上 下
58 / 202
第2章 届かない背中と指の距離

57 外の風

しおりを挟む
 


 誰だ? 足音から、ヴァンのものではない……気がする。
 だとしても、を見られるわけにはいかない。

 まだ疼きは残っている。けれど早くしずめなければ……。
 俺は慌てて周囲を見渡す。
 涼を取るようにと溜めていた冷たい水の水甕みずかめに目を止めて、俺は手桶に手を伸ばす。そしてそのまま乱暴に汲んだ水を、頭からかぶった。
 身を切るほどの冷たさでは無くても、一気に目が覚める。

「リク様ぁ?」

 バスルームの半開きのドアの向こうで、護衛として付き従ってくれているマークの声がした。続く足音。ベルトに繋がる剣や装具の音から、いつも二人一緒にいる、兄ザックだろう。

「あれ、いないのかなぁ? こっちかな?」

 不意に、バスルームのドアが開けられた。
 瞬間……二人と視線が合う。息を飲む気配が伝わる。

「あっ! あぁっ! す、すみませんっ!」

 目を見開く二人を見て、自分が裸だったと思い出した。 

「あぁ……別に、大丈夫だよ」
「いやえっと……」
「ごめん、拭く物そっちに忘れてた、取ってくれる?」

 あわあわしているマークの横をすり抜けて、無言のザックがタオルを取ってくれた。男同士だし、ゲイブの所で何度か汗を流したこともある。今さら隠さなきゃいけないものでもない。

「体調はもう大丈夫なのですか?」

 無表情のまま手渡すザックの声は、少し緊張しているようにも聞こえた。

「うん、この間ジャスパーが来て調整してくれた。疲れが出ただけだろうてって……自分でも気づいていなかったけど、気を張っていたのかも」

 髪と顔を拭く間に、呼吸を整える。
 大丈夫だ。
 二人の前でなら、普段どおりに振る舞える。

 そう思いながらタオルから顔を出すと、まだ、呆然とした顔のマークがいた。

「ん……?」
「あ、いえ……その、今日のリク様、なんか色っぽい……ですね」

 瞬間、首筋がカッっとなった。
 全然……隠せてない?

「やめろよ!」

 思わず吐き捨てた。
 言ってから、ますます驚いた顔になったマークとザックに気がついて、俺はしまったと後悔する。

「あ……ごめん」
「リク様……」
「今のは俺の八つ当たり。ちょっとイライラしていた」
「あ、いえ、俺も言葉が悪かったです。申し訳ありません……」

 マークがしゅんとした顔で謝罪した。
 二人は立場上俺の護衛ではあるけれど、初めてできた同年代の友人として接してほしいと思っていたのに。いくら自分に余裕が無いからって、いきなり怒鳴るなんて……。

「リク様」

 落ち込むマークの横で、黙って見ていたザックが声をかけて来た。

「外の空気を吸いに出ませんか?」
「えっ……?」
「歩けるぐらいの体調でしたら街を散歩しましょう。今日は良い風が吹いて、暑苦しさも落ち着いています」
「……でも、ヴァンは」
「アーヴァイン様からご許可は頂いております」

 別に外出を制限されているわけじゃない。
 それでもここ最近の俺の様子を心配して、魔法の練習も禁止、朝の水くみから家事も禁止と、とにかくベッドで横になっている以外のことはするなと言いつけられていた。

「そっ、か……ヴァンも一緒に?」
「いいえ。アーヴァイン様は来客があるとのお話でしたので、ご一緒しません」
「リク様、なんか美味い物でも食べにいきましょう!」

 もう怒っていないと察したのか、マークが明るい声を上げた。
 俺がいつも通りでなかったとしても、二人は普段通りに接してくれる。俺の魅了の影響を受けるかもしれないのに……大丈夫、だろうか?

