもう先に進めないような気がしていたけれど、もしかしたら会社の面接と同じで、拓人と私はうまくマッチングしなかっただけなのかもしれない。お互い悪いところが似ていて、長続きするような関係ではなかっただけで。
 ならまだ可能性はあるだろうか。誰かとまた恋をして、その誰かと人生の未来を作っていけるような。

「そっか……。まだあきらめなくてもいいのか」
「当然よ。むしろまだ始まってもないでしょ。これからよ、これから」

 都の前向きさと潔さに救われる。なんならいっそ都と結婚したい。

「あ、マズい! 時間ない。急いで戻らないとっ」

 慌てて店を出た頃には、ここのところ沈みきっていた心がすっきりと軽くなっているのを感じていた。

 そして、仕事も順調に進みプロジェクトも終盤を迎えた頃、事件は起きたのだった。
 

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