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第三章 ~ぶらり馬車の旅 死の大地・マータルス篇~
完璧な護衛
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半透明の大きな球体から、紫の光が消えた。
それは、〝変化の神像〟が発していた邪悪なる力。円卓を囲む〈世界連合〉加盟国の特命全権大使たちは、一斉にざわめき始める。
「これは、どういうことだ!?」
「ドナテッロ!」
誰かに名前を呼ばれた長い白髭の老人──ドナテッロは、返事をする代わりに立体映像を精霊魔法で操っていたエルフの青年を鋭い眼光で見つめた。
ただじっと、無表情のまま円卓の中央で浮かぶ球体を見上げている青年。その輝きに照らされた白い肌の色艶もあってか、その様はまるで名工の彫刻作品のようだ。
「……皆さん、落ち着いてください。どうやら神像は、無事に破壊されました」
青年の言葉に、ざわめきがよりいっそう高まる。
「破壊だとぉ? おいゼノン、〝変化の神像〟を持ち帰るのが秘密戦隊の任務じゃなかったのかよ?」
腕を組んでどっしりとすわっていたドワーフ族の老大使が、さらに背もたれへ骨太の身体をあずけながら、エルフ族の若き大使・ゼノンに向けて挑発的に問う。
「いいえ。厳密には〈異形の民〉の破壊活動を未然に防ぎ、リディアス国をその被害から守るのが任務です。神器の回収は──」
「〝オマケのおつかい〟のはず」
ゼノンに代わって言葉を継いだのは、入室時からずっと円卓の傍らで立っていた、秘密戦隊の女隊長だった。目を閉じた表情と口調こそ穏やかではあったものの、軍人特有のなにか冷たい殺気がマヤ・ネニュファールの全身からほんの一瞬だけ放たれた。
「ロセア副隊長が破壊したのか?」
静観していたドナテッロがゼノンに訊く。
「それはないでしょう。彼女は活発ですが、生真面目な性格でもあります。〈天使の牙〉が先に手に入れて破壊したと考えるのが自然かと」
円卓の近くに立つマヤをドナテッロが一瞥したのち、ほかの大使から「秘密戦隊は、なにをしていたんだ!」と怒号が飛んだ。
やがて、罵声がマヤへ次々に浴びせられ始めると、それに後押しされるようにして、円卓のそばで立っていた護衛役のトカゲ族の大男が、ゆっくりとマヤに近づいて来る。
「おれはな、最初から気に入らなかったんだ。秘密戦隊だと? 呆れて笑えもしない」
腰の剣帯の長大な鞘から、それに見合う大きさの斬馬刀を抜いたトカゲ男は、ワンピースの襟に包まれたマヤの細くて華奢な首を縦長の瞳孔に映す。
「おまえたち秘密戦隊がどれほど秀でているのかは噂話でしか知らんが……めくら女が隊長の部隊に、いったいなにが出来る!」
そう言い終えるや否や、瞬く間に抜かれた斬馬刀がマヤの首を斬り落とすべく、凄まじい速さで横一閃に振るわれる。
もちろん、それはあくまでも威嚇としての行為。
剣術の達人でもある護衛役のトカゲ男は、寸止めをして彼女を怯ませて終わらせるつもりだった。
が、勢いよく振るわれた彼の手首は、奇妙なことにくるりと軌道を変える。
次の瞬間──トカゲ男は、自らの左目を斬り裂いていた。
創傷からドクドクとこぼれ出る緑色の鮮血。
それでも、トカゲ族の男は戦士らしく悲鳴は上げなかった。いや、もしかすると、なにが起きたのかを理解できずに放心しているだけなのかもしれない。
先ほどまでの罵詈雑言が嘘のように、円卓の大使たちは静まりかえっていた。皆それぞれ、沈黙の盾で己を守っていたからだ。
「あら……変わったにおいの香水ですね。でも、爬虫類特有の臭さは、ちゃんと消せています」
迫り来る危機を無事に回避したマヤだけが、穏やかな口調でそう言った。
