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第1幕

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「ここ、空いてるかしら?」
「あ……はい。どうぞ……」

 わざわざ来てくれた榊さんの口から、まさかジョークが聞けるなんて。つい真面目に答えてしまったがために、仲良くなれるきっかけを失ったような気がして少し後悔した。

「さあ、始めましょう」

 榊さんは片膝を立ててすわりながら、目を細めてニタリと不気味に微笑む。

「ヒッ……!」

 でも眼鏡の奥の瞳は笑ってはいなくって、そんな様子のあまりの怖さに、つい背中がピクンと跳ねてしまった。

「なーにビビってんのよ加奈子? ほら、時間がないんだから、楽しくおしゃべりできなきゃ、カップルの相手が見つからないわよ?」
「は、はい……すみません」

 萎縮する様子を鼻で笑う榊さんの目が、なぜかわたしの股間にそそがれる。
 ミリアムと話していたときの名残りで、わたしはずっと胡座あぐらをかいていた。でも、下着は見えていないはずだし、オーバーパンツを穿いているから、見られてもそこまで気には……いやいや、女同士じゃん。そもそもが平気だ。
 あ、そっか。わたし、姿勢が無意識のうちに猫背になってる。だから普通に、御行儀が良くないって叱られるのかな?

「スカートになにかついてますか?」

 一応、自分でも確認してみる。とくに汚れやおかしなところはなかった。

「エロいわね」
「……それって、どーゆー?」
「その服装も、その若さも、オスの本能を扇情的に強く刺激するんでしょうね。だからこそ、いつの時代も中・高生の性被害が絶えないのよ。加奈子は電車通学?」
「はい。痴漢の被害経験はないですけど、エスカレーターや階段の昇り降りは学校でも気をつけてます」
「教室やトイレの中でも用心なさい。ネットを検索すれば、簡単に盗撮映像が見つかるんだから」
「はい……ありがとうございます」
「…………」
「…………」

 そこで会話が途切れてしまった。
 もともと榊さんとの対話は消化試合のつもりでいた。それでもなにか話題を探さなきゃ、沈黙のままで終るのは、かなりツラい。

「あっ! わたし、年齢としの離れた妹が一人いるんですけど、榊さんも御兄弟っていらっしゃいますか?」
「三歳下の弟がいるかな。妹ちゃんは何歳?」
「四歳です。めっちゃ可愛いですよ!」
「四歳かぁ……うちはそこまで離れてないし男だからさ、あたしが高校生の頃には毎日めちゃくちゃケンカしてたわよ」
「へー。そっか、お互いに思春期ですもんね」
「それもあるけど……んー……弟がね、同級生たちにあたしの下着を売りさばいてたのよ」
「ええっ?! 姉弟きょうだいなのに!?」
「そ。もちろん弟たちを死なない程度に殺してやったし、全員から慰謝料もたんまり巻き上げたけど。でもね、そのときの心の傷は現在いまでも癒えてないかな。そのせいなのか、バツが付いちゃったわよ」

 そのわりには全然平気そうな表情で饒舌に語る榊さんに、わたしは苦笑いだけを返す。とりあえず、離婚話には触れないでおこう。

「そっちは妹だし、十歳以上離れてるからケンカの心配はなさそうね。親御さんは元気? 妹さんが産まれたんだから、仲はとってもいいでしょ?」
「お母さんは、妹を産んですぐ亡くなりました」
「あら、そうなの……ごめんなさい。失礼ついでに訊くけど、お父さんは再婚してる?」
「いえ、してないですね。家事はほとんどわたしがしてて、でも平日の朝御飯は、お父さんが作ってくれたりします」
「そっか。加奈子はエロいだけじゃなくて偉いわね」
「……ははは、どうも」

 そうよ。わたしは絶対に帰らなきゃいけない理由がある。わたしが死んだら、お父さん一人でひーちゃんを育てることになってしまう。
 もし最悪そうなった場合、うちの家族はどうなってしまうのかなんて想像がつかないし、しちゃダメだ。
 なんとしても生きて帰りたい。
 わたしは、死にたくない。
 そのためにも先ず、誰かとカップルを成立させなきゃ。榊さんだって可能性はある。最初からあきらめちゃ成功は掴めない。
 生きる。生きるんだ、生き抜けわたし!

「あのう、榊さん……率直に訊きますけど、ミリアムとカップルになるんですか?」
「急に来たわね。うーん、そうね。あたしだって死にたくないし、それに爪の恩もあるから、カップリングは彼女に決めてはいる。だけど……」
「だけど?」
「選択肢を最初からひとつに決めないのがあたしのルールなのよ。男社会で生き抜くための、ね。だから、加奈子も、唯織も、それにあの子だって候補からまだ除外してないわよ」

 榊さんの考えを聞いて、さすがだなって思った。
 彼女はわたしを見ていた。自分に利益をもたらす相手パートナーなのか、カップルにふさわしいかを見極めていたんだ。
 とすれば、わたしが選ばれる可能性は低いだろう。同情を誘うような家族構成は話したけど、それだけだ。評価されるべき会話内容とは程遠い。

「加奈子なら大丈夫よ。唯織が必ず選ぶはずだから」

 落ち込んではいなかったけれど、わたしの些細な変化に気づいたのか、そんな励ましの声がたしかに聞こえた。

「えっ? 唯織さんが?」
「……おっと。もうこんな時間だわ」

 なにもつけていないはずの左手を内側に返して手首を見つめた榊さんは、最後にまた笑いかけてくれてから立ちあがった。

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