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第1章 その翼は何色に染まるのか

10話 透明羽舞

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 君島が帰った後、エルフはまだ体調が十分ではないから寝てるようにと灯真に言われたが、ずっと寝つけず今に至る。外は日が落ち始め、青かった空がオレンジ色に変わっていた。ベッドサイドの窓から外を眺めると、空以外にも面白い発見はたくさんあった。様々な形の家、道路を走る車やバイク、綺麗な服を着て歩いている女性や大きな荷物を運んでいる男性、電線に止まって鳴いている黒い鳥、リードに繋がれて散歩している犬や猫の姿も見えた。知識として知っていても、初めて自分で目にするそれらにエルフは興奮が止まらなかった。外に比べると部屋の中は至ってシンプルだ。ベッドの他には着替えを取り出していた棚以外に何もない。

 ふと、これからのことを考えた。確かに助けてもらったが、自分には行く当てがない。何かできることがあるわけでもない。

「どうしたらいいんだろう……」

 先ほどまでの興奮が嘘のように消えて、不安が心を支配していく。肩が震え寒気に似た何かを感じた彼女は、布団を頭まで被り体を丸めて目を閉じる。そして何か楽しいことを考えようと祈るように指を組んだ。

「あったかかったな……」

 思い浮かんだのは灯真の手の温もりだった。それまでも誰かと手を握ることはあったはずなのに、あんなにも温かく感じたことは今までなかった。必死にあの時の感覚を思い出し、心を落ち着かせようとした。

(守らなきゃ……)

 声が聞こえた。ここで目を覚ます時に聞いたあの声。やはり灯真の声に似ているが、近くには誰もいない。扉の外からのような小さな声でもなく、はっきりと聞こえている。

(守らなきゃ……)

 聞こえているという表現はやや不適切だ。耳からではなく頭の中に直接響いているような、不思議な感覚だ。どこから聞こえてきているのかわからない声なのに、エルフにはそれの主のいる方角がわかっていた。部屋の外にいる。なんとなくではなく確信があった。ベッドから立ち上がると、壁に手をつきながらゆっくりと部屋の外へ歩いていく。廊下に出て左側、リビングで横になっている灯真の背中が見えた。恐る恐る近づくと、何かが肌に当たる。顔や腕や足にも。

「何?」

 よく見ると、部屋中に何かが散乱しているのがわかった。透明な何かが、灯真が眠っている空間を埋めるほどに。

「羽?」

 目を細めてじっと見ていると、ようやくその形を視認できた。エルフの持つ知識の中にもあった、鳥が身にまとっているあれだ。それが無数に宙を漂っている。どこかに鳥がいるわけでもないが、とにかく数が多い。灯真の方に進むほど肌に触れるその数が増えている。

「きれい……」

 灯真のそばまで来ると、彼の背中……左の肩甲骨辺りに羽が集まっていることに気がつく。規則的に繋がったそれは翼の形を成していた。

「ん……どうした?」

 人が近づく気配を感じた灯真が目を覚ますと、そこには宙を舞う羽を少女のような無垢な瞳で見つめるエルフの姿があった。

「あの……その……」

 灯真と周りを舞う羽に目線を行ったり来たりさせているエルフを見て、彼はすぐに状況を理解した。目を擦りながら彼が体を起こすと、翼の形にまとまっていた羽は末端からゆっくりとばらけていった。相当な数がまとまっていたようで、二人の視界を埋め尽くしていく。

「ごめん。すぐにどかすよ」

 灯真がそういうと、バラバラに宙を漂っていた羽はゆっくりと規則的に部屋の中を回り出し渦を形成する。エルフがその動きを必死に目で追っていくと、渦の一部が流れを変えた。リビングの中央にあるテーブルに向かって飛んでいき、何かに吸い込まれているかのように羽は姿を消していくが、浮遊する羽に視界を遮られエルフははっきりとは見えない。羽自体はほぼ透明だが、目線を遮るように飛ばれると焦点が合わなくなるようだ。羽の数が減り、ようやくテーブルを直視することができたが、そこには羽ではなく1枚のカードが置かれていた。エルフが気になって近づくと、半透明なそれの表面はよく見れば羽が何枚も重なっている状態だった。

「寝てなくて大丈夫なのか?」

 言葉にできないほど美しく感じた羽の舞がエルフの頭の中で何度も再生されていて、灯真の声は彼女の耳に入っていかない。彼女はその場に座り込み、目線はずっと天井にある。無理に引き戻すのは申し訳ないと思い、灯真は気付かれないようそっと立ち上がり、キッチンへ飲み物を取りに行く。細心の注意を払い冷蔵庫を開け、お茶を二つのコップに注ぐ。まだ気付かない。足音が立たないように元の位置へ戻ると、テーブルの上に少し音を立てるようにコップを置いた。

「っ!?」

 コップの音でようやく我に返ったエルフの真正面で灯真は腰を下ろしお茶をすすっている。

「これでも飲むといい」
「えっ……あっ、はい」

 今度はちゃんと灯真の声が聞こえているようだ。言われるがまま冷たいお茶を口にする。彼女にとっては初めて飲む味だったが、舌に感じる苦味を何度も確かめようとして一気に飲み干してしまった

「気に入ってもらえたようで何よりだ」

 彼女と違い灯真はゆっくりと口の中へとお茶を運ぶ。エルフは先ほどの羽のことが気になって仕方がないが、彼に問うことを躊躇っていた。

「驚いただろ、さっきの」

 エルフの心情を察したかのように、灯真の方から話を切り出した。エルフは彼の質問に小さく首を縦に振る。

「毎日なんだ。放っておくと部屋中いっぱいになってることもある」
「先ほどのは魔法……なんですか?」

 申し訳なさそうに聞く彼女に灯真は優しい口調で答えた。

「大した力もない魔法だよ。でも大事な人から教わったから、俺にとっては大切な魔法なんだ……」

 俯いた彼は自分より背丈の小さい女の子に、魔法の使い方を教えられたときのことを思い出す。その悲しげな表情に、エルフは聞いてはいけなかったのではと心の中で自分を責めた。
 10秒ほど沈黙が続くと、言葉の出ないエルフの目の前を先ほどの羽がゆらゆらと漂ってきた。彼女は目を凝らしてその羽を見ている。羽の動きに合わせて目線が動いているその姿は、まるで猫のようだ。

(気に入ったのか?)

 彼女の様子を見ていた灯真は、右手の人差し指と中指だけをまっすぐと伸ばた状態で右に左にと動かしていく。すると漂っているだけだった羽が、彼の指の動きに合わせてわずかにスピードを上げて飛び始める。一枚だけではない。気がつくとエルフの周りを他にも飛び回っている羽がある。夕陽が差し込んでいるところを通るとわずかに輝いて見えた。

「すごい……」

 エルフは目を輝かせ、羽の舞う姿を眺めていた。灯真自身にとっては日常茶飯事な風景だが、彼女がいることで新鮮さを感じている。見ているだけでは満足できないのか、羽を触ろうとし始めるが手を近づけるとすぐに動いてしまう。灯真のちょっとした意地悪だった。羽は全て彼が操作していた。全てを彼女の正面に綺麗に並べたかと思えば、彼女が触ろうとした瞬間に散開させ、周囲をぐるぐると回らせる。端から見ると、本当に猫が動くものに反応して追いかけているような状態だ。

「まだ治りきってないんだから、無理しないほうが……」

 灯真が言いかけた途端、羽を追いかけて立ち上がろうとしたエルフが膝から崩れ落ちた。床につく前に灯真によって支えられたが、完全に脱力しているためなかなかの重たさだ。足の筋力が戻っていないというよりは、体のコントロールを失ったような印象だった。

「すまない。もう少し動きを抑えればよかった」
「そんな……私が悪いんです」

 一瞬エルフの脳裏には逃げてきたときの脱力感が過ったが、彼に支えられながら再び床に腰を下ろし、倒れることなく座っていられることを確認すると胸を撫で下ろした。

「お茶のおかわりを持ってこよう」

 彼女が落ち着いたことを確認すると、灯真はコップを持ってキッチンに向かう。その間にエルフは、初めて見るリビングを見回した。あるのは中央に置かれた背の低いテーブルと、無造作に積み上げられたノートや本、壁側には天井まで届く背の高い本棚があり、その中にもぎっしりと本が詰まっている。エルフは近くに積まれていたノートを手にとって中を読んでみる。日本語で書かれた魔法使いの歴史だった。


 かつては全ての「人」が魔法を使うことができた。
 魔法は生活の一部であった。

 いつしか魔法を使うことができない子が生まれ始め、魔法使いの数が減っていった。
 そして魔法使いは「力あるもの」と崇められた。

 力なき者たちは魔法を神の技と捉え、その力に縋った。
 魔法使いたちはその強大な力の恐ろしさを理解し、力をむやみに使うことを拒んだ。
 
 力を使わない魔法使いたちに人々は激怒した。
「神の技を持つのならば、我らを救うためにその力を使え」

 一部の人々が発したその言葉を機に、力を使おうとしない魔法使いたちへの誹謗中傷は過激なものとなり
 魔法使いたちは彼らの前から姿を消した。

「そうして魔法使いは人類の歴史から姿を消し、現代社会においても魔法の存在を知られぬようひっそりと生きている。まあ、魔法使いの方が力のない人たちに偉そうにしたっていう話もあるから、結局どちらも同じ人だったってことだ」

