10 / 202
第1章 廃ビルの向こうは異世界でした
09 強くなったつもりでいた
しおりを挟むトンネルの外は夕暮れ時だった。
俺が初めてこの世界に迷い込んだ時とは違う、今にも雨が降り出しそうな厚い雲の空。もう日も沈み始めているんじゃないかっていうぐらい薄暗い。
ヴァンさんは地面に俺を下ろすと、直ぐにランタンに明かりを灯し、濃い緑色の手のひらで握れるぐらいの石を渡した。
つるんとした潰れた卵型で冷たくて気持ちがいい。細かい縞模様になっている、とても綺麗な石だ。
「癒し深き孔雀石、怖れと不安をその身に受けよ」
静かに呪文を唱えると、すぅっと俺の身体から強張りが消えていった。
まだ少し心臓はどきどきいっているけど、震えは無い。変な冷や汗をかいていたみたいで、大きく深呼吸をしてから額をぬぐった。
「無理をしてはだめだと言っただろう」
「すみません……」
「暗闇が怖いのかい? それとも……」
静かにゆっくりと、たしなめるような口調でヴァンさんが叱る。
俺は肩を小さくすぼめた。
「分からない」
物心ついた時からずっと、暗い部屋で一人夜を過ごしてきた。
寂しいという感覚はあっても、暗闇が怖い、と思った記憶はあまりない。
「どうして……気持ち悪くなって、歩けなくなるのか分からない……」
こんな状態では暗い地下道のどこかにある、元の世界と繋がった場所なんて探せない。探せないということは、ずっとこの世界に留まるということで、それはヴァンさんの迷惑になってしまうということだ。
なんだかもう……情けなくて涙が出てくる。
「リク」
膝を抱える、俺の頭を撫でて髪を梳く。
「傷は、目に見える場所だけにあるものではないよ」
顔を上げる。
涙目になった俺を、ヴァンさんは優しく見つめている。
「見えない傷ほど深く、命を奪うこともあるのだから」
「俺は……」
「辛いと思ったなら頼ればいい」
「で、でも……」
俺とヴァンさんは赤の他人なのに。
「僕は、そんなに頼りないかな?」
「いや!」
思わず大きな声になった。
そんなんじゃない。
頼りないんじゃなくて、これ以上頼りにしては申し訳ないというか。迷惑というか。俺みたいなヤツ、かまう必要は無いというか……。
……これ以上優しくされても、俺は何も返せない。
「頼りない……わけじゃないです……」
どんなにいい子にしていたって、結局……俺は、あのだらしない人の息子で。こんなに大切にしてもらえる価値を、見いだせないでいる。
どうしてこんな世界に迷い込んでしまったのだろう。
どうして……ヴァンさんに出会ってしまったのだろう。
ヴァンさんは地面に両膝をついて、俺の目線に下りてくる。そのまま両手で顔を包んで、溢れそうになる涙を拭いながら言った。
「……強制しているわけじゃないから、怯えないでおくれ」
俺は喉を詰まらせながら首を横に振る。
どうしてなのか、胸が痛い。
胸が痛い。
本音をさらしたら、そこからぐすぐすと崩れていきそうになる。
強がって、強く生きようと思って、強くなったつもりでいたけれど、俺はどうしようもないほど子供だ。人の厚意を受けきれないでいる。
「俺……」
「うん」
「どこにも……行くところが無い」
「うん」
ヴァンさんは頷きながら、真っ直ぐ俺を見つめている。
「あの……家に、置いてくれませんか?」
消え入りそうな声で言った。
優しさに勘違いしてはいけない。あくまでもとの世界に戻るまでの間だ。
「帰る道が、見つかるまでの間でいいから……」
「リクが居たいだけ、居なさい」
そう言うと、まるで「ちゃんと言えたご褒美だよ」というように、額に口づけた。
俺は気恥ずかしさで顔が熱くなる。
やっぱり外国人……いや、異世界人はスキンシップが近いというか、大胆というか。慣れなくて心臓はパクパクいいっぱなしだけれど、不思議と嫌な感じはない。
郷に入っては郷に従えともいうし。
「あ、ありがとうございます」
どうにかお礼の言葉だけ絞り出して、俺は頭を下げた。
ぽつり、ぽつり、と空から滴が落ちてくる。雨だ。とうとう降り出したみたいだ。ヴァンさんも同じように暗い空を見上げて立ち上がった。そして俺に手を伸ばす。
「ここに座っていては濡れてしまう。帰ろう」
「はい」
出された手につかまって、俺は立ち上がった。
ヴァンさんは俺の手を握ったままゆっくりと、あの不思議な物で溢れた家へと歩き出す。今日も行き交う人の姿は少なくて、窓を閉じている家が多いせいか、人の話し声や歌声は聞こえない。
世界に二人きりしかいないような錯覚を起こす。
「異世界に繋がる入り口は、僕が見つけておこう」
真っ直ぐ前を向くヴァンさんが、呟くように言った。
「場所が分かってから行った方が、暗い中をあても無く歩き回らずにすむ」
「ヴァンさん……」
「だからリクは何も心配しないで、待っていたらいいよ」
頷いて答えた。
急いで見つけなくてもいいです……と、ワガママな思いが湧いてくる。もちろんそんなことは口にできない。見つけて早く帰らなければ、いつまでも迷惑をかけてしまうのだから。
「そうだ」
俺は半歩前を行くヴァンさんに声をかけた。
「あの、元の世界に戻るまでの間、俺をあそこで働かせてください」
驚いた顔で立ち止まったヴァンさんは、本当に思ってもみなかったという顔で俺を見下ろした。
「リク、そんなことは……」
「ただ黙って暮らすわけにはいきません。掃除でも洗濯でも何でも言ってください。料理は……そんなに得意じゃないけれど、教えてもらえればきっと簡単なものぐらいならできるようになると思います」
そうだ。数日でもここで暮らすのなら、この世界の仕組みを知らなきゃいけない。生活習慣だって違うだろうし、見たところ電気もガスも無い。増えた喰いぶちの分だけでも働かないと、何もかも頼りっぱなしというのはやっぱり嫌だ。
ヴァンさんは複雑な表情をしていたが、やがて「わかった」と呟くように答えた。
「でも、まずはしっかり休むんだ。特に今日はもう、無理をしない。雨にも当たって冷えただろうから、帰ったらちゃんと身体を拭いて……」
もう十歳の子供じゃないと知っているはずなのに、ヴァンさんは変わらない。雨だってパラパラといった程度で、そんなに濡れているわけじゃないのに。
それでも俺は、今日だけは大人しくしようと素直に頷いた。
10
お気に入りに追加
336
