上 下
7 / 9

7

しおりを挟む




 大タヌキの手術衣はところどころ生地が裂けており、更には靴すら履いておらず、土にまみれた素足には赤黒いものすら見て取れた。顔面一杯の汗も、健康的にかかれたものではあるまい。俗にいう冷や汗というやつだ。「雷来軒」は、その発する強いとんこつ臭が故に山奥に構えられた店だ。大タヌキの様子を見るに、とても車でやってきたとは思えない。



 「大将、聞こえなかったのか?」



 「いや、すまない。注文は聞こえていたさ。しかし、お客さん。その恰好は一体……?」



 目の前の状況に、店主は半ば混乱していた。あんな格好で山を登ってきたのか。いったいどこから。いや、どうして。いやいやいや、そんなことより財布は持っているのか。通常では考えられない状況に、疑問が疑問を呼び思考が定まらない。



 「大将! 俺はアンタのラーメンを食うために命を懸けて、ここまで来たんだ!」



 大タヌキの「命がけ」という言葉に、店主はハッとする。この店において常に命を懸けていたのは、他ならぬ店主に違いない。それが、一常連客に過ぎない大タヌキから口から「命がけ」なんて飛び出るとは思いもしなかったのだ。思考は定まらないが、厨房には店主のルーティーン「朝九時の一杯目のラーメン」の材料が控えている。材料はあるのだ、そして店主は注文を受けた。加えて言えば、今日のラーメンはこれまでの「こってりラーメン」とは、文字通り一味違う。進化した「こってりラーメン」を自分以外の誰にかに早く食べさせてみたいという欲も相まって、店主の体は厨房へと流されていった。



 店主の脳内は、疑念に溢れ相変わらずの混乱状態だ。だが、厨房に入ると体に染みついた動作が自然と繰り出される。スープはいい具合に煮詰まってきている。白髪ねぎを細く刻み、瓶からメンマを取り出す。チャーシューは、薄すぎず熱すぎず。スープの熱で、中まで十分温まるぐらいがベストだ。そして、昨晩の内に燻しておいたゆで卵。こいつがあるのと無いのじゃ、段違い。さあ、机に並びますは来々軒が最高の一杯「こってりラーメン」だ。



 「へい、お待ち」



 大タヌキは目の前に置かれたどんぶりを前に、感極まっている。震える手を何とか抑え、割りばしへと手を伸ばす。静まり返った店内に、割りばしの割れる音が響いた。



 「いただきま―――」



 「だめだ! それを食べては死ぬぞ!」



 店内に、店主でも大タヌキでもない、三人目の声があがった。まだ開店前だというのに、なんと慌ただしい一日であろうか。本日、二人目の来訪者。大タヌキと同じ青色の服をまとったナナフシであった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

酔心梅屏風

有明榮
大衆娯楽
学生の「私」は卒業する先輩に恋心を打ち明けるも振られてしまう。悲しみと酒に酔って街をふらふらしていると、こぢんまりした定食屋に迷い込む。 カクヨム様にて公開中です→https://kakuyomu.jp/works/1177354054893867157

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

雌犬、女子高生になる

フルーツパフェ
大衆娯楽
最近は犬が人間になるアニメが流行りの様子。 流行に乗って元は犬だった女子高生美少女達の日常を描く

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

処理中です...