トカゲ族の男はもう、なにも言い返さなかった。
彼女を怒らせてはならない──マヤ・ネニュファールの魔力の強大さは知る人ぞ知る有名な話で、実際に国ひとつ容易に滅亡させることが可能だった。
近年、世界地図から忽然と消えてしまった国や地域のなかには、彼女の仕業がいくつかあるとさえ言われている。
永遠に続くのではと思われた静寂を破ったのは、笑顔のドナテッロだった。
「はっはっはっはっは! 〝伝説の勇者〟殿に刃を向けるとは、なんと愚かな奴め。マヤ隊長、どうかトカゲの御無礼を許してくれたまえ」
見えているはずのない相手に、すわったまま両手を円卓の天板に着けて深々とお辞儀をしてみせたドナテッロは、笑顔を天板スレスレまで近づける。だが、彼の表情がその時点で真顔へと変えられたことは、となりの大使ですら気づかなかった。
「いえ……わたくしは、別になにも」
閉じられた瞼をわずかに横へと逸らせたマヤは、顔の位置を正面に戻し、半透明の球体が放つ微弱な魔力を改めて肌で感じた。
「きっと、ヴィートの迎撃魔法が発動したのでしょう」
ずっとマヤを見つめていたゼノンは、続けて両開きの扉へ興味を移す。
おそらく扉の向こう側では、双子の護衛が全盲の隊長を守り続けているに違いない。
反撃魔法と迎撃魔法。
有事の際、王家や貴族、彼らの住まう市街地等を敵の攻撃から守り抜くために開発された奇妙な防御系の魔法があることを、ゼノンは話にだけは聞いていた。
その計画を推し進めていたのは一部の人類だけで、結局は実現化されずに頓挫したらしいのだが、行き場を失った使い手たちをどうやら彼女が独占しているようだ。
「──むっ?」
急に巨大な邪気を感じたゼノンは、円卓の中央に浮かぶ球体を見る。
まるで台風の目のような形をした紫色の画像。それが徐々に、バルカイン神殿を中心にして大きく広がっていくではないか。
「これは……いったい何事だ……」
誰かの問いかけに、ゼノンがささやきで答える。
「暗黒神バルカイン、破壊の神」
それは、〝変化の神像〟が発していた邪悪なる力。円卓を囲む〈世界連合〉加盟国の特命全権大使たちは、一斉にざわめき始める。
「これは、どういうことだ!?」
「ドナテッロ!」
誰かに名前を呼ばれた長い白髭の老人──ドナテッロは、返事をする代わりに立体映像を精霊魔法で操っていたエルフの青年を鋭い眼光で見つめた。
ただじっと、無表情のまま円卓の中央で浮かぶ球体を見上げている青年。その輝きに照らされた白い肌の色艶もあってか、その様はまるで名工の彫刻作品のようだ。
「……皆さん、落ち着いてください。どうやら神像は、無事に破壊されました」
青年の言葉に、ざわめきがよりいっそう高まる。
「破壊だとぉ? おいゼノン、〝変化の神像〟を持ち帰るのが秘密戦隊の任務じゃなかったのかよ?」
腕を組んでどっしりとすわっていたドワーフ族の老大使が、さらに背もたれへ骨太の身体をあずけながら、エルフ族の若き大使・ゼノンに向けて挑発的に問う。
「いいえ。厳密には〈異形の民〉の破壊活動を未然に防ぎ、リディアス国をその被害から守るのが任務です。神器の回収は──」
「〝オマケのおつかい〟のはず」
ゼノンに代わって言葉を継いだのは、入室時からずっと円卓の傍らで立っていた、秘密戦隊の女隊長だった。目を閉じた表情と口調こそ穏やかではあったものの、軍人特有のなにか冷たい殺気がマヤ・ネニュファールの全身からほんの一瞬だけ放たれた。
「ロセア副隊長が破壊したのか?」
静観していたドナテッロがゼノンに訊く。
「それはないでしょう。彼女は活発ですが、生真面目な性格でもあります。〈天使の牙〉が先に手に入れて破壊したと考えるのが自然かと」
円卓の近くに立つマヤをドナテッロが一瞥したのち、ほかの大使から「秘密戦隊は、なにをしていたんだ!」と怒号が飛んだ。
