麒麟児の夢

夢酔藤山

文字の大きさ
上 下
19 / 65

第4話 前門の虎 後門の狼

しおりを挟む
第4話 前門の虎 後門の狼 ⑥


 織田信長にとって数年に及ぶ受難の時期は、翌永禄一三年(1570)からはじまる。この年は年号が元亀と改元された。もっとも常に窮地というわけではなく、その波が大きかったというのが等しい。穏やかな時期、信長はこれといった者には茶を学ばせ、併せて教養と礼儀を学ばせた。蒲生忠三郎賦秀は千宗易に宛がわれ、その問いかけるものへの公案を学ばせた。
「茶は政道」
 そう云うは易し、その心を質すは難し。
 宗易の茶はそれだけではない。美の追求だ。美しさも極めれば刃にも等しく、その感嘆に人の心が動く。事実、忠三郎賦秀の心は宗易の美に刺し貫かれ感服した。
「ぜひともお弟子に」
 その申し出を、宗易は黙って承諾した。
 商人に武士が頭を下げる。そのようなことができるからこそ、新しい価値観を共有できるのだ。千宗易は忠三郎賦秀のことを、心からの敬意をこめて
「忠公」
と呼び、年齢を超えて丁重に接した。この交友は宗易の死まで続く。
 茶を愉しむことが、年を追うごとに難しくなった。足利義昭は信長の定めたことに逆らい、独断で諸国大名に密書を発した。
 信長を討て、というものだ。
 朝倉義景は義昭に応じ挙兵した。これを討伐すべしと企画した信長に、浅井長政は疑念を抱いた。あれほど信長を慕っていた浅井長政は、これにより反信長の側に心を変えたのである。一向一揆が尾張・三河でも発生し、信長も、徳川家康も、その対応に追われた。さらには甲斐の武田信玄と徳川家康が不和になることで、次第に信長を包囲するような空気が漲ったのであった。
 大局のことに未だ至らぬ忠三郎賦秀は、弱小な存在でありながら人物形成の醸造をしていた。
 蒲生家は柴田勝家の寄騎となり、自然と戦さの場も豪奢なことが多く、失う家中の者も少なくない。日野六万石の所領安堵といいながらも、蒲生家の抱えは旧六角家所領も含まれ、昨日まで同列とされた者を臣下とする矛盾もはらむ。
「所領の取りまとめを織田のやり方に置き換えたら、どうなるものだろうか」
 信長は楽市楽座の完成をもって、ゆるやかに、かつ性急に、武士と商工農の役割と分離した。中世以来の土地と武士という概念を兵の報酬に切り替えて、兵農分離を推進したのである。利は大きい。農閑期に縛られず、年中の戦さに動員が適うものだ。他国はまだ兵農一致であり、収穫期の戦さを嫌う。一方的な侵攻ができることは、用兵の概念を引っ繰り返す快挙といえよう。
「蒲生家もそれを採用し、生産者の専念を奨励することが大事と思います」
 忠三郎賦秀の言葉には、正論の重みがある。
「しかし、土地が生活の担保であったこと。頭では簡単に理解できぬものが人なり」
 賢秀の懸念もまた、正論だ。
「急ぐな、麒麟児」
 祖父・定秀は、いつも優しかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

魔斬

夢酔藤山
歴史・時代
深淵なる江戸の闇には、怨霊や妖魔の類が巣食い、昼と対なす穢土があった。 その魔を斬り払う闇の稼業、魔斬。 坊主や神主の手に負えぬ退魔を金銭で請け負う江戸の元締は関東長吏頭・浅草弾左衛門。忌むべき身分を統べる弾左衛門が最後に頼るのが、武家で唯一の魔斬人・山田浅右衛門である。昼は罪人の首を斬り、夜は怨霊を斬る因果の男。 幕末。 深い闇の奥に、今日もあやかしを斬る男がいる。 2023年オール讀物中間発表止まりの作品。その先の連作を含めて、いよいよ御開帳。

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

わが友ヒトラー

名無ナナシ
歴史・時代
史上最悪の独裁者として名高いアドルフ・ヒトラー そんな彼にも青春を共にする者がいた 一九〇〇年代のドイツ 二人の青春物語 youtube : https://www.youtube.com/channel/UC6CwMDVM6o7OygoFC3RdKng 参考・引用 彡(゜)(゜)「ワイはアドルフ・ヒトラー。将来の大芸術家や」(5ch) アドルフ・ヒトラーの青春(三交社)

処理中です...