京に忍んで

犬野花子

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第三章

炎上

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 タキが囚われていたどこかの小さな民家を飛び出すと、周囲はのどかな田園風景が広がっていた。延々と続く砂利道の横には田んぼ。ポツポツと同じようなこじんまりした民家が点在しているだけだ。

 京ではない場所ということに気付き、タキの焦りは益々膨らむ。空を見上げて、太陽の位置から見当を付け砂利道を駆け出した。
 しばらくすると牛車に出会い、京に向かう商人だと知ると、タキは迷わず羽織っていた淡紫のひとえを渡し、荷台に乗せてもらった。これは、帰ってきた愛娘タキの為に、父である左大臣源兼仁が作らせたものであり、生地や紋様を食い入るように見た商人は何も問わず乗せてくれた。

 荷を引きながらもあり牛の歩みは遅く、タキは焦りを募らせるばかりであったが、この長い距離、体力が落ちてしまっていた身体を休ませるにはとてもありがたかった。

 牛車はやがて泰平京の南に位置する大門をくぐった。大内裏に向かって順調に北上していたのだが、「おや?」という商人の声に、荷を砂煙から守る為の簡易に張られた帆の奥からタキは顔を出した。
「どうされました?」
「いやあ、ほら、見てください」
 商人は真っ直ぐ大路の先を指差した。

 東西南北に規則正しく道が張られて、ここはまさしく泰平京であり、さきほど南の大門をくぐり真っ直ぐとこの大路を北上している。この先には京の政治を司る中枢部や帝達が住まう大内裏がある。その北の空がもくもくと広がる黒煙で汚れていた。

「ありゃあ、火事ですかな」
 商人の言葉に、月弥の台詞が甦り、タキの頬に汗が滑り落ちる。

(内裏に、火を放ってすべてを終わらせる気っ?!)
 タキは、動き続けていた牛車の荷台から飛び降り駆け出した。
「あっ! ちょっと大丈夫かいっ?!」
「ありがとう! ここまででいいわっ!」

 大路を駆け続ける。周りの景色も変わってきた。立ち止まり空を見上げる者はもういない。あちこちの建物や道から人が荷を持って逃げ出している。
 すでに視界に広がる空は黒く塗り潰され、走り抜け続けると、バチバチと焼き付くされていく建物の音、逃げ惑う悲鳴や消火作業に吠える怒声が、どんどん増え飛び交う。

「あ! タキ! タキじゃないかっ!」

 すれ違いざまに声をかけられ振り返ると、煤まみれだが懐かしい顔の伝助だった。
「……伝助? なぜこんなところに?」
「え? ちょっと仕事で来ててさ……。それよりどこ行こうとしてんの? そっちはもう危ないから、」
「ねえ! どこが燃えてるの?! まさか、やっぱり大内裏なのっ?!」
 物凄い剣幕で飛び付いてきたタキに、伝助は狼狽える。
「え、いやまあ、そうだけど。風が出てきて火の回りが早いからさ、これ以上行くな……あ、おいっ!!」

(どうしよう!! 慶時様っ!! 東宮である以上内裏からは離れられない!! 間違いなくあの先にいるのにっ!!)

 赤い舌のようにチロチロと火の粉を巻き上げながら、黒煙は京の都を呑み込もうと広がり続けていた。

 タキはそれでも走った。
 辺りは貴族の邸が立ち並ぶ区域に入っていたが、そこかしこから飛び火して燃え出した建物を、火の手を遮る為に壊す男達が出入りし、女房達や貴族が逃げ出している。
 正面に巨大な門の屋根が見えてきた。大内裏の南入り口のひとつである。
 逃げ出してきたのか多くの貴族や女房達が、煤汚れたまま呆然と立ち、または座り込んで門を見つめている。
 タキの足も、徐々に力なく弱まり、やがてピタリと止まってしまった。
 同じように、呆然として燃え行く巨大な門を見ることしか出来なかった。
 大きく開け放たれた門の先には、ゴウゴウと炎の柱がぶつかり合い絡み合い、そしてさらに膨らみ、やがて門の屋根をも呑み込んでしまったのだ。


 遠くでゴウゴウと、風とも言えぬ空気を削るような音が聞こえてくる中、風太郎は村長の横に立つ男を睨みながら胡座を崩し立ち上がった。
 女と見紛みまごうばかりの面差しに長い髪、しかしすらりと背は高く、唯一露になっている喉元や手の角ばった造りが、男であると示している。
 タキと囚われていた、右大臣の邸で見かけた男に間違いなかった。

「お前、タキをどこにやった」
 真っ直ぐ睨んでくる風太郎を、月弥は落ち着いた様子で眺め首を傾げた。
「あなたは、確か……」
月之弥つきのひさ様すまぬ、ワシの孫じゃ」
 村長の言葉に、月弥は一瞬目を見開いた。
「そうですか……。なら早くここから立ち退かせなければなりませんよ。火は着きました」
「そうなんじゃが……」
「おいっ! タキの居場所吐くまでここから退かないぞっ!」
 風太郎の怒鳴り声に村長は息を吐いた。
「あの調子でな……」

 月弥は一歩前に出て、凪いだ瞳を風太郎に向けた。
「かの姫はこの京にはいません。ここは、京はやがて火の海です。あなたも早く逃げたほうがいい」
「……お前、タキをどうしたかったんだ……」
 風太郎も一歩、前に詰めた。
「クソババァと手を組んでタキを拐って自分達の復讐に使ったんだろ。焼き尽くすつもりのこの京から今度は拐った。あんたのしてる事が、わからねえっ」
「……そうですね……少なくとも、わたしは姫を愛していたようです」
「……は?」
「……」
 風太郎は目を見開き、村長も顔を上げた。二人の視線を受け、月弥は続けた。
「右大臣の邸で、あなた方を見た時に、自分がどうしたいのかわからなくなったほどには、仁子姫を愛していたようです。東宮が彼女の腕に契りを巻くよりもずっと前から」
「月之弥様……」
 村長はシワシワの顔をさらに歪めて俯いた。その肩をそっと抱きながら月弥は真っ直ぐ風太郎を見つめ返した。
「それでも、どうにもならない事は起きるのです。わたしの手からはすべてのものが消え行くものでしたから、その感情を取り戻すのが、遅かったようですね」
「お前……」
 清らかに微笑む月弥を、風太郎は両手を握りしめて受け取ることしか出来ない。
「仁子姫は、京の南に下った小さな里に呪で縛っています。早くここから行きなさい。この邸と一緒に焼かれたくなかったら」
「……あんたたち、まさか……」

 風太郎が言いかけたその時、無意識に風太郎と村長の耳が、火の勢いに紛れる小さな音を捉えた。
 その指笛に弾かれるように風太郎は部屋の閉じられていたひとつの蔀を押し上げ飛び出した。

 その開け放たれた先を見つめながら、村長は口を開いた。
「……月之弥様、あなた様は生きてくだされ。ワシがそもそも言い出した事。さらにあなたを不幸にしたかった訳じゃなかった……」
 震える白髪を優しく見下ろしながら月弥は首を振る。
「なにを言いますか。わたしはあなたに救われたのです。あなたをひとり残すなどありえません。わたしのそばにずっといてくれた、今までも、これからもですよ」
「ううっ、月之弥様……」
 崩れ落ちた村長を、腰を降ろし庇うように抱きしめた。
 勢いを増す炎の轟で、建物は悲鳴を上げ揺れていた。


 風太郎は飛び出した途端、目の前の庭や向こう側の建物に火がついていていることにたじろいだものの、すぐにピュウッと鋭く指笛を返す。すぐに応える音が近付いてくるのがわかるとその方向に向かって駆け出し、すぐに真っ黒に煤汚れた伝助と出会い頭にぶつかった。

「よかった! 風太郎無事かっ! この邸にも火が放たれてるぞ、すぐ出ろ! いやそれよりっ」
「どうした?!」
「タキが、なんでか知らねえけど、燃えまくってる大内裏に向かっていっちまったんだ!」
「な、んだって?!」
 風太郎の顔から一気に血の気が失せた。
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