やがて、罵声がマヤへ次々に浴びせられ始めると、それに後押しされるようにして、円卓のそばで立っていた護衛役のトカゲ族の大男が、ゆっくりとマヤに近づいて来る。
「おれはな、最初から気に入らなかったんだ。秘密戦隊だと? 呆れて笑えもしない」
腰の剣帯の長大な鞘から、それに見合う大きさの斬馬刀を抜いたトカゲ男は、ワンピースの襟に包まれたマヤの細くて華奢な首を縦長の瞳孔に映す。
「おまえたち秘密戦隊がどれほど秀でているのかは噂話でしか知らんが……めくら女が隊長の部隊に、いったいなにが出来る!」
そう言い終えるや否や、瞬く間に抜かれた斬馬刀がマヤの首を斬り落とすべく、凄まじい速さで横一閃に振るわれる。
もちろん、それはあくまでも威嚇としての行為。
剣術の達人でもある護衛役のトカゲ男は、寸止めをして彼女を怯ませて終わらせるつもりだった。
が、勢いよく振るわれた彼の手首は、奇妙なことにくるりと軌道を変える。
次の瞬間──トカゲ男は、自らの左目を斬り裂いていた。
創傷からドクドクとこぼれ出る緑色の鮮血。
それでも、トカゲ族の男は戦士らしく悲鳴は上げなかった。いや、もしかすると、なにが起きたのかを理解できずに放心しているだけなのかもしれない。
先ほどまでの罵詈雑言が嘘のように、円卓の大使たちは静まりかえっていた。皆それぞれ、沈黙の盾で己を守っていたからだ。
「あら……変わったにおいの香水ですね。でも、爬虫類特有の臭さは、ちゃんと消せています」
迫り来る危機を無事に回避したマヤだけが、穏やかな口調でそう言った。
トカゲ族の男はもう、なにも言い返さなかった。
彼女を怒らせてはならない──マヤ・ネニュファールの魔力の強大さは知る人ぞ知る有名な話で、実際に国ひとつ容易に滅亡させることが可能だった。
近年、世界地図から忽然と消えてしまった国や地域のなかには、彼女の仕業がいくつかあるとさえ言われている。
永遠に続くのではと思われた静寂を破ったのは、笑顔のドナテッロだった。
「はっはっはっはっは! 〝伝説の勇者〟殿に刃を向けるとは、なんと愚かな奴め。マヤ隊長、どうかトカゲの御無礼を許してくれたまえ」
見えているはずのない相手に、すわったまま両手を円卓の天板に着けて深々とお辞儀をしてみせたドナテッロは、笑顔を天板スレスレまで近づける。だが、彼の表情がその時点で真顔へと変えられたことは、となりの大使ですら気づかなかった。
「いえ……わたくしは、別になにも」
閉じられた瞼をわずかに横へと逸らせたマヤは、顔の位置を正面に戻し、半透明の球体が放つ微弱な魔力を改めて肌で感じた。
「きっと、ヴィートの迎撃魔法が発動したのでしょう」
ずっとマヤを見つめていたゼノンは、続けて両開きの扉へ興味を移す。
おそらく扉の向こう側では、双子の護衛が全盲の隊長を守り続けているに違いない。
反撃魔法と迎撃魔法。
有事の際、王家や貴族、彼らの住まう市街地等を敵の攻撃から守り抜くために開発された奇妙な防御系の魔法があることを、ゼノンは話にだけは聞いていた。
その計画を推し進めていたのは一部の人類だけで、結局は実現化されずに頓挫したらしいのだが、行き場を失った使い手たちをどうやら彼女が独占しているようだ。
「──むっ?」
急に巨大な邪気を感じたゼノンは、円卓の中央に浮かぶ球体を見る。
まるで台風の目のような形をした紫色の画像。それが徐々に、バルカイン神殿を中心にして大きく広がっていくではないか。
「これは……いったい何事だ……」
誰かの問いかけに、ゼノンがささやきで答える。
「暗黒神バルカイン、破壊の神」
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