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第三章
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ベッドルームの扉の隙間から、スラリと伸びた女の脚が見えた。足先には白い泡がのっており、ゆっくりとブリキの浴槽に沈む。
「今日も綺麗だ」
気だるそうな、低く甘い声。まるで別人のような声色だ。
「嬉しいけど、誰にでも言ってるんでしょう?」
「まさか。ボクがどれだけお前を愛しているか、知っているクセに」
男が軽く怒って見せると、女はのろけた声で言った。
「ごめんなさい、でも私だけを見ていて欲しいの。あなたのためだから、目に痣まで作ったのよ」
「わかっているよ、感謝している。それより、お前の夫のほうは大丈夫なんだろうな?」
「今の時期はよく家を留守にするの。まず帰ってこないわ」
気が緩み、安心しきったふたりの様子を確認して、イーサンは勢いよくベッドルームの扉を開けた。
「な」
それ以上エヴァンズは声が出なかった。リネットは胸元を掻き抱き、彼の後ろに隠れて叫ぶ。
「どうして、あなたがここに!」
「それはこちらの台詞ですよ。こちらはジャービス夫妻の寝室でしょう? なぜ兄上がいらっしゃるんです?」
エヴァンズは必死に頭を巡らせ、どうにか優位に立とうとして言った。
「お前こそ、不法侵入しているじゃないか」
「鍵ならここにありますよ」
イーサンは胸元から、この部屋の鍵を出した。
「昨日から真下の部屋を借りていましてね。天井から水漏れしているが、上の階の住人が留守で困っていると言ったら、快くスペアキーを貸してもらえました」
「そんなことはどうでもいい。なんのために、この部屋に入ったのか聞いているんだ」
素っ裸に泡まみれで、浴槽に浸かるエヴァンズからは、なんの威厳も感じられない。いくら凄んで見せても、滑稽すぎて哀れでさえあった。
「僕はミセス・ジャービスから、依頼を受けましたからね。部屋を調査するのは当然では?」
「だったら私の許可を得てからにすべきよ。こんな抜き打ちみたいなこと、私は頼んでいないわ」
リネットがキンキン声で抗議するが、イーサンは澄ました顔で答える。
「確かにあなたをおとりにしたことは謝ります。しかし事前に告知すれば、現場を押さえることはできなかったでしょう?」
「現場ってなんの」
「もちろん保険金殺人の、ですよ」
噛み合わない話に頭痛でもするのか、リネットはこめかみに指先を添えて尋ねた。
「なんのこと?」
「僕はあなたが夫に殺されるのでは、と危惧したのですよ。マーリブルック男爵にお会いして、ふたりはかなり親密な関係だとわかりましたのでね」
「あのカールが、そんなことするわけないでしょう」
「おや、死亡保険を掛けられた新妻が、浴槽で溺死させられたというニュース、ご存知ありませんか? 妻を邪魔に思えば、どんな手を使うか」
真面目くさったイーサンの言葉を聞いて、リネットは笑い出す。
「あなたはカールのことを何もわかってないのよ。あの人は人間より、植物を愛しているんだから」
吐き捨てるように言ったリネットを見て、イーサンはわざとらしく首をかしげる。
「それは妙ですね。ご主人は男娼として、上流階級の紳士と、濃密で危険な遊戯に興じていたはずでは?」
リネットはそこで初めて墓穴を掘ったことを知った。真っ青な顔で、助けを求めるようにエヴァンズの腕を掴む。彼はその手を振り払い、立ち上がって湯船から出た。
「待って、エヴァンズ」
取りすがるリネットを無視して、エヴァンズは手近に置いてあった浴布を取り、黙って身体を拭い始めた。
「悪いが会うのは最後にしよう。今まで楽しかったよ」
エヴァンズは冷たく言い放ち、手早く服を身につけていく。リネットは呆然としていたが、彼はその場にいる誰にも目もくれずに部屋を出て行ったのだった。
「今日も綺麗だ」
気だるそうな、低く甘い声。まるで別人のような声色だ。
「嬉しいけど、誰にでも言ってるんでしょう?」
「まさか。ボクがどれだけお前を愛しているか、知っているクセに」
男が軽く怒って見せると、女はのろけた声で言った。
「ごめんなさい、でも私だけを見ていて欲しいの。あなたのためだから、目に痣まで作ったのよ」
「わかっているよ、感謝している。それより、お前の夫のほうは大丈夫なんだろうな?」
「今の時期はよく家を留守にするの。まず帰ってこないわ」
気が緩み、安心しきったふたりの様子を確認して、イーサンは勢いよくベッドルームの扉を開けた。
「な」
それ以上エヴァンズは声が出なかった。リネットは胸元を掻き抱き、彼の後ろに隠れて叫ぶ。
「どうして、あなたがここに!」
「それはこちらの台詞ですよ。こちらはジャービス夫妻の寝室でしょう? なぜ兄上がいらっしゃるんです?」
エヴァンズは必死に頭を巡らせ、どうにか優位に立とうとして言った。
「お前こそ、不法侵入しているじゃないか」
「鍵ならここにありますよ」
イーサンは胸元から、この部屋の鍵を出した。
「昨日から真下の部屋を借りていましてね。天井から水漏れしているが、上の階の住人が留守で困っていると言ったら、快くスペアキーを貸してもらえました」
「そんなことはどうでもいい。なんのために、この部屋に入ったのか聞いているんだ」
素っ裸に泡まみれで、浴槽に浸かるエヴァンズからは、なんの威厳も感じられない。いくら凄んで見せても、滑稽すぎて哀れでさえあった。
「僕はミセス・ジャービスから、依頼を受けましたからね。部屋を調査するのは当然では?」
「だったら私の許可を得てからにすべきよ。こんな抜き打ちみたいなこと、私は頼んでいないわ」
リネットがキンキン声で抗議するが、イーサンは澄ました顔で答える。
「確かにあなたをおとりにしたことは謝ります。しかし事前に告知すれば、現場を押さえることはできなかったでしょう?」
「現場ってなんの」
「もちろん保険金殺人の、ですよ」
噛み合わない話に頭痛でもするのか、リネットはこめかみに指先を添えて尋ねた。
「なんのこと?」
「僕はあなたが夫に殺されるのでは、と危惧したのですよ。マーリブルック男爵にお会いして、ふたりはかなり親密な関係だとわかりましたのでね」
「あのカールが、そんなことするわけないでしょう」
「おや、死亡保険を掛けられた新妻が、浴槽で溺死させられたというニュース、ご存知ありませんか? 妻を邪魔に思えば、どんな手を使うか」
真面目くさったイーサンの言葉を聞いて、リネットは笑い出す。
「あなたはカールのことを何もわかってないのよ。あの人は人間より、植物を愛しているんだから」
吐き捨てるように言ったリネットを見て、イーサンはわざとらしく首をかしげる。
「それは妙ですね。ご主人は男娼として、上流階級の紳士と、濃密で危険な遊戯に興じていたはずでは?」
リネットはそこで初めて墓穴を掘ったことを知った。真っ青な顔で、助けを求めるようにエヴァンズの腕を掴む。彼はその手を振り払い、立ち上がって湯船から出た。
「待って、エヴァンズ」
取りすがるリネットを無視して、エヴァンズは手近に置いてあった浴布を取り、黙って身体を拭い始めた。
「悪いが会うのは最後にしよう。今まで楽しかったよ」
エヴァンズは冷たく言い放ち、手早く服を身につけていく。リネットは呆然としていたが、彼はその場にいる誰にも目もくれずに部屋を出て行ったのだった。
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