麒麟児の夢

夢酔藤山

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第4話 前門の虎 後門の狼

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第4話 前門の虎 後門の狼⑦


 野州河原の合戦とは、逃亡した六角入道承禎・義治父子が甲賀の武士を糾合し、南近江奪還のために挙兵したものだ。柴田勝家がこれにあたり、蒲生勢もこの軍勢に加わった。かつての守護ではあるが、近江にとって益を成すのは、今となれば信長である。かつての被官領主たちは、敵となって六角父子に対峙した。
 六月四日、両軍は野洲川北岸の乙窪あたりで衝突した。ほんの一刻ばかりの戦闘で決着がついた。柴田勢に追い散らされ、六角勢は引き退いていった。この戦いで六角勢と歩調を合わせるつもりだった浅井長政は、垂井・赤坂あたりを放火し、長比・苅安尾の城砦を修築して信長に備えた。信長もすぐに動いた。小谷城下へ侵攻し、焼き払った。浅井勢には朝倉義景、織田勢には徳川家康は合流した。
 二八日に激突した姉川の戦いは、信長勢の勝利だった。信長への包囲網は崩れる様子はなかったが、石山本願寺との一時和睦が成ったことにより、浅井長政が窮地に陥った。
 戦さは予断が許さぬ事態だった。
 それらの合戦で軍功を上げたものの、蒲生家は家来と呼べる者たちに満足な恩賞が与えられない。恩賞がなければ、兵は離反する。
 この悪循環は、末端の領主にとって頭の痛いところだ。
「情に求めるしかないのだな」
 賢秀のつぶやきに、忠三郎賦秀は良案を献策した。
「何をやっても難しいなら、駄目でもいいからやらせて欲しい」
というこの案に、賢秀も苦い顔で頷いた。
 日野城に代わるがわる家来が招かれた。
 功を褒められ、酒肴が振舞われた。切り詰めた中での精いっぱいの持成しだ。軍資の厳しいなかでの心遣いは、誰もが感じ入った。蒲生家の心遣いは暖かい。
「風呂でも馳走しよう」
 日野城に設けられた風呂とは、当時の常なる蒸し風呂だ。これは格別の馳走であると、家来たちは喜んだ。そして、心ゆくまで暖まった。
「加減はどうか」
 薪の焚き口から響く声は、忠三郎賦秀のものではないか。
 なんと、蒲生家の次期当主自らが、家来のために煤だらけとなり、煙に煽られて薪を焚いているのだ。これほどのことはあろうか。
「今は褒美が出せぬ。いつか上様から恩賞を賜ったときに、皆の働きに応えよう。どうかこれにて勘弁して欲しい」
 忠三郎賦秀の声が伝わる。
 風呂場で咽び泣く家臣は、家に戻ると一族にそれを伝えた。どの家でも、隔てなく忠三郎賦秀自らが焚き口にいた。
「あの若様は只者ではない」
 蒲生に従う者たちは、忠節を心に誓った。
 このことは人伝に信長の耳に入った。
 辛い状況にあって、一服の涼風であると信長は笑った。
 世にいう蒲生風呂の逸話は、真偽のほどはわからぬ。しかし人間というものを岐阜で学んだゆえの、忠三郎賦秀の機転と、人はいう。
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