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第1章 廃ビルの向こうは異世界でした

05 ベッドの中

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 夢を見ていた。

 廃墟になったビルの中を、一人きりで、あても無くさまよい歩いている。
 何か大切なものを探しているという感覚はあるのに、それが物なのか、人なのかも思い出せない。
 ただ早く見つけなければという、あせりばかりが胸を苦しめる。
 無くなってしまうからか。それとも、このまま一生見つからないで終わってしまうかもしれないという、不安か……。

 どこかで見落として来たのかもしれない。
 そう思って振り向いた、そこには、真っ暗な穴が大きな口を開けていた。




 目を覚ますとベッドの中にいた。
 淡いベージュのような、少しくすんだ色のシーツ。いい匂いがする。肌触りもいい、洗いさらしたガーゼみたいな感じだ。ものすごく柔らかなマットレスが、身体を包み込んでいる。
 肩に見覚えのある、落ち着いた色合いの布がかかっていた。
 アーヴァイン――ヴァンさんがかけてくれた、ブランケットだ。

 そうだ。
 廃ビルに投げ捨てられたカバンを探していて、どういう理由か異世界に迷い込んだ。暗いトンネルをめちゃくちゃに探し回って人とぶつかった。情けないことにひざを思いっきり打ち付けて、歩けなくなったんだ。
 だからあわれに思ったお兄さんが、俺を運んで、ここに連れて来てくれた。

 知らない街。
 知らない部屋。
 これからどうすればいいのか、帰る方法も分からない。

 不安や混乱から息が苦しくなって……パニック症状を起こして抱きかかえられた。

「ヴァン……さん、に」

 もぞり、と横を向いて膝を抱える。
 ひたいを押し付けた肩の、しっかりとした骨の感触。背中をさする大きく温かな手の感覚。匂い。全部覚えている。
 そして、そこで記憶は、途絶えている。

 ちら、と視線を上に向けた。
 古い木でできている高い天井。カントリーハウス、という具合の落ち着いた色合い。ごちゃごちゃと、本やら小さな機械や石やら……色々な物にあふれている壁際。テーブル。イス。
 それらが窓からの鈍い明かりに浮かび上がっている。

 今が何時なのかは見当もつかない。晴れた日というよりは、雨でも降っていそうな鈍い明かりで、午前とも午後ともつかない。それこそ……夜明けか夕暮れ時かも分からない。
 記憶にある店舗やリビングと部屋のようすが違うから、ここは別の、寝室、なのだろう。

 静かな部屋。人の気配はない。
 ブランケットと、上に少し厚手の毛布がかかっている。それを肩の上まで引き上げて、顔の半分までかぶって瞼を閉じた。

 温かい。
 静かで、心地いい。

「大丈夫……」

 ヴァンさんが言ってくれていた言葉を呟く。
 うとうとしながら、ただ肌に触れる感覚を味わい記憶をなぞる。

 何度も何度も、同じ言葉で俺を落ち着かせようとしてくれた。
 「大丈夫」「もう怖いことは無い」「ここは安心できる場所だと」と。呪文のようにヴァンさんの言葉が俺の中にみ込んでいる。

 呼吸は苦しくない。
 震えも無い。
 ここに居る限り、俺は、何も不安に思う必要はない。
 そう言い聞かせて深呼吸をする。

 心の隅では、いつまでもここにいるわけにはいかないのだと、理解している。……それでも今は、今だけは、このぬくもりの中にいたい。

 ふと、下の方で音がした。
 人の気配だ。階段を上る足音が、ゆっくりと近づいて来る。それも二つ。俺は思わず瞼をぎゅっと閉じて、眠っているフリをした。

「――それじゃあ、まで店は休むのか?」

 ヴァンさんの声じゃない。
 もう少し高くてかすれたような声だ。なんとなく、ヴァンさんと近い年齢の人なんじゃないかな……という気がする。

「ふん……」

 面倒くさそうな声で、ヴァンさんは答えた。

「四、五日くらい、どうということじゃない」
「そりゃあ、ヴァンは平気だろうけどよ。街の人が困るんだよ。俺の方まで苦情がきているんだ」
「どうしてジャスパーに苦情がいくんだ」
「お前のところの魔法石いしは質がいいし、鑑定も精度が高いからだろ。それに美形は定期的に拝みたいんじゃないのか?」
「魔石屋は他にもある」

 めんどくさそうな声が返る。
 ブランケットを頭の方までかぶっているから顔は見えないけれど、あの優しそうなヴァンさんがこんなふうに言うこともあるんだ。いや、人間だからいつでもニコニコ、まったく怒りません、という方が不自然だけど。
 正直あまりイメージがわかない。

「まだ寝てるみたいだな、残念。せっかくの黒曜石オブシディアンを拝めると思ったのに」
「見世物じゃないぞ」
「分かってるって」

 ジャスパーと呼ばれた方の声が笑っているように聞こえる。軽口を言い合っているみたいだ。親しい間柄なのだろう。……それはそうと、オブシディアンって何だ?

「ま、今日は退散するわ。これが痛み止めと沈静の効果の……な」
「助かる」
「目を覚ましてまだかなり悪そうなら、日が沈んでいても連れて来いよ」

 部屋の端の方に気配が動いて、一人分の足音が階段を下りていった。ヴァンさんは下の階まで見送らないみたいだ。俺はそっと息をついた。
 なんだか、目を覚ましたと伝えるタイミングを逃したみたいで、どうすればいいだろう……。

 ゆっくりと足音が近づいてくる。
 ギシ……と横になっているベッドがきしんで、背中の辺りのマットレスがわずかに沈んだ。
 俺の様子を見ているのだろうか。何故か自分の心臓がうるさく感じる。

「リク……」

 ふ、と……頭に温かなものが触れた。
 ヴァンさんの手だ。そのまま優しく二度、三度と撫でる。
 もう一度、ギシ、と枕の方のスプリングがきしんで、気配が近くなった。背を向けている、頭のすぐ後ろだ。ヴァンさんの吐息を感じる。
 頬……というか、口もとを近づけているのだろう。
 そのまま毛布越しに、ヴァンさんの腕が胸の方へと回ってきた。横になったまま抱きかかえられる……添い寝されているような感覚に、俺は戸惑う。

 恥ずかしような。でも、背中のすぐ後ろに温かな気配があるという、守られているような感覚が、すごく、落ち着く。

 そのままヴァンさんは、時々頭を撫でるだけでじっとしていた。
 俺を起こさないように気遣っているのかもしれない。

 身体の力を抜く。
 ずっとこんな時間が続けばいいのに。
 どんなことがあっても、自分一人でどうにかしていかなきゃいけないと思っていたし、今もその考えを変える気はない。それでも今だけは、こうして背中を預けている感覚を、味わっていたい。

「……リク?」

 もぞり、と動いてしまった気配で気づかれたらしい。
 ゆっくりと顔を上に向けると、少し驚いたような顔がこちらを見ていた。寝たフリをしていたのか、とでも言われるだろうか。

「あ……の……」
「よかった」

 そのまま額に唇が触れた。
 え……。
 あ、こ……これって、キスなんじゃ……いや、挨拶、か?

「もう目を覚まさないかと思った」

 緑の瞳が細くなる。そこには記憶にあった通りの、優しい笑顔があった。





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