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二章 (お)約束の世界

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 勇(いさみ)がこの異世界・日本で暮らして数年が経つ。彼から見ると異世界であるが、読者のあなたにとっては、こここそが現実社会ではあるのだが。

 はじめてこの地を踏んだ時はとまどったものだが、今はもうすっかり市井に溶けこんで大学生として生活をしている。

‐10年前、元いた世界にて。

 彼の生い立ちについては、彼自身も曖昧なものだった。

 難民だったのか親に捨てられたのかも、いまとなってはわからない。だがそのことはとくに彼の人生における障害とはなっていない。アイデンティティの不確かさをコンプレックスに感じたことも無い。そのことを思い悩んだことがない。

 ものごころつくかつかないかの記憶のはじめに両親だった人たちの温もりを覚えている。父と母がいて片親ではなかったと思う。おそらく兄妹や親せき縁者もいたはずだ。彼らはどうしたのだろう? 幼子一人を残して姿を消してしまった。

 彼が育った世界を住人たちはアーシェスと呼んでいた。その風景を想像するためには、あなたたちが楽しんでいる異世界ファンタジー系のオンラインゲームの情景を想像してもらうといいかもしれない。ああいう世界観から過度な女性の肌の露出や豪華絢爛な魔法の映像エフェクトを除いたのが彼の故郷の姿だ。

 現代日本ほど物質的に豊かではなかったが、ここにはない技術も発達していた。人には情もあった。

 よくまあ、現代人が異世界に迷いこんで現代知識を活かして英雄になったりする物語があるが、実際には無理だろう。エンジニアや製造業の熟達した働き手でない限り現代社会の知識を異郷で再現することはできない。

「ヴォジロ ヴェドレ クエリア ペルソナ アンコラ ウナヴォルタ(あの人にもう一度会いたい)」

 アーシェスで唯一人、現代地球人かつ日本人に出会ったことがある。

 彼にはとくに強い望郷の思いはない。こちらにはこちらの、あちらにはあちらの世界のいいところも悪いところもある。帰る方法が無いからとくに考えないようにしているが、アーシェスに帰りたいと強く願う気持ちが無いのは、もともと向こうでも自分を孤独な存在と感じていたからかもしれない。あの人、「ホムラ エンジョウ」は日本に家族を残していたから、再会を望む気持ちは強かったはずだ。

「師匠はまだ生きてるかな?」

 時折、郷里に想いを馳せてしまうのは悪い癖だ。

「あなたって、どこか冷めてるわよね」

 決まってクラスメイトに言われる。そこにいても心ここにあらずといった風に見えるだろう。

 まだ言葉も話せない幼児だった彼は寺院に保護された。そこは表向きは宗教施設だったが精神修養の一環として武道の鍛錬を行っている。中国の少林寺拳法のように多くの武芸者を輩出する寺院の地方支所だった。

 彼が拾われたころにはたくさんの兄弟子がいたが、みんな腕を見込まれて各地の王侯貴族や保安官吏にスカウトされたり士官していったので、彼が10歳になるころには閑散とした寺院になっていた。

「あのときすでに師匠は140歳超えてたから、ちょっと厳しいかな」

 アーシェス住民の平均寿命はこちらの世界より長いと思う。こちらの世界の統計情報では男性の平均寿命は8-歳で女性が84歳。向こうと暦はほぼ同じで120歳ぐらいはみんな生きているように思えた。国勢調査が無かったので正確な比較はできないが。

 こちらと違うのはエルフやドワーフといった妖精の血を持つ極端な長命種族がいること。

 師匠は高齢でも杖も使わずに歩いて彼の稽古を見守っていた。他にも幼い門弟が幾人かと戦場で負傷して里帰りした兄弟子が数人いて共同生活を送っていた。

 稽古と食糧の調達に街や村との往復、寺院の掃除をしていると、考えてみたら宗教的修行をほとんどしてなかったように思う。村の冠婚葬祭には師匠が呼ばれて、彼はよく師匠の乗る馬を引いて歩いたものだった。

 そんなある日のこと、彼は街で様子のおかしい貴人の一行を見かけた。それは偶然だったのか、運命の必然だったのか。

 普段は通らぬ道をなぜか胸騒ぎがして歩いていた。

 そして一行に出会った。小さな街なのでよそ者がいればすぐにわかる。

 一方は貴族らしかった。目立つ服装をローブで隠し切れていない。もう一方は盗賊か追剥のようだ。それにしては変だ。こんな人通りの多い往来で事に及ぶのは普通ではない。すぐに保安官も来るだろう。

 街の人間も現代日本人よりは荒事に慣れている。自分たちの街を守るという自警団意識も強い。

 貴人のお供がサーベルを抜いた。

「殺されるな」

 もう一方は一見すると盗賊だが、正体は暗殺者の類だと彼にはわかった。人相は鋭く服装は地味。技前の差は歴然だ。

「おいおい、剣を引かんか、客人に狼藉は許さんぞ」

 町長がギルドの職員とともに間に割って入る。

 貴婦人はその背中に隠れる。貴人の素性は街の重役たちが承知しているようだ。彼は、野菜を入れたかごを地面に下ろして町長の傍へ行く。

「おお、ヨナか、いいところに来た」

 町長の言葉にも剣を収める様子のないアサシンの挙動から彼は目を離さずにいた。

「正面の敵はおまかせください。伏兵がいるかもしれません。ご注意を」

 見えない脅威に気づき、緊張が走り、みなが周囲を見回した。ヨナはギルド職員の剣を一振り借りて地に突き立てた。その一歩前に立ち、杖を構えた。長剣の扱いにも慣れているが、街への買い物に帯剣しては来ない。

 敵方は町長の言を聞きいれるつもりはなさそうだ。双剣の二人組に長剣は不利だった。

 ヒュッと風を切る音が彼に迫った。男がチョッキの裏から放った投げナイフをヨナは大根で受け止めた。アサシンらしい攻撃だ。大根を宙に放り、彼は身体を回転させた。横に並ぶ一人は棒術の横なぎを避けたが、もう一人には手ごたえがあった。棒術の良いところは回転の動きと直線打法を組み合わせることができることだ。

 剣は一度引きとタメの動作を作らなければならないが、棒術はすべての部位において打撃が可能。一人は棒で打たれながらその衝撃を殺そうと宙を回転している。

 屈んで打撃をかわした男は、上体を上げ剣を逆手でヨナに向け刺そうとした。

 棒は右手側を前に振っていたが、彼の身体の中心部に左手のつかみが残っている。これを持ちかえて左手側が右前方になるようリーチを伸ばし槍のように暴漢を突いた。致命傷にはならない。

 宙を回転していた男が身をひるがえして攻撃に転じた。ダメージはまだ残っているのだろう。動きにキレがない。

 ちょうどヨナが放っていた大根がもどってきた。大根に刺さっていたナイフの柄にキック。刃先がアサシンを襲った。男の双剣は大根を3分割したがナイフの部分が肩に刺さり動きが止まる。彼はその鳩尾に棒を打ち込んだ。

 もう一人が息を吹き返した。忙しい。もう一度棒で打ちすえると男はピクリともしなくなった。彼は地面に予め突き立てた剣を手に取り、意識のある男の首筋につきつける。

 合図をすると、ギルド職員が拘束し武装を解除した。これで彼の役目は終わり。

「ホムラさまー」

 わらわらと騎士らしき男たちが現れた。目の前の貴人は女性1名に男性2名、そこにまた5人が合流する。

「じゃあ、わたしはこれで」

「ありがとう、さすがだな。客人に大事なく済んだよ。あとで寄進に行くから」

「ありがとうございます。お待ちしています」

 ギルドメンバーに頭を下げて地面に落ちた大根を拾った。食べられないこともなさそうだが、刺客の剣に毒でも塗ってあったかもしれない。残念ながら、この後おいしくいただくことはできなさそうだ。襲撃者の身ぐるみをはいで金目のものを頂戴するという選択肢もあったが、寺社の門弟である彼には思いつかなかった。

 背後では貴人一行と町長、ギルド職員が話しこんでいる。襲撃者が縄でぐるぐる巻きに捕縛されていた。

「もう一度市場に行こうか」

 立ちあがるヨナに、貴婦人が声をかけた。

「お礼を言わせてください」

 彼女の言葉のイントネーションに少し違和感を覚えた。

 彼は軽くお辞儀をして、「礼にはおよびません」とかそんなことを言って立ち去ろうとした。でも、彼女と眼が合うと、少し話をしてみたいような懐かしさを感じた。彼にとって親しみのもてる容貌だった。修行中の身ゆえに、見とれていると思われることを避けるために目をそらすように恭しく応じた。不自然には思われなかったはずだ。

 お供の方は貴婦人を早く安全な場所に隠したいようであったので、彼たちは多くの言葉を交わさずに別れることとした。

 次の日に、彼は彼女と再会することとなった。

 ヨナが門前の枯れ葉を箒で掃いていると、昨日の一団が現れた。お礼でも言いに来たのだろうと思った。

「あなた、昨日はありがとう」

 女騎士・ホムラがヨナに声をかける。正直、再会が嬉しかった。

「ご住職にお目通り願いたい」

 貴婦人のほころぶ顔と対照的に神妙な顔でお供の方に頼まれた。

 一行を広間にお通しし、幼い門弟に師匠を呼びに行かせた。やがて師匠が姿を見せた。兄弟子も不自由な足を引きながら同席する。

「ご住職、急におしかけてすまん」

「聞けば身分の高い旅のご一行とか。粗末な寺なればご無礼ご容赦願いたい」

「では、外に控えております」

 退出しようとしたヨナに町長が声をかけた。

「いや、そなたにも聞いてもらいたい。ここにおってくれぬか」

 師匠の顔を見る。

「仰せの通りに」

 彼は客人たちを横から見る位置に椅子を置いて腰掛けた。

「まずは昨日のお礼を、わが主君らの危ういところを助けていただき礼の言葉もない。聞けば、門弟の方とのこと、まこと評判通りの、いやそれ以上の腕前。しかもまだ年若いというのに熟練の刺客を一ひねりとは」

