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なかったことに
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私は悩んでいた。
何に?
昨日のことを、みずきと香苗に話すかどうか、である。
話したらどうなる?
面白おかしくからかわれるだろうか。
それとも、タケルに対して怒る……?
いや、わからない。
大体、昨日のあれは事故だ。アクシデントだ。なかったことにすればいい。だったら、話す必要もない。だって、何もなかったのだから。
大きく息を吐き出し、教室のドアに手を掛ける。
中からはいつもと同じ、ガヤついた声が聞こえてくる。
平常心、平常心。
ガララ、
ドアを開ける。
パッとこっちを振り向いたのは、翔と信吾だった。
「あ、有野さんおはよー」
「はよー」
「あ、うん、おはよう」
タケルの姿はない。ちょっとだけ、ホッとする自分がいた。
「志穂、おはよー!」
香苗が片手を挙げる。
「おはよ」
「珍しくない?」
「ん? なにが?」
「男子と喋ってた」
翔と信吾のことだ。
「ああ、劇一緒なんだよ」
「あ、そっか! で、どうだった? 昨日初めての読みだったんでしょ?」
「あ、うん、まぁ、これからって感じ?」
「そっかー! ほら、うちのクラスさ、演劇部がいないじゃない? 誰が指導とかするんだろう、ってちょっと思っちゃった」
そうだ。うちのクラスには演劇部の子がいないんだった。これって、やっぱり演劇部の子がいるクラスのほうが断然有利なんじゃ?
「志穂、香苗、おっはー!」
上機嫌でみずき登場である。
「みずき、昨日原君と帰ったでしょ?」
私はズバッと聞いてみる。
「へっ? えっ? な、なんで?」
顔を赤らめて、慌てる。
「あまりにもウキウキだから、そうかなと思って」
「やだ、顔に出てる?」
「垂れ流してるよ」
香苗も続く。
「やだ、恥ずかしい!」
みずきが顔を隠した。
「その話、後でたっぷり聞かせていただきましょう!」
「そうしましょう!」
盛り上がっていると、後ろから黄色い声。
「あ~! 大和くん、おはよ~!」
わかりやすいほどの高音で甘ったるく喋っているのはつばさ。配役が決定してからというもの、ずっとあの調子だった。
「あ、はよ」
「え? どうかしたの~? 大和君、元気ないじゃーん」
腕にベタベタ触りながら、つばさ。
「あー、ちょっと、うん、大丈夫だから」
そんなつばさをさらっと交わし、タケルは席につく。翔と信吾がさっとタケルの元に行き、耳打ちした。
「で、あの後どうだった?」
興味津々で、翔。
「なんか進展あったのかよ?」
うりうり、と肘でタケルを突っつき、信吾。しかしタケルは心ここにあらずで生返事である。
「あれ? なんかヤバい事あった?」
心配になって信吾がしゃがみ込む。
「あー、いや、二人は悪くない。チャンスをきちんと活かせなかった俺のせい」
タケルはそう言ってゴン、とテーブルに突っ伏した。
「あらら」
「後で詳しく聞いてやるから!」
そう言ったところで、タイミングよくチャイムが鳴った。
*****
昼休み。
私はみずきと香苗と、いつものように中庭でお弁当を食べていた。話題はもちろん、みずきの昨日の帰り道の話である。
「でね、原君て最近ギターとかも始めたらしいんだけど、その理由が『高校からギターやってる、って言うのかっこよくない?』っていうの! 可愛くないっ?」
「うわ、あいつらしいな~」
「えー? 原君ってそんなキャラなの?」
わいのわいの。
そんな団欒を邪魔しに来たのは、翔と信吾だった。
「あのー、有野さーん」
翔が遠くからおいでおいでをしていた。
「え? 相田君と三上君だ。なんで志穂のこと…?」
香苗が不思議がる。
「劇、一緒だから。ちょっと行ってくる」