「何か心配事でもありますか?」
「いや、俺また、さっきみたいにイラついて……二人に八つ当たりする……かも」
「リク様の八つ当たりなど可愛いものですよ」

 ザックが笑う。

「可愛いとか言うなよ……」

 今更気恥ずかしくなってきて、腰にタオルを巻きながら返す。
 本当に、本当に大丈夫だろうか。少し二人と距離を離して歩けば、影響は抑えられるだろうか。魔法は夜に力が強くなると聞いている。今は昼過ぎだ。夕暮れまでに戻れば、問題ないだろうか。

「行きましょう! リク様!」

 マークが俺の手を取る。
 俺が「うん」と言うまで手を離さない勢いだ。たしかにずっと部屋にこもってばかりでもいけない。

「分かったよ、その前に服を着るからちょっと待っていて」
「あぁぁあっ! そ、そうでしたね!!」

 慌ててマークが手を離した。




 出かける準備を整えて一階の店舗に下りていくと、ヴァンがカウンターに座って本を読んでいた。

「ヴァン……」
「今日は少しいいのかい?」

 久しぶりにヴァンの顔をちゃんと見たような気がする。
 緑の綺麗な瞳を細めて柔らかな笑顔を向ける。俺がどんなにぎこちない態度で接しても変わらない。大人だな……と、思う。

「うん、大丈夫。……散歩、してくるよ」
「ゆっくりしておいで」

 頷く俺の後ろで、ザックが「夕暮れには戻ります」と短く言った。
 久しぶりに外へのドアを開ける。
 元の世界のように息苦しいほどの湿度や熱気は無い。日差しは強くても、そよぐ風で初夏か晩夏のような心地よさがあった。

「久しぶりだな……」
「リク様、行きたいところありますか?」

 マークがご機嫌な声でたずねる。
 俺は首を傾げて返した。
 ヴァンには、いろいろな場所に連れて行って貰った。けれどどれも生活に必要な場所で、ただあても無く街を歩く、ということはあまりしていなかった。
 ベネルクは迷宮の上にできた街だと聞いている。観光名所のような所はあるのだろうか。

「どこ……というのも思い浮かばないな……。二人に任せるよ」
「でしたらお連れしたい所があるのです」

 半歩後ろを行くザックが声をかけてきた。

「連れて行きたい所?」
「たぶん、リク様は初めて行くところだと思います」
「楽しみだ」

 やっと自然な感じで笑い返しながら、俺は答える。
 この異世界に来てから半年以上。……もうすぐ、一年になる。あの時はヴァンさえそばにいれば何も要らないと思っていたから、この街のことを深く知ろうともしていなかった。
 浮足立つ気持ちを抑えつつ、二人の案内でゆっくりと街を行く。
 石造りの建物、時代がかった服装の人々。馬車。
 緑も多くてあちこちに季節の花も咲いている。
 ……爽やかな風が、気持ちいい。

「こっちです!」

 二歩ほど先を行くマークが楽しそうだ。
 どれほど歩いただろう。それほど長い時間ではないと思う。案内の先にたどり着いたのは、大通のから少し脇道に入った大きな店だった。

「飯屋?」
「どちらかというと食事や酒も飲める宿屋です。この街に訪れた商人や冒険者が泊まったり、情報交換に使う……庶民の溜まり場、みたいな場所ですよ」

 確かにここは、ヴァンと来たことが無い。
 呆けたように建物を見上げる俺に、マークはニヤリと笑って両開きのドアを豪快に開けた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

俺様幼馴染の溺愛包囲網

吉岡ミホ
恋愛
枚岡結衣子 (ひらおか ゆいこ) 25歳 養護教諭 世話焼きで断れない性格 無自覚癒やし系 長女 × 藤田亮平 (ふじた りょうへい) 25歳 研修医 俺様で人たらしで潔癖症 トラウマ持ち 末っ子 「お前、俺専用な!」 「結衣子、俺に食われろ」 「お前が俺のものだって、感じたい」 私たちって家が隣同士の幼馴染で…………セフレ⁇ この先、2人はどうなる? 俺様亮平と癒し系結衣子の、ほっこり・じんわり、心温まるラブコメディをお楽しみください! ※『ほっこりじんわり大賞』エントリー作品です。

