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第2章 届かない背中と指の距離
51 昔の自分
しおりを挟むどんなことをきいても、ヴァンは正直に答えてくれそうな気がする。
優しいから、きっと怒ったりしない。
それなのに……怖い、という感情が先に立つ。
もし、実は好きな女性がいたんだ、と言ったら。
もし、結ばれることはなかったけれど今も忘れられない、と言ったら。
もし、これから先も深く愛してると言ったなら……。
「その……」
「うん」
一番ききたいことは、喉の上まで出かかっているのに言葉にできない。
笑いながら、「そんな人はいなかったよ」なんていう言葉を期待している自分がいる。
けれど、一人もいなかったわけない。
一人や二人の話じゃないんだ。百人、二百人は大げさな噂でも、一人ぐらいヴァンの心を奪った人がいて当たり前だ。
何せ、令嬢なんだから。
俺みたいに父親はどこの誰か分からなくて、母親にも捨てられたような要らない子じゃない。きっと幼いころから大切にされて、素晴らしい女性になるよう教育もされた人たちだ。ヴァンの隣に立っても、何の遜色もないような……美しい女性。
俺にはどう頑張ったって、届かないような人たち……。
「その……あの親戚の子、ヴァンはちょっと苦手……なのかな……って」
ようやく絞り出した言葉は、ききたかったことと全然違うものだった。
ヴァンが不思議そうな顔で首を傾げる。
「ん? そんなふうに感じた?」
「……声が……すこし緊張してたみたいで」
へへへ、と笑いながら俺はやっとヴァンの顔を見る。
なんだろう。ひどく泣きたい気持ちだ。けれど今俺はちゃんと笑えている。大丈夫だ。
「そうか……」
「うん。嫌いって、わけじゃないんでしょう? 甥っ子なんだし」
「そうだね」
ヴァンは気の無いような声で、遠くを見る。
実家にいたころのことでも思い出しているのだろうか。
「あの子は……クリフォードは、昔の自分なんだよ」
小さくため息をつく。
昔の自分? どういう意味だろう。
「リクの居た世界では、こんなしきたりは無かっただろうが……僕らの魔法の能力は血で受け継がれていく……と言われている」
「前に言っていた、魔法石の扱いは才能半分、訓練半分……の?」
「そう。まぁ……僕の感覚ではきっちり半々ではなく、訓練の方の比重が多いと感じているけれどね」
そう言って肩を落とす。
「でもまぁ、伝統としてね。魔法能力高い者……そしてその子供は幼いころから徹底的な教育を受ける。管理されて育てられる。その結果、高い自尊心が植え付けられる。下々とは違う選ばれた人間なのだと」
俺は視線を落とした。
それだけでもう、息が詰まりそうになる。
きっと目が覚めた時から眠る瞬間まで、あらゆる決まり事があって自由なんて無い。友達と一緒に好きなところを駆けまわる、なんてことも無いんだ。
「物には不自由しないよ。望めば何でも与えられる。その代わり、どうでもいいような伝統を守り続けることを強要される。お前にしかできない務めだと、きつい仕事もやらされる。それを当たり前だと思って育つ」
改めて、ジャスパーの言葉を思い出す。
国を護るため十四の頃から……いやそれよりも前から、泣き言ひとつ言わないでやってきたのだと。「負けず嫌いなんだ。バカだよあいつ」と言った、困ったような笑顔が胸に刺さる。
「ヴァンが……そういう人間だったと?」
「大人になるまではね。……成人して、広い世界を見るようになって違和感を覚えた。そうなるともう我慢できなかった。僕が自分のことをできそこないと言った理由がわかるだろ?」
生まれた時から、当たり前とされている生き方ができなくなった。
大きな屋敷で召使いに囲まれた暮らしではなく、街の片隅にある小さな店で、必要最低限の使用人を雇って暮らす生き方を選んだ。
「じゃあ……あの、クリフォードっていう子は」
「家督を継ぐ長兄の子息だ。僕が捨てた物を、いずれあの子は全て背負わなくてはならない。本人が、要らない、と言わない限りは」
俺を値踏みするような視線。冷たい笑い。感情の無い横顔。
それら全てが子供の頃のヴァンに重なっていく。
ヴァンは自分で違和感に気づいて抜け出した。抜け出そうとしている。けれどあの子は……。
「そうか……」
俺を嫌いな奴となら、戦えると思った。
嫌味を言う、あの口調と表情は好きになれないだろうけれど、次に会った時……俺は戦えるだろうか。
ヴァンが俺の頭を撫で、指先で髪を梳いて、泣いているわけじゃないのに指の裏で俺の頬をなぞる。そのまま昼間から付けっぱなしにしていた、首のチョーカーへと指を下ろす。
喉のすぐ下にある、夜空のように美しい魔法石が揺れる。
「……誰よりも大切にしているよ」
不意にヴァンが呟いた。
「今までこんなふうに、贈り物をしたことは無かった」
「え?」
「異世界では、誕生日に贈り物をするのだろう?」
言われて顔を上げる。
思ったより近い場所にヴァンの顔があって、心臓が跳ねた。
「……う、ん……」
「リクはあまり物を欲しがらないから……何を贈っていいのか迷ったよ」
「ごめん……」
「謝って欲しいんじゃない」
そう言ってもう一度腰に両手を回して引き寄せる。
ヴァンの鼻先が首元に触れる。熱い息の気配を感じて、俺の身体の奥に、奇妙な痺れが走った。顔が……熱くなってくる。
「今まで、どんなものを貰ってきたの?」
「ど、んな……って……」
母親から何か貰った記憶は無い。
貰ったの範囲を広げるなら、街角のティシュだとか市から支給された学用品も「貰い物」になるけれど、ニュアンスは違う。個人的にというなら、引っ越していった幼馴染みが送って来た手紙も、貰い物に入れていいのだろうか。
「あまり、覚えが無いな。欲しいものをやるからいうことをきけ……って言われたことはある、けど」
「それはもとの世界で?」
「うん。どっかの金持ちの息子で、俺が持っているようなちゃちなカバンとかじゃなくて、時計でも靴でも欲しい物は何でも買ってやるから……って。確かに俺は貧しかったけど、そういうモノで言いなりになるの、なんかイヤで」
「拒否した」
「うん。それで俺の教科書とか入ったカバンと取られて、廃墟になったビルに捨てられた。お前には要らないだろうって。悔しいから意地でも探してやろうと思ってうろついていたら、こっちの世界に来てしまったという……」
今となっては懐かしい。
あの時は腹が立って仕方がなかったけれど、それが無ければヴァンと出会うことも無かった。
「リクは……物を贈られるの、苦手? 欲しい物が無いわけじゃないよね?」
「うん……」
思わず頷いてから、しまった……と思った。
ヴァンが微笑む。
耳元で、囁く。
「……何が、欲しいの?」
欲しいのは物じゃない。
だったら何か? ときかれても、上手く言葉にできない。ただ、甘く切なく、胸の奥がじくじくと痛む。
今という時が、止まってしまえばいいと思う。
「俺は、こうして……ヴァンがそばにいてくれたらいい」
たぶんそれが……俺の欲しいもので間違いないのだと、思う。
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