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
俺様幼馴染の溺愛包囲網
吉岡ミホ
恋愛
枚岡結衣子 (ひらおか ゆいこ)
25歳 養護教諭
世話焼きで断れない性格
無自覚癒やし系
長女
×
藤田亮平 (ふじた りょうへい)
25歳 研修医
俺様で人たらしで潔癖症
トラウマ持ち
末っ子
「お前、俺専用な!」
「結衣子、俺に食われろ」
「お前が俺のものだって、感じたい」
私たちって家が隣同士の幼馴染で…………セフレ⁇
この先、2人はどうなる?
俺様亮平と癒し系結衣子の、ほっこり・じんわり、心温まるラブコメディをお楽しみください!
※『ほっこりじんわり大賞』エントリー作品です。
主人公の兄になったなんて知らない
さつき
BL
レインは知らない弟があるゲームの主人公だったという事を
レインは知らないゲームでは自分が登場しなかった事を
レインは知らない自分が神に愛されている事を
表紙イラストは マサキさんの「キミの世界メーカー」で作成してお借りしています⬇ https://picrew.me/image_maker/54346
その男、有能につき……
大和撫子
BL
俺はその日最高に落ち込んでいた。このまま死んで異世界に転生。チート能力を手に入れて最高にリア充な人生を……なんてことが現実に起こる筈もなく。奇しくもその日は俺の二十歳の誕生日だった。初めて飲む酒はヤケ酒で。簡単に酒に呑まれちまった俺はフラフラと渋谷の繁華街を彷徨い歩いた。ふと気づいたら、全く知らない路地(?)に立っていたんだ。そうだな、辺りの建物や雰囲気でいったら……ビクトリア調時代風? て、まさかなぁ。俺、さっきいつもの道を歩いていた筈だよな? どこだよ、ここ。酔いつぶれて寝ちまったのか?
「君、どうかしたのかい?」
その時、背後にフルートみたいに澄んだ柔らかい声が響いた。突然、そう話しかけてくる声に振り向いた。そこにいたのは……。
黄金の髪、真珠の肌、ピンクサファイアの唇、そして光の加減によって深紅からロイヤルブルーに変化する瞳を持った、まるで全身が宝石で出来ているような超絶美形男子だった。えーと、確か電気の光と太陽光で色が変わって見える宝石、あったような……。後で聞いたら、そんな風に光によって赤から青に変化する宝石は『ベキリーブルーガーネット』と言うらしい。何でも、翠から赤に変化するアレキサンドライトよりも非常に希少な代物だそうだ。
彼は|Radius《ラディウス》~ラテン語で「光源」の意味を持つ、|Eternal《エターナル》王家の次男らしい。何だか分からない内に彼に気に入られた俺は、エターナル王家第二王子の専属侍従として仕える事になっちまったんだ! しかもゆくゆくは執事になって欲しいんだとか。
だけど彼は第二王子。専属についている秘書を始め護衛役や美容師、マッサージ師などなど。数多く王子と密に接する男たちは沢山いる。そんな訳で、まずは見習いから、と彼らの指導のもと、仕事を覚えていく訳だけど……。皆、王子の寵愛を独占しようと日々蹴落としあって熾烈な争いは日常茶飯事だった。そんな中、得体の知れない俺が王子直々で専属侍従にする、なんていうもんだから、そいつらから様々な嫌がらせを受けたりするようになっちまって。それは日増しにエスカレートしていく。
大丈夫か? こんな「ムササビの五能」な俺……果たしてこのまま皇子の寵愛を受け続ける事が出来るんだろうか?
更には、第一王子も登場。まるで第二王子に対抗するかのように俺を引き抜こうとしてみたり、波乱の予感しかしない。どうなる? 俺?!
願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい
戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。
人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください!
チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!!
※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。
番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」
「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824
エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!
たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった!
せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。
失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。
「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」
アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。
でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。
ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!?
完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ!
※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※
pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。
https://www.pixiv.net/artworks/105819552
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる