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エピローグ

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「実を言うと、ミセス・ジャービスの部屋で、クローゼットの奥から出てきた衣服に触れたときから、何かおかしいと思っていたんだ」

 ラテン語の授業が一段落し、ウォルターが持ってきてくれた紅茶を飲んでいるときだった。イーサンはあれ以来、事件の話をしようとしなかったので、テオは思わず前のめりになってしまう。

「え、そうだったんですか?」
「スカートやストッキングに付いていたタバコの匂いは、パイプのそれではなかったからね。もっと上品で芳しく、香水かと思うほどだった」

 香水のようなタバコ……。

「それって」
「あぁ、兄上が自慢していた、あの嗅ぎタバコと同じ香りだった」

 だからイーサンは顔色を変えたのだ。エヴァンズの嗅ぎタバコ入れを見たときに。

「裏で兄上が糸を引いていたなら、ミセス・ジャービスが突然話しかけてきたことも説明がつく」

 悩める女性を無下にはできないにしても、確かに不自然ではあった。まだイーサンは事務所開設はおろか、何も初めてはいなかったのだから。

「どうにかして、弟の僕を失脚させたかったんだろう。今のままだと、兄上が爵位を継げる可能性はゼロだからね」
「そのためにイーサンを、『ファニー・ステラ』に誘い出そうとしたわけですか?」
「僕の滞在時を見計らって、警察に踏み込ませるつもりだったんだと思うよ。最近同性愛行為にまつわる事件が頻発していて、位の高い貴族の関与と隠ぺい工作が問題になっていたから、思いついたんだろう」

 もしイーサンがわいせつ行為で有罪判決を受けていたら、とんでもないスキャンダルとして新聞紙上を賑わせただろう。仮にグランチェスター侯が上手くもみ消したとしても、息子への信頼は地に落ちたはずだ。

「イーサンを自分と同じ場所まで、引きずり下ろしたところで、エヴァンズの評価が上がるわけではないでしょう?」
「『ジャイルズ』を成功させたという、実績があるじゃないか。父上は労働を下に見ているけれど、兄上が実業家として名を馳せたなら話は別だ。グランチェスター家が金に困っているのは事実だからな」

 テオはふむとうなずいて、大いに納得する。

「イーサンも一〇ポンド紙幣の束には、目の色を変えていましたからね」
「おい、人聞きの悪いことを言うな。あれは兄上を納得させるためだ。金で釣られたように見せないと、僕が依頼を受ける理由がないだろう?」
「本当ですか? だってあのお金、返してないんでしょう?」

 最後にリネットの部屋で会ってから、エヴァンズとは顔を合わせていない。一〇ポンド紙幣の束はウォルターによって、匿名でグランチェスター家に贈られ、屋敷の雨漏り修理に使われたことだろう。

「なぜ返す必要がある。こっちは被害者だぞ」
「未遂じゃないですか」
「それは僕の機転が利いたからだ。あれは見舞金として受け取っておくよ」

 イーサンはしれっと言って、ゆっくりと紅茶を飲んだ。大した人だ。やはりグランチェスター侯の名は、彼にこそ相応しいのかもしれない。

「これからあのイーストエンドの事務所は、どうするんです?」
「もちろん続けるさ。いずれはかの有名な、フランソワ・ヴィドックのようになれるかもしれん」
「世界初の探偵、ですか……。しかし、警察の手先なんかに興味があるんです?」

 テオの問いに、イーサンは顔をしかめる。

「そういう言い方はないだろう、法と秩序を守る立派な仕事じゃないか」
「いやまぁおっしゃるとおりですけど、労多くして功少なしだと思いますよ」
「何も功が欲しいわけじゃない」

 テオの給料を値切っておいて、その台詞はないだろう。彼が憮然とした顔をすると、イーサンは慌てて自分の言動を正当化し始める。

「つまりだ、功だけが欲しい、というわけじゃないのさ。どうせ仕事をするなら、世のためになることをしたいんだよ」
「でしたら治安判事や、国会議員をなさればいいでしょう」
「無給でやる仕事に責任感は生まれないよ。だからバスケット判事なんて、陰口をたたかれるんだ」

 ジェントルマンの中には、賄賂によって判決を決めるという、軽蔑すベき者も結構な人数で存在している。社会的地位を誇示し、収賄を役得と感じるような連中に比べれば、イーサンはずっと尊敬に値する若者だ。

「わかりましたよ。きちんと授業を受けて下さるなら、たまには協力して差し上げます」
「案外話がわかるじゃないか。君を先生に選んで良かったよ」

 イーサンの口元に笑みが広がり、好奇心に満ちた瞳で続ける。

「そう言えば、日本にはヴィドックのような探偵はいないのか?」
「え、さぁ、どうでしょうね? よく知りませんが」

 テオがしどろもどろになると、イーサンの表情は途端に曇った。仰々しくため息をつき、哀れみすら込めて言った。

「先生は本当に日本へ行く気があるのか? いくらなんでも勉強不足だろう」

 言い訳ができる状況ではなく、テオは「すみません。精進します」と大人しく頭を下げたのだった。
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