 おかわりを持ってきた灯真が声をかけると、エルフはすぐに本を閉じて元の場所へと戻した。

「申し訳ありません、勝手に読んでしまって」
「別にいいさ。汚い字で申し訳ないが、読みたかったら好きに読むといい」
 灯真からコップを渡されると、彼女は少しだけ口に含みテーブルの上に置いた。灯真も再び彼女の正面に座りお茶を口に運ぶ。

「そう言えば、一つ聞いてもいいか?」
「はい」
「君が母体ということは、君が産んだ子は……」 

 灯真の質問にエルフは目を伏せる。聞くのは失礼だったかもしれないが、灯真にとっては重要なことだ。彼女が生んだ子こそがエルフの完成形であるならば、そして彼女が名乗った番号が17番目という意味であったとすれば、2人産んでいるといったので単純計算で34体も存在しうることになる。

「私たちカーダは母体として、エルフを……ジーを産むためだけに作られました。だから、その……生まれた子がどうなったかは……」
「ジー?」
「詳しいことはわかりません。ただ、そのように教えられてきただけで……」
「そうか……」

 エルフに関しては記録された書物の類は残っておらず、代々魔法使いとして生きる一族で伝承されてきた。協会ネフロラ立ち上げに伴いその情報は公開され、魔法使いたちの間では当時かなりの騒ぎになったと言われている。

(彼女のいう「ジー」というのがエルフの完成形なのか……それともまだ実験段階か……)

「あの……」

 一時停止された画面のように俯いたまま静止する灯真に、エルフは恥ずかしそうに話しかけた。深く考え始めると腕を組んだりするわけでもなく、作業途中のまま完全に動きが停止する彼の悪い癖が出た。こうなってしまうと、頭のなかでイメージしたことだけを考えてしまい、視覚情報がまるで入ってこない。彼女の声に反応して、灯真の視界はようやく現実に戻ってきた。

「触っていただいても……大丈夫ですので」
「何のことだ?」

 灯真は彼女が何を言っているのか理解できなかった。飲み物のおかわりを運んで、彼女が生んだという子供の話を聞いたところまでは覚えている。そこからは考え込んでしまっていたが、特に動いてもいないはずであった。

「その……ずっと胸を見ていらっしゃるようでしたので……」

 彼女の話を聞いたところから、灯真の目線は俯いたことで彼女の顔から少し下がった位置にあった。その先にあったのは彼女の豊かな胸部である。ようやく灯真は彼女の言葉を理解し頭を抱える。

「すまん。考え込んでぼーっとしていただけだ」

 申し訳なさそうに返す灯真の言葉と表情は、エルフが今まで出会ってきた男たちとはやはり違っていた。胸を触れられることなど今までは日常茶飯事であったが、彼はエルフの体に興味を示していないように感じる。君島が「彼は変わってる」と言っていたことをエルフは思い出した。

「そういえば、名前はないのか?」

 少し場の空気を変えようと灯真は別の質問を投げ掛けた。エルフは自分のことを名乗るとき、『カーダ17ワンセブン』という識別番号のようなものを言ってきたが、名前は言わなかった。

「カーダ17ワンセブンとしか呼ばれたことはありませんので、それが名前だと……」

「『カーダ』というのが『エルフの母体』を意味するとしたら、17体目という意味なんだろうな。じゃあ……『ディーナ』でいいか?」

 カーダをアルファベットで表記したらおそらくあるだろう『D』と『17』で『ディーナ』。安直ではあるが、それを聞いたエルフは目を丸くして固まっている。

「ディーナ……」
「名前があった方が色々と都合がいい。嫌なら別の名前を考えるが?」
「だ……大丈夫です!」

 声をあげたエルフはその後、小さな声でもらった名前を繰り返し呟いている。そして、まるでプレゼントをもらった子供のように頬を緩め笑顔を見せている。

「気に入ったのなら何よりだ」

 同じ言葉を今日だけで何回も口にした気がした灯真だったが、何事もなかったかのようにお茶を口に運んでいった。ディーナはまだ名前をもらえた喜びを噛みしめている。そんな彼女の笑顔を見ていた灯真にふと懐かしさがこみ上げてくる。思い出す光景は、学校でも家でも家族でも幼い頃の友人でもない。深い森の中……そこにひっそりと佇む集落……灯真の三分の二程度の身長の人々。それは夢や妄想ではなく、紛れもない灯真の過去の記憶だった。

(あの時のことを思い出すなんて、最近変だな……)

 誰かと一緒にいて楽しい時もあった。灯真がそのことを思い出すのは実に15年振りだ。しかしそれと同時に思い出されるのは、友人となった彼らが倒れる姿、血に塗れた自分の手、彼が抱き上げた女性が口にした最後の言葉だった。

(今度は守ってみせるんだ……)

 そう言って灯真は、テーブルに置かれている小さな石たちに目を向ける。ノートやメモと共に置かれたそれらは、それぞれ違った色の輝きを放っていた。
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