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第4章 たいせつな人を守りたい
149 あと数歩の距離
しおりを挟む気持ち早足で石の廊下を行く。
あちこちに慌ただしく行き交う魔法師や兵士、騎士の姿がある中で、俺はやけに心臓がどきどきしていた。
マークが大怪我をした、その動揺が残っているのかもしれない。
守られているからと安心してどこか油断していた、そのツケが出た自責の念もある。
同時に、何重にも危険がないように護りを施しても、決して安全な場所じゃないということ。毎日無事に顔を合わせそばに居られるのは、決して当たり前じゃないってこと。
魔法があって。
危険な魔物がいて。
現代日本のようなライフラインなんかなくて。
それなのに危険なんてどこか他人事のように思っていた。
今、死はすぐにそばにある異世界に居るのだと改めて自覚して、どこか怯えている俺がいる。それを顔に出すのは悔しくて、平気なフリをしているだけで。
ヴァンに会いたい。
ヴァンに抱きしめられて、安心したい。
しっかりしなくてはと思いながら、俺はそんなに強い人間じゃないことも自覚している。
会った瞬間に泣いてしまうかもしれないと思いながら、そんな情けない顔を見せても構わないからヴァンの腕が欲しい。
「リク様、その階段を上ればすぐです」
「うん」
数歩前を行くチャールズの声に頷き返した。
廊下の窓から見える眺めが、見慣れた景色になる。
朝日が昇る直前。空の星は光に飲み込まれ掻き消えていく。背中を守るように歩調を合わせる、ザックの腕が温かい。
何も言わなくても、俺の気持ちを感じ取っていのかもしれない。
ザックこそ、弟の姿を目にして平気でいられるはずがない。今も……マークのそばに付いていたいはずだ。
「ザック……俺がヴァンと会った後は――」
「何も言わないでください」
警戒心を最大限に上げているザックは、低い声で答える。
「俺たちの務めはリク様をお護りすることです。少なくとも、この大結界再構築を終えて、無事にベネルクの街に戻るまでは……」
「……うん」
「リク様はただ、アーヴァイン様のことだけをお考え下さい」
強い意志をにじませた声に俺は頷き返す。
時々こちらを振り返り、ちゃんと着いてきているか確認するチャールズに顔を向け、俺は早足のままに先へと進む。
言われた階段を上りきったそこは、中央に儀式の祭壇を備えた屋上庭園のように広いテラスだ。補助の魔法師たちに囲まれた一段高い場所で、三人の結界術師が儀式を取り行っている。
響き渡る呪文は六夜目の終わりを告げるもので、今夜も無事に乗り越えたのだとわかった。
「ヴァン……」
何かトラブルでもあったのか、険しい顔のヴァンが隣に立つ騎士、ナジームさんに宥められるようにして肩を叩かれている。
深いため息をつく姿。
緊迫した空気はあっても、そこにヴァンの姿があるだけで俺の肩の力が抜けた。
俺の全てをさらけ出して投げ出しても、受け止めてくれる人。
何度も「守るよ」と、繰り返し呟いて、異世界から身一つで迷い込んだ俺を受け入れてくれた。俺が残りの人生全てを捧げても返しきれないぐらい、愛情をそそいでくれた。
その人が、ナジームさんの声で俺の方を向いた。
朝日が昇る明るい空の下、穏やかな風がクリームイエローの短い髪を揺らす。
新緑のように綺麗な緑の瞳。何度見ても目を奪われるほどに美しい、俺の大好きな人と視線が合うと、心から安堵する笑顔が返った。
「リク……」
声は届かなくても、俺の名前を呟いたのが唇の動きで分かった。
距離にして二メートルか三メートルほど。
あと数歩の距離で俺は手を上げ、返す。息をつく。
俺は半歩前にいたチャールズに顔を向けた。
「案内、ありがとう」
「いいえ」
にっこりと、微笑み返す。
それに頷いて、すぐ後ろにいるザックを振り仰いだ。
「行こう」
「はい」
まだ緊張を解かない護衛に俺は苦笑してから、ヴァンの方へと踏み出す、その瞬間、後ろの方で叫び声が上がった。
思わず振り返る。
反射的にザックは、俺を背中に庇うようにして後ろを向いた。その大きな背に遮られて何が起こったのかは見えない。見えなくても、喚き騒ぐ声に、兵士か誰か……錯乱したように暴れているのだと分かった。
「何……?」
思わず呟いた、俺の耳元で呪文が囁かれた。
「姿惑わせ、偽り、隠す……迷混沌石……」
瞬間、ぐにゃり、と視線が歪んだ。
チャールズの口の端を上げた微笑みが眼に映る。
あぁ……これは、ダメだ。
ここで……意識を手放しては、絶対にダメだ……と。思うのに……世界が遠くなっていく。
瞼が落ちていく。
その寸前、ヴァンの方を向いた。
緑の瞳の視線は、俺の後方――騒ぎの方を向いている。
「ヴァ、ン……」
手を伸ばす。
その指は……ヴァンに、届かなかった。
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