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第7話 茶とデウス
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第7話 茶とデウス⑦
天正一五年(1587)に入ると、九州征伐の動員がなされた。肥後方面の総大将を秀吉自身が、日向方面を弟の秀長が率い、総勢二〇万越えの大群となる。蒲生氏郷は肥後表九番隊とされた。氏郷は二月二五日に兵一七〇〇を率いて出陣する。
豊臣秀吉は豊前巌石山城に攻め入り、これの堅固を知ると、力攻めを避けることを決した。豊臣秀勝・蒲生氏郷・前田利長らを城の押さえとして留め、細川忠興・中川秀政・堀秀政を別の古処山城攻めに充てようとした。
「言上これあり」
氏郷が進み出た。
「飛騨か?申せ」
「これを落すこと、当方にお命じあれ」
攻め取ってみせると、氏郷が主張した。つまらぬ負け戦さは、敵に勢い付かせることになる。持久戦で精神的にへし折ることが、のちのちのためにもなる。
「負けたら、おみゃあさん。仙谷権兵衛の二の舞だで」
昨年の第一次九州攻めで、美濃以来の古参である仙谷秀久が軍規違反で改易されたのは記憶に新しい。秀吉にとっても、子飼の始末は泣き所だった。ここで敵を勢い付かせることになったら、蒲生も潰す。そう云っているのだ。
「ご存分に」
氏郷は胸を張った。
信長家臣時代の秀吉だったら、これを称賛したことだろう。しかし、いまは違う。氏郷の成功も嬉しからず、失敗は己に跳ね返る立場だ。許さぬつもりが、ここで前田利長も同陣仕ると名乗り出た。こうなると、どうしようもない。
「負けるならば被害を最小に。兵を損なわずに囲むことこと大事と心得よ」
秀吉は譲歩した。
実際、勝てるとは考えていなかった。足止めで上々だ。
四月一日、巌石山攻防戦。蒲生軍が大手口から、前田軍が搦手口から力攻めした。蒲生の武士は武辺のほどを敵味方に示し、驚嘆の声を挙がらしめた。柴田家浪人から召し抱えられた坂源左衛門は、〈いちばん〉と仮名文字で墨黒に書いた白い吹貫を門のまん中に押し立てて戦った。雨のように降り注ぐ鉄砲により、吹貫はたちまち破れた芭蕉のような体となる。しかし、坂源左衛門はひるむことなく
「者ども、臆するな。一足も退くことはならず」
と激昂し攻め入った。これに負けじと、寺島半左衛門という武将も、黒い吹貫を押し立てて坂に続いた。前田勢も松原久兵衛を先頭に攻め入った。前田利長は利家の嫡男、さすがは槍又左の倅よと讃えられる戦さぶりだった。
島津家臣・秋月種実はこの戦さを益富城まで出張り見届けたが、巌石山城ほどのものも、これでは持ち堪えられまいと悟った。
「益富城を破却せい。兵を古処山城にまとめよ」
益富城は構造物を壊し、城として用いられぬようにされた。仮にここを取られても、古処山城が持ち堪えれば島津の援軍がくる。野戦になれば負ける気がしなかった。
巌石山はたった一日で陥落した。
蒲生氏郷の面目は立った。
秀吉が残り全軍で攻め立てた古処山城も、圧倒的な勢いであった。夜中に農民に松明を持たせて周囲を威嚇させた。そのうえで、接収した益富城を一夜にして築城、敵の戦意を挫いた。古処山城攻防戦は三日で終わった。このことは味方を鼓舞し、敵の戦意を萎えさせる効果につながった。少なくともこれを機に、島津方の在地勢力は戦わずして続々と秀吉に臣従する流れになる。
「松ヶ島侍従のこと、軍神の意見なり。大義でや」
