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毎日の訓練のお陰で、久志は魔力を安定させ魔術を使えるようになった。そして私の予想通り久志は闇の精霊と相性が良かった。
その事をルーに話すと、「あいつ、実は魔族なんじゃねぇの?」と笑った。ルーは休みが7日おきになったけど、やはり1日しか休日は取れない為前日の仕事帰りに私を迎えに来て、翌日の夜に送って行く生活になった。なので、この間の休みの日はほぼ1日中寝台の中で過ごすと言う事態になり、私は人としてどうなの!?と頭を抱えてしまった。気持ち良さに負けて自らもルーを激しく求めてしまった己にも恥ずかしくて穴に入りたくなった。
…次のルーの休みの日は商店街に連れて行ってもらったりして、少しはお互い自重しなきゃ!と内心決心をした。
さて、幸い久志も番の症状は落ち着き、連夜抱かれる事は無くキスを交わし抱き締め合って一緒に寝る日の方が増える様になった。なので、以前の生活スタイルに戻り、起床後直ぐの軽い柔軟からのランニングを再開した。とは言え、久志の家から走りに出る訳には行かないので少々面倒だけど、私は実家のダイニングに転移して彰になってからランニングに出る。今まで1人でランニングをしていたけど、再開後は久志がわざわざうちまで来て一緒に走る様になった。何故一緒に走るのか聞けば、久志は「体力作り」としか言わなかった。何となく他にも理由がある気がするけど、久志の事なのでその内説明してくれるだろうから深く聞くのは止めておく事にした。
まだランニングを再開して数日だけど、やはり身体を動かす事は気持ちが良く、気持ちが充実していた。しかしカレンダーを見れば、もう新学期まで3週間を切ってしまっていた。目を背けられない現実に嫌な汗が背中を伝って行った。ランニング後、朝食前に宿題を進める事にして久志の助けも借りてなんとか主要課題は後1教科のみまで片付いた。だけど、美術の課題と苦手な小論文が手付かずだった。
部活は丁度1週間だけ夏休み。1日中課題に集中出来るので本当に助かった。今日は朝食後から美術の課題を始め様と思っていたら、貴美恵さんから久志と共に木根家御用達(!?)の宝石店へ行って欲しいと用事を言付かった。
御用達のお店がある事にも驚いたけど、宝石店に一体どんな用事!?と思っていたら、貴美恵さんからは「行けば判るから♪」と言われて、貴美恵さんが用意してくれた淡い桃色のワンピースに着替えた。髪は都子さんが緩くサイドに纏め上げてくれた。姿見に映るその姿は、上品な何処かのお嬢様の様だった。
玄関に行くと、そこに黒に近い紺色のスーツ姿の久志が立っていた。
『格好良い…!!』
髪も少し後ろに撫で付け、藤色のネクタイを締めた姿は落ち着いた雰囲気の久志に大変似合っていて見惚れてしまった。
「どうした?」
私が見惚れてしまっている事に気付いているのに、久志はわざととぼけ、甘い笑顔を私に見せた。
「格好良すぎ…」
「惚れ直した?」
「…うん」
「か~わいい❤」
私の照れた顔に大満足の久志だった。
玄関先に既に回されていた木根家お抱えの運転手付きの車に久志と乗り込んだ。お店まで車で直接向かうのだそうだ。
「電車で行くんじゃないんだ」
そう私が久志に聞くと、久志は軽く頷き
「俺にフィアンセがいるってわざと知らせる為の演出」
古い血筋の家系でもある木根家は、上流階級のみならず様々な業界との繋がりも広い。テレビ局のスポンサーをしていたり、親族が経営する子会社には芸能プロダクションがあったりする。その為、本家の木根家の次期当主の久志にフィアンセがいる事が判れば、かなり世間が騒ぐらしいが、その騒動が今回こちら側にとって都合が良い事なのだそうだ。
「…じゃあ、宝石店に行くって言うのは?」
「あぁ、佳夜の婚約指輪を受け取りに行くんだ」
「!?」
注文しに行くんじゃなくて、受け取りに行くの!?
予想と違う答えに驚いたが、いつの間に用意していたの!?と思わず突っ込んだ。
「この間煌夜が作り上げた設定を使う事にしたんだ」
「???」
突然話が変わり、私は頭に?マークが浮かびまくった。
「佳夜は煌夜の知り合い達に従妹って紹介されただろう?」
「あぁ、うん」
従妹でちょっと日本に旅行しに来てますって言ってたっけ。
「それは表向きの理由で、実際は婚約した俺と暮らす為に来日したって事を世間に流した」
「はぁ!?」
世間に流した~!?
「いつの間に!?しかも、何故そんな設定!?」
「流したのついこの前。理由は、1つはさっきも言った通り騒ぎを起こして周りを撹乱してこちらが主導権を握る為。もう1つは…」
「…もう1つは?」
「……佳夜がそのままでいられる為に」
「!?」
隣に座る久志は膝の上に置かれた私の手を握り、私を見つめた。
「彰を消したい訳じゃない。だけど、佳夜にも普通に生活して欲しいと思ったんだ」
私を世間に公表すれば、この先佳夜のままで外出する事に問題が無くなるからそうした。と言われ、私は目頭が熱くなった。
「ありがとう……」
「いや、俺こそ何も言わずに勝手に決めて悪かった。…それで、これに目を通しておいてくれないか?」
そう言って久志は書類の束を私に手渡してきたので見てみると、それは佳夜の生い立ちだった。しかも生まれや家族構成等かなり細かい。
…え~と、何々?
