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音楽室 #6

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 翌日、クララは授業が終わるとすぐに音楽室に向かった。練習はもちろんのこと、リジーが待っているからだ。
 自然とハミングがでる。 
 音楽室の扉を静かに開け、部屋の中を確認すると、リジーがグランドピアノの前に座っていた。両腕手を鍵盤蓋に置いて、そのまま頭を乗せている。どうやら眠っているようだ。
 物音を立てないように抜き足差し足で近づく。後ろから、リジーの横顔をまじまじと覗き込む。雪のように白い肌。サラサラとしたきれいな金色の髪の毛。
 リジーはすーすーと規則正しい寝息をたてている。  
 クララはリジーの横に静かに座り、髪の毛から覗く小さな耳に「ふぅー」と息をかけた。 

『ひょわぁぁあー!』 

 突然のことにびっくりしてガタンと立ち上がるリジー。
 声を殺してくつくつと笑うクララ。 
 まだ少し寝ぼけているのか、リジーは何があったか理解できていない様子だ。 

「おはよう、リジー」

 微笑みながらクララは言った。

『あ、クララ。お、おはよう?』 

 首を傾げながらストンと椅子に座り、しばしの黙考。すると、クララの方を向き顔を歪めて言った。

『クララ、今なんかしたでしょ?』

 その言葉で耐えきれなくなったクララは破顔した。

「な、なにも……あはは。なにもしてないよ」

『嘘つき! だったらなんでそんなに笑ってるの⁉︎」

 怒った顔もまた可愛いらしい。

『もう! クララのいじわる!』

 プクッと頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向くリジー。

「ごめんって。気持ち良さそうに眠ってたから、ちょっとイタズラしてみただけだって」

『ほらやっぱり!』

 今度は「むー」と唸りながらこちらを睨んでいる。  
 クララはぽんぽんとリジーの頭を撫でて機嫌をとった。

「さて、今日も練習しなきゃ。リジーは何か聴きたい曲ある?」

『ふん!』

「もーごめんねって。今度、美味しいケーキご馳走するから」

『本当に‼︎』

 ケーキにつられ、リジーは満面の笑顔になった。
 こういうところはやっぱりまだ子供だなぁと思う。
 クララだったら——うん。ケーキは食べたい。

「はい、約束」

『うん!』

 お互いの小指と小指を絡ませて指切りをする。

「ところで、リジーは聴きたい曲ある?」

『えーっと、トロイメライが聴きたい!』

「おっ、シューマンね。じゃあ、『子供の情景』を最初からさらおうか」 

 ガサガサとバックから譜面の束を取りだして、シューマンを探す。

「あった!」 

 リジーはぴょんと椅子から降りると、グランドピアノの近くにある生徒用の椅子に腰掛けた。 
 譜面台に譜面を置き、カコンと鍵盤蓋を開ける。
 すっと心を落ち着かせ、最初の一音をピンと奏でる。

『子供の情景』は全十三曲からなる、ロベルト・シューマンの作品だ。
 一八三九年にブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版された曲で、クララが初めて聞いたのは母の演奏だった。
 幼心に綺麗な曲だなと感動して、いつの間にか子守唄になっていたのを覚えている。
 ただ弾くだけなら難易度はそこまで高くないが、しっかりと表現しようとすると簡単にはいかない曲。 
 第一曲から指先に集中して、一音一音丁寧に奏でる。ゆっくりと心地よい響きが、耳を通して頭の中に届く。 そして、段々とアップテンポになったかと思うと、またゆっくりと穏やかな旋律に帰る。
 最後の一音を弾き終わると、リジーはパチパチと拍手をしていた。

