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三章 天下六剣

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 一方、桜堤団地では創作ワークショップが続いていた。東方勇は自分が出版社と取り引きしているだけあって大学生にしては出版界の現状に詳しかった。

 周囲を見回すと新聞を読む人が減り、本が売れなくなり、選挙があっても投票に行かなくなったと言う。勇はその変遷をリアルタイミングで知りはしないが、編集者が嘆くのをよく聞いていた。

「いいかい、勇くん?」

 デビューした頃、編集者は勇のことを東上先生と呼んだが、彼はその呼び方を固辞した。この業界では自分を若輩者と自覚していたからだ。武術の師範としてなら甘んじて受け入れただろう。それだけの自負があるから。

「出版不況と言われる状況をわかりやすく説明しよう。書店の売上は最盛期が1996年で、売上は約2兆6000億円の産業だった。内訳は書籍が1.1兆円で雑誌が1.5兆円。出版業界を2兆円市場と言うのはこの時代の数字を基準としている」

 1996年はちょうど勇が生まれた年だ。東方勇という人物は存在しないが、アーシェスにはヨナと言う名の赤ん坊がうぶ声を上げていた。

 2兆円は国家予算の40から50分の1と聞くがそれがどれほどの経済規模かいまいちピンとこなかった。

「この頃をピークとして、次に統計調査で注目を浴びたのは2013年。この年の書籍の販売額は7851億円に落ち込んだ。雑誌の販売額は8972億円で本と雑誌の合計で1兆6823億円」

 物書きは書くことだけに専念していればいいと言う人間もいるが、勇は出版に携わる人間の端くれとして関心を持った。

「出版業界志望でもなければ大学生には興味を持てないかもしれないが」との編集者の言葉に、「そんなことないですよ。わたしは高校生の時から新聞の配達してましたから新聞を購読する人が減ったという話はよく聞いてました」

 新聞を購読する人間が減っても新聞を読む人が減ったとは限らず、むしろインターネットなどのニュースサイトで記事を読む人間が増えている。お金を惜しむ人が増えただけかもしれないが、新聞を購読することには値段以上の価値があると配達所の所長はよく言っていた。それについてはまた後ほどにする。

「おお、それは感心」

「この内訳だけを見ると本つまり書籍の売り上げが8割強に落ち込んでいるのに対して、雑誌の売り上げが6割弱でより減ってますね」

 勇は今どきの学生にしては数字にも強かった。元いた世界でも算術に長ける者は食べるに困らないと言われていた。

「書籍に輪をかけて雑誌の衰退が著しい。購読していた雑誌が休刊することも珍しくないと感じている人が多いだろう」

 雑誌の休刊は廃刊と同義である。休刊した雑誌が復活することはほとんど無いが、稀に時代にブームが来て再評価されるようになると何年も休刊していた雑誌が、復刊されることもある。同じようなことは自動車のブランドでも見られる。新型車に往年の名車の名称を再登板させることは珍しくない。

「インターネット上の各種情報サイトで個別のニュースを見ることができる。新製品情報などは頼まなくてもバナー広告が表示される仕組みだ。だから継続的に時間をかけて読む書籍以上に、記事が独立していて気軽に読める雑誌が打撃を受けるのも無理からぬことだろう」

 休刊した雑誌の一部はインターネットで配信されるweb雑誌へとその形態を変えることもある。

 本好きと一般に呼称される場合は、主に小説などの書籍を読むのが好きな人を指すだろうから、「なあんだ、じゃあ読書人口が減ったわけじゃないんだ」とか「本はそれほど売れなくなっているわけじゃないんだな」と思うかもしれない。

「しかし、そこには数字に隠された別の意味がある。さっき言った年間売上額は合計の金額である。上記の売り上げが最盛期の1996年度、書籍新刊刊行点数が55000点程度だったのに比べて、2013年が82000点強。単純に計算して27000点の新刊を増やして発売し、得た売り上げが3150億円減ったということになる」

 おそらくどの年も、その年を代表するベストセラーはあっただろう。それでも一つのタイトルごとの本の売り上げが大幅に減ったと推測できるのだ。

「出版社の人間にとっては倍の仕事をして経費も倍かかる。それでいて売り上げは下降、それでも会社を運転させていかなければならないから、さらにたくさんの本を出す」

「薄利多売にならざるを得ないんですね」

 勇は編集者の意を読み取った。

 身もふたもないことをことを言えば、だからこそ出版社は流行り物にはなんにでも手を出し、自分をはじめとするネット小説家と言われる、デビュー前からファンを持っている人材をスカウトするようになったのだろうと勇は考えた。

 こうした出版不況と言われる状況も含めて小説を書き、出版する方法を勇は近隣住人に講義していた。

 その日のワークショップも終わり、お茶を飲んで一同が一服している頃、岬少年が勇の方を見ていた。

(飽きもせずに静かに聞いていたな)

 子どもが聞いていても面白い話ではないだろうと勇は考えた。この話は年配の、一度は自費出版などしてみるのも悪くないと考えている向きに有用な内容であるはずだ。

一同が解散し、勇がノートPCをしまおうとしても希望は帰らずにいた。

「……」

 勇の傍らに希望がやって来た。

「?……何か質問」

「東方さんは小説家なの?」

「う……うん、まあ」

 自分が小説家かと問われれば、口ごもりそうになる。そもそも小説家とは何かと定義論を始めればネット掲示板では白熱した議論が起きる。別に本を出したから小説家かと言えば、本を出さなくても作品を執筆中ならばその人は小説家であるだろうし、小説を書く構想をしながら他の作家の小説や漫画を読んでいる時も人はきっと作家なのだろう。

「へー、すごい!」

 小説家である前に大学生である。大学に通いながら小説を書いているのであって小説を書きながら大学に通っているのではない。作家大学生であるとあえて言いたい。大学生作家なのではない。

  目の前の少年にはそんなことはどうでもいいのだろうから、とりあえず横に置いて話を進めることにしよう。

「すごい? ……いやー、そんなこと、あるよ」

 謙遜しすぎるとかえって嫌味に聞こえることがあるのでユーモアで返すことにしよう。

「ねえ、ねえ。お願いがあるんです」

「お願い? とは」

「読書感想文を書きたいんです」

「読書感想文?」

「はい」

「学校の宿題?」

「そうです」

「もう夏休みは終わったろ」

「最近は秋の読書週間に向けて宿題が出るんです。夏は別の宿題が出ました」

 後で調べるとこれは自治体でまちまちのようだ。

「ふーむ」

 ちょっとためらったのは自分自身が読書感想文を書いた記憶があるにはあるが、まだ日本語が不自由なころで読むのも書くのも一苦労な上に、提出した感想文もとても読めたものではなかった記憶があるからだ。

「そう言えば君は何年生だ?」

「四年生です」

 すると10歳になったかどうかというところか。

「読書感想文って課題図書があるのかい?」

「あります」

「なんて本?」

「これです」

「『チームふたり』か、聞いたことはあるな」

 卓球をテーマにした児童小説だったと思う。

「君はもう読んだの?」

「はい」

「作文は苦手か?」

「あんまり得意じゃないです。なにを書いたらいいのか決まらないんです」

『小説家になろうよ』の一投稿者として言うと、感想投稿は身近な機能だ。感想をもらうことは投稿作者にとって大きな励みになる。自分も他人の作品を読んだら時々感想コメントを投稿していた。
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