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【プロローグ】水曜日

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 喫茶店「サワロ」のカウンター席に座りたがる客は、マスターであるわたしを相手に、取り留めの無い話を繰り広げる。その多くは答えなど求めてはおらず、無関係な誰かを相手に、自分一人で処理できない気持ちを言語化し整理したいだけなのだと理解している。
 そしてわたしは父から引き継いだこの店のマスターとして、聞いた話を誰かに漏らしたりはしない。適当な相槌を打って受け流すだけ。それもマスターの仕事の一部だから。
 しかしこの半年、あまりにももどかしい二人の存在に、イライラとさせられていた。いい年をした男が何をグズグズしているのか、と。
 だから一回り年上の人生の先輩として、助け船を出してやることにしたのだった。



 髪をカチっと固め、少し神経質そうな眼鏡の男はデザイナーで、この喫茶店「サワロ」を毎日のように打ち合わせに使ってくれる。やってくるクライアントが彼を「鈴木さん」と呼ぶので、その平凡な名前を覚えた。
 鈴木は平日の午前九時に店に来てモーニングを食べる。食べ終わる頃には一組目のクライアントが店にいる彼を訪ね来店し、打ち合わせが始まる。多い日には立て続けに三組程のクライアントが入れ替わり立ち代わり彼のところへ来るのだから、売れっ子なのだろう。
 いつも全ての打ち合わせが終わると、カウンター席に移動してきてランチパスタを注文する。昼時で常にカウンターの中にいる訳ではないわたしに、邪魔にならない絶妙なタイミングで「ねぇマスター、聞いてくださいよ」と話し掛けてきて、よく分からない話を始める。
 そして十三時になると「仕事をしなくては」と帰っていく。午後は自宅での作業時間と決めているようだ。
 鈴木は三十九才で独身。このところの彼は、秋に四十才になってしまうことを常に憂いている。
「四十になるまでに、なんとかしたい」というのが、最近の口癖だ。どうやら意中の人がいるらしい。
 その人とは、高校の頃に同じ学校で同じ部活、そしてそれ以上の接点があったらしい。
 半年前に二十一年ぶりの偶然の再会をし、挨拶するようになったものの、相手は鈴木が以前からの知り合いだとは気が付いていない。だからこそもう一度、出会いからやり直したいと望んでいる。
 彼が日々話す内容を総合すると、そういうことだ。

 世の中の大半は、明日から一週間程度のお盆休みに入るだろうという今日。
 鈴木は、いつもに増して面倒くさそうな打ち合わせをこなしていた。クライアントとしては、全ての依頼を済ませてから休みに入りたいのだろう。
 こんな日は、ランチを食べながらわたしとする会話も、より愚痴っぽくなる。
「あのね、マスター。私、カードゲームのデザインを請け負ったりしてるんですよ」
「あぁ、よくテーブルに広げてらっしゃるから、存じ上げてますよ」
「うん。それでさっき打ち合わせていたのも、その会社の新人なんです」
「えぇ、このところ良くお見かけする方です」
「彼ね、凄いゲームを企画してきたんですよ」
「どんな?」
「大人向け恋愛指令カードゲーム」
「いつも広げているカードとは、随分毛色が違いますね」
「そうなんです。いつもはね、子どもが言葉を覚える為の知育系カードゲーム、学生が放課後に遊ぶような戦略系ゲーム、大人がパーティで遊ぶような心理系ゲームなんかを作っていて」
「えぇ」
「なのに、その新人はね、新たにアダルトなジャンルに挑戦したいって言うんです」
「ほー」
「カードには卑猥な言葉が並んでいてね、その言葉の指示に従ってまだ手も繋げていない二人が、事に及ぶのを手助けするってコンセプトで。倦怠期の二人が使用しても盛り上がると、説明されました」
「それは確かに新しいかもしれませんね」
「まぁ、そうなんです。でもあの会社の社風からしたらボツになるでしょうね。それでも新人は、デザイン案と一緒に体験レポートを会社に提出して、正々堂々とプレゼンしたいって言うんです」
「いい意気込みですね。だけど、体験してくれる人を探すのも、難しいでしょうね」
「そう!そこなんです、問題は。今も『鈴木さん、誰か知り合いにいないですか?』ってしつこく言われて。色々な年代に試してもらいたいそうで、試作品を託されてしまいました」
「へー」
 
 ここまでは仕事の愚痴だと思って聞いていた。けれど意中の人のことへと話題は転がる。
「明日から世間はお盆休みでしょ?ネットで調べたんですけど、アイツの仕事先も、一週間夏休みになるらしくて。もしもですよ、アイツとそのゲームを体験できたら一石二鳥だなって思ったんです。でもカードは全部で二十一枚もあって、朝、昼、晩と一枚ずつ引いてもプレイ時間が七日間かかるという、あまりに現実的じゃないものなんですよ。カードゲームとしても、私としても……。アイツがね、うちに一週間泊まってくれるなんてミラクルが起きればいいのに。それってどんな状況だよって思うんですけど、そしたらそのカードで一気に距離が縮まるなんて想像しちゃう私は、暑さにやられてるのかな、ハハハ」
 その話を聞いた時には、わたしもどんな状況だよと思っていた。
「明日は打ち合わせは無いけれど、モーニングを食べにいつも通り寄らせてもらいますね」
 彼は会計をし、猛暑の中を帰っていった。

 十三時。鈴木と入れ替わりで、もう一人の男が来店する。こちらも眼鏡で、近所のテニススクールでコーチをしているストイックそうな男。いつも背中にテニスクラブのロゴが入ったジャージか、Tシャツを着ている。ジャージには名前が刺繍されており「佐藤」という名だと知った。
 彼の受け持つクラスは午前クラスと夜クラスで、午後は暇らしく出勤日は毎日のように店にやってくる。
 ランチを食べた後はコーヒーを飲みながら静かに本を読んでいるのだが、わたしが手隙になるとカウンター席へと移動してきて、四方山話を始める。
 佐藤も鈴木と同じで、三十九才。もうすぐ四十才になることを憂いている独身。
 半年前にばったり再会した高校の同級生のことが、頭から離れないらしい。
 現在、相手とはすれ違う程度で挨拶だけは交わしているらしい。その人が自分を同級生だと気づいた様子はないという。
「アイツは理屈を捏ねたがるから、一回話しをするくらいでは親しくなれないと思うんだ。一週間、一緒に暮らすことができれば分かり合えると思うのだが、いいアイデアはないだろうか?」
 こちらも言っていることが無茶苦茶だったが、よく聞けば、二人とも男子校のテニス部に所属していて、毎年夏には一週間程学校に泊まりこんでの合宿があったらしく、そのノリでそういった考えに至ったらしい。
 彼の話を総合すると、なんとか再びその人と接点を持ち、あの頃を思い出させたい。そして四十才になるまでに関係を深めたい。それが佐藤の願いだった。

「夜中に暑くて、汗だくで目が覚めたんだ」
「昨晩も熱帯夜でしたからね」
「驚くことにエアコンから熱風が出ていた。どうやら故障らしい。今朝、電気屋に修理を頼んだのだが、早くても一週間はかかると言われてしまった」
 リビングと寝室に仕切りの無い、広いワンルームのマンション暮らしだという。
「それは困りましたね。エアコンの無い部屋に居たら、熱中症になってしまいますよ」
「あぁ全くだ。どうしたものかと考えているんだが」
 佐藤はスマホで近くのビジネスホテルを検索しているようだが、繁忙期で金額も高く空室もないようだ。なんとか今晩の予約だけはできたらしいが、明日からどうするつもりなのだろう。
 わたしはしばし迷ったが、思い切って話を切り出してみた。
「意中の方に、一週間泊めてほしい、と交渉してみたらいかがですか?」
「え?いや、それはさすがに……」
「わたしに考えがあるのです。明日からテニススクールも夏休みに入るのですよね?明日の朝九時に店に来てもらえますか?作戦会議をいたしましょう」
「マスター、忙しいのに申し訳ない。しかし、そう言ってくれるのならば、相談に乗ってもらいたい」
「その代わり、もし作戦が成功したら、わたしの頼みを聞いてもらいたいのです。実は今週末に商店街の夏祭りがあるんですが、その方と二人で店の前に出すかき氷屋を手伝ってもらえませんか?当てにしていた甥っ子二人が発熱し、来れなくなって困っていたんですよ」
「もちろんだ。それくらいの礼はさせてもらう。高校の夏合宿では、学校のグランドに近所の子どもを招いてやる夏祭りを毎年手伝っていた。アイツと俺でかき氷屋をしたこともあるから多少は役に立つだろう」

 こうしてわたしはマスターとして夏祭りのバイト二名を確保し、鈴木はカードゲームを体験する相手を確保し、佐藤は一週間泊まれる涼しい部屋を確保した。
 これが一週間後にどういう結果を生み出すのかは、神のみぞ知ることだ。
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