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ホイップたっぷり、さくら待ちラテはいかがでしょうか。
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香りの話などあっただろうか――三枝はノートを見返した。
メモを見返す中に、「藤木」「希望、退職してアロマ」と書いた箇所があった。
「先生、その香りの話というのは、藤木さん――じゃなくて、事務の人が退職してアロマテラピーのお店をやりたいって言ってた……そのことですか?」
紗川は頷くと、タブレットに表示されている画面を三枝と爾志が見やすい位置に置いた。
先ほど三枝が見たPDFのページが開いている。よく見ると、中毒情報センターが提供している医療従事者向けの資料の様だ。
「先ほど、料理が苦手なコアラの人が生のユーカリの葉をペーストにできるかどうか、またそれを使うアレンジができるかどうかという事について考えていました。しかし、生の葉を取り扱うよりもずっと簡単に、また合法的にユーカリの毒を手に入れることができます。それが、これです」
タブレットの中のPDFをピンチ・インで拡大する。長い日本の指が画面の上を撫でるように滑った。
「ユーカリ油……?」
思ってもいない単語だったのだろう。爾志が独り言のようにつぶやき、眉間に皺を寄せている。
しかしすぐに思い当たる節があったのか、顔を上げた。
「あ、動物園の土産コーナーにあります。ユーカリ油。爽やかな香りで人気です。虫よけにもなるからって、夏場、飼育員の間でも人気がありました。市販のスプレータイプの虫よけは、動物が嫌う臭いだからって、使いたがらない人も多いんですが、ユーカリだとそこまで酷くはないらしくて」
「先ほども、ユーカリの香りの土産物があるとおっしゃっていましたね」
「そうなんです。アロマは藤木さんが得意で、夏休み企画で虫よけを作ろうってイベントは、大盛況でした。ナチュラルで子供にも安心して使える……って」
「ユーカリ油の主成分であるシネオールは、爽やかな香りと味で人気が高いオイルですが、4mlの経口摂取で死亡例もある神経毒でもあります。もちろん、成人男性ならその程度では問題はないでしょうが……」
「え、そうなんですか?」
示されたタブレットの画面覗き込み、三枝と爾志はそこに書かれているデータを見て息を飲んだ。
子供であれば、ティースプーン一杯程度で死んでしまうこともある事実に、寒気すら覚える。
三枝が背筋が凍る思いでデータを見ていると、ポンと肩に手が乗った。
「ちろん、小さな子供でなければ、通常の使用ではメリットの方が大きい」
確かにそうだろうが、動物園の売店でも取り扱っていたり、夏休みのイベントで子供が取り扱ったというのなら話は別ではないだろうか。
爾志も不安に思ったのだろう、「大丈夫でしょうか」とつぶやいた。
「一般に流通しているものは濃度を抑えているはずです。殺害目的で使うのであれば、プロ用の高濃度のものと考えられます」
「そうですか……」
安堵のため息を着く爾志と視線があってしまった。
自分だけが上司から慰められてしまい、気恥ずかしい。
もう、紗川の手は離れているが、照れ隠しにコーヒーを一気飲みしてしまった。
(う……甘い)
顔をしかめていると、紗川がタブレットで別のページを開いた。
(生チョコの……つくりかた?)
いくつものレシピがずらりと並んでいる。
「これを見ていただければわかる通り、生チョコレートはココアパウダーと油を使って作る事ができます。これは加熱しません」
「ああ、カビが生えたパンも焼けば食える理論」
「ニシ、いい加減に気つけ、あれは冗談だ」
(先生、それは無理です)
あれを冗談と受け止めることは誰一人できないだろう。
長い前髪を払いながら、「やれやれ」と笑う紗川に「腹たつー」と河西が言っているが部下としてそれには参加しないでおいた。
「さて、これらのレシピを見ていると、概ね、パウダーの2倍の重量のオイルが必要になるようです。よく流通しているココアパウダーは100グラム程ですから、それを一箱使って作るならオイルは200グラム。流石にこれだけの量を摂取すれば、成人男性であっても危険です」
言われていくつかのページを開く。
多少の差こそあれ、いずれも紗川の言った通りの割合だった。
「殺意があったのであれば、致死量を計算した上で作っているはずです」
「ユーカリ油を使ったのは……コアラの人に罪を着せるつもりだったんでしょうか
「それはわかりません。単純に手元にあったからかもしれませんし、爽やかな味や香りがこの前うがいやのど飴などにも含まれていますから、故意ではなかった……ということもできるでしょうね。料理が得意なショートの人と親しかったとはいえ、事務の人は料理が苦手とのことですから」
殺意はあっただろう。
なければ本来食用ではないものを使いはしないはずだ。
それに、アロマオイルのショップを開きたいと言っている人間が、その毒性を知らないはずがない。
「爾志くんさ、ちょっと質問なんだけど、いい?」
河西が小さく手を挙げた。
「事務の人は一番年が上なんだよね。被害者より、上?」
「そうです」
「年上なの、その人だけ?」
「はい。あとは田中さんと同じ歳か、下です」
「なるほどね。でさ、カンガルーとコアラの人みたく他人の評判を貶めるようなことはなくて、美人で料理上手なショートの人とも仲良かったと」
「はい」
「あー……なるほどねえ」
うんうんと頷いている。
「何がなるほど、なんだ?」
「キヨアキの苦手分野だよ。いわゆる痴情のもつれってやつ。彼女さ、自分だけ年上だから抑えてたんだと思うよ、感情を。年下の田中さんに対して、引け目を感じてたのかもしれない。色々想像できちゃうよね、そういう女の人の心の闇ってさ」
