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英雄譚①
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◆
息が切れる。これほど長い時間走り続けたのはいつ以来だろうか。
魔王城下の大合戦。王の呼びかけに参集した我ら一門は、その先駆けとばかりに魔物どもの大群へと突き進んだ。
視界の全てが醜き魔物どもで埋まり、血と肉の生ぬるさを頬で感じ。
斬っては捨て、斬っては捨てを繰り返し、ひたすら前へと進み続けた。
魔物の悲鳴にまざり、若い男の鈍い声が轟く。声の主は、俺の二つ上の従兄弟だ。
共に鍛錬を積んできた、俺より剣技に勝る強者の叫びに俺は奥歯をかみしめる。
また、どこかで絶叫があがる。ああ、誰とも知れぬが、また血のつながった家族が死んだのだ。
だが、悲しむいとまなどない。押し寄せる魔物の猛攻に、我らはひたすら剣を振り続けるしかなかった。
ふと気づくと、百余名ほど居た我が一門はその数を半分に減らしていた。
だが、その途方もない犠牲の果てに、我らは魔王城を背に肉壁と化していた魔物の軍団を貫き通した。
「これは好機である!」
大叔父上が声を張る。
目前にそびえる、禍々しい城こそ我らが敵の本陣。
いま、我ら勇者一門こそが大将首に最も近い場所にいるのだ。
「ばば様、大丈夫か?」
足が悪いくせに、無理やりついてきた祖母に声をかける。
しかし、祖母は応えの代わりに喉からヒイヒイと風を吹かすので精いっぱいだった。
抜き身の剣を杖代わり、よくぞここまでついてきたものだ。
よく見ると祖母の剣は、血と油に濡れている。驚くべきことに、その体たらくでも尚、祖母は幾体もの魔物を屠っていた。
「ああ、家宝の聖剣を杖がわりになんか使うから。ほら、切っ先が欠けちゃてるよ」
「……ば、ばかたれ。鞘を無くしてしまったんじゃから致し方あるまい」
「なんで、そんな体でついて来たんだよ」
祖母の手足が、疲れと緊張からか幽かに震えている。
魔王討伐という悲願を前に、既に虫の息である。
「あ、あのハナタレには任せておけぬ」
祖母が、『ハナタレ』と呼ぶのは我が勇者一門の当主である大叔父上のことだ。
あの、老いてなお鍛え抜かれた体で、俺を含めた若衆をまとめてコテンパンに叩きのめす豪傑も祖母からすれば、いまだ頼りない弟というわけなのだろう。
「しかたねえなあ。魔王の下まで、俺が連れて行ってやるよ」
背を向け腰を屈めると、祖母は「借りは、いつか返すよ」と素直におぶさってきた。
「その前に、魔王に殺されちまうよ」。なんて言葉は、決して口に出せない。
たとえそれが、限りなく現実足り得る未来であっても。祖母は未だ、自身が真の《勇者》となることを諦めていないのだから。
「ゆくぞぉ!」
当主殿の号令に、再び歩みを進め魔王城へと突貫する。
だが、肩透かしもいいところ、我らは難なく入城を果たすことができた。それもそのはず、魔王城の城門は開け放たれ、その守り手すらも不在であったからだ。
妙だ、いくら総力戦と言っても本陣に兵を配置していないなんて在り得るのだろうか。
「奴ら、魔族の多くは、その膂力と引き換えに知力に乏しい。当然、統制の整った軍行動などとれるはずもない」
「親父、生きていたのか」
平原での乱戦で、姿を見失った父が知らぬ間に傍らに立っていた。
身体中傷だらけであるものの、その芯に揺らぎはない。俺は、父の健在な姿に安堵する。
「ふん、お前に心配されるほど耄碌しておらんわ」
「それで―――なんだって。つまり奴らは馬鹿だってことか?」
「侮ってはいかんぞ、剣の腕、個の強さに関して、魔物は人間より遥かに上だ。しかし、奴らは集団行動がとれん。魔王も、それがわかっているからこそ奴らを陣形もとらせず城下の大平原にまとめて置いているのだろう」
父の話は、おそらく正しい。だが、本当にそれだけであろうか。
事は最終局面、人類の興亡がかかっているのだ。何もかもが疑わしく思える。もしこれが、所謂『空城の計』だとしたら。城の奥地で火に巻かれ、我らは一網打尽となってしまう。
