上 下
69 / 98
第3章 帰らぬ善者が残したものは

3話 見つけたもの 朝比奈 護

しおりを挟む
「ところでじいちゃん、朝比奈さんってそんなにすごい人なの?」

 ロド・ディルアーグナロドの守護者たちル……通称『ログナル』からの返事を自宅の軒下で待ちながら、才賀は護のことを訪ねていた。彼の耳にも、護が勤勉で人当たりも良く部下からの信頼も厚いといった良い話は届いている。しかし、これまでの経歴は一切流れて来ない。次代を担う人材として世界四大魔法使いの1人に名前を挙げられ、調査機関ヴェストガイン日本支部長にも選ばれたのは彼の魔法……残されたモノから持ち主を特定する『エウスプル イーエ追い求める目』の特異性とそれを使いこなす魔法使いとしての力量によるものというのが一般的な意見だが、生まれも育ちも分からぬ彼が評価されていることを不満に思うものも少なくない。

「そうだなぁ……彼は調査員としても優秀だが、儂はてっきりになるもんだと思っとった」

 湯呑みに入った麦茶をゆっくり喉の奥へ運ぶと、清は熱くなった体の芯に冷たい飲み物が染み渡るのを感じ、満足げな表情で吐息を漏らす。彼の言葉の真意が読み取れず、才賀は首を傾げる。

「捜査員?」
「儂も力だけならまだまだ自信はあるんだがなぁ……喧嘩になったら勝つ自信は全くない」
「喧嘩って……そんなに強い人ならなんで調査機関ヴェストガインに……」
「帰ってきたら直接聞いてみるといい。儂から説明するより、そっち方が手っ取り早い」

 清は微笑みながら空を見上げる。もうすぐ17時になるが空はまだ青く、温い風が肌を撫でる。部屋の奥から康夫が眉間に皺を寄せて2人を睨みつけているが、清も才賀も気にしている様子はない。たとえ背後から襲われたとしても、どうにでもできる自信が2人にはあった。

「デオが届けばいいんだが……」

*デオ=探知デクトネシオの略。清の世代の魔法使いがよく使う言い方。

「この距離じゃ仕方ないよ、じいちゃん」

 護が山を登ってからすでに1時間が経過した。清は魔力の膜を広げて彼を追っていたが、10分もしないうちにその姿は見えなくなった。普通に歩いて登ったのなら目的の場所に辿り着いている頃合いだが、最後に確認できた位置から考えるともっと前に着いていてもおかしくはない。

——ブッブッブッ

 規則的なリズムで清の携帯が震え出す。番号を見ると、それは護からの連絡であった。落ち着いた様子で携帯を開くが、才賀には彼から少しだけ焦りのようなものが感じられた。

「おう、儂だ」
「朝比奈です。清さん、一つ確認したいことが……」
「中に入った捜査員は見つかったのかい?」
「ええ。でもそれとは別に、この辺りで迷子になってる子供がいるとか聞いていませんか?」
「いや、特にそんな話は聞いてねぇな」
「……わかりました。またかけ直します」


*****

 携帯を閉じると、護は胸ポケットにそれをしまい目の前にいるメガネの男を注視する。コンバットブーツを履き真っ黒いツナギのような衣装に身を包むその男は、少し驚いた様子で護のことを見つめている。

「それで、島津さん……私たちに内緒で何を?」

 この男のことを護は知っている。法執行機関キュージスト日本支部所属、島津 功 シマヅ イサオ捜査員。普段は日本の北側を担当している彼がこの場所にいるのも不思議だが、それより彼が対魔法使い戦闘用の制服を着ていることに護は警戒心を強めていた。

 山の入り口にあった足跡から護の魔法によって見えた赤い線は、頂上であるこのわずかに開けた場所にいた島津につながっていた。遠目から彼の姿を確認した護だったがすぐには近づかなかった。本当に彼が事件の捜査で来ているのか確認する必要があったからである。
 護は気付かれないよう隈なく周囲を調べた。島津の動きを気にしながら怪しい人物が潜伏していないことも、魔法を使われている様子がないことも確認し、調査員として事件性はないと判断。話し合いの材料が揃ったと考え彼の前に姿を見せると、別の問題が待ち構えていた。

「ここで話すわけにはいかないでしょう……ほら」

 島津が目線を右に動かすと、そこにいたのは汗を吸って濃い色に変わった灰色のTシャツに、紺色のハーフパンツ姿の少年だった。靴は履いておらず、白かっただろう靴下は土でひどく汚れている。

(10歳くらいか……)

 護がそう予想した少年は、長く伸びた茶色い前髪の隙間から護たちを交互に見ながら自分の左腕を力強く掴む。

「ここで話を続けますか?」
「仕方ありませんね……長居すると下に降りる前に暗くなってしまいますし、その子を家に帰してあげないと」
「嫌だ……帰らない……」

 少年は護の言葉を拒絶するかの如く、小さく首を横に振る。

「話は下に降りてから聞くから、一緒に——」
「帰るところなんて……ない……」
(困ったな……彼女はこういう時どうしてたっけ……)

 自分の息子とはまるで違うタイプのこの少年にどう伝えればわかってもらえるのか、それがわからない護は頭を掻きながら妻がいつもどうやって息子を宥めているか記憶を探り始める。周りの木々と生い茂る葉が空を隠しているからだろう。隙間から見える空はまだ青いというのに彼らの周囲はすでに闇が広がり始めていた。

(しめた!)

 それはほんの僅かな時間だった。護の意識が、最も警戒しなければいけなかった捜査員の男から離れ、どこの誰とも分からぬ少年に向いてしまったほんの一瞬。

 島津は背中に回した魔力を帯びた右手を、自身の身で隠していた小さな社に向ける、そして、見えないドアノブを回すように動かしていく。左に1回……右に1回……そして最後に手をグッと力強く握りしめる。
 護がそれに気付いたのは、島津が目的の動作を終えた直後だった。不穏な気配を感じ少年に向いていた意識を島津に戻したその時、社を中心とした地面に突如としてオーロラのように輝く光の円が発生する。それは瞬時に護や少年の足元を超え、近くに生える木の根元まで広がる。 

「なっ!?」

 すぐに拡張探知アンペクスドの膜を広げ、護はその現象が魔法によるものであると理解した。その発生源が、島津の後ろにあることも。

「予定と違ってしまったが……まぁいい」
「どういうことだ!?」
「我々のシナリオでは、これを起こすことになっているんだよ。朝比奈君。いや……ザダ テルブ死弾と呼んであげるべきかな?」
「……その名前をどこで……」

 円が輝きを増す中、護の鋭い目が島津に向けられる。それまでとはまるで違う、今にも心臓を抉り取られてしまうと錯覚する突き刺すような視線に島津は息を呑む。しかし、彼はすぐにニヤリと不気味な笑みを浮かべる。

「その目を使って一体どれだけの命を奪ってきたんだい? いや~、まさか調査機関ヴェストガインの現支部長が裏社会で名を馳せた犯罪者だったなんて……知られたら一体どうなるだろうねぇ。君を推薦した人たちも……あ~、君の奥さんや子供もどんなふうに見られるんだろうねぇ」

 緩む口元を手で隠しながら島津は言葉を続ける。光る足元に動揺していた少年は、表情を変えない護から発せられる空気に気付き、その小さな体を小刻みに震えさせる。逃げたい……そう思っているはずなのに、少年の足は地面から離れてくれない。どうやっても逃げられない……護を見てそう感じずにはいられなかった。
 
「……何が目的なんですか?」
「お~、怖い怖い。大丈夫ですよ。君は何もしなくていい。そう、ね!」

 足元の光が急激に強くなり、護も少年も眩しさに目を思わず瞑る。島津はそれを察していたのか、1人だけ上空を見上げていた。



*****


「じいちゃん……何あれ……」

 それに最初に気付いたのは、ログナルからの連絡を待っていた才賀だった。目を大きく見開き山の方を向く彼が見たのは、空へと伸びる大きく白い光の柱。下で何かが光っているなどというレベルのものではなく、空の彼方まで伸びているまさに「柱」のようだった。

「あの方角は……アレがあるところじゃねぇか!?」
「でもなんで……あっ、消えちゃった……」

 時間にして……わずか5秒。光の柱は跡形もなくその姿を消した。才賀は何度も目を擦って同じ場所を見る。蜃気楼のような、そういった類のものには見えなかった。

「なんだったんだろう……」
「才賀、すぐに登るぞ」
「えええっ!? こんな時間から登ったら危ないって」
「そんなこと言っとる暇はない。急ぐんだ!」

 清の胸の内で燻っていた不安がどんどん大きくなっていく。以前これと同じものを感じたとき、彼の大事な人たちが帰らぬ人となった。それを思い出し血相を変えて山を登っていく清の後ろ姿を心配そうに見つめながら、才賀も彼の後を追った。2人が山の中に入っていくのを確認すると、家の中では康夫が気でも狂ったように盛大な笑い声をあげていた。


*****


「なんなんだ……?」

 閉じていた目を開くと、護は水中とも空中とも違う奇妙な無重力空間にいた。地面から足が離れたのは感じていたが、水や空気の抵抗は一切感じず、どこかに向かって体が流されていることだけはわかる。あたりは真っ白で、時折銀色に輝く線がさまざまな方向に走っていくのが見える。

「島津さんは!?」

 周りを見渡しても島津の姿はない。左目で捉えていたはずの赤い線が今は見えくなっている。代わりに見つけたのは、あのとき同じ場所にいた少年。徐々に離れていく彼は、体を丸めたまま護とは違う方向に流されているようだった。

「このぉ!」

 クロールで泳ぐように手足を動かすが、彼に近づく様子はまるでなくどんどん少年は遠ざかっていく。

「俺が行きたいのはそっちじゃない!」

 少年を助けるんだ……その思いで必死に体を動かしていると、護の周囲の流れが変わる。方向も、勢いも、何度も急に変化し体が回転する。洗濯機の中に放り込まれたような気分になる護だったが、彼の右目はずっと少年を捉え続けていた。
 流れは次第に緩やかになり体を動かす自由を取り戻すと、護は5~6m離れた位置から少年の後ろについていく形で同じ方向に進んでいた。

「一体どうなってるんだ……」

 何もわからぬまま少年と共に流されていく護。自分達が流される方向に向かって何度も銀色の線が走る。その回数は徐々に増えていき、しばらくすると彼らの目の前に、あの山の中で出現したオーロラに輝く円が現れた。護たちは、その円に向かって流されている。

「このままだとぶつかる!」

 先を行く少年を心配して何とかして彼に近づこうと踠いても、体は思うようには進まない。そうこうしているうちに少年の体はオーロラの円に触れ、中に吸い込まれるように消えていく。

「きえ……た……」

 水面の如く少年の入ったところから波打つ円に驚く暇もないまま、護も後に続くようにその中へと吸い込まれていく。思わず眼前で両腕をクロスさせ目を瞑った彼が再び目を開いたとき、そこは緑生い茂る森の中だった。ただし、護達がいた場所ではない。枝と葉で隠れていたはずの空は開けており、地面は丁寧に磨かれただろう光沢のある石板が敷かれ、社があった位置にはワイヤーのようなもので固定された一本の杖が佇んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない

一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。 クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。 さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。 両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。 ……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。 それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。 皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。 ※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

処理中です...