メモを見返す中に、「藤木」「希望、退職してアロマ」と書いた箇所があった。
「先生、その香りの話というのは、藤木さん――じゃなくて、事務の人が退職してアロマテラピーのお店をやりたいって言ってた……そのことですか?」
紗川は頷くと、タブレットに表示されている画面を三枝と爾志が見やすい位置に置いた。
先ほど三枝が見たPDFのページが開いている。よく見ると、中毒情報センターが提供している医療従事者向けの資料の様だ。
「先ほど、料理が苦手なコアラの人が生のユーカリの葉をペーストにできるかどうか、またそれを使うアレンジができるかどうかという事について考えていました。しかし、生の葉を取り扱うよりもずっと簡単に、また合法的にユーカリの毒を手に入れることができます。それが、これです」
タブレットの中のPDFをピンチ・インで拡大する。長い日本の指が画面の上を撫でるように滑った。
「ユーカリ油……?」
思ってもいない単語だったのだろう。爾志が独り言のようにつぶやき、眉間に皺を寄せている。
しかしすぐに思い当たる節があったのか、顔を上げた。
「あ、動物園の土産コーナーにあります。ユーカリ油。爽やかな香りで人気です。虫よけにもなるからって、夏場、飼育員の間でも人気がありました。市販のスプレータイプの虫よけは、動物が嫌う臭いだからって、使いたがらない人も多いんですが、ユーカリだとそこまで酷くはないらしくて」
「先ほども、ユーカリの香りの土産物があるとおっしゃっていましたね」
「そうなんです。アロマは藤木さんが得意で、夏休み企画で虫よけを作ろうってイベントは、大盛況でした。ナチュラルで子供にも安心して使える……って」
「ユーカリ油の主成分であるシネオールは、爽やかな香りと味で人気が高いオイルですが、4mlの経口摂取で死亡例もある神経毒でもあります。もちろん、成人男性ならその程度では問題はないでしょうが……」
「え、そうなんですか?」
示されたタブレットの画面覗き込み、三枝と爾志はそこに書かれているデータを見て息を飲んだ。
子供であれば、ティースプーン一杯程度で死んでしまうこともある事実に、寒気すら覚える。
三枝が背筋が凍る思いでデータを見ていると、ポンと肩に手が乗った。
「ちろん、小さな子供でなければ、通常の使用ではメリットの方が大きい」
確かにそうだろうが、動物園の売店でも取り扱っていたり、夏休みのイベントで子供が取り扱ったというのなら話は別ではないだろうか。
爾志も不安に思ったのだろう、「大丈夫でしょうか」とつぶやいた。
「一般に流通しているものは濃度を抑えているはずです。殺害目的で使うのであれば、プロ用の高濃度のものと考えられます」
「そうですか……」
安堵のため息を着く爾志と視線があってしまった。
自分だけが上司から慰められてしまい、気恥ずかしい。
もう、紗川の手は離れているが、照れ隠しにコーヒーを一気飲みしてしまった。
(う……甘い)
顔をしかめていると、紗川がタブレットで別のページを開いた。
(生チョコの……つくりかた?)
いくつものレシピがずらりと並んでいる。
「これを見ていただければわかる通り、生チョコレートはココアパウダーと油を使って作る事ができます。これは加熱しません」
「ああ、カビが生えたパンも焼けば食える理論」
「ニシ、いい加減に気つけ、あれは冗談だ」
(先生、それは無理です)
あれを冗談と受け止めることは誰一人できないだろう。
長い前髪を払いながら、「やれやれ」と笑う紗川に「腹たつー」と河西が言っているが部下としてそれには参加しないでおいた。
「さて、これらのレシピを見ていると、概ね、パウダーの2倍の重量のオイルが必要になるようです。よく流通しているココアパウダーは100グラム程ですから、それを一箱使って作るならオイルは200グラム。流石にこれだけの量を摂取すれば、成人男性であっても危険です」
言われていくつかのページを開く。
多少の差こそあれ、いずれも紗川の言った通りの割合だった。
「殺意があったのであれば、致死量を計算した上で作っているはずです」
「ユーカリ油を使ったのは……コアラの人に罪を着せるつもりだったんでしょうか
「それはわかりません。単純に手元にあったからかもしれませんし、爽やかな味や香りがこの前うがいやのど飴などにも含まれていますから、故意ではなかった……ということもできるでしょうね。料理が得意なショートの人と親しかったとはいえ、事務の人は料理が苦手とのことですから」
殺意はあっただろう。
なければ本来食用ではないものを使いはしないはずだ。
それに、アロマオイルのショップを開きたいと言っている人間が、その毒性を知らないはずがない。
「爾志くんさ、ちょっと質問なんだけど、いい?」
河西が小さく手を挙げた。
「事務の人は一番年が上なんだよね。被害者より、上?」
「そうです」
「年上なの、その人だけ?」
「はい。あとは田中さんと同じ歳か、下です」
「なるほどね。でさ、カンガルーとコアラの人みたく他人の評判を貶めるようなことはなくて、美人で料理上手なショートの人とも仲良かったと」
「はい」
「あー……なるほどねえ」
うんうんと頷いている。
「何がなるほど、なんだ?」
「キヨアキの苦手分野だよ。いわゆる痴情のもつれってやつ。彼女さ、自分だけ年上だから抑えてたんだと思うよ、感情を。年下の田中さんに対して、引け目を感じてたのかもしれない。色々想像できちゃうよね、そういう女の人の心の闇ってさ」
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