死ぬのは、怖くはない。だが、魔王と剣を交えることなく死ぬのは何よりも怖い。
「なんじゃ、腰でも抜けたか。臆病者め」
背から放たれた祖母の悪態に、胸のあたりがカーっと熱くなる。
昔からそうだ。俺に限らず、我が一門は誰一人として臆病者と呼ばれることをよしとしない。その言葉を、撤回させるためならば一族皆、平気で命を張るだろう。身体中を巡っている勇者の奔流が、まるで呪いのようにそうさせるのだ。
だからこそ、例え一族同士で仲違いを起こそうと、その言葉だけは決して使われることはない。使ってはならない禁句なのだ。だがしかし、祖母は敢えてその禁を破った。
おそらく、俺の中の迷いを見て取り発破をかけたつもりなのだろう。だとすれば、その目論見は見事に成功していた。いまや、瞬間的に湧きたった怒りに、俺の体から緊張は抜け全身に力がみなぎっている。
しかし、祖母の手のひらの上というのは実に気にくわない。
「腰が抜けてるのはババ様だろ」
俺の精いっぱいの反撃に、祖母は俺の頭をピシャリと叩いてみせた。
魔物どもの不在で、俺達は束の間の平穏に息を整えることができた。体と刀にまとわりついた魔物どもの血肉を剥がし、大叔父の指揮の下魔王を探しはじめる。
非常に大きな城だというのに、魔王の所在は思いもよらず容易く見つかった。
城門から一直線に、城の中央へと通ずる廊下を進んだ果て。今、我らの前に、荘厳な装飾が施された巨大な扉が立ちふさがる。
間違いない。この扉の向こうに、魔王がいる。
その姿が見えずとも、扉から溢れ出る瘴気が。そして、我らの体に流れる勇者の血がそう確信させる。誰一人として口を開こうとしない。この先に我らの願い、希望、憧れの全てが坐しているのだ。
あまりの静寂に誰かの、唾を呑みこむ音さえ聞こえる。
先頭に居た大叔父が、振り返り、生き残った家族の姿を名残惜しそうに眺める。
その表情は何処か寂し気で、かつて目にしたことのないほど優しいものだった。
「それじゃあ、行こうか」
そう呟くと、大叔父は扉に手をかけた。
息が切れる。これほど長い時間走り続けたのはいつ以来だろうか。
魔王城下の大合戦。王の呼びかけに参集した我ら一門は、その先駆けとばかりに魔物どもの大群へと突き進んだ。
視界の全てが醜き魔物どもで埋まり、血と肉の生ぬるさを頬で感じ。
斬っては捨て、斬っては捨てを繰り返し、ひたすら前へと進み続けた。
魔物の悲鳴にまざり、若い男の鈍い声が轟く。声の主は、俺の二つ上の従兄弟だ。
共に鍛錬を積んできた、俺より剣技に勝る強者の叫びに俺は奥歯をかみしめる。
また、どこかで絶叫があがる。ああ、誰とも知れぬが、また血のつながった家族が死んだのだ。
だが、悲しむいとまなどない。押し寄せる魔物の猛攻に、我らはひたすら剣を振り続けるしかなかった。
ふと気づくと、百余名ほど居た我が一門はその数を半分に減らしていた。
だが、その途方もない犠牲の果てに、我らは魔王城を背に肉壁と化していた魔物の軍団を貫き通した。
「これは好機である!」
大叔父上が声を張る。
目前にそびえる、禍々しい城こそ我らが敵の本陣。
いま、我ら勇者一門こそが大将首に最も近い場所にいるのだ。
「ばば様、大丈夫か?」
足が悪いくせに、無理やりついてきた祖母に声をかける。
しかし、祖母は応えの代わりに喉からヒイヒイと風を吹かすので精いっぱいだった。
抜き身の剣を杖代わり、よくぞここまでついてきたものだ。
よく見ると祖母の剣は、血と油に濡れている。驚くべきことに、その体たらくでも尚、祖母は幾体もの魔物を屠っていた。
「ああ、家宝の聖剣を杖がわりになんか使うから。ほら、切っ先が欠けちゃてるよ」
「……ば、ばかたれ。鞘を無くしてしまったんじゃから致し方あるまい」
「なんで、そんな体でついて来たんだよ」
祖母の手足が、疲れと緊張からか幽かに震えている。
魔王討伐という悲願を前に、既に虫の息である。
「あ、あのハナタレには任せておけぬ」
