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第二章
第五話・その参(改訂版)
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中学二年生の春。その日、私は部活が終わった後も練習をするために音楽室に残っていた。誰もいない音楽室を自分一人で贅沢に使えるこの瞬間が1番好きだった。大好きな吹奏楽でフルートを吹く。そのために自分が納得できるまでただただ吹き続ける。しかし、吹奏楽は大好きだったと過去形になりつつあった。
それは、同じ部員である榊原史恵への虐めだ。
___「史恵ちゃん。音、ちっさいんだけど」
「何でこんなのも吹けないの?」
「ごっめ~ん!もう来ないと思って、楽譜破いちゃった」___
誰が言ったかも覚えていない。それくらい、史恵のことを嫌いな人は沢山いた。どうして史恵が嫌われているか、それは私でも知っている。
___中学一年生の夏、史恵は同じクラスの男子と付き合っていた。しかし、それを良く思わなかった一部の女子達が、ありもしない噂を広めたのだ。
「史恵ちゃんって、彼氏がいるのに他の男子と一緒に出掛けたりしてるんだよ。私、見たもん」
「まじ?!そういえば、友達の好きな人横取りしたらしいね」
後日、この噂を聞いたのだろう彼は、史恵に別れを告げたらしい。私がこの噂を知ったのはそれから数週間後だった。
それから史恵は段々といじめを受けるようになっていた。性格が悪い、男好き、ビッチ。史恵が何度も言われた悪口だ。やがてその噂は全体に広まり、史恵の居場所はなくなっていた。友達もいつの間にか離れていった。史恵の味方をするといじめのターゲットにされるからだろう。それはクラスの出来事では留まらず、部活の仲間にも避けられていた。___
私は一人残った音楽室で一時間程練習をしていた。時計を見ると、五時半の方向に針が向いていた。最終下校の時間だ。楽器を片付け、荷物をまとめると私は音楽室の扉を開けて廊下に出た。すると、どこからかピアノの旋律が聴こえてきた。私はその音色が聴こえてくる第2音楽室の扉の前に立つと、ゆっくり扉を開いて中に入った。吹奏楽部の顧問である京子先生が弾いていると思ったが、そうではなかった。京子先生よりも小柄で、制服を着ていた。部活のメンバーに関心がない私でも、一目見て誰だか分かった。
それは、あの榊原史恵だった。
彼女は学年トップの成績を誇り、誰にでも優しくする。しかし、今や学校中から虐めを受けている女の子。
途端、音楽室に響きわたるピアノの音色とペダルの軋む音が途絶えた。榊原史恵は私を見て驚いた表情をする。
「なんだ、綾瀬さんかぁ。どうしたの?忘れ物?」
この時初めて私は彼女とまともに話をした。表情がころころ変わる、無邪気で可愛い人。それが第一印象だ。
「えっ……と、残って練習を」
「ええっ!?えらいね。もう皆、帰っちゃってるのに」
「いやいや、榊原さんもピアノの練習してたから」
「私の部活での担当楽器、何か覚えてる?」
「クラリネットだよね」
「そうそう。じゃあ、部活の練習をサボって別室でピアノの練習してた悪い人は誰でしょう!」
私が反応に困っていると、榊原さんは可笑しそうに笑った。
「そういえば綾瀬さんもピアノ弾けるよね。ちょっと弾いてみてよ」
彼女がそう言った瞬間、
「最終下校の時間よ?」
と、京子先生が音楽室を覗き込んできた。
「あら、二人が一緒にいるの、初めて見たかも」
「はい。お互いたまたま残ってて。練習してたんです」
「そうなのね。あっ、そうだ榊原さん。ちょっと話したいことがあるの。ここで待っていて」
京子先生はそう言うと、小走りで音楽準備室へ向かった。私は二人が会話しているうちに帰ろうかと迷ったが、そんな暇もなく京子先生はすぐに戻ってきた。
「はい、これ。今年のピアノのコンクールの話はもう聞いてる?もしかしたらもうピアノの先生に聞いているかもしれないけど、良かったら出場してみない?」
榊原さんは何枚か紙を渡されると、
「ありがとうございます」
とだけ答えた。
榊原さんは一枚一枚ざっと目を通すと、私に声をかけた。
「ねえ、綾瀬さん。ピアノ弾けるよね?」
私はどう答えていいか分からなかった。
「少しなら弾けるけど……」
「2人とも、急いで帰りなさい。私が引き止めてしまったんだけど、もう暗くなってしまうでしょう」
榊原さんは慌ててピアノを元の状態に戻して、荷物をまとめた。
