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ヒラ事務員たちの悲しい日常3

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「わたしにも、結城事務局長のお姿は見えません」
「だよな」

 私は桐生さんの机に置いてある『医療センター30年の歩み』と背表紙にある本を見た。
 これはカバーにこそ医療センターの明るい写真が使われているが、このカバーの下には、黒い猫の絵が描かれている。先日借りた時、カバーをはがしてみたら1階に飾ってある事務局長の絵と黒い猫の絵が表と裏を飾っていた。

「ま、今はそこに誰もいないわけだし、座れば?」
「そうですね」

 結城事務局長がいたところに座れないとか言い出すかと思っていたが、素直に座った。
 いや、案外これは喜んで座っているのかもしれない。

「ところで桐生さん、その本のカバーの下の絵って、見たことある?」
「あります。結城事務局長の絵と、猫の絵ですよね」
「そうそう。俺、分かんないんだけど。なんで猫なん? いいじゃねえか、結城事務局長だけで」
「この猫は、病院ができた際、ここに住み着いていた猫で、結城事務局長をはじめとした職員、患者からもかわいがられたとのことです」

 これは全くの予想外だった。

「は? マジか。でも病院だぞ」
「30年前ですから」
「あー……今ほど堅苦しくなかったわけね。数年前までは、お見舞いっていえば花だったのにな。最近じゃ、子供と生花は病棟立ち入り禁止。感染症対策とはいえ世知辛いよ」

 常識と思っていることがたった数年前に判明した新しい習慣だと気づくと、自分が年寄りになったような気がする。

「昔は今と違っておおらかだったよなあ。なんか、時代が変わったんだなあ」
「時折、友利さんは年齢を詐称しているような気がします」
「ああん? 俺のどこが年齢査証だって?」
「友利さんはわたしより2歳年上……ではなく、実は20歳も上の方なのではないかと思うこともあります」
「ひでえよ桐生さん。それを言ったら、最初の1年目なんかな。桐生さんはロボットなんじゃねえかって思ったぞ。っつーか、今も時間とか正確すぎてそんな感じだけど」
「歩く時計と言われたカントほどではありません」
「何だそりゃ」
「近代哲学の祖と言われるカントは『神は死んだ』と言う言葉で有名なニーチェにも影響を与えた哲学者で、あまりにも時間に正確であったため、彼を見て時計を調整したとさえ言われています」
「……あ、そう。俺は『髪が死んだ』ってことにならないように、頭皮マッサージを頑張るけどよ」
「その発言……友利さん、実は50代ではないですよね」
「50代で今のポジションじゃやべえだろ。家族養えねえぞ」

 と言っても、養うような家族はいない。

「話を戻すけど、昔いたクロネコ、どうなったか誰か知らねえの?」
「救命センターの絹井先生がこの絵を描いているので、以前、尋ねたことがあります」
「え、クロネコ描いたのも絹井先生なんか」
「結城事務局長の絵もそうですし……非常に多才な方です」
「できるひとはなんでもできるもんなんだなぁ。院内のクリスマスコンサートの時もピアノ弾いてたし」
「趣味で芸術を嗜まれているドクターは多いです」

 金持ちのお嬢さんやお坊ちゃんがドクターになることが多い……と言うことを考えれば、納得できた。

「なるほどなあ……んで、絹井先生はなんだって? 絵に描くくらいだから絹井先生も可愛がってたんじゃねえの? クロネコ」
「もともと、高齢の猫だったらしく、結城事務局長が亡くなった年、いつの間にか姿を消していたそうです」

 高齢の猫が姿を消すのは死期を迎える時と相場が決まっている。
 最近は、家の中で買われる猫が増えているせいで、こんな話は聞かなくなったが。
 猫は、結城事務局長が亡くなって、姿を消した。

「うわあ……やっべえな」

 つい、思ったことがそのまま声に出てしまった。
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