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16 女官補佐の最終日

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 まさか自分だけではなく、令嬢達にも城を発つ者がいるとは思わなかったリリアナは、他の令嬢も気になり、断りもなく部屋に向かった。
 しかし、エストは寝込んでいるとのことで会えなかった。そりゃあまあなかなか衝撃的な出来事だったからそれもあるなと納得し、ひとまず滞在していることに安堵した。

 最後の一人スッドには普通に面会出来て、逆に気が抜けたほどだ。

「どうしたのリリアナ、まだ身体が回復していないの?」

 スッドは無理せず座れとばかりに侍女に椅子を用意させたので、もうリリアナは遠慮なく対面に座らせてもらうことにした。気が抜けて足腰が震えただけなのだが。

「よかったです! スッド様に会えて!」
 心から出た言葉にスッドは瞳を瞬かせてそれから笑った。
「わたくしも心配していたの。本当に凄かったわ、色々と。こんな刺激的なこと初めてよ」
「私もですっ、もうこれっきりでいいですっ」

 眉根を寄せ叫ぶリリアナを、可笑しそうにスッドは笑った。
「よかった、元気そう」
「はい、もうバッチリ元気ですっ! でも、でもっ、オヴェスト様とノルド様がっ」
 リリアナの言わんとしている事がわかったのか、スッドは表情を引き締めた。
「こんなことになるなんて。わたくしも残念でならないわ」
「スッド様、教えていただけますか? 何が本当か何がなんだかわからなくてっ」

 スッドは頷いて、話してくれた。しかしその内容はやはり、オヴェストが言っていたこととほとんど変わりなかった。

「その花は、本当にノルド様が持ち込んだんでしょうか……」
 どうにも解せないリリアナは首を傾げるばかりだ。スッドも同じ状態である。
「かといって、わたくしもオヴェストとずっといたのよ。彼女がわざとノルドの仕業とするタイミングもなかったわ」
「ノルド様が療養というのは、やっぱり懇親を辞退するってことですかね?」
「そうね、わたくしには詳しいお話は届かないけれど、一度でも城を離れるということは、辞退したことになるわ」
「そうですか……」

 療養か、罪の意識なのか、やはり本人から聞かないことには考えも堂々巡りになってしまう。しかし、リリアナは明日で女官の仕事を終える。仮に、延長を願っても受け入れてはもらえるかもしれないが、ノルドと接触することはどちらにせよ不可能にはかわりなかった。

「でも、まあ、スッド様とエスト様が残ってくださってるだけでも、よかったです。私は女官としてまったくお役にはたてませんでしたけど、お二人のどちらかが王太子妃となる日をひたすら祈ります」

 きっとチェルソン侍従長やヴェラ女官長などの上官達は、この事件で妃候補が減ったことに落胆してるであろうが、まだ二人がいるというだけでも有難いことだ。王太子も健気に残る二人に特別な情がわいたりしないだろうか。

「リリアナ?」
「はい?」

 珍しく美人顔をポカンとさせているスッドにつられるように、リリアナもポカンと反応した。

「あなた、ジルベルト様とわたくし達のいずれかが結ばれてもよいの?」
「え? もちろんですよ、何故ですか?」
「ジルベルト様が、あまりわたくし達にお会いにならないのは、あなたを大切にされているからではないの?」

 リリアナの目は立派な点になって、スッドを見つめ返す。しばらくしてコテンと首を傾げた。
「スッド様、意味がさっぱりですよ?」

 スッドは何か言いかけて一度口をつぐむと、わかりやすくリリアナに伝えるよう努力した。

「ひょっとしてだけれど、リリアナは、池から救いだしてくれたのがジルベルト様だということ、ご存知でなかったの? てっきり気心知れた仲なのかと思ったのだけれど」
「……はいっ?」

 聞き間違いかと前のめりで目を見開く。
 リリアナの耳には、直接の交流などほぼ皆無の、なんなら前回のパーティーの一回ポッキリで、なおかつこの国の王太子殿下が、何故か突然現れて雇われ女官な自分を池から救った、というように聞こえたのだ。

「な、何故、王太子殿下がっ?!」

 驚き具合に、知らなかったようだと察したスッドは、丁寧に言葉を足した。
「なんの躊躇いもなく、あなたを助ける為に池に飛び込んで、皆で拾い上げた後に、あなたの呼吸を戻す為に、人為的呼吸法を施されてましたよ」
「ぬえっ?!」
 たまらずリリアナは椅子から立ち上がった。

 リリアナの耳には、あのきらびやかな王太子が、池ポチャした自分を救いだした上に、応急措置とはいえ、緊迫し切迫した状況とはいえ、多くの人達の前で唇を重ねた、というように聞こえたのだ。

「な、何故、王太子がっ?!」

 同じことしか叫べなくなったリリアナを不思議そうに見上げながら、スッドは呟いた。
「手際良くリリアナの服を剥いて、マントで包んであっという間に連れ出していったの。本当に信じられないくらい一瞬のことだったけど、あんなに必死で真剣なお顔のジルベルト様。あなたとの深い関係があってこそだと思ったのよ」

 リリアナは愕然として、ほとんど機能していなかったが、前半の「服を剥いて」の部分で頭を抱えて踞り固まった。

 **

 衝撃の連続で疲れはてたリリアナは、もはや考えることを放棄した。考えてもまったく解決しそうにない上に、ドンドン泥濘にはまっていってしまいそうだからだ。

 こんな時にオットーに会えれば、いつものようにウダウダ話しているうちにスッキリするのにと、これほどにオットーに会いたいと思ったことはない。

 だけれど女官最終日を、あっさり迎えてしまった。
 ヴェラ女官長に付き添われるように、恒例の謁見の間へ向かった。
 ひょっとしてそこで、いつもの態度悪いオットーに再会出来るかと期待したのだが、待っていたのは身なりをピシッと整えた、姿勢良く座るチェルソン侍従長であった。

「リリアナ殿、ご苦労様でした」
「いえ、なんのお力にもなれず……」

 色んな意味でしょんぼりが隠せないリリアナに、チェルソンは国紋の刺繍された布に包まれたものを差し出した。
「一月分のお給料と、わたくしから少しばかりの心付けです」
「ありがとうございます」

 両手で受け取ったその分厚さにおののきつつ、それでもリリアナの心は浮かないままだった。
 あんなに給料を楽しみにしていたはずなのに、ずしりとくる重さが、まるで自分の気持ちの重さに比例しているようだった。

「ところでリリアナ殿。やはり女官の仕事は、もう頭にはございませんか?」
「え?」

 思わぬチェルソンの問いに、リリアナはパッと顔を上げた。
 もし可能なら、このモヤモヤを晴らすべくもう少し厄介になりたいところなのだ。

 リリアナの表情に、チェルソンは満足したように微笑んだ。
「もしあなたが良ければ、今度は王太子付きの女官兼助手の仕事をお願いしたいのですが」
「……はい?」

 リリアナは想定外の内容に、思考が止まった。
 言ってる意味がわからなくて、後ろに待機していたヴェラ女官長に助けを求めるように振り向いたが、ヴェラは笑顔で「おめでとうございます。お給料、さらにアップですよ」と、今は必要ない台詞しかくれなかった。
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