私は日系ドイツ人で、祖父同士が幼馴染みだったが祖父の父親が大学教授でイギリスの大学から招待を受けて家族で渡英。引っ越し後も祖父とはずっと手紙のやり取りを続けていたが、大戦の混乱時に音信不通になり久志の祖父は戦後もずっと行方を探していた。しかし久志の祖父が急逝し再会は叶わなかった。久志の祖父亡き後は息子の雅鷹さんが祖父の願いを引き継いで行方を探し、ドイツで私の父親を見つけ私の祖父とも再会を果たす。
私の祖父は渡英後家族で順風満帆な生活をしていたが、戦争の影響でフランスに渡りそこで祖父は起業。生活に不安は無かったが、戦争の混乱で手紙が日本へ届かなくなり音信不通となってしまった。私の祖父もフランスで日本の戦況を聞き、久志の祖父が心配で堪らなかったが、日本へ戻る事も叶わずフランスで生活をし続けた。そんな中でドイツ人でオーストリア系貴族の女性と結婚し、父親が誕生後は妻の故郷のドイツに移住。実家のワイナリーを継いだ祖父は、新たに起業し持ち前の才覚でドイツ内でかなり有名なワイナリーとなったのだった。そのお陰で雅鷹さんも私の祖父に行き着く事が出来たのだそうだ。父とはお互い年齢が近かった事もあり意気投合。
そして家族ぐるみで付き合う中で久志は私の事を好きになり、静かに想いを通わせ今年の夏に晴れて婚約。結婚は久志の高校卒業を待って行う予定となっている。と、ここまでA4サイズの紙に10枚にも渡り綴られていた。
「……良くここまで細かい設定を作れたわね」
私は感心と呆れが入り交じった声を発した。
「いや、これ作り物じゃないから」
「へ?」
「じい様にヨーロッパへ渡った幼馴染みがいたのは事実だし、その息子がドイツでワイナリーを経営しているのも本当なんだ」
「じゃあ、娘さんもいるの?」
「いや、あっちにいるのは息子だけだ。だが、そこは話がついていて佳夜と言う名の娘がいる事になっている」
きちんと実子としての戸籍もあり、学歴に関しては向こうは通信教育が普通なのでそこも問題無いらしい。
流石、長きに渡り情報収集と操作を生業にしてきただけはある。どんな風に重箱の隅をつつかれ様と一切ボロを出さない徹底ぶりだ。
「まあ、そんな訳で佳夜のフルネームはゼラフィーネ・佳夜・イェンゼンだ」
「…でも、私英語以外話せないんですけど?」
「大丈夫だ。リリーさんからチートな魔術を教わっておいた♪」
そう言って、ニヤリと久志は笑った。…なんとも悪役面が似合うもんです。
久志は左手の掌に魔術式を展開させた。
それは私の知らない詠唱呪文だった。
「これは、変換の魔術の応用で得たい言語を習得出来る様になるそうだ」
話すのは勿論、読み書きも可能になるらしい。
本当にチートな魔術だ。
「受験とか色々楽出来ちゃうね」
私が苦笑しながらそう言うと、久志もそうなんだよな。と言って苦笑した。
「今から佳夜はドイツ語とフランス語が話せる様になる。変わりに外出先で俺以外と話す場合は日本語は少し不自由になるが、彰に変わったらこの魔術は解けて普通に日本人になるから気を付けてくれ」
そう言うと久志は私の胸の前に左手の掌をかざし、右手は顎を捕らえ唇に口付けをした。
「んっ」
少し胸に熱を感じたが、それ以上に久志の唇の熱さに私は意識を持って行かれた。
久志はそのまま舌を口の中に割り入れ、歯列を舐め私の舌を絡め取った。
「ん!…あっ」
久志の左手が私の胸を揉みしだきだした。口付けをされたままなので、声は久志に吸い込まれて行くけど、狭い車内だし目の前には運転手もいる状況に私は身体が熱くなって困ってしまった。それに魔術を掛ける事にキスをする必要は無いと思うのだけど、久志との口付けが気持ち良くて、どうしても拒めず私は段々と夢中になって来てしまった。
「…久志様、間もなく到着致します」
「!?」
「…解った、ありがとう。僕等は店の後親父の会社へ行ってそのまま一緒に昼食を取るから、大石さんは僕等を降ろした後は先に親父の会社へ戻って下さい」
「畏まりました」
運転手からの声に私は驚き、身体がビクッと震えた。そんな私に久志は優しく微笑みながら唇を離し、愛し気に私を見つめ頬を撫でながら運転手に応えた。
「行ってらっしゃいませ」
着いた先は高級ブランド店が建ち並ぶ有名な通りだった。その一角に車を停め、運転手がドアを開けてくれた。
先に降りた久志が、私に手を差しのべて車から降りるのを助けてくれるとそのまま私の腕を取り、店に入った。
歩道を行き来する通行人からかなり目立つ私達だった。
「いらっしゃいませ!…お待ちしておりました、久志様。さあ、どうぞこちらへ!」
入店と同時に白髪混じりの年配の男性が、久志の側に来て深く一礼をし、私達を店の奥へ案内してくれた。
恐らく、このお店のオーナーなのだろう。店内には沢山のお客さんがいる中でのその対応に、またかなり目立ってしまった。内心少々恥ずかしかったが、車内で読んだ書類のお陰で、私は今オーストリア系貴族の娘で尚且つ有名ワイナリーの令嬢、と思い込む事が出来た。よって、オーナーににっこりと微笑み、優雅に膝を曲げて会釈をした。
「こんにちは♪」
「さあ、どうぞ」
