信長伝

夢酔藤山

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第七話 永享大乱

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               一


 上杉憲実の自害未遂。
 この出来事を知った上杉一族は、急ぎ憲実宅に駆け付けた。
「自害など不届き千万」
 そういって憲実を責めた。しかし、何故こうなったのか、その経緯は誰もが周知している。確かに、憲実の立場は、深い同情を禁じ得ないものだった。
「ここに至っては、どうしようもあるまい」
 実弟の三郎重方が呻いた。憲実は彼らに引き摺られるように、今後の身の振り方を相談させられた。憲実もそうするうちに、自分を思って一緒に論議する一族の気持に感動し、生きる活力を呼び戻していった。
「しかし、このまま鎌倉にいたら」
 その危惧は皆同じであった。
 憲実という逸材は、関東のみならず将軍にも幕府にも必要な人材であった。そのことは上杉一族がよく分かっている。
「どうだろう、安房守殿は病気にて、平癒のために上野国に療養というのは?無論、こんなものは建前である。が、今のまま鎌倉に身を置くよりは、ずっといい」
 三郎重方が提案した。
「それは名案。白井城が格好と存ずる」
と、扇谷上杉弾正少弼持朝も賛成した。上野国白井城は現在の群馬県子持村にあり利根川を隔てる要害である。ここは山内上杉氏の所領地で、憲実にしてみれば格好の逃げ場所であった。
 その夜、闇に乗じて憲実は逃げた。
 上野国までは夜を撤して走って、一昼夜の道程である。しかし、休むことは命取りに等しい。憲実とその主従、一族は睡魔と戦い疲労に目眩を覚えながらも、歯を喰い縛って、馬に鞭を打った。
「関東管領上杉安房守、逃亡!」
 この報せに添寝女との房事に耽っていた持氏は跳ね起きた。
「おのれ、安房守は上野国で挙兵する所存か」
と、褌を締める間もなく、だらしない格好で近習を呼び付け、陣触れだと大声で叫んだ。上杉討伐の号令ではあるが、一体何事かと、誰もが戸惑った。
「鎧を持て。これより出陣じゃ。重臣どもに軍勢を整え召集させよ。このこと、急ぎ触れて回るのじゃ」
 しかし、その対応は遅過ぎた。八月一五日夜遅くになって、ようやく一色一族が鎌倉府に参じてきた。
「遅い、馬鹿者め!」
 持氏は一色直兼を叱り飛ばした。
 恐れ戦いた直兼は
「是非にも先鋒賜りたく、お願いします!」
と叫んだ。
「よう云うたわ。行け、儂もすぐ行く」
 持氏に叱咤され、この夜遅く、一色勢は上野国目掛けて挙兵した。
 翌日、持氏自らが兵を率い鎌倉を発った。この報せは、既に白井城にいる憲実の耳に届いていた。ただちに防戦体制が取られ、坂東太郎の大河を渡す小舟の往来が停止された。
(やはりこうなってしまった。もはや仕方のないことなのだろうか)
 憲実は覚悟を決めた。
 上杉禅秀と同じ道なら、それもよし。
(関東は幕府と並んだ二つの輪。片方外れれば、牛車も進まぬ)
 その倫理を犯したのは、持氏が先である。罪のすべては持氏にあるのだと、憲実は幕府に向けて援助を要請する文を送った。
 この騒動は今川家の知るところとなった。
 憲実の書状が着く前に、おおよそのことは幕府の知るところだった。関東管領を勝手に攻め滅ぼすなど、あってはならぬこと。その救援要請は、大義名分となる。
「待った甲斐があったというもの。向こうから大義名分が転がり込んだ」
 将軍義教が手放しで喜んだのは、申すまでもない。
「今まで幕府に逆らった罪は重い。関東管領が熱心ゆえ、それに免じ目をつぶってきたまでじゃが、こたびはその関東管領からの要請である、幕府はこれに応じぬ筈もなし!」
 義教は急がなかった。詰めを誤らぬよう、慎重に事を進めた。幕府が東国へ兵を動かす以上は、官軍であるべきだ。
(敵は朝敵とする必要がある!)
 帝の綸旨が下ると、義教は持氏討伐の下知を関東一円に下した。その結果、持氏の軍勢が減少するといった事件が続出した。