「ありがとう」

 クララはリジーの方を向き、ぺこりと軽く頭を下げた。 

『ところでクララはなんでピアノを一生懸命やってるの?』 

 机にだらしなく突っ伏して、足をぶらぶらさせながらリジーは言った。

「昔、ここに住んでた令嬢の仕草じゃないねそれ」

 呆れながらクララは言う。

『えっ? ああ。だって、もう死んじゃってるから関係ないし』

「さいですか…… 」

『それよりも! クララはなんでピアノやってるの?』

 リジーは机に手をついて上体を起こすと、そのまま前のめりになりながら再びクララに聞いた。

「理由ねぇ……んーと、好きだから? かな」

『演奏が?』

「演奏もだけど、それを聴いて喜んでくれる人を見るのが好きかも……って、こんなの真面目に考えたことなかったからよくわかんないよ!」

 クララは顔を真っ赤にして照れている。

「リ、リジーはなにか好きなことはないの?」

 照れを誤魔化すように、今度はクララがリジーに質問をした。

『私は……好きなものがなにもなかったの。やりたいことも見つけられないまま、殺されたから…… 』

 リジーは窓の外を眺めながら少し寂しそうな表情を浮かべた。
 今日も天気はどんよりと曇っている。

「そっか。な、なんかごめんね。嫌なこと思い出させちゃって」 

 慌てて取り繕うクララに、リジーはブンブンと顔を横に振った。 

『ううん、大丈夫。もう仕返しはしたし』

「仕返し?」

『そう、仕返し』

「誰に?」

『私を殺した犯人に』

「犯人? って、えっ! 犯人知ってたの⁉︎」

 驚きすぎて椅子の上で跳ねた足が、ピアノの底板にぶつかった。

「っー!」

『大丈夫、クララ⁉︎』

 鍵盤に突っ伏し痛みを耐えるクララを心配そうに見つめるリジー。

「だ、大丈夫……」

 うっすらと涙を浮かべ、たははと笑いながらクララは言った。

「それで、犯人は誰だったの?」

 ぶつけたところを摩り摩り聞く。

『名前は知らないけど、多分、昨日クララが言ってたブ、ブリンブリン? とか言うお爺さんだったはず』

「ブリンクリー会長?」 

『そう、それ! その人が私を殺したの。だから仕返しに脅かしてやったら発狂して死んじゃった』

 悪戯がバレた子供のようにテヘヘと無邪気に笑うリジー。
 しかし——リジーの口から語られたまさかの真実。
 聖ブリンクリー学園を作ったブリンクリー会長が、デイビッドソン家の遺産を奪うためにリジーに手をかけていたとは…… 
 しかも、死んだはずのリジーに復讐されて、自らの命を落としてしまっていた。 

「……リジーって、恐いね」

『えっ、嘘っ! また骸骨の姿になってる?』 

 慌てて自分の身なりを気にするリジー。
 その様子がおかしくて、クララはついつい笑ってしまった。

「違うよ。そういう意味じゃなくて。リジーを怒らせると恐いなって話」

『なんだぁ。間違えて前の姿に戻っちゃったのかなって思った』

 ほっと胸を撫で下ろしたリジーは言葉を続けた。

『そうそう。昨日言った遺産のことなんだけど、出来たらクララ一人で掘り出して欲しいの』 

「えっと、どうして?」

 モニョモニョと言葉を濁すように話すリジー。

『あのね……私が殺された件も絡んでくるから、人に知られたくないというか、他の人に横どりされたくないというか、えっと—— 』

「そっか。わかった! ちょっと頑張ってみるよ!」

 クララはぐっと親指を立てた。 

『ありがとう! なりゆきでクララを選んだけど、本当にクララで良かった!』 

 うーと唸りながらクララに抱きつくポーズをするリジー。しかし、グランドピアノまで少し距離があるので当たり前だが届かない。

「なんか一言多い!」

 そう言ってクララは立ち上がると、リジーに近づき、机の前でしゃがみこむ。
 宙に浮いていたリジーの手を自分の肩に乗せ、おでことおでこをコツンとぶつけた。 

「誰でもよかったは納得がいかないから、私じゃなきゃダメって言わせてやる」

『ふぇっ?』

「そりゃー!」

 クララはリジーの脇をくすぐり始めた。

『えっ! ちょっと……ク、クラ、あは、あはははは、あはははは!』 

 ガタンガタンと椅子の上で暴れるリジー。
 それを押さえつけるようにくすぐるクララ。 
 しばらくすると、クララは手を止めて、息も絶え絶えのリジーを解放した。

 『あはは、ク、クララ、酷い……よ…… 』

「ちょっとやりすぎたかな」

『う、うん……やりすぎ』

 椅子の上で乱れた身なりを整えながらリジーは言った。

『でも……楽しい』 

 その言葉に一瞬呆気にとられる。しかし、すぐに微笑みリジーの手を取る。 

「私も楽しいよ」 

 昨日、出会ったばかりなのに、何年も前から知っているみたいな二人。もちろん、クララにとってリジーが天使のように可愛くて、今すぐにでも食べてしまいたいと思っていることは変わらない。しかし、それ以前に、なにか懐かしくて温かい繋がりを感じていた。
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