明らかに特別な客しか通されない豪華な部屋に案内され、椅子を勧められ2人並んで腰を掛けると、オーナーは微笑み私に挨拶をしてくれた。
「お初にお目にかかります。お嬢様、私は当店のオーナーを勤めます、田邑崎康晴と申します。本日はご来店下さり誠に有難うございます。…久志様お待たせ致しました。さあ、どうぞこちらをご覧下さい」
魔術の影響で日本語の難しい部分が理解出来なかったが、久志が耳に口を寄せてドイツ語で訳してくれた。
オーナーはテーブルの横の洒落た棚の鍵を開け、長方形の小箱を1つ正方形の小箱を3つ取り出しテーブルに並べた。
久志が長方形の箱と正方形の小箱を2つ開けると、中には私の誕生石で桃色の宝石珊瑚のイヤリング、ネックレス、そして指輪が入っていた。全て桜のモチーフで統一されていて大変美しかった。
「Schön!」
魔術のお陰で、思わず呟いた言葉はドイツ語だった。…本当に便利な魔術だ。
「気に入った?佳夜?」
「エェ!ワタシのだいすきな花だわ!ウレシイ!ありがとう、ヒサシ❤」
やはり喋る日本語も片言だ。
しかし、何か魔術でも掛かっているのかはたまた先程の書類の細かい設定の影響か、感激した私は久志に抱き付き自ら久志の唇にキスをしたのだった。
普段の私だったら人前で絶対にやらない行動だ。
「…可愛い僕のフィアンセにこんなに喜んで貰えるなんて、やはりこちらのお店にお願いして正解だったな」
久志は私からの口付けに少し驚くも、照れながら私を抱き締め返して頬に軽くキスをした。
「そう仰って頂けまして私共も大変光栄でございます」
私達のやり取りに少し頬を赤らめながらもオーナーは嬉しそうに微笑んだ。
「さあ、着けてあげる」
久志は優しく左右の耳にイヤリングを着け、次にネックレス、そして左の薬指に指輪をはめてくれたのだった。
「とても、似合うよ。…Meine liebe Person❤」
そう言って、久志は私に口付けた。
「Ich werde es für den Rest meines Lebens schätzen❤」
久志からドイツ語で「僕の愛しい人」と言われ、私は嬉しくて頬を染めつつ久志の耳に口を寄せて「一生大切にするわ」とドイツ語で囁き返した。
見つめ合う私達にオーナーはにこにこと笑顔を見せながら、もう1つの小箱を私に開ける様勧めた。
開けてみると、中には同じ桃色の宝石珊瑚で同じ桜のモチーフのタイピンとカフスボタンが入っていた。
「マァ!」
「僕にも着けてくれる?」
「エェ!ヨロコンで♪」
私は左右の袖口にカフスボタンを着け、次にタイピンを着けてあげた。
桃色が藤色のネクタイにとても映えて、一際久志が格好良かった。
「トテモ、カッコいいわ。すごく、にあッテる❤」
「ありがとう❤」
また2人で見つめ合い微笑み合った。
「お二方共本当に大変お似合いでございます」
始終嬉し気に微笑んでいたオーナーは、小箱と鑑定書等を紙袋に納め久志に手渡した。受け取った久志は立ち上がり、私の手を取って立ち上がらせてくれた。
また2人で腕を組み表の店内に戻ると、その場にいた従業員全員が私達に頭を下げ見送った。オーナーに至っては表の通りにまで出て「有難うございました」と頭を下げたのだった。
「…かなり目立ってしまったね」
狙い通りだったけど、と久志は苦笑した。
「ちょっとだけ恥ずかしかった」
私はまだ顔が熱く、苦笑した。久志にだけ聞こえる様に話しかける場合は普通に日本語が話せる様だ。話しやすくて助かった。
「だけど、本当に似合ってるよ」
「ありがとう、凄く嬉しい。…久志もね、凄く格好良い」
「ありがとう、嬉しいよ。……仕事が絡んでしまったけど、このセットはサラが俺の番だって判った時に注文していた物なんだ。だから、本当はこんな渡し方じゃなくてちゃんと色々考えていたんだよ」
「そうだったの?」
「うん」
だから、本当にサラと婚約出来る時には別の指輪を用意する。そしてきちんとプロポーズするから楽しみに待っていてね♪と耳に囁かれ、私は更に顔が熱くなってしまった。
2人で通りの店を眺めながら腕を組んだまま歩く事15分、雅鷹さんの会社に到着した。
「…まぁ!久志様!ご無沙汰しております!いらっしゃいませ❤」
1つのビル全てが雅鷹さんの会社で、1階入口に受付の女性が座っていた。そして、ビルに入ってきた久志に気付くと随分嬉し気に微笑みながら近付いてきて、わざわざ腕に触れてきたのだった。隣に私がいるにも関わらず、私の事は気付いていないふりをして久志に話しかけ続けた。
「本日はどの様なご用事でいらっしゃいますか?」
その女性のあからさまな態度に呆れつつも、私は久志と手を繋いだままそっと後ろに控えた。
「あぁ、親父を呼び出してくれますか?昼食を共にする約束をしているんです」
「そうでしたか♪…では、こちらにお掛けになって少々お待ち下さいませ❤」
女性は久志にだけ席を勧めて受付カウンターに戻って行った。
「おいで、サラ」
「…え!?」
女性の態度にある意味感心してしまい、まぁ、いっか。とぼんやりと表通りを歩く人々を見ていたら、少し強めに久志に手を引かれ膝の上に座らされた。
