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第2話 東風をいたみ
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第2話 東風をいたみ②
永禄一〇年(1567)二月二一日。
「おおい、参られたぞ」
蒲生定秀は客人の姿を認めて城門を開いた。
連歌師・里村紹巴。富士見の旅に発ち、石塔寺を巡りて日野を訪れたのだ。高名な連歌師の名は蒲生家でも知れ渡っている。主従歓待の体で、里村紹巴は城に入った。
「京を発って、これほど歓迎されたためしなし」
里村紹巴は定秀・賢秀に礼を口上した。
ただ一流の文化人をこのとき泊めただけなど、野暮にも程がある。無論、酒席は設けただろう。が、それだけではない。蒲生家は教養も高く、このとき連歌の指南を望んだ。
ただの酔狂な家ならば、それなりにあしらうところである。
が、蒲生家については里村紹巴も無視できなかった。『新撰菟玖波集』は室町中期の准勅撰の連歌集であり、文化的にも高い評価がある。里村紹巴も目にしたことがあるはずだ。この新撰菟玖波集』には、定秀の祖父・貞秀の歌が五首も選ばれている。そう、蒲生家は連歌師の無視できぬ家だったのだ。
おや。
里村紹巴は蒲生家三代の揃う様に目を細めた。子供の内から教養を嗜むとは、武辺だけではない蒲生の家の姿勢を垣間見る心地だった。さりとて、紹巴を驚かせたのは、この子供の教養の高さだった。
「これは」
「当家の麒麟児よ」
定秀が呟いた。
無論、冗談だ。いや、どこまでが冗談なのだろう。恐ろしく利発な少年ではないか。この日、鶴千代は当第一の連歌師に文の道への萌芽を讃えられた。
こののち里村紹巴は東へ旅に出で、のちにその旅の様を『紹巴富士見道記』としてまとめる。このときの旅を通じ、里村紹巴は戦国の人材と接した。そしてその多くと終生の交誼を固めるのである。
鶴千代にとって、都の文化人は近江でもお目にかかれぬ存在だ。
その熱心さに打たれた紹巴は、求められた問いに誠心誠意応じたことだろう。そのときのことは、『紹巴富士見道記』においても
嫡男鶴千代殿、深夜までご長座ありて、酌とり酌とり謡ひ給へり
の一文で紹介するほどのことだ。
後年、ひとかどの人物となった少年と紹巴の交友が始まることは申すまでもない。
一期一会ではない、稀なる有意義だった。
この年四月。六角家において式目が制定された。いわゆる〈六角氏式目〉と呼ばれるそれは、他国でいうところの分国法とは異なる。南近江有力家臣が式目を起草し、六角入道承禎・義弼が承認するもので、さらには起請文を取り交わす念の入りようだった。この式目の注目するところは、守護たる六角氏への権力を制限する内容だ。
「これでは傀儡である」
六角義弼は不服そうだが、そもそもの発端は彼の短慮である。文句はいえない。
条文は所領相論、刑事犯罪、債務関係などをはじめ訴訟手続や年貢収納といった農民支配に特色がある。また、義弼が傀儡とぼやくように、六角氏の権限や恣意的行為を制約する内容が含まれる。この式目の目指すところは被官領主の権益を擁護するところにある。
これを下剋上ととらえるか、相互協調ととらえるかは、当事者の感性に委ねるべきだろう。こういう事態となったのは、義弼に原因がある。妥協も甘えも許されない。ただし守護家の尊重だけはあるのだ。
「以て瞑すべし」
六角入道承禎は一言だけ呟いた。
この式目制定をもって、義弼はその諱を義治と改めた。
永禄一〇年(1567)二月二一日。
「おおい、参られたぞ」
蒲生定秀は客人の姿を認めて城門を開いた。
連歌師・里村紹巴。富士見の旅に発ち、石塔寺を巡りて日野を訪れたのだ。高名な連歌師の名は蒲生家でも知れ渡っている。主従歓待の体で、里村紹巴は城に入った。
「京を発って、これほど歓迎されたためしなし」
里村紹巴は定秀・賢秀に礼を口上した。
ただ一流の文化人をこのとき泊めただけなど、野暮にも程がある。無論、酒席は設けただろう。が、それだけではない。蒲生家は教養も高く、このとき連歌の指南を望んだ。
ただの酔狂な家ならば、それなりにあしらうところである。
が、蒲生家については里村紹巴も無視できなかった。『新撰菟玖波集』は室町中期の准勅撰の連歌集であり、文化的にも高い評価がある。里村紹巴も目にしたことがあるはずだ。この新撰菟玖波集』には、定秀の祖父・貞秀の歌が五首も選ばれている。そう、蒲生家は連歌師の無視できぬ家だったのだ。
おや。
里村紹巴は蒲生家三代の揃う様に目を細めた。子供の内から教養を嗜むとは、武辺だけではない蒲生の家の姿勢を垣間見る心地だった。さりとて、紹巴を驚かせたのは、この子供の教養の高さだった。
「これは」
「当家の麒麟児よ」
定秀が呟いた。
無論、冗談だ。いや、どこまでが冗談なのだろう。恐ろしく利発な少年ではないか。この日、鶴千代は当第一の連歌師に文の道への萌芽を讃えられた。
こののち里村紹巴は東へ旅に出で、のちにその旅の様を『紹巴富士見道記』としてまとめる。このときの旅を通じ、里村紹巴は戦国の人材と接した。そしてその多くと終生の交誼を固めるのである。
鶴千代にとって、都の文化人は近江でもお目にかかれぬ存在だ。
その熱心さに打たれた紹巴は、求められた問いに誠心誠意応じたことだろう。そのときのことは、『紹巴富士見道記』においても
嫡男鶴千代殿、深夜までご長座ありて、酌とり酌とり謡ひ給へり
の一文で紹介するほどのことだ。
後年、ひとかどの人物となった少年と紹巴の交友が始まることは申すまでもない。
一期一会ではない、稀なる有意義だった。
この年四月。六角家において式目が制定された。いわゆる〈六角氏式目〉と呼ばれるそれは、他国でいうところの分国法とは異なる。南近江有力家臣が式目を起草し、六角入道承禎・義弼が承認するもので、さらには起請文を取り交わす念の入りようだった。この式目の注目するところは、守護たる六角氏への権力を制限する内容だ。
「これでは傀儡である」
六角義弼は不服そうだが、そもそもの発端は彼の短慮である。文句はいえない。
条文は所領相論、刑事犯罪、債務関係などをはじめ訴訟手続や年貢収納といった農民支配に特色がある。また、義弼が傀儡とぼやくように、六角氏の権限や恣意的行為を制約する内容が含まれる。この式目の目指すところは被官領主の権益を擁護するところにある。
これを下剋上ととらえるか、相互協調ととらえるかは、当事者の感性に委ねるべきだろう。こういう事態となったのは、義弼に原因がある。妥協も甘えも許されない。ただし守護家の尊重だけはあるのだ。
「以て瞑すべし」
六角入道承禎は一言だけ呟いた。
この式目制定をもって、義弼はその諱を義治と改めた。
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