「さようなら」
「はい。さようなら」
京子先生に挨拶をすると私達は校門を目指して進む。
「あのね、綾瀬ちゃん。さっき京子先生に言われたコンクールのことなんだけど、渡された紙にこんなのがあったの」
榊原さんは一枚の紙を私に渡した。榊原さんが指をさした部分を見ると、コンクールの連弾部門について詳細が書かれていた。
「連弾?」
「うん。私、一人で弾くことはあっても連弾ってしたことないんだよね」
「そうなんだ。榊原さん、ピアノ上手だから連弾もできるんじゃないかな?」
「綾瀬ちゃん可愛いなぁ。そんなこと言ってくれるとかもう、嬉しいよ」
私が苦笑いをしたところで校門を出た。榊原さんは何かに気付いたように声をあげる。門の前で立ち止まって、彼女は私にこう問いかけた。
「えっと、でもごめんそうじゃなくて!綾瀬ちゃん、一緒に出場してみない?」
「え、なんで!?」
私は思わず大きな声で叫んでしまった。でもそんなのお構い無しに、榊原さんは話を進めた。
「だって綾瀬ちゃん、小学校の時ピアノで表彰されたんでしょ。私一度でいいから、綾瀬ちゃんと一緒に演奏してみたかったの!」
驚いた。まさか、自分がピアノの連弾相手に誘われるなんて。いや、違う。史恵みたいな色んな意味で特別な人が、私のような平凡な人間に関わりを持とうとしていることに、驚いた。私みたいな平凡な人間を必要として、私と一緒に何かをしたいって思ってくれる人が、いるんだって。
「なんで顔赤くなってるの!?」
無邪気に笑いながら話しかける彼女を見ていたら、私の答えは一つにしか考えられなかった。
「ううん。……連弾、やってみたい」
そう返事をした時の彼女の表情はとても嬉しそうで、誰かにこんな表情をされたのも久しぶりだった私は目頭が熱くなるのを感じた。
「ねぇ、その公園で少しだけ話していかない」
「うん、少しだけなら」
夕陽が眩しく射す公園のベンチに、私は史恵と二人で仲良く座った。もしこんなところを誰かに見られたら私も史恵と同じ様に虐められるのだろうか。私は一瞬でもそう思った自分を心から恥じた。
ベンチに座ると、史恵はすぐ自分の鞄からスマホを取り出し、そコンクールの連弾部門についてスマホで調べた。
私は小学校の時に何度か表彰をされ、今でもピアノは続けている。去年は惜しくも逃してしまったが、今年もコンクールに出場するつもりでいた。でもそれが、榊原さんと一緒に舞台に立つことになるなんて、想像もしていなかった。私も彼女とピアノを弾いてみたい。音楽室で聴いた彼女の繊細な音は、私の暗く閉じた心を晴らしてくれた。私は彼女となら、自分を変えられるのかもしれない。この閉塞感に満たされた日常を変えられるのかもしれない。
私はそんな希望を感じて、コンクールの日程や注意点について調べていた。すると、榊原さんのスマホの上部に何件かLINEの通知が来ていた。私は嫌な予感がした。
「それ、読んでもいいよ」
予想はついている。榊原さんをいじめている相手からだ。もう榊原さんは彼氏とは別れたというのに、いつまでこんな事をしてくるのか。私だったら限界だ。何度人生を終わらせたくなるだろう。この人達に榊原さんの気持ちは一生分からないだろう。トーク画面を開くと、やはりその人達からのメッセージが来ていた。神崎萌香という名前である彼女は、いつも榊原さんにLINEを送っていた。勿論、友好的なものではない、罵声や皮肉が込められた文章。また、その取り巻き達も一緒になって虐めをしている。学校では先生に隠れて行っているため、SNS上で堂々といじめをしないと気が済まないのだと思う。
しかし私は、不謹慎にもこのLINEを見て久しぶりに世界が輝いて見えた。今日だけでもいいし、夢でもいいとさえ思える。私にとっての特別な日だった。何故なら、あの榊原史恵が、私に自分の受けている虐めの正体をさらけ出してくれたのだ。私は彼女にとって特別な存在になれたのだ。彼女との関係を誰にも邪魔されたくない。
榊原さんはLINEの通知を切り、大きな溜め息をついた。そして私は、そんな榊原さんを、史恵を、力強く抱きしめた。
___史恵と初めて出会った日のことは忘れもしない。史恵は私がいなかったらきっと、自分の人生を終わらせてしまっていたのかもしれない。そんな史恵を今は逆に私が頼り、そして彼女と一緒に暮らしている。
それはそれで、私にとってすごく素敵な日々だ。
けど、今の史恵はピアノを全く弾かなくなってしまった。ピアノの音は喘ぐ声に、ペダルの軋む音はベッドの軋む音へ変わってしまった。
私は立ち上がると、その思考をリセットするために、史恵と真紀さんが居なくなったこの家で独りフルートの練習に取り組んだ。しかし途中で泣いてしまい、すぐに吹くのをやめてしまった。
それは、同じ部員である榊原史恵への虐めだ。
___「史恵ちゃん。音、ちっさいんだけど」
「何でこんなのも吹けないの?」
「ごっめ~ん!もう来ないと思って、楽譜破いちゃった」___
誰が言ったかも覚えていない。それくらい、史恵のことを嫌いな人は沢山いた。どうして史恵が嫌われているか、それは私でも知っている。
___中学一年生の夏、史恵は同じクラスの男子と付き合っていた。しかし、それを良く思わなかった一部の女子達が、ありもしない噂を広めたのだ。
「史恵ちゃんって、彼氏がいるのに他の男子と一緒に出掛けたりしてるんだよ。私、見たもん」
「まじ?!そういえば、友達の好きな人横取りしたらしいね」
後日、この噂を聞いたのだろう彼は、史恵に別れを告げたらしい。私がこの噂を知ったのはそれから数週間後だった。
それから史恵は段々といじめを受けるようになっていた。性格が悪い、男好き、ビッチ。史恵が何度も言われた悪口だ。やがてその噂は全体に広まり、史恵の居場所はなくなっていた。友達もいつの間にか離れていった。史恵の味方をするといじめのターゲットにされるからだろう。それはクラスの出来事では留まらず、部活の仲間にも避けられていた。___
私は一人残った音楽室で一時間程練習をしていた。時計を見ると、五時半の方向に針が向いていた。最終下校の時間だ。楽器を片付け、荷物をまとめると私は音楽室の扉を開けて廊下に出た。すると、どこからかピアノの旋律が聴こえてきた。私はその音色が聴こえてくる第2音楽室の扉の前に立つと、ゆっくり扉を開いて中に入った。吹奏楽部の顧問である京子先生が弾いていると思ったが、そうではなかった。京子先生よりも小柄で、制服を着ていた。部活のメンバーに関心がない私でも、一目見て誰だか分かった。
それは、あの榊原史恵だった。
彼女は学年トップの成績を誇り、誰にでも優しくする。しかし、今や学校中から虐めを受けている女の子。
途端、音楽室に響きわたるピアノの音色とペダルの軋む音が途絶えた。榊原史恵は私を見て驚いた表情をする。
「なんだ、綾瀬さんかぁ。どうしたの?忘れ物?」
この時初めて私は彼女とまともに話をした。表情がころころ変わる、無邪気で可愛い人。それが第一印象だ。
「えっ……と、残って練習を」
「ええっ!?えらいね。もう皆、帰っちゃってるのに」
「いやいや、榊原さんもピアノの練習してたから」
「私の部活での担当楽器、何か覚えてる?」
「クラリネットだよね」
「そうそう。じゃあ、部活の練習をサボって別室でピアノの練習してた悪い人は誰でしょう!」
私が反応に困っていると、榊原さんは可笑しそうに笑った。
「そういえば綾瀬さんもピアノ弾けるよね。ちょっと弾いてみてよ」
彼女がそう言った瞬間、
「最終下校の時間よ?」
と、京子先生が音楽室を覗き込んできた。
「あら、二人が一緒にいるの、初めて見たかも」
「はい。お互いたまたま残ってて。練習してたんです」
「そうなのね。あっ、そうだ榊原さん。ちょっと話したいことがあるの。ここで待っていて」
京子先生はそう言うと、小走りで音楽準備室へ向かった。私は二人が会話しているうちに帰ろうかと迷ったが、そんな暇もなく京子先生はすぐに戻ってきた。
「はい、これ。今年のピアノのコンクールの話はもう聞いてる?もしかしたらもうピアノの先生に聞いているかもしれないけど、良かったら出場してみない?」
榊原さんは何枚か紙を渡されると、
「ありがとうございます」
とだけ答えた。
榊原さんは一枚一枚ざっと目を通すと、私に声をかけた。
「ねえ、綾瀬さん。ピアノ弾けるよね?」
私はどう答えていいか分からなかった。
「少しなら弾けるけど……」
「2人とも、急いで帰りなさい。私が引き止めてしまったんだけど、もう暗くなってしまうでしょう」
榊原さんは慌ててピアノを元の状態に戻して、荷物をまとめた。
「さようなら」
「はい。さようなら」
京子先生に挨拶をすると私達は校門を目指して進む。
「あのね、綾瀬ちゃん。さっき京子先生に言われたコンクールのことなんだけど、渡された紙にこんなのがあったの」
榊原さんは一枚の紙を私に渡した。榊原さんが指をさした部分を見ると、コンクールの連弾部門について詳細が書かれていた。