「!? …ひ、久志?」
「嫌な思いをさせた。…ごめんな」
「えっと、正直驚いたけど、逆に感心しちゃってた」
「なんだそれ」
私のなんとも言えない感想に、久志はプッと吹き出した。
だけど、クスクスと笑いながらも受付に見せ付ける様に久志は私を抱き締め、頬に口付け甘い笑顔で私を見つめ続けた。
私から受付の方は見えないけど、何か睨まれている気はする……。
「…久志様?あの、そちらの方はどなたでいらっしゃいますか?」
先程の女性が久志に近付いてきた。
「親父はいましたか?」
「あ、はい。直ぐに降りていらっしゃるそうです」
「そう。どうもありがとう。では貴女も仕事に戻って下さい。勤務中ですよね?」
「え…、でも、ですが」
「……何か?」
「いえ、何でも無いです…」
ガシッと腰に腕を強く回されてしまい、久志の膝の上から降ろしてもらえない私は、とりあえずじっと大人しくしていた。女性は仕事に戻って下さい。と言われたのにまだ久志の側にいて何かを言いたげな様子で立っていた。
「やあ、お待たせ♪……ん?どうしたんだい?」
エレベーターから降りて来た雅鷹さんは変な空気が漂うロビーに首を傾げた。
「あ、社長。あの、こちらの少女は?」
「あぁ、久志の婚約者のゼラフィーネ嬢だよ♪」
「!? こっ、婚約者!?…久志様、ご婚約されていたんですか?……知りませんでした」
「うん♪まだ身内にしか言ってないからね。だって…」
君には関係の無い話でしょう?と雅鷹さんは私が今まで見た事も無い程冷たい目をして低い声を出した。
「さあ、行こうか?」
雅鷹さんは私の両脇に手を入れて軽々と持ち上げると、私を久志の膝から降ろして立たせてくれた。そして私の右手を優しく自分の腕に絡めた。
すかさず久志も立ち上がり、私の左側に回ると私の左手を自分の腕に絡めたのだった。
「!? え!あのっ、ちょっと、これは恥ずかしいのですが!?」
私が小声で2人に訴えるも、2人して「良いの♪良いの♪」と手を離してくれず、両手に花ならぬイケメンにエスコートされて会社を出たので、私達はかなり目立ってしまっていた。
そして、通行人からかなりの視線を集めたまま会社から数分程歩いた先にある洋食店に入ったのだった。
「いらっしゃいませ~!」
雅鷹さんは常連の様で、従業員に軽く会釈だけをして奥の個室へと入っていった。
「お腹空いたね♪さぁ、遠慮しないで好きな物を頼みなさい❤」
いつもの優しい笑顔に戻った雅鷹さんからメニューを見せてもらい、どれがお勧めか教えてもらった。
どれも美味しそうで迷ったが、私は雅鷹さんイチオシのデミグラスソースがかかったオムライスにした。久志はハンバーグセットを頼み、雅鷹さんはボロネーゼスパゲティーを注文した。
店員が個室から下がると、やおら久志は雅鷹さんを睨み付けた。
「親父、何であの女がいるんだ?」
「あぁ…。なんか気付いたら働いていたんだよね~。私が出張へ行っている間の隙を突かれた感じだね。勝手に入れた人はもう処罰済みだし、あそこから先は行かせてないから心配しないでね♪」
処罰、と言いながら笑顔を見せた雅鷹さんがまた先程の冷たい笑顔に一瞬だけなったので、私の心臓はキュッと締められた気がした。
「当然だろ。ってか、相変わらず過ぎてマジ呆れた」
「そうだね~。佳夜ちゃんには嫌な思いをさせて本当に悪かったね」
「いえ、あの、…私はどちらかと言うと雅鷹さんが怖かっただけで、その大丈夫です」
「あぁ、確かに俺も久々に黒い親父を見たわ」
クククッと久志はあれは面白かった、と笑った。
「あ~。…ごめんねぇ、佳夜ちゃん」
愛しい娘の佳夜ちゃんにはこんな私を知られなくなかったなぁ…。と、呟き、とても申し訳なさそうにこちらを見る雅鷹さんは、本当に先程とはまるで別人だった。先程の女性は木根家の分家筋の1人なのだが、昔から彼女の親が彼女と久志を結婚させようと様々な策を高じて来て迷惑だったのだよ。と説明してくれた。
「しかも、やり方が汚くてね~。何度苦言を呈しても続けるし、その内彼女もその気になっちゃって久志に付きまとい出したから疎遠していたんだけどね~」
「そうだったのですか…」
「本当は本家だ分家だなんて言うのも区分けるのも私は嫌いなんだけどね、彼女の家は本当に血の繋がりがあるのか怪しい程の遠縁なんだよ。だからなのか知らないけど、私や久志にすり寄ってきて少しでも近付こうとしているのが見え見えで、尚の事私には嫌悪感しか湧かないんだ」
まあ、でも久志に佳夜ちゃんって婚約者が現れたから今後どう出るか見物だね♪と雅鷹さんは楽しそうに笑った。
「案外、メディアに情報売って騒動を巻き起こすのを速めてくれるかも知れないな♪」
久志もかなり面白がっている感じだった。
だけど、私は会社を出る時に背中に感じた彼女が発する物に少し心配と不安を覚えていたのだった。
『あれは確実に私を標的にした気配だった』
何かしてくる感じを受けたけど上手く2人に説明する言葉が思い付かなかったのと、タイミング良く料理が運ばれてきたので、話はそこで止めて食事を楽しむ事にしたのだった。