 八月二八日、幕府は朝廷に奏し持氏討伐の綸旨を得た。
「帝の仰せに従い兵を動員す。ついては武田勢の総大将は三郎に任じるものなり。急ぎ高野山より室町御所へ復帰すべし」
 これは、足利義教からの下知だ。官軍として加われというのは、すなわち天朝の意とも受け取れる。武田信重が頑固とはいえ、帝の意に逆らうわけにはいかない。
「早く山を下りてくれば、何度も苦労しねえんだ」
 信長は九度山で待機していた。馬と甲冑を新調し、持参していた。
「法衣は、これきりにして下さい」
「惜しい気がする」
「生きているのに死んだ面して、何が面白いんだよ」
 信長の威勢が、心地よい。
 室町御所に出頭した信重に
「みんなが待っていたのだ。遅れてきた分は、しっかりと励んで報いよ」
 義教の檄は優しかった。
 幕府の東征軍の一翼に武田信重が加わり、傍らには信長が付いた。先ずは甲斐に復帰し、兵を整え鎌倉へ進軍することとなった。駿河までは官軍と一緒で、今川範忠に挨拶してから河内路で甲斐に向かう手筈だった。
 幕府軍主将は上杉持房。これは京都で庇護されていた禅秀の子だ。宿縁、これを因果応報と云わずしてなんと例えようか。
 武田信重の甲斐帰国は、鎌倉府の騒乱、のちに〈永享の乱〉と呼ばれる渦中にて実現した。甲斐守護職として行うべき最初の仕事は、国内の軍勢を動員し、幕府征討軍としてこれに加わり、鎌倉へ攻め入り足利持氏を討つことだ。
「もっと早く戻ってくれれば、父が」
「いや息子が」
 怨嗟の声も混じる。それだけの留守は、信重の一存ありきの事だ。
「いい治世が必要なんだよ」
 信長が呟いた。
 長すぎる刻の狭間が、信重には重すぎた。
「武田に参集すべし」
 武田信長の号令に、日一揆や、潜伏していた者たちが、続々を従うことを誓った。
 跡部駿河入道明海は何食わぬ顔で、我こそは一の忠義者という白々しい面を決めて、信重に合流した。
「まだ生きていたか」
 信重の傍らで、信長がじろりと睨んだ。失禁しそうな恐怖を、跡部駿河入道父子はグッと堪えた。恐怖は拭えなかった。
 この参集に、逸見有直は応じることはなかった。
「今さらである。我ら、鎌倉公方に殉じるのみ」
 そう叫ぶ逸見有直に従う兵は少ない。殆どが散り散りに逃亡した。それを咎めることなく、逸見有直は若神子城に入った。

 永享一〇年(1438)九月初頭、足利持氏の元へ兵は集まらない。それどころか、人知れず離散する有様に、苛立たしさを隠し切れなかった。
(数さえあれば……)
 そうは思っても、現実はこの有様である。いや、これで済めばよい。
(明日の朝には、兵が減っているかも知れない)
 すべては将軍義教のせいだ。持氏討伐の綸旨を掲げられては、いかな者たちも、賊軍になるを恐れ、逃げ腰にもなる。
「忌まわしや、還俗将軍!」
 持氏はその夜より、軍勢の相互監視を徹底させた。お互いに密告を奨励し、腹の探り合いを勧めたのである。しかし、今更それが何になろうか。統率を取る持氏の配下は、日和見の年寄どもである。血気盛んな若者を年寄の倫理で縛ろうとしても、到底まとまる筈もない。なによりも、持氏自身に信望がなかった。
 そのような将の下に、果たして兵が喜んで生命を投げ出すものか。一度ほつれた布が戻らないように、日頃から持氏に圧迫されてきた欝屈が、このときとばかりに坂東武者へと弾けてしまったのだ。軍勢も指揮は弛み切り、合戦ところの騒ぎではない。
 持氏の心配は兵の数よりも、兵糧の残量にあった。合戦の長期化を見越して、近隣の村々から添寝女を召し抱えた。その酒食のための遊興が、兵糧の消費を早めた。
(こんなところを攻められたら……!)
 そんな不安に駆られた者たちは、自ずと、勝手に陣を去っていく。
 せめてもの救いは、憲実に戦闘意欲がなかったことだろう。防戦のみに専念し、当方から攻めぬ命令が徹底していた事が、結果的には持氏の生命を延ばしていた。ただ、それだけだ。
 その均衡を破ったのは義教であった。
 義教は的確に関東の情勢を把握した上で、それを巧みに操る術に長けていた。足利持氏に対する対人関係を、義教は丹念に調べ尽くしている。
 上杉治部少輔教朝。
 上杉中務少輔持房と同じ上杉禅秀の遺児だ。教朝は持氏を激しく恨んでいた。
「そなたに、鎌倉公方を討つ大義名分を遣わすぞ。このうえは、存分に働くが宜しい」
と、義教は仇討を奨励した。
 幕府軍出立。
 この情報は九月一〇日時点で、持氏にも、憲実の耳にも届いていた。何よりもその報せに持氏は歯噛みした。
「おのれ、禅秀の亡霊か!」
 憲実討伐を中座するのは口惜しいが、幕府軍征討とあらば、もはや別の問題だった。

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