「連弾?」
「うん。私、一人で弾くことはあっても連弾ってしたことないんだよね」
「そうなんだ。榊原さん、ピアノ上手だから連弾もできるんじゃないかな?」
「綾瀬ちゃん可愛いなぁ。そんなこと言ってくれるとかもう、嬉しいよ」
私が苦笑いをしたところで校門を出た。榊原さんは何かに気付いたように声をあげる。門の前で立ち止まって、彼女は私にこう問いかけた。
「えっと、でもごめんそうじゃなくて!綾瀬ちゃん、一緒に出場してみない?」
「え、なんで!?」
私は思わず大きな声で叫んでしまった。でもそんなのお構い無しに、榊原さんは話を進めた。
「だって綾瀬ちゃん、小学校の時ピアノで表彰されたんでしょ。私一度でいいから、綾瀬ちゃんと一緒に演奏してみたかったの!」
驚いた。まさか、自分がピアノの連弾相手に誘われるなんて。いや、違う。史恵みたいな色んな意味で特別な人が、私のような平凡な人間に関わりを持とうとしていることに、驚いた。私みたいな平凡な人間を必要として、私と一緒に何かをしたいって思ってくれる人が、いるんだって。
「なんで顔赤くなってるの!?」
無邪気に笑いながら話しかける彼女を見ていたら、私の答えは一つにしか考えられなかった。
「ううん。……連弾、やってみたい」
そう返事をした時の彼女の表情はとても嬉しそうで、誰かにこんな表情をされたのも久しぶりだった私は目頭が熱くなるのを感じた。
「ねぇ、その公園で少しだけ話していかない」
「うん、少しだけなら」
夕陽が眩しく射す公園のベンチに、私は史恵と二人で仲良く座った。もしこんなところを誰かに見られたら私も史恵と同じ様に虐められるのだろうか。私は一瞬でもそう思った自分を心から恥じた。
ベンチに座ると、史恵はすぐ自分の鞄からスマホを取り出し、そコンクールの連弾部門についてスマホで調べた。
私は小学校の時に何度か表彰をされ、今でもピアノは続けている。去年は惜しくも逃してしまったが、今年もコンクールに出場するつもりでいた。でもそれが、榊原さんと一緒に舞台に立つことになるなんて、想像もしていなかった。私も彼女とピアノを弾いてみたい。音楽室で聴いた彼女の繊細な音は、私の暗く閉じた心を晴らしてくれた。私は彼女となら、自分を変えられるのかもしれない。この閉塞感に満たされた日常を変えられるのかもしれない。
私はそんな希望を感じて、コンクールの日程や注意点について調べていた。すると、榊原さんのスマホの上部に何件かLINEの通知が来ていた。私は嫌な予感がした。
「それ、読んでもいいよ」
予想はついている。榊原さんをいじめている相手からだ。もう榊原さんは彼氏とは別れたというのに、いつまでこんな事をしてくるのか。私だったら限界だ。何度人生を終わらせたくなるだろう。この人達に榊原さんの気持ちは一生分からないだろう。トーク画面を開くと、やはりその人達からのメッセージが来ていた。神崎萌香という名前である彼女は、いつも榊原さんにLINEを送っていた。勿論、友好的なものではない、罵声や皮肉が込められた文章。また、その取り巻き達も一緒になって虐めをしている。学校では先生に隠れて行っているため、SNS上で堂々といじめをしないと気が済まないのだと思う。
しかし私は、不謹慎にもこのLINEを見て久しぶりに世界が輝いて見えた。今日だけでもいいし、夢でもいいとさえ思える。私にとっての特別な日だった。何故なら、あの榊原史恵が、私に自分の受けている虐めの正体をさらけ出してくれたのだ。私は彼女にとって特別な存在になれたのだ。彼女との関係を誰にも邪魔されたくない。
榊原さんはLINEの通知を切り、大きな溜め息をついた。そして私は、そんな榊原さんを、史恵を、力強く抱きしめた。
___史恵と初めて出会った日のことは忘れもしない。史恵は私がいなかったらきっと、自分の人生を終わらせてしまっていたのかもしれない。そんな史恵を今は逆に私が頼り、そして彼女と一緒に暮らしている。
それはそれで、私にとってすごく素敵な日々だ。
けど、今の史恵はピアノを全く弾かなくなってしまった。ピアノの音は喘ぐ声に、ペダルの軋む音はベッドの軋む音へ変わってしまった。
私は立ち上がると、その思考をリセットするために、史恵と真紀さんが居なくなったこの家で独りフルートの練習に取り組んだ。しかし途中で泣いてしまい、すぐに吹くのをやめてしまった。
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