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第5章 この腕に帰るまで
163 チャンス
しおりを挟む――姿はゾンビやミイラのような、魔物そのもの。
けれど歩き方や仕草がよく見る魔物と違う。いきなり襲い掛かるのではなく、様子を伺うようにして近づき腕を伸ばして、器用に俺の顎を持ち上げた。
そして眼窩の奥で光る暗い瞳で、舐め回すように見つめる。
目が霞んでハッキリと見えない。
それでも確信があった。目の前にいるモノは、呪いで魔物のように見えている人間……だと。
「……ぅ、あ」
ソレが耳障りな音を発して何か話しかけているが、理解できる言葉にならない。
理解できなくても想像はできる。
守りの魔法石で俺には触れないはずなのに、触ることができた。きっと……俺のことを「堕ちた」と、思った……はず。
全く警戒する様子もなく、ソレが、顔を近づけてくる――。
瞬間、俺は鎖を掴んていた手に力を込めた。
頭を後ろに引いて吊り輪鉄棒のように脚を上げる。
勢い付いた膝蹴りが、一瞬、動きを止めたソレの顎下にきれいに決まった。のけ反りよろめくソレを前に、俺は暗がりに潜んでいた物に向かい叫ぶ。
「今だ!」
声とほぼ同時に、大きな黒い影が躍り出た。
獣の咆哮と唸り声。鋭い牙で噛み付くのではなく、野球のグローブほどの大きな手が、ソレの身体を横なぎに弾き飛ばした。
人形のように転がり、魔法円のすぐ外側にいた肉塊の魔物――ゲラウィルの上に倒れ込む。
ストルアンが呼び出した、体内に卵を産み付けるという、おぞましい魔物だ。
ゲラウィルは瞬く間に、倒れ込んで来たものを触手のような腕でからめとっていく。俺の顎を掴んだソレは、逃げ出せずもがき、絶叫を上げた。
「はあっ、はっ、はっ、はっ……」
催淫の香に耐えながら、この時を待っていた。
首の守りの魔法石の魔力が尽きるのが先か、俺の意識が壊れるのが先か。だが、それさえ堪えきれば、いずれ警戒レベルを下げた魔法石が、「危害を加えないものには触れることを許す」状態に戻るはずだと。
相手を油断させた時に、チャンスは訪れる。
薄暗いホールの隅に見覚えのある魔物の姿を見た時、望みはまだ捨てなくてもいいのだと知った。
「片耳の……黒い、獅子」
「ぐるるぅ……」
のっそりとした動きで俺に近寄り、まるで猫が甘えるように大きな身体をこすりつけてくる。二年半前に、ベネルクの地下で元の世界に通じる歪みの入り口にいた魔物だ。
元の世界に戻そうとしたヴァンが、ゆく手を阻むようして現れた魔物に攻撃しようとした時、俺が止めた。まだ自分に魅了の力があるとは知らない時だったが、誘拐された時に現れた魔物やウィセルがいうことを聞いたのを見て、もしかして、と呼びかけた。
攻撃はしない。
だから人に見つからない場所に行って、と。
欠けた左耳を持つ黒いライオンは戸惑うようにしていてが、俺の言葉に従って姿を消した。
それから、ベネルクの地下で魔法の訓練をするようになると、度々姿を現した。
決して近づいたりはしない。
遠くから俺とヴァンを見守っていた。
あの魔物が、ベネルクと遠く離れた聖地ヘイストン……の近くなのだろう、こんな得体のしれない場所にまで、俺を探しに来た。来れたということは、ここを抜け出す道もきっと知っている。
「片耳……」
切れ切れの声で、黒いライオンを呼ぶ。
「俺に、力をかして……鎖を……」
噛み切れるだろうか。
そう言葉にする前に、黒いライオンは後ろ足で伸びあがった。頭の位置はかるく俺の背丈を越える大きさだ。そして俺が意図したとおりに、高い天上から吊り下げられ、手首に繋げられていた鎖を噛み千切る。
右手を、そして左手の鎖と切って、俺の身体はやっと自由になり床に崩れ落ちた。
「はっ……ぁ、……あ」
肩で呼吸を繰り返す。
ずっと吊り上げられていた指先は痺れて感覚が無い。それでも咄嗟に鎖を握り、近づいてきたモノを蹴り上げるぐらいには動くみたいだ。
床に転がったまま立ち上がることのできない俺に、黒いライオンが鼻先をつける。
「あぁ……逃げ、ないと……」
頭を動かして、さっき近づいてきたヤツに顔を向ける。
必死に何かを喚きながらこちらに腕を伸ばしているが、肉塊の腕にからめとられますます逃れられない状態になっていた。
人間でも魔物にしか見えないソレが、誰かは分からない。
それでもストルアンではないだろうと、思う。
あいつがこんなに簡単に、自分を呼び寄せた魔物の餌食になるとは思えない。なら……ストルアンの仲間か……もしくは、チャールズか……。
俺は手足に力を込めて、ふらつきながらも立ち上がる。
どんなに助けを求められても、俺にはどうにもできない。
支えるように片耳の黒ライオンが肩を貸すように寄り添った。
ストルアンがこのことに気づいてもう一度捕まえに来る前に、逃げなければ。
「俺も……ゲイブのところで、身を守る訓練を……していたんだ。いつまでも黙って捕まったままでなんか、いるものか……」
ザックやマークのようには戦えなくても、不意をついての反撃方法を教えられた。
ピンチだと思う時ほど冷静になれ。危機を打開する手を探り、今の自分に出来ることをして、じっとチャンスを待つのだと。
催淫の香に、かなり長い時間意識を持っていかれていたが、もう……たぶん、きっと、大丈夫だ。
吸い込んだ香を魔法で浄化して、疼く身体を抑え込む。
ストルアンの手から逃れれば……あとは、きっとどうにかできる。
「片耳……外に、ここから出る道を、教えて……」
「ぐるるぅ」
喉の奥を低く鳴らして、片耳の黒いライオンが歩き出す。
俺はふらふらとよろめきながらも、青白く輝く魔法円から出た。何か特別な仕掛けがあるかと思ったが、これといった反応はない。だからと言って、安心はできない。
ゲラウィルに囚われたソレが、俺に向かって必死に手を伸ばしている。
それから目を反らすようにして、薄暗いホールから地下道のような石の通路へと、俺は歩いて行った。
◇◇◇
――同じ頃。
別室で大結界が崩壊した後の、国外逃亡ルートの地図を眺めていたストルアンは、リクを中心に展開させていた魔法円に異変があったと気づいた。
時刻はそろそろ夜明け。
七夜目が始まると同時に大結界は崩れると読んでいたのに、未だ兆しが無い。
少し前にチャールズがリクの様子を見に行ったはずだと、ストルアンは顔を上げた。
「……もしや、裏切りましたか? チャールズ」
呟き、ストルアンは、部屋にいた他の魔法師や帝国の使者にこの場から離れる指示を出し、リクを捕らえているホールへと向かった。
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