163 / 281
第四章 二人の道
163 アラン・番を失うということ
しおりを挟む薄暗い迷宮の奥底で、片っ端から魔物や魔獣を屠り続け、既に時間の感覚は無くなっていた。
最後に陽の光を見たのはいつだっただろう。
サシャと共に同じ馬車に揺られ、美しい白亜の王城へと足を踏み入れた。居並ぶ騎士や兵士、貴族たちすら道を開けて、サシャと彼を導く公爵令息ザハリアーシュが行く。
嫌な気配を発する宰相相手にすら殺気を隠せず、この一歩一歩が最後の時なのだと噛みしめていた時、サシャはそっと俺の手を握ったんだ。
――何か緊張しちゃう。手、繋いでよ……。
あの時になって初めて俺は、緊張で自分の手が冷たくなっていたことに気が付いた。
微笑むサシャの柔らかな笑顔と温かな指。
俺は「しょうがないな」と笑って軽く握り返し――。
「サシャ……」
よろめいて、膝をつきそうになる体を剣で支える。
そのまま湿っぽい迷宮の壁際までふらふらと足を進めると、胃の奥からせり上がる物に俺は嘔吐いた。
もうずっと食い物は口にしていない。
水すらまともに飲まずに、魔物を殺し続けて来たんだ。吐こうにも胃に何も入っていないせいで、わずかな唾液だけがたれる。
それでも吐き気は止まらない。
獣人が、魂の伴侶たる〝番〟を失うということ。
それがどういうものか、言葉では聞いてきた。
狂い、街どころか国ひとつ滅ぼすこともあるという。
何ものにも満たされない飢えと、大地を失ったかのような恐怖。息を吸っても空気が肺を満たす感覚は無く、冷たい湖の底で悶えているような感覚。
体を引きちぎり心臓に爪を立てられているかのような痛み……。
魔物の蔓延る迷宮で、戦い続ければ忘れられると思った。
サシャを保護し、彼の素性を調べる中で、早いうちから王族であろうことに気づいていた。だからこそ尚更いつの日か、俺の手を離れていくのだと覚悟をもって接してきた。
奴隷上がりの冒険者にとって、サシャはいつの日か遠く離れていく存在なのだと。
……それなのに。
「サシャ……」
あいつを番としてしまったのは、いつだったのだろう。
街道で魔物を倒し、手にした魔石をあいつの取り分だと言って渡した時か。それとも、抱っこがいいと言って甘えて、俺の胸に耳を寄せて眠った時か。「傷、いっぱいなんだね」と俺の背中の傷痕を撫でた時か。
それよりもっと前。
果てしなく見える平原を手を繋いで歩いた。
最初は警戒していたくせに、何度か食事をして眠るうちにすっかり懐いてしまった。そして誰にも言ってはいけないと言われた森での出来事も話してくれた。
人に心から信頼され、心配されたのはいつ以来だっただろう。
「子供が死ぬ姿だけは……見たくなかっただけだ……」
盗賊から逃げ出してきた子供を保護したのは、たったそれだけの理由だったはずだ。
けれど目にした銀の髪とこぼれるほど大きな水色の瞳の少年は、ただそこに存在しているだけで俺の目を惹きつけた。
血と汗にまみれながら、彼の放つ匂いに囚われた。
思わず追いかけて手首を掴んで、サシャはそれでも負けずに俺の腕に噛み付いた。
ギラギラとした瞳の強さに惚れたんだ。
何があっても生き続けると、そう訴える彼の強さに。
「そうだあいつ、俺に噛みつきやがった……」
壁を背にしてずるずると座り込む。
吐き気も痛みもあるそれよりも、サシャを失った苦しみの方が何倍も辛くて、肩のローブを握りしめる。
何度も覚悟して。
何度も番には出来ないのだと、自分に言い聞かせて来た。
公爵令息に引き渡して、国王陛下に会う。
そして彼は無事に王太子殿下となった。俺のやって来たことは間違っていない。それでも……。
「く……ぅぅう、ぐ、う……」
Bランクにまでなった二十歳の男が、迷宮の奥底でたった一人、膝を抱えて泣いているなど誰も知らないだろう。
あいつを失って、もう今の俺に生きる目的は無くなった。
いっそ死ねればとも思うのに、長年培ってきた冒険者としての能力が、簡単に生きることを手放させてくれない。
「……サシャ」
いっそこのまま狂ってしまえたなら……。
そう思った瞬間、人の気配に俺はハッと顔を上げた。
「誰だ!」
次の瞬間には剣を構え、暗闇の向こうを見据える。
気配は不敵に笑う声を漏らしてきた。
3
お気に入りに追加
360
あなたにおすすめの小説
災厄のスライムの見る夢は……
藤雪たすく
BL
偉大なる魔王に仕える『4つの災厄』と恐れられる4体の魔物。そのうちの1つ。北の砦を守り魔王軍一と称えられる、美しさと強さを誇るアルファルドには誰にも言えない秘密があった。
尊敬してやまない魔王様にも言えない秘密……それは……。
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる
塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった!
特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。
「今夜は、ずっと繋がっていたい」というから頷いた結果。
猫宮乾
BL
異世界転移(転生)したワタルが現地の魔術師ユーグと恋人になって、致しているお話です。9割性描写です。※自サイトからの転載です。サイトにこの二人が付き合うまでが置いてありますが、こちら単独でご覧頂けます。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
神獣様の森にて。
しゅ
BL
どこ、ここ.......?
俺は橋本 俊。
残業終わり、会社のエレベーターに乗ったはずだった。
そう。そのはずである。
いつもの日常から、急に非日常になり、日常に変わる、そんなお話。
7話完結。完結後、別のペアの話を更新致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる