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第一話 鎌倉の火種
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「ああ、ほら。姉上すっごい綺麗ですよ」
「はしゃぐな八郎。田舎モンだと、加奈が笑われるずら」
祝言の座で大きな声を出すと、皆に注目されてしまう。新妻となる加奈は、恨めしそうに八郎と呼ばれた少年を睨みつけた。
「怒るな」
となりの亭主となる男・犬懸上杉氏憲が、穏やかに微笑む。
「だって……」
「八郎だって、我が事のように嬉しいのだよ」
「でも」
「ここは私に免じて」
「はあ……」
男は理性的な瞳で、優しくその場を丸く収めた。
「さすがは調停の達者なこと。公私ともに大したものじゃ」
仲人役の山内上杉憲定は、低い声で笑う。
「おからかいを、困ります」
「しかし、だからこそ関東管領職をそなたに譲ったのだ」
「はあ」
婚儀の場で重い話は御免だと、上杉氏憲は呟いた。ちらと、妻の家族を一瞥する。甲斐の名家・武田家の面々が揃っていた。加奈は武田信満の娘だ。この婚儀にはその父・信春を始めとした甲斐源氏の歴々が参じ、末席に一五歳の八郎がいた。
「頼もしいと思う」
氏憲は心からそう思った。
上杉家は鎌倉府を束ねる関東公方家を補佐する一族である。氏憲が関東管領職を就任したのは、つい先だってのこと。
「真っ正直な上総守殿が関東管領になれば、足利の者の粗相も丸めて下されようて」
皆の賞賛は、前年の一件を指す。
関東公方・足利満兼の嫡男・幸王丸が一二歳で家督を継ぐ際に生じた騒乱。表に立たず丸く和を以て収めたのが氏憲という噂は、鎌倉中に囁かれていた。この功績で関東管領に抜擢されたと、誰もが信じていた。
関東管領家は上杉家の本家にあたる山内家と、それに準ずる犬懸家が交替で務めるのがならわしだった。
「俺、あんな立派な兄貴が出来て嬉しいよ」
終始にこやかだった八郎と呼ばれる若者、元服を終えたばかりの武田信長という。
婚儀も無事に終えることができた。
「婿殿をしっかりと支えるよう」
信春は高齢にも関わらず、この日のために鎌倉まで来た。孫娘の晴れやかな姿が、誇らしいと笑った。信満は隠居した父より甲斐守護職を任じられた無双の弓引きで知られる武将だ。
「早く子を授かることだな」
「まあ、父上ったら」
「励めよ」
露骨だが、厭らしくないのは人徳だろう。
「姉上、ちょくちょく鎌倉に遊びにきますよ」
「八郎はもう少し躾を覚えてきなさい」
「いいじゃん」
歳が近い姉弟は、こういう口喧嘩が絶えなかった。これも今日で終いと思うと、武田信長は少し寂しくも思えた。
「八郎、遠慮なく遊びに来てもいいのだぞ」
「はい。ほら、義兄上は物分かりがいい」
「図に乗るな、八郎」
信満の拳骨が信長の脳天をぶつ。瘤になったと呟く信長を、皆が大笑いした。
武田家は甲斐源氏の棟梁。建武・南北朝の動乱において、武田信武が足利尊氏に従い武功を重ねた功績で、安芸国の守護も務め、室町幕府にも顔が利く存在となった。以後、信武の孫にあたる信春まで、東国支配の要である鎌倉府からも重んじられた。
その武田家と、関東管領上杉家が婚姻で結ばれた。
為政の要と、精強な武威。鎌倉府にとって、これ以上の結びつきなどあろう筈がなかった。それは東国の安定を意味し、かつ、幕府との調停さえも約束するものだった。
若き武田信長は武芸に長けていた。が、学問のことはてんで苦手だった。こういうことは、家を継ぐべき長兄に任せて、己は軍事に長ける道を極めるべきだと考えていた。
「学問は自分のものだ。人に任せていいものではねえずら」
兄である信重は物腰静かだが、正論を説く。
「どうせ親父の跡を継ぐのは兄上じゃ。俺は、兄上の懐刀になれたらいいのだ。戦さのことなら、儂に任せてくれ」
「戦さにだって、学は必要じゃ」
「面倒臭いなあ」
応永一八年(1411)秋、このとき信長は一五歳。
思えば鎌倉が穏やかに過ごせたのも、この祝言の頃までだった。世の波風で誰もが右往左往することになったのは、この年の暮れのことだった。
さて。
鎌倉府と室町幕府であるが、実のところ良い関係ではない。それは、同じ足利家という血がなせる宿縁ともいえた。関東公方家には不満がある。
「おなじ等持院(足利尊氏)様の子孫なのに、片や将軍で、身分は天地ほどに異なる」
尊氏長男の血統が幕府将軍、弟は補佐の関東公方。不公平だという不満は、持氏以前からの想いでもあるが、こればかりは仕方がない。いつでも一触即発の危機があった。それを調停してきたのが関東管領上杉家だった。
「理不尽と、思われますな」
歴代の関東管領は、そう諭して怒りを鎮めてきた。犬懸上杉氏憲もそのひとりだ。
足利幸王丸。四代将軍・足利義持の諱を賜り、このとき持氏を名乗る。これは伝統だった。まるで、将軍の家来ではないか。
「お前は幕府の味方だ。ならば、儂の敵というわけだな」
「ご無体な」
「敵ならば、何も聞きたくない」
我が儘だと思いながらも、平穏が第一と説く犬懸上杉氏憲である。云うことはごもっともな綺麗事だ。それが面白くないと、持氏の目は醒めていた。
「お前の顔はみたくない」
「公方様!」
氏憲はこんなことを、毎日のようにやり取りしていた。
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