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第3章 成人の儀
番外編 それは大切な宝物だから 5
しおりを挟む――本当に好きな人のために取っておかないと。
リク様が、哀しそうな……辛そうな瞳で笑う。
俺は。
俺の好きな人は、あなたです。
あなたなのです。
もし今、そう言ったならリク様はどう答えるだろう。
想像して……いや、想像する前に今、リク様にこんな顔をさせてしまっている時点で、俺ではダメなのだと知る。
たとえ練習とか、一時の慰めとか……そんなものすら許さないほど、リク様は心はアーヴァイン様だけを求めている。もし……万に一でも、アーヴァイン様が想いに応えなかったからと言って、代わりに誰かを……とはならない。
リク様が好きなのはアーヴァイン様なのだ。
その思いに、絶対の迷いは無い。
本当に、一途に、たった一人だけを……。
「すみません……」
すみません。
辛い思いをさせたくなくて、ただ……慰めたかったのに、俺の言葉はリク様を困らせた。従者としての分をわきまえない言動だと、分かっていても止められなかったのは、俺が未熟だったからです。
「今の言葉は、聞かなかったことにしてください」
「いいよ……それだけ俺のこと心配してくれていたんだろ。逆に、ごめん。もっとしっかりしないとね」
リク様は何も悪くない。
悪いのはリク様の寂しさと優しさと、不器用さにつけこんだ俺です。「身の程をわきまえろ」と叱っていいのです。もしくは「誘惑するな」と吐き捨てていいのです。
それなのにリク様は、決して俺を責めることなく微笑み返す。
アーヴァイン様のお姿を見て、リク様も主として振る舞おうとしている。気丈に。
本当に……従者として失格なのは俺の方だ。
そう苦笑しながら顔を上げると、先頭を歩いていた弟のマークが怒りを滲ませた顔で俺を見ていた。
今の会話を全て聞いていたのだろう。
馬鹿者と怒鳴られるだろうな……そう思った時、魔物の気配がした。
◇◇◇
リク様の魅了の力は守りの魔法石で封じても尚、魔物を呼び寄せた。
昼間ということもあり、襲って来た魔物は難なく倒すことが出来た。だがそれが引き金となったかリク様の魔力が暴走したのだ。
俺は、首を引っ掻き、悶え苦しむリク様を抑えつけることしかできず、駆けつけたアーヴァイン様の手でやっと眠りについた。
倒れたリク様を運び込んだ礼拝堂は、役目を終えた魔法石の浄化や埋葬、封印などの管理や、魔法による負傷の治癒を行う場所だった。急ぎ駆けつけたジャスパー様が手当てにあたる。
その堂の外で、マークが力いっぱい俺を殴りつけた。
「何やってんだ! 馬鹿かよ!」
「マーク……」
「想いを告げられなくて悩んでいるリク様に、あんなこと言ったら苦しませるに決まっているだろうが! 色ボケしてんじゃねぇよ!」
「そうだ……俺は、バカだ……」
殴り倒した俺の襟を乱暴に掴み上げて、壁に押し付ける。
「好きだって気持ちが生まれるのは仕方がねぇよ。けど、分かってるだろ! 相手は侯爵様の御寵愛を受けている方だ。どんな理由だろうと主のものに手を出して、殺される覚悟もねぇのにハンパなことしてんじゃねぇよ!」
マークの瞳に涙が滲んでいる。
本気でリク様のことを……俺のことも、心配しているからこその叱責だ。
「もし、リク様が兄貴の手に乗ったら、リク様もアーヴァイン様からお仕置きを受けるんだぞ。そのぐらい分かれよ……」
振り捨てるように手を離す。
弟の言葉は正しく、リク様のことを想うのなら尚更、線引きしなければならない。
「ちゃんと……俺の尊敬できる兄貴でいてくれ」
――とその時、礼拝堂のドアが開いた。
中から姿を現したのはアーヴァイン様で、きっと俺たちの言い争う声が聞こえたのだろう、細めた瞳で言葉なく見つめる。
マークが緊張した面持ちで卿を見上げた。
「アーヴァイン様……リク様のご様子は……」
「ジャスパーの対処で危険な状態は脱したよ。今はまだ眠っているが、目が覚めて……数日休めば大丈夫だろう……」
「あの……」
マークが言いよどむ。
俺は、この場で斬首されてもいい覚悟でアーヴァイン様を見上げた。
「俺の責任です。俺が、リク様の心を乱した」
声を絞り出す。
護衛として失格だ。この場で任を解かれ、もう二度とリク様にはお会いできなかったとしても、言い訳はできない。だが、アーヴァイン様は剣を抜くことなく、静かな声で答えた。
「魔物を呼び寄せたのはリクの力だ。君たちは関係ない」
関係ない。
言葉は優しかったが、凍るほどに冷たい響きが含まれていた。
明確な拒絶の響きに指先がチリチリと痺れる。俺の心の内を知ってか知らずか、卿は静かに続けた。
「君たちが……魔物の爪を排除した働きは認めよう。だが――」
ひとつ、呼吸を置いて告げる。
「友人として、リクを裏切るようなことはしないでくれ」
ドアを開ける。
入るなら入れと促すような仕草に戸惑いながらも、俺たちは礼拝堂の中へと入った。台の上では青白い顔で眠るリク様がいた。
守りの魔法石を外そうとした首のひっかき傷が痛々しい。赤くなった手首は、俺が抑えつけたせいでできたものだろう。