主人公の兄になったなんて知らない

さつき
BL
レインは知らない弟があるゲームの主人公だったという事を レインは知らないゲームでは自分が登場しなかった事を レインは知らない自分が神に愛されている事を 表紙イラストは マサキさんの「キミの世界メーカー」で作成してお借りしています⬇ https://picrew.me/image_maker/54346

その男、有能につき……

大和撫子
BL
 俺はその日最高に落ち込んでいた。このまま死んで異世界に転生。チート能力を手に入れて最高にリア充な人生を……なんてことが現実に起こる筈もなく。奇しくもその日は俺の二十歳の誕生日だった。初めて飲む酒はヤケ酒で。簡単に酒に呑まれちまった俺はフラフラと渋谷の繁華街を彷徨い歩いた。ふと気づいたら、全く知らない路地(?)に立っていたんだ。そうだな、辺りの建物や雰囲気でいったら……ビクトリア調時代風? て、まさかなぁ。俺、さっきいつもの道を歩いていた筈だよな? どこだよ、ここ。酔いつぶれて寝ちまったのか? 「君、どうかしたのかい?」  その時、背後にフルートみたいに澄んだ柔らかい声が響いた。突然、そう話しかけてくる声に振り向いた。そこにいたのは……。  黄金の髪、真珠の肌、ピンクサファイアの唇、そして光の加減によって深紅からロイヤルブルーに変化する瞳を持った、まるで全身が宝石で出来ているような超絶美形男子だった。えーと、確か電気の光と太陽光で色が変わって見える宝石、あったような……。後で聞いたら、そんな風に光によって赤から青に変化する宝石は『ベキリーブルーガーネット』と言うらしい。何でも、翠から赤に変化するアレキサンドライトよりも非常に希少な代物だそうだ。  彼は|Radius《ラディウス》~ラテン語で「光源」の意味を持つ、|Eternal《エターナル》王家の次男らしい。何だか分からない内に彼に気に入られた俺は、エターナル王家第二王子の専属侍従として仕える事になっちまったんだ! しかもゆくゆくは執事になって欲しいんだとか。  だけど彼は第二王子。専属についている秘書を始め護衛役や美容師、マッサージ師などなど。数多く王子と密に接する男たちは沢山いる。そんな訳で、まずは見習いから、と彼らの指導のもと、仕事を覚えていく訳だけど……。皆、王子の寵愛を独占しようと日々蹴落としあって熾烈な争いは日常茶飯事だった。そんな中、得体の知れない俺が王子直々で専属侍従にする、なんていうもんだから、そいつらから様々な嫌がらせを受けたりするようになっちまって。それは日増しにエスカレートしていく。  大丈夫か? こんな「ムササビの五能」な俺……果たしてこのまま皇子の寵愛を受け続ける事が出来るんだろうか?  更には、第一王子も登場。まるで第二王子に対抗するかのように俺を引き抜こうとしてみたり、波乱の予感しかしない。どうなる? 俺?!

或る実験の記録

フロイライン
BL
謎の誘拐事件が多発する中、新人警官の吉岡直紀は、犯人グループの車を発見したが、自身も捕まり拉致されてしまう。

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

愛され末っ子

西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。 リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。 (お知らせは本編で行います。) ******** 上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます! 上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、 上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。 上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的 上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン 上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。 てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。 (特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。 琉架の従者 遼(はる)琉架の10歳上 理斗の従者 蘭(らん)理斗の10歳上 その他の従者は後々出します。 虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。 前半、BL要素少なめです。 この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。 できないな、と悟ったらこの文は消します。 ※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。 皆様にとって最高の作品になりますように。 ※作者の近況状況欄は要チェックです! 西条ネア

処理中です...