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第2話 東風をいたみ
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第2話 東風をいたみ④
この年の伊勢攻めにあたり、信長はすぐに兵を退いた。このときの戦さは、ただ突いただけ、という例えが正しいだろう。美濃攻略が達成された以上は、東山道の前途が開ければ伊勢など後回しでもよかったのだ。しかし六角の抵抗が認められる以上、上洛の路を別に求めなければならない。
「久助(滝川一益)」
信長が質したのは伊賀攻めを行った滝川一益。この者、もとは甲賀の出で、伊勢と甲賀の密接さをよく知る男だ。
「九鬼のこと、ようしてのけた」
「は」
「路などは、なければ拓く。それだけのことだがや」
このときの伊勢攻めで、信長は志摩海賊衆で頼る者を失っていた九鬼右馬允嘉隆を味方につけるよう一益に命じていた。これを成しただけでも、今回の伊勢攻めは功ありというのが、信長の思惑だった。
「伊勢から甲賀に至る主な者、たしか神戸だったか。次の攻めでは討ち取らずとも、織田に与力させる落とし方でよい」
「滅ぼさぬので?」
「その家の名を奪うことが、のちのちのことになるで。目先の戦さなど、してはいかんだがや」
「はあ」
信長の思惟は深くて、理解できぬ。
が、滝川一益は阿呆ではない。むしろ利口であるが、生まれの身分で損をしているに過ぎない。世に純粋な才を登用する主あるとしたら、それは織田信長ただひとりだった。同じく美濃攻めで功を成した木下藤吉郎など、山窩の出ではないかという噂すらある。気味悪がって、世の大名は埒外や卑民を重んじることはないが、信長は別だった。
「次の戦さでは粉骨砕身励みます」
滝川一益の言葉に嘘はない。
励む限り、信長は応えてくれた。出自に恵まれぬ者にとって、これほど有難い当主はほかになかった。
この年の伊勢攻めにあたり、信長はすぐに兵を退いた。このときの戦さは、ただ突いただけ、という例えが正しいだろう。美濃攻略が達成された以上は、東山道の前途が開ければ伊勢など後回しでもよかったのだ。しかし六角の抵抗が認められる以上、上洛の路を別に求めなければならない。
「久助(滝川一益)」
信長が質したのは伊賀攻めを行った滝川一益。この者、もとは甲賀の出で、伊勢と甲賀の密接さをよく知る男だ。
「九鬼のこと、ようしてのけた」
「は」
「路などは、なければ拓く。それだけのことだがや」
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が、滝川一益は阿呆ではない。むしろ利口であるが、生まれの身分で損をしているに過ぎない。世に純粋な才を登用する主あるとしたら、それは織田信長ただひとりだった。同じく美濃攻めで功を成した木下藤吉郎など、山窩の出ではないかという噂すらある。気味悪がって、世の大名は埒外や卑民を重んじることはないが、信長は別だった。
「次の戦さでは粉骨砕身励みます」
滝川一益の言葉に嘘はない。
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