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第1章 廃ビルの向こうは異世界でした
14 いただきます
しおりを挟む美味しい匂いがして目が覚めた。部屋が……明るい。
顔を上げると小さな生き物がさっと逃げる。またウィセルが、俺の側によってきていたみたいだ。
「……あ、さ……?」
バスルームの方の窓から、日の光が射していた。
朝だ。夢も見ないで熟睡したのはいつ以来だろう。
「ヴァン……さん……?」
明るい部屋を見渡すと誰も居ない。かわりに下の階から物音が聞こえる。
もう起きているんだ。見える場所に時計が無いから時間は分からないけれど、日が昇っているということは、俺……また寝坊したんじゃないだろうか。
うわぁぁ……働かせてくださいとか言っておきながら、初日から恥ずかしい。
せめて顔を洗ってしゃきっとしよう。
そう思い、もぞもぞと起きてバスルームに向かった。そのままドアを開けてうなだれる。
あぁぁ……夕べお風呂が気持ち良すぎて忘れてた。下着を人に洗わせてしまったなんて。朝から全身脱力。もぅ、情けない。
「ヴァンさん……何から何まで、ごめんなさい」
誰も居ないバスルームで謝った。
おかけで下着は乾いています。ありがとうございます。
服は、洗濯に出すとか、言っていた……。
ぐるりと見渡しても、目につくところには置いていない。着ていた制服も……元の世界に戻れなかったなら、もう必要もないもの……なんだけどな。
ヴァンさんが帰り道を探してくれると言った。
俺も長く居座って、迷惑になってはいけないと思ったからお願いした。でも正直、俺は本当に、元の世界に帰りたいと思っているのか、よくわからない。
迷子のようにこの世界に来たこと。
もしかしたら行き倒れたかもしれないのに、偶然の出会いで保護された。それはとても幸運でありがたいけれど、……ただ運命に流されているような気がして怖い。
突然、何もかも失いそうで。
誰にも望まれず、邪魔者でしかなかった俺が、何故……こんなに恵まれた状況になっているのだろう……。
「うぅっ、ダメだ!」
朝から思いつめモードじゃヴァンさんが心配する! ちゃんと元気になった姿を見せないと。
顔を洗い簡単に身支度を整えてから階段を下りていく。ヴァンさんはキッチンにあるテーブルに、皿を並べているところだった。
「おはよございます!」
「おはよう。そろそろ起こしに行こうかと思っていた。よかった、元気だ」
「はい」
瞳を細めて、ヴァンさんは嬉しそうに微笑む。
その笑顔だけで俺はたまらなくなる。
窓からの明るい日ざしが湯気の立つキッチンに射し込んで、オシャレな映画の一場面みたいだ。ヴァンさんがキラキラして見える。
「ぐっすり寝たので元気になりました。ありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早いよ」
「んん?」
「元気になったのなら、今度はたくさん食べさせないとね」
「俺を太らせる気ですか?」
「そう……美味しく食べるために」
「ふぇ?」
冗談を言いながら額にキスする。
わぁぁあ……朝から恥ずかしいんだから……ヴァンさんは……。
思わずおでこをさすりながら顔を熱くすると、「イスにお座り」とうながされた。手伝いをしようにも、だいたいの準備は終わっていしまっていたみたいだ。ごめんなさい。
俺、まだ完全にお客さん状態だ。
「焼きたてだから、まだ温かいよ」
テーブルに、すごく美味しそうなパンが置かれる。シンプルな形でバターロールというより、まるパンとかちぎりパンみたいだ。
一つとってみると柔らかくて、香ばしい匂いが……たまらない。
「ヴァンさんが焼いたんですか?」
「さすがに魔法を使っても、こうは美味しく焼けないよ。近所のパン屋で朝の焼きたてを買ってきたんだ。とても美味しいよ」
少し自慢げにいう。
馴染みの店、なのかな。さらに……。
「昨日のスープが食べられたなら、口に合うはずだ」
そう言って昨日とは違う、それでも野菜がたっぷり入ったスープを皿に注いでくれる。爽やかな香辛料の香りがして、思わずお腹が鳴った。
「たくさん作ったからね」
「いただきます!」
両手を合わせてからスープを一口。
すごい。あったかい。美味い。
玉ねぎっぽいのと、ニンジンみたいな色合いのものと、他にもよくわからない野菜がたくさん入っていて、肉の欠片も入っている。塩味とうま味のバランスが絶妙で、きっと栄養なんかもたっぷりなんだろうと思う。
あぁぁ……体中にしみわたる……。
朝からこんな食事ができるなんて、幸せすぎる。泣きそうだ。
ふと……視線を感じて顔を上げると、向かいのイスに座り肘をついて顎を支える仕草のヴァンさんが、微笑みながら見つめていいた。
俺、何か恥ずかしいことしていたかな。
「気にしないで。朝食の席に人がいるのが珍しいんだ」
あぁ……一人暮らしならそうか。
「いつも、食事は一人で?」
「そうだね……調べものをしながらとか、書類を読みながらとか……何かのついででパンをつまむ程度だよ」
「お仕事熱心……なんです、ね」
「食べることにあまり興味がなかっただけだ」
そ、そうなのか……。
たしかに俺も、朝は前の夜に買った半額おにぎりとかパンをかじる程度だったもんな。何でもいいからカロリーを摂取できればいいや、という程度で。
「そういえばさっきの、これ、何かの儀式かい?」
「え?」
ヴァンさんが両手の平を真っ直ぐ合わせた。
俺が無意識にしていた、「いただきます」のポーズだ。
「えぇ……っと、儀式……というか、お礼というか」
「僕に?」
「うん……ヴァンさんとか、食べ物に」
「食べ物?」
ヴァンさんが首を傾げる。これ……ある意味、日本独特の習慣だよね。儀式かときかれれば、そうとも言えるかもしれない。
「その……食べ物は、何かの命を奪って得るものだから。ありがとう、大切に頂きます……って、お礼を言うため、とか。あと……作ってくれた人や、用意してくれた人にもありがとう、という」
「へぇぇ……」
わぁー、な、なんかすごく、感心されてしまった……。
そしてまた、満面の笑みが向けられた。
「いいね。そういう考え方は、好きだよ」
「す……」
考え方が好きだと言っただけなのに、変に心臓が跳ねた。落ち着け、俺。
気持ちをごまかそうと、取ったパンをちぎって口に放り込む。
「わっ……やっわらか!」
しかも甘い。砂糖の甘さじゃなくて、何て言うんだろう、素材の香ばしさっていうの?
ヴァンさんが俺の真似をして手を合わせてから、瞳を細めて微笑んだ。
「おいしい?」
「うんっ!」
「パン屋の夫人にね、リクの話をしたらぜひ会いたいって。息子さんの子供の頃の服を少し貰ったから、後でお礼がてら寄ろう」
「あ、ありがとうございます! そういえば……着ていたものも洗ってもらって……すみません」
「いいんだ。ゆっくり休んでもらいたかったから」
本当にゆっくり休めた。ぬくもりが嬉しくて。
なんかもう俺、一生抱き枕がわりでいいっていうぐらい。ヴァンさん、俺は立派な抱き枕になってみせます。
「今日は忙しくなりそうだからね。食事を終えたら出かけよう」
楽しそうに、ヴァンさんは言って微笑んだ。
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