小河内ムーンライト

夢酔藤山

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 温泉神社の境内地が人で埋め尽くされた。この社殿の造りは、弥生時代の高床倉庫によく似た神明造。この社殿の階段に腰を下ろして、二人は演奏した。
 ムーンライト・セレナーデ。
 本来ならばビッグバンドで演奏すべき、ゆったりとした旋律だ。しかし、トンボ一〇二型大衆型手風琴の調べでも、虫の音以外聴こえてこない月夜の下では鮮やかに映えた。ギターはあくまでも伴奏であり、ソロパートは、敢えて設けてはいない。
 三分二二秒。
 その演奏は月光がすべてを演出するかのように、聴衆の五感に染み込むものだった。
 演奏が終わると、誰も言葉を発することが出来なかった。
 僅か五秒、それが永遠とも感じられた静寂。
「ヘーックション」
 誰かのくしゃみが、静寂を破った。
 含み笑い、ざわめき、そして聴衆は拍手で二人を称えた。
「ジョーのサックスが聴きたい」
 誰かが声に出した。
 上寺智は当惑した。もう、ここにはサックスがないのだと、そう声に出そうとしたときだ。
「これを、ジョーに回してくれ」
 聴衆の後列から、スーツケースが手渡しで流れてきた。そのスーツケースは覚えがある。あのクラブの隣のバー。マスターが日常で用いていたものだ。開けてみると
「あっ」
 そこにあったのは、自分が愛用していたサックス。谷口楽器に売った、あのサックスだ。
 一筆箋があった。
「機材を売りにいったら、お前のサックスがまだあった」
 マスターはこの聴衆の波のどこかにいるのだろう。吹ける自信はないが、ここで吹かなければ一生後悔する。
(ここで最後にするのならば、このサックス以上のパートナーはいない)
 上寺智は立ち上がった。
「サンキュー、マスター」
 上寺智はサックスを掲げた。聴衆は喝采した。
「もう一度」
という言葉に、寺山聖は親指を立てた。一度の舞台で、彼はもう、一端を担うミュージシャンだった。
 大きく息を吸った。
 肺は、大丈夫だ。問題ない。
(いける!)
 サックスによる出だしは、手風琴のそれと異なり都会的な印象を匂わせた。
 同じ楽曲でも、楽器が変わればまるで別のものへと変わる。
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