その事をルーに話すと、「あいつ、実は魔族なんじゃねぇの?」と笑った。ルーは休みが7日おきになったけど、やはり1日しか休日は取れない為前日の仕事帰りに私を迎えに来て、翌日の夜に送って行く生活になった。なので、この間の休みの日はほぼ1日中寝台の中で過ごすと言う事態になり、私は人としてどうなの!?と頭を抱えてしまった。気持ち良さに負けて自らもルーを激しく求めてしまった己にも恥ずかしくて穴に入りたくなった。
…次のルーの休みの日は商店街に連れて行ってもらったりして、少しはお互い自重しなきゃ!と内心決心をした。
さて、幸い久志も番の症状は落ち着き、連夜抱かれる事は無くキスを交わし抱き締め合って一緒に寝る日の方が増える様になった。なので、以前の生活スタイルに戻り、起床後直ぐの軽い柔軟からのランニングを再開した。とは言え、久志の家から走りに出る訳には行かないので少々面倒だけど、私は実家のダイニングに転移して彰になってからランニングに出る。今まで1人でランニングをしていたけど、再開後は久志がわざわざうちまで来て一緒に走る様になった。何故一緒に走るのか聞けば、久志は「体力作り」としか言わなかった。何となく他にも理由がある気がするけど、久志の事なのでその内説明してくれるだろうから深く聞くのは止めておく事にした。
まだランニングを再開して数日だけど、やはり身体を動かす事は気持ちが良く、気持ちが充実していた。しかしカレンダーを見れば、もう新学期まで3週間を切ってしまっていた。目を背けられない現実に嫌な汗が背中を伝って行った。ランニング後、朝食前に宿題を進める事にして久志の助けも借りてなんとか主要課題は後1教科のみまで片付いた。だけど、美術の課題と苦手な小論文が手付かずだった。
部活は丁度1週間だけ夏休み。1日中課題に集中出来るので本当に助かった。今日は朝食後から美術の課題を始め様と思っていたら、貴美恵さんから久志と共に木根家御用達(!?)の宝石店へ行って欲しいと用事を言付かった。
御用達のお店がある事にも驚いたけど、宝石店に一体どんな用事!?と思っていたら、貴美恵さんからは「行けば判るから♪」と言われて、貴美恵さんが用意してくれた淡い桃色のワンピースに着替えた。髪は都子さんが緩くサイドに纏め上げてくれた。姿見に映るその姿は、上品な何処かのお嬢様の様だった。
玄関に行くと、そこに黒に近い紺色のスーツ姿の久志が立っていた。
『格好良い…!!』
髪も少し後ろに撫で付け、藤色のネクタイを締めた姿は落ち着いた雰囲気の久志に大変似合っていて見惚れてしまった。
「どうした?」
私が見惚れてしまっている事に気付いているのに、久志はわざととぼけ、甘い笑顔を私に見せた。
「格好良すぎ…」
「惚れ直した?」
「…うん」
「か~わいい❤」
私の照れた顔に大満足の久志だった。
玄関先に既に回されていた木根家お抱えの運転手付きの車に久志と乗り込んだ。お店まで車で直接向かうのだそうだ。
「電車で行くんじゃないんだ」
そう私が久志に聞くと、久志は軽く頷き
「俺にフィアンセがいるってわざと知らせる為の演出」
古い血筋の家系でもある木根家は、上流階級のみならず様々な業界との繋がりも広い。テレビ局のスポンサーをしていたり、親族が経営する子会社には芸能プロダクションがあったりする。その為、本家の木根家の次期当主の久志にフィアンセがいる事が判れば、かなり世間が騒ぐらしいが、その騒動が今回こちら側にとって都合が良い事なのだそうだ。
「…じゃあ、宝石店に行くって言うのは?」
「あぁ、佳夜の婚約指輪を受け取りに行くんだ」
「!?」
注文しに行くんじゃなくて、受け取りに行くの!?
予想と違う答えに驚いたが、いつの間に用意していたの!?と思わず突っ込んだ。
「この間煌夜が作り上げた設定を使う事にしたんだ」
「???」
突然話が変わり、私は頭に?マークが浮かびまくった。
「佳夜は煌夜の知り合い達に従妹って紹介されただろう?」
「あぁ、うん」
従妹でちょっと日本に旅行しに来てますって言ってたっけ。
「それは表向きの理由で、実際は婚約した俺と暮らす為に来日したって事を世間に流した」
「はぁ!?」
世間に流した~!?
「いつの間に!?しかも、何故そんな設定!?」
「流したのついこの前。理由は、1つはさっきも言った通り騒ぎを起こして周りを撹乱してこちらが主導権を握る為。もう1つは…」
「…もう1つは?」
「……佳夜がそのままでいられる為に」
「!?」
隣に座る久志は膝の上に置かれた私の手を握り、私を見つめた。
「彰を消したい訳じゃない。だけど、佳夜にも普通に生活して欲しいと思ったんだ」
私を世間に公表すれば、この先佳夜のままで外出する事に問題が無くなるからそうした。と言われ、私は目頭が熱くなった。
「ありがとう……」
「いや、俺こそ何も言わずに勝手に決めて悪かった。…それで、これに目を通しておいてくれないか?」
そう言って久志は書類の束を私に手渡してきたので見てみると、それは佳夜の生い立ちだった。しかも生まれや家族構成等かなり細かい。
…え~と、何々?