祖母が、『ハナタレ』と呼ぶのは我が勇者一門の当主である大叔父上のことだ。
あの、老いてなお鍛え抜かれた体で、俺を含めた若衆をまとめてコテンパンに叩きのめす豪傑も祖母からすれば、いまだ頼りない弟というわけなのだろう。
「しかたねえなあ。魔王の下まで、俺が連れて行ってやるよ」
背を向け腰を屈めると、祖母は「借りは、いつか返すよ」と素直におぶさってきた。
「その前に、魔王に殺されちまうよ」。なんて言葉は、決して口に出せない。
たとえそれが、限りなく現実足り得る未来であっても。祖母は未だ、自身が真の《勇者》となることを諦めていないのだから。
「ゆくぞぉ!」
当主殿の号令に、再び歩みを進め魔王城へと突貫する。
だが、肩透かしもいいところ、我らは難なく入城を果たすことができた。それもそのはず、魔王城の城門は開け放たれ、その守り手すらも不在であったからだ。
妙だ、いくら総力戦と言っても本陣に兵を配置していないなんて在り得るのだろうか。
「奴ら、魔族の多くは、その膂力と引き換えに知力に乏しい。当然、統制の整った軍行動などとれるはずもない」
「親父、生きていたのか」
平原での乱戦で、姿を見失った父が知らぬ間に傍らに立っていた。
身体中傷だらけであるものの、その芯に揺らぎはない。俺は、父の健在な姿に安堵する。
「ふん、お前に心配されるほど耄碌しておらんわ」
「それで―――なんだって。つまり奴らは馬鹿だってことか?」
「侮ってはいかんぞ、剣の腕、個の強さに関して、魔物は人間より遥かに上だ。しかし、奴らは集団行動がとれん。魔王も、それがわかっているからこそ奴らを陣形もとらせず城下の大平原にまとめて置いているのだろう」
父の話は、おそらく正しい。だが、本当にそれだけであろうか。
事は最終局面、人類の興亡がかかっているのだ。何もかもが疑わしく思える。もしこれが、所謂『空城の計』だとしたら。城の奥地で火に巻かれ、我らは一網打尽となってしまう。
死ぬのは、怖くはない。だが、魔王と剣を交えることなく死ぬのは何よりも怖い。
「なんじゃ、腰でも抜けたか。臆病者め」
背から放たれた祖母の悪態に、胸のあたりがカーっと熱くなる。
昔からそうだ。俺に限らず、我が一門は誰一人として臆病者と呼ばれることをよしとしない。その言葉を、撤回させるためならば一族皆、平気で命を張るだろう。身体中を巡っている勇者の奔流が、まるで呪いのようにそうさせるのだ。
だからこそ、例え一族同士で仲違いを起こそうと、その言葉だけは決して使われることはない。使ってはならない禁句なのだ。だがしかし、祖母は敢えてその禁を破った。
おそらく、俺の中の迷いを見て取り発破をかけたつもりなのだろう。だとすれば、その目論見は見事に成功していた。いまや、瞬間的に湧きたった怒りに、俺の体から緊張は抜け全身に力がみなぎっている。
しかし、祖母の手のひらの上というのは実に気にくわない。
「腰が抜けてるのはババ様だろ」
俺の精いっぱいの反撃に、祖母は俺の頭をピシャリと叩いてみせた。
魔物どもの不在で、俺達は束の間の平穏に息を整えることができた。体と刀にまとわりついた魔物どもの血肉を剥がし、大叔父の指揮の下魔王を探しはじめる。
非常に大きな城だというのに、魔王の所在は思いもよらず容易く見つかった。
城門から一直線に、城の中央へと通ずる廊下を進んだ果て。今、我らの前に、荘厳な装飾が施された巨大な扉が立ちふさがる。
間違いない。この扉の向こうに、魔王がいる。
その姿が見えずとも、扉から溢れ出る瘴気が。そして、我らの体に流れる勇者の血がそう確信させる。誰一人として口を開こうとしない。この先に我らの願い、希望、憧れの全てが坐しているのだ。
あまりの静寂に誰かの、唾を呑みこむ音さえ聞こえる。
先頭に居た大叔父が、振り返り、生き残った家族の姿を名残惜しそうに眺める。
その表情は何処か寂し気で、かつて目にしたことのないほど優しいものだった。
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