論功行賞において、秀吉は上機嫌だった。秀吉は氏郷に感状を与え、〈いちばん〉吹貫と有名になった坂源左衛門に金銭一〇匹と羽織を下賜した。それと、太刀を与えるというところで
「その儀はご容赦を」
坂源左衛門は一番乗りの功は寺島半左衛門だと申し出た。
「寺島の吹貫は黒にて、当方の白い吹貫が単に目立ったまで」
坂源左衛門の正直さと、下手に主張をしない寺島半左衛門の神妙さが清々しかった。元来、戦場働きの地金がある秀吉にとって、こういう天晴な美談は好きだった。
「小癪な者に免じ、その方に太刀をやろう」
寺島半左衛門は恭しく頂いた。
「飛騨守の軍勢は大したものじゃ。褒めてとらあす」
「かたじけなし」
天下に名を馳せた巌石山攻防戦は、蒲生氏郷の名を高めた。
一方で、このときの戦いで新参の軍規違反が目立った。規律に厳しい氏郷は戦勝のそれに免ずるということをせず、果敢に処分を断行した。西村左馬之允。今度の一戦で抜け駆けの功名をあげた。日頃よりの武辺で氏郷に目をかけてもらっていたが、抜け駆けは軍令違反である。
「強ければ許されるということはない」
氏郷はこれを怒り、功を認めたうえで、軍令違反の咎により西村左馬之允を追放した。手打ちとしなかったのは、それだけの腕があればどの家でも召し抱えられようという、氏郷の配慮である。
その厚情に西村左馬之允は泣いた。このうえは他家に使えることなく帰参の術を強く念じた。
細川忠興は氏郷の朋友である。西村左馬之允はここへ泣きついた。
「なんだ、当家に仕えたいのだと思ったら、つまらぬことを」
「それがしには大事なことにて」
その必死の形相に、細川忠興は苦笑いした。
「お前も主君の性分を承知しているだろう。いまは駄目だ。帰洛したら取りなしてやるから、暫くは細川に陣借しとけ」
さばさばと、細川忠興は家老どもに西村左馬之允の処遇について旨くやるよう命じた。
五月八日、島津義久は秀吉に降伏し和平が成立する。
天正一五年(1587)に入ると、九州征伐の動員がなされた。肥後方面の総大将を秀吉自身が、日向方面を弟の秀長が率い、総勢二〇万越えの大群となる。蒲生氏郷は肥後表九番隊とされた。氏郷は二月二五日に兵一七〇〇を率いて出陣する。
豊臣秀吉は豊前巌石山城に攻め入り、これの堅固を知ると、力攻めを避けることを決した。豊臣秀勝・蒲生氏郷・前田利長らを城の押さえとして留め、細川忠興・中川秀政・堀秀政を別の古処山城攻めに充てようとした。
「言上これあり」
氏郷が進み出た。
「飛騨か?申せ」
「これを落すこと、当方にお命じあれ」
攻め取ってみせると、氏郷が主張した。つまらぬ負け戦さは、敵に勢い付かせることになる。持久戦で精神的にへし折ることが、のちのちのためにもなる。
「負けたら、おみゃあさん。仙谷権兵衛の二の舞だで」
昨年の第一次九州攻めで、美濃以来の古参である仙谷秀久が軍規違反で改易されたのは記憶に新しい。秀吉にとっても、子飼の始末は泣き所だった。ここで敵を勢い付かせることになったら、蒲生も潰す。そう云っているのだ。
「ご存分に」
氏郷は胸を張った。
信長家臣時代の秀吉だったら、これを称賛したことだろう。しかし、いまは違う。氏郷の成功も嬉しからず、失敗は己に跳ね返る立場だ。許さぬつもりが、ここで前田利長も同陣仕ると名乗り出た。こうなると、どうしようもない。
「負けるならば被害を最小に。兵を損なわずに囲むことこと大事と心得よ」
秀吉は譲歩した。
実際、勝てるとは考えていなかった。足止めで上々だ。
四月一日、巌石山攻防戦。蒲生軍が大手口から、前田軍が搦手口から力攻めした。蒲生の武士は武辺のほどを敵味方に示し、驚嘆の声を挙がらしめた。柴田家浪人から召し抱えられた坂源左衛門は、〈いちばん〉と仮名文字で墨黒に書いた白い吹貫を門のまん中に押し立てて戦った。雨のように降り注ぐ鉄砲により、吹貫はたちまち破れた芭蕉のような体となる。しかし、坂源左衛門はひるむことなく
「者ども、臆するな。一足も退くことはならず」
と激昂し攻め入った。これに負けじと、寺島半左衛門という武将も、黒い吹貫を押し立てて坂に続いた。前田勢も松原久兵衛を先頭に攻め入った。前田利長は利家の嫡男、さすがは槍又左の倅よと讃えられる戦さぶりだった。
島津家臣・秋月種実はこの戦さを益富城まで出張り見届けたが、巌石山城ほどのものも、これでは持ち堪えられまいと悟った。
「益富城を破却せい。兵を古処山城にまとめよ」
益富城は構造物を壊し、城として用いられぬようにされた。仮にここを取られても、古処山城が持ち堪えれば島津の援軍がくる。野戦になれば負ける気がしなかった。
巌石山はたった一日で陥落した。
蒲生氏郷の面目は立った。
秀吉が残り全軍で攻め立てた古処山城も、圧倒的な勢いであった。夜中に農民に松明を持たせて周囲を威嚇させた。そのうえで、接収した益富城を一夜にして築城、敵の戦意を挫いた。古処山城攻防戦は三日で終わった。このことは味方を鼓舞し、敵の戦意を萎えさせる効果につながった。少なくともこれを機に、島津方の在地勢力は戦わずして続々と秀吉に臣従する流れになる。
「松ヶ島侍従のこと、軍神の意見なり。大義でや」
論功行賞において、秀吉は上機嫌だった。秀吉は氏郷に感状を与え、〈いちばん〉吹貫と有名になった坂源左衛門に金銭一〇匹と羽織を下賜した。それと、太刀を与えるというところで
「その儀はご容赦を」
坂源左衛門は一番乗りの功は寺島半左衛門だと申し出た。
「寺島の吹貫は黒にて、当方の白い吹貫が単に目立ったまで」
坂源左衛門の正直さと、下手に主張をしない寺島半左衛門の神妙さが清々しかった。元来、戦場働きの地金がある秀吉にとって、こういう天晴な美談は好きだった。
「小癪な者に免じ、その方に太刀をやろう」
寺島半左衛門は恭しく頂いた。
「飛騨守の軍勢は大したものじゃ。褒めてとらあす」
「かたじけなし」
天下に名を馳せた巌石山攻防戦は、蒲生氏郷の名を高めた。
一方で、このときの戦いで新参の軍規違反が目立った。規律に厳しい氏郷は戦勝のそれに免ずるということをせず、果敢に処分を断行した。西村左馬之允。今度の一戦で抜け駆けの功名をあげた。日頃よりの武辺で氏郷に目をかけてもらっていたが、抜け駆けは軍令違反である。
「強ければ許されるということはない」
氏郷はこれを怒り、功を認めたうえで、軍令違反の咎により西村左馬之允を追放した。手打ちとしなかったのは、それだけの腕があればどの家でも召し抱えられようという、氏郷の配慮である。
その厚情に西村左馬之允は泣いた。このうえは他家に使えることなく帰参の術を強く念じた。
細川忠興は氏郷の朋友である。西村左馬之允はここへ泣きついた。
「なんだ、当家に仕えたいのだと思ったら、つまらぬことを」
「それがしには大事なことにて」
その必死の形相に、細川忠興は苦笑いした。
「お前も主君の性分を承知しているだろう。いまは駄目だ。帰洛したら取りなしてやるから、暫くは細川に陣借しとけ」
さばさばと、細川忠興は家老どもに西村左馬之允の処遇について旨くやるよう命じた。
五月八日、島津義久は秀吉に降伏し和平が成立する。
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