 聞いていてこそばゆくなる口上が続く。ヨナが学んでいる武術をショーリン流戦術という。そしてこの寺院は、この集落の名を取ってトネリテンプルと呼ばれている。

 昨日のことは帰り次第、師匠に報告した。

「門弟がお役に立ったのならなによりでございます」

「昨日の礼を言ったばかりで心苦しいが、お願いがあった参上つかまつりました」

 師匠は大方の見当はついていたようだ。無言で話を促した。

「わたくしからお願いいたします」

 ローブで隠していた顔を見せて貴婦人が発言した。昨日の女性ではなかった。

「わたくしは西方、ヴァビロン市国の公女ヴァイオラ・エル・ルナリアンと申します」

 なんと、一国のお姫様だった。黄金色の髪、青い瞳のまだ少女。

「昨日は我が国の国賓の窮地にご加勢いただき感謝し尽くせぬ思いです」

 もう一人の女性がローブを脱いだ。騎士・ホムラだ。黒髪に健康的な肌の色。ヨナと同じ民族的特徴を有している。もしかしたら同じ国の出身かもしれぬが、しかし、それだけではおそらくヨナの出生の手掛かりを探すことはできまい。正直、知りたいような知りたくないような想いがある。親が子どもを手放すということは、真実を知って楽しい気持ちになることはないのだろう。

「ホムラ エンジョウ」と呼ばれていたのを覚えている。彼女がヨナに向かって微笑んだ。ヨナは少し気恥ずかしい気持ちになった。

「折り入って、お頼みいたします。ご門弟さまの腕を見込んでいま一度のご加勢をお願いできないでしょうか」

「ご助勢とは弟子の士官のことでしょうか」

 師匠が尋ねる。

「お力におすがりしたい、せねばならない苦境に置かれております」

「あいにくですが、免許を皆伝した者でこの寺におりますのは負傷の後に帰参した者のみとなっております」

 兄弟子たちは、技量も経験もヨナより優れた戦士だがみななんらかの身体上の困難を抱えている。再度の士官を目指すならそもそも寺にもどらなかっただろう。

「なにを申されますか、立派な若獅子がおるではないか」

 町長は恰幅が良い。その朗らかで太い声が響く。一同の目がヨナに向いた。

「ヨナはまだ修行中の身なれば、士官など考えたこともありません」

 驚きの提案だった。士官というのは、たまたま出会って見込まれたからといって成るものなんだろうか。兄弟子たちをスカウトしに役人が来ることは珍しくなかった。

「とても火急の用だったのでしょうな。報せも無く、このような田舎寺に駆け込むとは」

 師匠もただならぬ気配を察しているようだ。

 以後はプリンセスが説明を続けた。

「ダーユアン国が覇権を求めて武力攻勢を強めているのは周知のこと」

 ダーユアン国がしばしば領土拡大の野心を見せることはアーシェスの人間にとっては常識であった。しかし、あまりに強引なやり方と周辺諸国が連合すれば圧倒的な軍事力を有しているとも言えぬため、その野望は常々挫かれていた。実情は、周辺の小国が不愉快な挑発を受けるに留まっていたのだが。

「ここ数週間で数都市が陥落しました」

 それも知られている。

「ダーユアン国は常に軍備強化をしておりましたが、そうそう都市連合を凌駕することはできないはずです。しかし、その理由がわかったのです」

 一同に緊張感が帯びてくる。

「ダーユアン国はこの世ならざる国から強力な魔導師を召喚し、彼らを将軍として周辺国に隷従を強いているのです。その力や一騎当千。抵抗を試みた都市国家も次々と陥落しております」

「魔導師……」

 思わずうめき声が出た。魔導師は数は少なくともどの国にも広く存在する。医師やヒーラーも大別すれば魔導師になる。

 戦闘において戦略バランスを崩すほどの実戦的な魔導師の存在は稀有だ。各王国の始祖の中には魔術を駆使して、国を興し王になった者もいる。もし戦術魔導師などという者がいれば、一対一の勝負なら並の剣士では歯が立たないだろう。

 この世ならざる国から人間が迷いこむのは、稀にある話だ。

「しかし、魔導師という者は主にまじないや遠見の術などで王国の官僚に取り立てることが多いのではないですかな。魔導師自身もそれを望み、戦場に出陣することはしたがらないと聞きますが」

 師匠の言うとおり、特異な力を持っていたとしても戦場ではいかほどの戦力になるか。魔力そのもので大人数の兵士を殺害するような魔導師の存在は聞いたことがない。

 魔導師が大量殺りくを行うとしたら、疫病を流行らせることが一般的だと思う。そういうことをする黒魔導師と呼ばれる人間もいる。

 魔導師は戦場においては複数の騎士で攻撃をかければ討ち取ることは難しくない。平時に暗殺することだって可能だ。魔導師を兵士として利用するのは効率が悪い。多少は強力な戦士であっても、歴戦の勇者の方がよほど戦力になるだろう。

 魔導師自身が将軍を務めるなど聞いたことがない。
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