私は日系ドイツ人で、祖父同士が幼馴染みだったが祖父の父親が大学教授でイギリスの大学から招待を受けて家族で渡英。引っ越し後も祖父とはずっと手紙のやり取りを続けていたが、大戦の混乱時に音信不通になり久志の祖父は戦後もずっと行方を探していた。しかし久志の祖父が急逝し再会は叶わなかった。久志の祖父亡き後は息子の雅鷹さんが祖父の願いを引き継いで行方を探し、ドイツで私の父親を見つけ私の祖父とも再会を果たす。
私の祖父は渡英後家族で順風満帆な生活をしていたが、戦争の影響でフランスに渡りそこで祖父は起業。生活に不安は無かったが、戦争の混乱で手紙が日本へ届かなくなり音信不通となってしまった。私の祖父もフランスで日本の戦況を聞き、久志の祖父が心配で堪らなかったが、日本へ戻る事も叶わずフランスで生活をし続けた。そんな中でドイツ人でオーストリア系貴族の女性と結婚し、父親が誕生後は妻の故郷のドイツに移住。実家のワイナリーを継いだ祖父は、新たに起業し持ち前の才覚でドイツ内でかなり有名なワイナリーとなったのだった。そのお陰で雅鷹さんも私の祖父に行き着く事が出来たのだそうだ。父とはお互い年齢が近かった事もあり意気投合。
そして家族ぐるみで付き合う中で久志は私の事を好きになり、静かに想いを通わせ今年の夏に晴れて婚約。結婚は久志の高校卒業を待って行う予定となっている。と、ここまでA4サイズの紙に10枚にも渡り綴られていた。
「……良くここまで細かい設定を作れたわね」
私は感心と呆れが入り交じった声を発した。
「いや、これ作り物じゃないから」
「へ?」
「じい様にヨーロッパへ渡った幼馴染みがいたのは事実だし、その息子がドイツでワイナリーを経営しているのも本当なんだ」
「じゃあ、娘さんもいるの?」
「いや、あっちにいるのは息子だけだ。だが、そこは話がついていて佳夜と言う名の娘がいる事になっている」
きちんと実子としての戸籍もあり、学歴に関しては向こうは通信教育が普通なのでそこも問題無いらしい。
流石、長きに渡り情報収集と操作を生業にしてきただけはある。どんな風に重箱の隅をつつかれ様と一切ボロを出さない徹底ぶりだ。
「まあ、そんな訳で佳夜のフルネームはゼラフィーネ・佳夜・イェンゼンだ」
「…でも、私英語以外話せないんですけど?」
「大丈夫だ。リリーさんからチートな魔術を教わっておいた♪」
そう言って、ニヤリと久志は笑った。…なんとも悪役面が似合うもんです。
久志は左手の掌に魔術式を展開させた。
それは私の知らない詠唱呪文だった。
「これは、変換の魔術の応用で得たい言語を習得出来る様になるそうだ」
話すのは勿論、読み書きも可能になるらしい。
本当にチートな魔術だ。
「受験とか色々楽出来ちゃうね」
私が苦笑しながらそう言うと、久志もそうなんだよな。と言って苦笑した。
「今から佳夜はドイツ語とフランス語が話せる様になる。変わりに外出先で俺以外と話す場合は日本語は少し不自由になるが、彰に変わったらこの魔術は解けて普通に日本人になるから気を付けてくれ」
そう言うと久志は私の胸の前に左手の掌をかざし、右手は顎を捕らえ唇に口付けをした。
「んっ」
少し胸に熱を感じたが、それ以上に久志の唇の熱さに私は意識を持って行かれた。
久志はそのまま舌を口の中に割り入れ、歯列を舐め私の舌を絡め取った。
「ん!…あっ」
久志の左手が私の胸を揉みしだきだした。口付けをされたままなので、声は久志に吸い込まれて行くけど、狭い車内だし目の前には運転手もいる状況に私は身体が熱くなって困ってしまった。それに魔術を掛ける事にキスをする必要は無いと思うのだけど、久志との口付けが気持ち良くて、どうしても拒めず私は段々と夢中になって来てしまった。
「…久志様、間もなく到着致します」
「!?」
「…解った、ありがとう。僕等は店の後親父の会社へ行ってそのまま一緒に昼食を取るから、大石さんは僕等を降ろした後は先に親父の会社へ戻って下さい」
「畏まりました」
運転手からの声に私は驚き、身体がビクッと震えた。そんな私に久志は優しく微笑みながら唇を離し、愛し気に私を見つめ頬を撫でながら運転手に応えた。
「行ってらっしゃいませ」
着いた先は高級ブランド店が建ち並ぶ有名な通りだった。その一角に車を停め、運転手がドアを開けてくれた。
先に降りた久志が、私に手を差しのべて車から降りるのを助けてくれるとそのまま私の腕を取り、店に入った。
歩道を行き来する通行人からかなり目立つ私達だった。
「いらっしゃいませ!…お待ちしておりました、久志様。さあ、どうぞこちらへ!」
入店と同時に白髪混じりの年配の男性が、久志の側に来て深く一礼をし、私達を店の奥へ案内してくれた。
恐らく、このお店のオーナーなのだろう。店内には沢山のお客さんがいる中でのその対応に、またかなり目立ってしまった。内心少々恥ずかしかったが、車内で読んだ書類のお陰で、私は今オーストリア系貴族の娘で尚且つ有名ワイナリーの令嬢、と思い込む事が出来た。よって、オーナーににっこりと微笑み、優雅に膝を曲げて会釈をした。
「こんにちは♪」
「さあ、どうぞ」