本当はあまり気が進まなかったが、行くことにする。
「いてらー」
「そっか、みんなキャスト組か」
二人はそれで、納得していた。
「なに?」
言い方がぶっきらぼうになるのは、昨日嵌められたことへの怒りからだ。
二人はなんとなく罰が悪そうに目配せをし、頭を下げた。
「昨日はごめん!」
「騙す気はなかったんだけどさぁ」
「ふーん」
「いや、ほんとごめんて」
信吾が大袈裟に手刀を切った。
「まぁ、いいよ。で、なに?」
「うん、あのさ」
言い辛そうに、もじもじし始める。
「こんなこと、有野さんに聞いてもいいのかわかんないんだけど、」
「な。でも有野さんしかわかんないだろうからさ」
じれったい。
「何を聞きたいのよ?」
私は少し声を荒げて言った。
「昨日、タケルとなんかあった?」
ドキーーーーン
「……はっ?」
思わず声が裏返ってしまう。
「うわ、やっぱなんかあったんだ」
翔が頭を抱えた。
「俺らが余計なことしたせいで」
信吾も悶える。
「いや、あの、なにもないっ、よ、多分」
慌てて否定する。
「タケルがさ、朝から元気なくてさ」
「俺らのせいでごめんって言ったんだけど、悪いのは自分だからって」
ああ、落ち込んでるんだ。
「有野さんと喧嘩にでもなったのかなって」
「な」
仲いいんだな、三人。タケルが転校してきてからまだそんなに経ってないのに。
「心配しないで。ほんと、何もないから。大和君にも言っておいてよ。『有野さんに聞いたら何もないって言ってた』って」
「そっか、うん、それならいいんだ」
翔がホッとした顔をする。
「マジでタケル、めっちゃいいやつでさ、俺ら、タケルの力になりたくてほんと余計なことしたよ、ごめん」
信吾が手を合わせる。
「もういいって。気持ち、よくわかるし。私だって友達のためなら何でもしてあげたくなるもん」
「だよな! 有野さんもいい人!」
「タケルと同じくらいいい人!」
まぁ、彼は人じゃないけどね。
は、もちろん言わないけど。
「じゃ、また練習のときな!」
「劇、頑張ろうな!」
「うん」
三人で片手を挙げてその場を去る。
みずきと香苗のところへ戻ると、二人はまだ原君話で盛り上がっていた。
*****
「え? 有野さんが?」
タケルが机から顔を上げて、翔の顔を見上げた。
「うん、何もなかった、って」
「だからさ、お前が落ち込んでる理由が昨日のカラオケボックスの件じゃないならなんなんだ、って」
有野さんが……、
「俺、ちょっと行ってくる!」
タケルは教室からダッシュで出て行ってしまった。残された二人は顔を見合わせ、
「あれって、」
「やっぱなんかあったんだな」
*****
タケルはまっすぐ中庭へと向かう。ちょうど志穂が歩いてくるところだった。運よく、一人である。
「あ、」
立ち止まったタケルに気付いた志穂が足を止めた。タケルは辺りを見渡し、志穂を手招きする。人目につかない渡り廊下の柱の陰に誘導すると、もじもじしながら切り出す。
「あの、昨日は……」
言いかけるが、志穂に割り込まれた。
「あのねっ、昨日は何もなかったよ。気にしてないから大丈夫! 友達に心配かけちゃ駄目だよ」
ああ、私何言ってるんだろう。何もないわけないのだが…これ以上昨日のこと引っ張るのも嫌なのだ。
良かれと思ってのことだった。が、タケルは面白くなさそうに眉間に皺を寄せる。
「うん、あのさ」
「な、なに?」
タケルが柱側に立つ志穂の方に一歩踏み出し、柱に手を置く。壁ドンならぬ、柱ドンのような図式。
「昨日は本当に悪かったと思ってる。でも、俺は何もなかったことには出来ないから。俺は…嬉しかったし、それに……」
ふい、と顔を志穂の耳元に近付ける。
「もっとしたいと思ってるから」
甘ーーーーい!
「ごめん、それだけ」
パッと踵を返し、走り去る。
私はそのまま両手で顔を覆い、柱に頭をぶつけながら正気を保っていた。
何に?
昨日のことを、みずきと香苗に話すかどうか、である。
話したらどうなる?
面白おかしくからかわれるだろうか。
それとも、タケルに対して怒る……?
いや、わからない。
大体、昨日のあれは事故だ。アクシデントだ。なかったことにすればいい。だったら、話す必要もない。だって、何もなかったのだから。
大きく息を吐き出し、教室のドアに手を掛ける。
中からはいつもと同じ、ガヤついた声が聞こえてくる。
平常心、平常心。
ガララ、
ドアを開ける。
パッとこっちを振り向いたのは、翔と信吾だった。
「あ、有野さんおはよー」
「はよー」
「あ、うん、おはよう」
タケルの姿はない。ちょっとだけ、ホッとする自分がいた。
「志穂、おはよー!」
香苗が片手を挙げる。
「おはよ」
「珍しくない?」
「ん? なにが?」
「男子と喋ってた」
翔と信吾のことだ。
「ああ、劇一緒なんだよ」
「あ、そっか! で、どうだった? 昨日初めての読みだったんでしょ?」
「あ、うん、まぁ、これからって感じ?」
「そっかー! ほら、うちのクラスさ、演劇部がいないじゃない? 誰が指導とかするんだろう、ってちょっと思っちゃった」
そうだ。うちのクラスには演劇部の子がいないんだった。これって、やっぱり演劇部の子がいるクラスのほうが断然有利なんじゃ?
「志穂、香苗、おっはー!」
上機嫌でみずき登場である。
「みずき、昨日原君と帰ったでしょ?」
私はズバッと聞いてみる。
「へっ? えっ? な、なんで?」
顔を赤らめて、慌てる。
「あまりにもウキウキだから、そうかなと思って」
「やだ、顔に出てる?」
「垂れ流してるよ」
香苗も続く。
「やだ、恥ずかしい!」
みずきが顔を隠した。
「その話、後でたっぷり聞かせていただきましょう!」
「そうしましょう!」
盛り上がっていると、後ろから黄色い声。
「あ~! 大和くん、おはよ~!」
わかりやすいほどの高音で甘ったるく喋っているのはつばさ。配役が決定してからというもの、ずっとあの調子だった。
「あ、はよ」
「え? どうかしたの~? 大和君、元気ないじゃーん」
腕にベタベタ触りながら、つばさ。
「あー、ちょっと、うん、大丈夫だから」
そんなつばさをさらっと交わし、タケルは席につく。翔と信吾がさっとタケルの元に行き、耳打ちした。
「で、あの後どうだった?」
興味津々で、翔。
「なんか進展あったのかよ?」
うりうり、と肘でタケルを突っつき、信吾。しかしタケルは心ここにあらずで生返事である。
「あれ? なんかヤバい事あった?」
心配になって信吾がしゃがみ込む。
「あー、いや、二人は悪くない。チャンスをきちんと活かせなかった俺のせい」
タケルはそう言ってゴン、とテーブルに突っ伏した。
「あらら」
「後で詳しく聞いてやるから!」
そう言ったところで、タイミングよくチャイムが鳴った。
*****
昼休み。
私はみずきと香苗と、いつものように中庭でお弁当を食べていた。話題はもちろん、みずきの昨日の帰り道の話である。
「でね、原君て最近ギターとかも始めたらしいんだけど、その理由が『高校からギターやってる、って言うのかっこよくない?』っていうの! 可愛くないっ?」
「うわ、あいつらしいな~」
「えー? 原君ってそんなキャラなの?」
わいのわいの。
そんな団欒を邪魔しに来たのは、翔と信吾だった。
「あのー、有野さーん」
翔が遠くからおいでおいでをしていた。
「え? 相田君と三上君だ。なんで志穂のこと…?」
香苗が不思議がる。
「劇、一緒だから。ちょっと行ってくる」
本当はあまり気が進まなかったが、行くことにする。
「いてらー」
「そっか、みんなキャスト組か」
二人はそれで、納得していた。
「なに?」
言い方がぶっきらぼうになるのは、昨日嵌められたことへの怒りからだ。
二人はなんとなく罰が悪そうに目配せをし、頭を下げた。
「昨日はごめん!」
「騙す気はなかったんだけどさぁ」
「ふーん」
「いや、ほんとごめんて」
信吾が大袈裟に手刀を切った。
「まぁ、いいよ。で、なに?」
「うん、あのさ」
言い辛そうに、もじもじし始める。
「こんなこと、有野さんに聞いてもいいのかわかんないんだけど、」
「な。でも有野さんしかわかんないだろうからさ」
じれったい。
「何を聞きたいのよ?」
私は少し声を荒げて言った。
「昨日、タケルとなんかあった?」
ドキーーーーン
「……はっ?」
思わず声が裏返ってしまう。
「うわ、やっぱなんかあったんだ」
翔が頭を抱えた。
「俺らが余計なことしたせいで」
信吾も悶える。
「いや、あの、なにもないっ、よ、多分」
慌てて否定する。
「タケルがさ、朝から元気なくてさ」
「俺らのせいでごめんって言ったんだけど、悪いのは自分だからって」
ああ、落ち込んでるんだ。
「有野さんと喧嘩にでもなったのかなって」
「な」
仲いいんだな、三人。タケルが転校してきてからまだそんなに経ってないのに。
「心配しないで。ほんと、何もないから。大和君にも言っておいてよ。『有野さんに聞いたら何もないって言ってた』って」
「そっか、うん、それならいいんだ」
翔がホッとした顔をする。
「マジでタケル、めっちゃいいやつでさ、俺ら、タケルの力になりたくてほんと余計なことしたよ、ごめん」
信吾が手を合わせる。
「もういいって。気持ち、よくわかるし。私だって友達のためなら何でもしてあげたくなるもん」
「だよな! 有野さんもいい人!」
「タケルと同じくらいいい人!」
まぁ、彼は人じゃないけどね。
は、もちろん言わないけど。
「じゃ、また練習のときな!」
「劇、頑張ろうな!」
「うん」
三人で片手を挙げてその場を去る。
みずきと香苗のところへ戻ると、二人はまだ原君話で盛り上がっていた。
*****
「え? 有野さんが?」
タケルが机から顔を上げて、翔の顔を見上げた。
「うん、何もなかった、って」
「だからさ、お前が落ち込んでる理由が昨日のカラオケボックスの件じゃないならなんなんだ、って」
有野さんが……、
「俺、ちょっと行ってくる!」
タケルは教室からダッシュで出て行ってしまった。残された二人は顔を見合わせ、
「あれって、」
「やっぱなんかあったんだな」
*****
タケルはまっすぐ中庭へと向かう。ちょうど志穂が歩いてくるところだった。運よく、一人である。
「あ、」
立ち止まったタケルに気付いた志穂が足を止めた。タケルは辺りを見渡し、志穂を手招きする。人目につかない渡り廊下の柱の陰に誘導すると、もじもじしながら切り出す。
「あの、昨日は……」
言いかけるが、志穂に割り込まれた。
「あのねっ、昨日は何もなかったよ。気にしてないから大丈夫! 友達に心配かけちゃ駄目だよ」
ああ、私何言ってるんだろう。何もないわけないのだが…これ以上昨日のこと引っ張るのも嫌なのだ。
良かれと思ってのことだった。が、タケルは面白くなさそうに眉間に皺を寄せる。
「うん、あのさ」
「な、なに?」
タケルが柱側に立つ志穂の方に一歩踏み出し、柱に手を置く。壁ドンならぬ、柱ドンのような図式。
「昨日は本当に悪かったと思ってる。でも、俺は何もなかったことには出来ないから。俺は…嬉しかったし、それに……」
ふい、と顔を志穂の耳元に近付ける。
「もっとしたいと思ってるから」
甘ーーーーい!
「ごめん、それだけ」
パッと踵を返し、走り去る。
私はそのまま両手で顔を覆い、柱に頭をぶつけながら正気を保っていた。
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