眠りながらも苦しそうに、綺麗な眉が歪む。
俺は……好きだ何だと言いながら、見つめることしかできない。
改めて状態の説明を受け、マークは「リク様壊れちまう」と声を漏らし、鼻をすすった。
やがて目覚めたリク様をアーヴァイン様に任せ、一度退出してから、俺はこれからのことを考えた。
リク様を好きだという気持ちは変わらない。
けれど……もう二度と、リク様の気持ちを迷わすようなことは言うまい。もし護衛を続けさせてもらえるならば……だが。任を解かれたとしても、俺はそれに従う。
それがリク様にとっての幸いであるのなら。
リク様のおそばに居られるのは、彼の人にとって相応しい者だけだ。
夕暮れ時。
気持ちを落ち着けたリク様は、憑き物が落ちたように穏やかな表情になって現れた。「心配……かけたよね……」と申し訳なさそうに言いながら、軽く笑みまで向ける。
そして――。
「ザックのそれ……俺がやったの?」
「いえ」
痣になった顔を見て、そっと指を伸ばしてくる。
もう二度と、俺からは触れはしない。
マークが、つらっとした顔で言う。
「兄貴があまりにふがいなかったので、俺が殴りました」
「ふがいない?」
そうです。
「俺がリク様を守り切れなかったからです。すみません。俺にはもう――」
「ザックは何も悪くない!」
俺の言葉をさえぎって、リク様は声を上げた。
そしてアーヴァイン様に乞うような視線を向ける。
「ヴァン……あの……」
「リクはどうしたい?」
「もちろん当然、これからも友達で! ……あ、じゃなくて、護衛を続けて欲しい。俺、まだ全然弱いし、また魔物に襲われるかもしれないし、だから!」
こうなると予想していたのか、アーヴァイン様は仕方がないという顔で微笑んだ。
「だそうだよ。リクが自分で力をコントロールできるようになるまで、どうしても不安定な状態が続く。今後も似たようなことが起るかもしれない。しっかり頼むよ」
頼むよ、と。
言って下さるのか。
これからもお側で護っていいと。
マークが「任せてくださいっ!」と声を上げる。俺はただ、胸が裂けるほどに泣きたい気持ちを押し殺し、言った。
「ありがとうございます」
――と。
◇◇◇
あれから二年余り。リク様は辛い訓練を乗り越え、御成人された。
街の人たちとお祝いしてから、リク様のお顔は拝見していない。きっと想いに応えてくださったアーヴァイン様と、心を通わしていたのだろう。
宮殿の如く素晴らしいホール侯爵家で、貴族に向けたお披露目を行うこととなったこの日、俺たちも護衛用の礼服に身を包み、リク様の到着を待っていた。
どのようなお姿になっているか……楽しみなようで、寂しくもある。
日の沈み始めた空は晴れ渡り、薄紅の薔薇のように柔らかな色へと染まり始めていた。
広々とした庭園には、天上を思わせる花の香りに満ちている。そんな宮殿り入り口に、四頭立ての馬車が到着した。
ホール家の使用人が、アーヴァイン様ご一行の到着を告げる。
開かれるドア。
ゆっくりと姿を現し下りて来たのは、輝く魔法石を縫い付けた青い礼服に身を包む、凛としたお姿の――美しい青年、だった。
すっと伸びた背筋。意思の強い眼差し。
紅の夕空で一番に輝く星が現れたかのような、輝きだ。
偉大な大魔法使いの隣にあっても決して引けを取らない、存在感の強さがある。何より、匂い立つような華と色香。
大人になられたのだ。
愛しい人の手で、リク様は花開いたのだ。
「ザック! マーク!」
俺たちの姿を見つけ、そこだけは変わらない笑顔で声をかける。
「久しぶりだ。元気だった? あぁ……なんかすごい似合っているじゃないか。今回のお披露目会に合わせて、着て来てくれたのか?」
「リク様こそ……」
「んん?」
「いきなり色っぽくなりましたね」
あまりの美しさに、マークが顔を引きつらせながら答える。
俺は、胸の中で微笑む。
街の人たちと祝った成人の儀から、ほぼ半月ぶりです。
そう答えようとした言葉は声にならなかった。眩しくて、美しすぎて……本当に、俺の手の届かない高みへと上られた。その切なさに、胸が……焦げる。
アーヴァイン様の寵児にして最愛の恋人は、心無いものが触れていいお人ではない。
世界に二つとない、貴石。夜の星々より美しい人。
そのようなお人をお護りできるという身に余る光栄に、今は感謝しかない。マークとの無邪気な言い合いに、リク様が笑顔を向ける。
「兄貴だろ、ザックからも何か言ってやってよ!」
「いえ……その、リク様……今日は一段と……」
「ザック?」
「お美しいです」
――お美しいです。
初めて顔を合わせた時に見た、柔らかく微笑む、少女のように小さくて愛らしい少年はもういない。素直さと優しさはそのままに、しなやかな強さを併せ持った、美しい青年。
この美しい宝石に触れることを許されているのは、アーヴァイン様ただ一人。
護らせて下さい。
これからも、ずっと、いつまでも。
あなたの命がある限り。
俺の命がある限り。
――それは、大切な宝物だから。
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