明らかに特別な客しか通されない豪華な部屋に案内され、椅子を勧められ2人並んで腰を掛けると、オーナーは微笑み私に挨拶をしてくれた。
「お初にお目にかかります。お嬢様、私は当店のオーナーを勤めます、田邑崎康晴と申します。本日はご来店下さり誠に有難うございます。…久志様お待たせ致しました。さあ、どうぞこちらをご覧下さい」
魔術の影響で日本語の難しい部分が理解出来なかったが、久志が耳に口を寄せてドイツ語で訳してくれた。
オーナーはテーブルの横の洒落た棚の鍵を開け、長方形の小箱を1つ正方形の小箱を3つ取り出しテーブルに並べた。
久志が長方形の箱と正方形の小箱を2つ開けると、中には私の誕生石で桃色の宝石珊瑚のイヤリング、ネックレス、そして指輪が入っていた。全て桜のモチーフで統一されていて大変美しかった。
「Schön!」
魔術のお陰で、思わず呟いた言葉はドイツ語だった。…本当に便利な魔術だ。
「気に入った?佳夜?」
「エェ!ワタシのだいすきな花だわ!ウレシイ!ありがとう、ヒサシ❤」
やはり喋る日本語も片言だ。
しかし、何か魔術でも掛かっているのかはたまた先程の書類の細かい設定の影響か、感激した私は久志に抱き付き自ら久志の唇にキスをしたのだった。
普段の私だったら人前で絶対にやらない行動だ。
「…可愛い僕のフィアンセにこんなに喜んで貰えるなんて、やはりこちらのお店にお願いして正解だったな」
久志は私からの口付けに少し驚くも、照れながら私を抱き締め返して頬に軽くキスをした。
「そう仰って頂けまして私共も大変光栄でございます」
私達のやり取りに少し頬を赤らめながらもオーナーは嬉しそうに微笑んだ。
「さあ、着けてあげる」
久志は優しく左右の耳にイヤリングを着け、次にネックレス、そして左の薬指に指輪をはめてくれたのだった。
「とても、似合うよ。…Meine liebe Person❤」
そう言って、久志は私に口付けた。
「Ich werde es für den Rest meines Lebens schätzen❤」
久志からドイツ語で「僕の愛しい人」と言われ、私は嬉しくて頬を染めつつ久志の耳に口を寄せて「一生大切にするわ」とドイツ語で囁き返した。
見つめ合う私達にオーナーはにこにこと笑顔を見せながら、もう1つの小箱を私に開ける様勧めた。
開けてみると、中には同じ桃色の宝石珊瑚で同じ桜のモチーフのタイピンとカフスボタンが入っていた。
「マァ!」
「僕にも着けてくれる?」
「エェ!ヨロコンで♪」
私は左右の袖口にカフスボタンを着け、次にタイピンを着けてあげた。
桃色が藤色のネクタイにとても映えて、一際久志が格好良かった。
「トテモ、カッコいいわ。すごく、にあッテる❤」
「ありがとう❤」
また2人で見つめ合い微笑み合った。
「お二方共本当に大変お似合いでございます」
始終嬉し気に微笑んでいたオーナーは、小箱と鑑定書等を紙袋に納め久志に手渡した。受け取った久志は立ち上がり、私の手を取って立ち上がらせてくれた。
また2人で腕を組み表の店内に戻ると、その場にいた従業員全員が私達に頭を下げ見送った。オーナーに至っては表の通りにまで出て「有難うございました」と頭を下げたのだった。
「…かなり目立ってしまったね」
狙い通りだったけど、と久志は苦笑した。
「ちょっとだけ恥ずかしかった」
私はまだ顔が熱く、苦笑した。久志にだけ聞こえる様に話しかける場合は普通に日本語が話せる様だ。話しやすくて助かった。
「だけど、本当に似合ってるよ」
「ありがとう、凄く嬉しい。…久志もね、凄く格好良い」
「ありがとう、嬉しいよ。……仕事が絡んでしまったけど、このセットはサラが俺の番だって判った時に注文していた物なんだ。だから、本当はこんな渡し方じゃなくてちゃんと色々考えていたんだよ」
「そうだったの?」
「うん」
だから、本当にサラと婚約出来る時には別の指輪を用意する。そしてきちんとプロポーズするから楽しみに待っていてね♪と耳に囁かれ、私は更に顔が熱くなってしまった。
2人で通りの店を眺めながら腕を組んだまま歩く事15分、雅鷹さんの会社に到着した。
「…まぁ!久志様!ご無沙汰しております!いらっしゃいませ❤」
1つのビル全てが雅鷹さんの会社で、1階入口に受付の女性が座っていた。そして、ビルに入ってきた久志に気付くと随分嬉し気に微笑みながら近付いてきて、わざわざ腕に触れてきたのだった。隣に私がいるにも関わらず、私の事は気付いていないふりをして久志に話しかけ続けた。
「本日はどの様なご用事でいらっしゃいますか?」
その女性のあからさまな態度に呆れつつも、私は久志と手を繋いだままそっと後ろに控えた。
「あぁ、親父を呼び出してくれますか?昼食を共にする約束をしているんです」
「そうでしたか♪…では、こちらにお掛けになって少々お待ち下さいませ❤」
女性は久志にだけ席を勧めて受付カウンターに戻って行った。
「おいで、サラ」
「…え!?」
女性の態度にある意味感心してしまい、まぁ、いっか。とぼんやりと表通りを歩く人々を見ていたら、少し強めに久志に手を引かれ膝の上に座らされた。
「!? …ひ、久志?」
「嫌な思いをさせた。…ごめんな」
「えっと、正直驚いたけど、逆に感心しちゃってた」
「なんだそれ」
私のなんとも言えない感想に、久志はプッと吹き出した。
だけど、クスクスと笑いながらも受付に見せ付ける様に久志は私を抱き締め、頬に口付け甘い笑顔で私を見つめ続けた。
私から受付の方は見えないけど、何か睨まれている気はする……。
「…久志様?あの、そちらの方はどなたでいらっしゃいますか?」
先程の女性が久志に近付いてきた。
「親父はいましたか?」
「あ、はい。直ぐに降りていらっしゃるそうです」
「そう。どうもありがとう。では貴女も仕事に戻って下さい。勤務中ですよね?」
「え…、でも、ですが」
「……何か?」
「いえ、何でも無いです…」
ガシッと腰に腕を強く回されてしまい、久志の膝の上から降ろしてもらえない私は、とりあえずじっと大人しくしていた。女性は仕事に戻って下さい。と言われたのにまだ久志の側にいて何かを言いたげな様子で立っていた。
「やあ、お待たせ♪……ん?どうしたんだい?」
エレベーターから降りて来た雅鷹さんは変な空気が漂うロビーに首を傾げた。
「あ、社長。あの、こちらの少女は?」
「あぁ、久志の婚約者のゼラフィーネ嬢だよ♪」
「!? こっ、婚約者!?…久志様、ご婚約されていたんですか?……知りませんでした」
「うん♪まだ身内にしか言ってないからね。だって…」
君には関係の無い話でしょう?と雅鷹さんは私が今まで見た事も無い程冷たい目をして低い声を出した。
「さあ、行こうか?」
雅鷹さんは私の両脇に手を入れて軽々と持ち上げると、私を久志の膝から降ろして立たせてくれた。そして私の右手を優しく自分の腕に絡めた。
すかさず久志も立ち上がり、私の左側に回ると私の左手を自分の腕に絡めたのだった。
「!? え!あのっ、ちょっと、これは恥ずかしいのですが!?」
私が小声で2人に訴えるも、2人して「良いの♪良いの♪」と手を離してくれず、両手に花ならぬイケメンにエスコートされて会社を出たので、私達はかなり目立ってしまっていた。
そして、通行人からかなりの視線を集めたまま会社から数分程歩いた先にある洋食店に入ったのだった。
「いらっしゃいませ~!」
雅鷹さんは常連の様で、従業員に軽く会釈だけをして奥の個室へと入っていった。
「お腹空いたね♪さぁ、遠慮しないで好きな物を頼みなさい❤」
いつもの優しい笑顔に戻った雅鷹さんからメニューを見せてもらい、どれがお勧めか教えてもらった。
どれも美味しそうで迷ったが、私は雅鷹さんイチオシのデミグラスソースがかかったオムライスにした。久志はハンバーグセットを頼み、雅鷹さんはボロネーゼスパゲティーを注文した。
店員が個室から下がると、やおら久志は雅鷹さんを睨み付けた。
「親父、何であの女がいるんだ?」
「あぁ…。なんか気付いたら働いていたんだよね~。私が出張へ行っている間の隙を突かれた感じだね。勝手に入れた人はもう処罰済みだし、あそこから先は行かせてないから心配しないでね♪」
処罰、と言いながら笑顔を見せた雅鷹さんがまた先程の冷たい笑顔に一瞬だけなったので、私の心臓はキュッと締められた気がした。
「当然だろ。ってか、相変わらず過ぎてマジ呆れた」
「そうだね~。佳夜ちゃんには嫌な思いをさせて本当に悪かったね」
「いえ、あの、…私はどちらかと言うと雅鷹さんが怖かっただけで、その大丈夫です」
「あぁ、確かに俺も久々に黒い親父を見たわ」
クククッと久志はあれは面白かった、と笑った。
「あ~。…ごめんねぇ、佳夜ちゃん」
愛しい娘の佳夜ちゃんにはこんな私を知られなくなかったなぁ…。と、呟き、とても申し訳なさそうにこちらを見る雅鷹さんは、本当に先程とはまるで別人だった。先程の女性は木根家の分家筋の1人なのだが、昔から彼女の親が彼女と久志を結婚させようと様々な策を高じて来て迷惑だったのだよ。と説明してくれた。
「しかも、やり方が汚くてね~。何度苦言を呈しても続けるし、その内彼女もその気になっちゃって久志に付きまとい出したから疎遠していたんだけどね~」
「そうだったのですか…」
「本当は本家だ分家だなんて言うのも区分けるのも私は嫌いなんだけどね、彼女の家は本当に血の繋がりがあるのか怪しい程の遠縁なんだよ。だからなのか知らないけど、私や久志にすり寄ってきて少しでも近付こうとしているのが見え見えで、尚の事私には嫌悪感しか湧かないんだ」
まあ、でも久志に佳夜ちゃんって婚約者が現れたから今後どう出るか見物だね♪と雅鷹さんは楽しそうに笑った。
「案外、メディアに情報売って騒動を巻き起こすのを速めてくれるかも知れないな♪」
久志もかなり面白がっている感じだった。
だけど、私は会社を出る時に背中に感じた彼女が発する物に少し心配と不安を覚えていたのだった。
『あれは確実に私を標的にした気配だった』
何かしてくる感じを受けたけど上手く2人に説明する言葉が思い付かなかったのと、タイミング良く料理が運ばれてきたので、話はそこで止めて食事を楽しむ事にしたのだった。
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