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5.これで幾度目*
しおりを挟む「これで何度目だろうな。アンタが俺を捨てようとするのは」
銀狗を平地から森の方へと追い詰めながら、金霞は静かな口調でそんな事を言った。
あんなに小さかった子供は、立派な大人の男へと成長してしまった。銀鉤が見上げるほど背も高くなった。
笑えばそれこそ太陽のように輝いて見えたし、しっかりとあつらえた着物を着せればまるで貴族ほどに凛とした美しい男にだって変身した。
銀鉤は、そんな金霞の姿をみな知っている。
「さぁな」
努めて怯えを隠すように、銀狗は取り繕いながらじりじりと後ずさった。どうして良いのかまるで分からなかった。
今や彼は追い詰められる身で、しかもそうして追い詰めているのは己が育てた人間であるというのだから。
金霞は相変わらず表情も変えず、銀狗の後を追うようにゆっくりと近寄っていった。
まるで獲物を追い詰める獣のように。彼は言った。
「お前がどうしてそんな事をするのか、ガキの頃は分からなかった」
「……」
「俺を嫌っているのかと思ったこともあった。でも本当にそうなら、俺に見つかろうが何だろうが見捨てて行けばいいだけだ。だからそれは違う」
「私がお前を喰う為だったかもしれないぞ」
「それなら、こうして俺が生きていること自体おかしい。力のある成人になるまで待つ意味がない。……最初は本当にそうだったかもしれないけれど、今はもう違うんだろ?」
その背が木の幹にぶつかった。震えそうになる声を必死で押し殺しながら、銀鉤は金霞を見上げた。
「あれは全部、俺を人里へ戻すためにやったんだろう?」
言うや否や、金霞は銀鉤を囲うように木の幹へ両手を付けた。強い眼差しで銀鉤を射貫き、表情も変えずに顔を近づける。
「俺が嫌だと言おうが、アンタはそうするつもりだったろう」
「……」
「本当は自分だって独りぼっちになりたくない癖に」
銀鉤は思わず瞠目した。
何もかもを見透かされているような気分だった。今や互いの息遣いが聞こえてきそうなほど、金霞はその顔を近づけている。
銀狗はそんな金霞の目の中に、情けない顔をしている己の姿を見た。
金霞の言葉はさらに続いた。
「もう鬼ごっこは終わりだ、銀鉤。アンタの負けだ。俺は望んでアンタと一緒にいる。もしそれでも、お前が俺から離れようってんなら――俺ももう、我慢は捨てようと思う」
「我慢……? お前、何を言っ――」
銀狗の言葉を遮るように、金霞ははだけた彼の着物の隙間から手を入れ、その脚に触れてきたのだ。
予想外の金霞の行動に銀鉤は混乱する。
「そんなの決まってる」
言いながら金霞は、銀鉤に密着するようにその体をすり寄せてきた。銀狗の両腕は未だに拘束されたままで、彼の行動を押さえる事さえできない。
銀狗は慌てて口を開いた。
「だから、一体何を――っ!」
だが、金霞はその言葉の続きを許さなかった。銀狗の口を塞ぐようにして、己の唇を押し当ててきたのだ。。堪らず銀鉤はびっくりと体を震わせた。
それはそれは、経験したこともないほど深い口付けだった。
一体何を思って金霞がこんなことをするのか。銀鉤は驚くばかりで、その真意を理解しかねていた。
「んっ……!」
自分でも聞いたことのないような鼻にかかった声が、時折喉から漏れ出る。その舌が蠢く度、銀鉤の背筋にぞわぞわとしたものが駆け巡った。
いつの間にか添えられていた金霞の手が、銀鉤の項をするりと優しく撫でる。すると突然、ガクンと力が抜けた。脚に力が入らなくなってしまった。
脚の間に入れられていた金霞の片膝が体を支えるが、それでも彼の口付けが止む事はなかった。
まるで初めての経験に、銀鉤はすっかり翻弄されてしまっていた。
「ふぅ、はっ、はぁ……」
ようやくその口が離れる頃には、銀鉤は息も絶え絶えだった。苦しくて、けれども気持ちが良かったのだ。
体は妙に火照っていて、自分のあらぬところに熱が集まっている自覚があった。ただの一回の口付けで。
すっかり力の入らない銀狗の体を木の幹へと押し付けながら。金霞は、銀狗がまるで知らない男のような表情で言った。
「ずっと……、こうしたくて仕方なかった」
顎下に手を差し入れて上を向かせながら目を合わせている。
金霞のその目はどこか切なそうに歪められていて、まるで泣きそうな表情をしていた。
今までに見た事もなかった。そんな表情をさせてしまっているのが自分なのかと思うと、胸の中が抉られるような気分だった。
「金霞お前、一体どういう――」
「銀狗が愛おしくて仕方ない。食ってしまいたいくらい」
「!」
「アンタのココに俺の逸物をぶち込んでやりたいし、その体に噛みつきたいと思う」
言いながら金霞は、自分の脚の上に乗っている銀鉤の尻を両手で鷲掴んだ。興奮したように銀鉤の耳元に唇を添えて囁き、いやらしい手つきで揉みしだく。
「ッ……」
「もう、ずっと前から。ガキの頃から――アンタが好きで堪らなかった。でも、俺がこんな事思ってるって分かったらアンタが離れて行ってしまう気がして。だからずっと、我慢してたんだ」
無意識にも震え出した銀鉤の耳を甘噛みしながら、金霞は更に言葉を続ける。
「ずっと、本当にずっとずっと我慢してきた。それなのに……アンタは俺を捨てると言う」
そう言った金霞はどこか苦しそうだ。銀鉤の目にはまるで、彼が泣いているように見えた。
今まで全く知らなかったそんな金霞の本心に、銀狗の決心が揺れそうになる。
「それなら俺だって黙ってられない。アンタがもっと離れ難いと思うくらい、俺を刻み付ける」
そう言うが早いか。
金霞はなんと、銀鉤の肩口に嚙みついてみせたのだ。
あまりに予想外の行動に、銀狗は堪らず悲鳴を上げた。
「いっ――、キン、カ、やめっ、痛い――ッ!!」
突然の事に反応もできず、その痛みに体が強張る。幸いな事に、噛みつかれたのはほんの一瞬で、金霞の口はすぐに離れていった。
久しく流したことのない血が、その傷口から流れ出ているのが分かった。金霞はその傷口に舌を這わせ、時折そこに唇を押し当てている。
金霞の事がまるで理解できない。銀狗は自分に落ち着けと言い聞かせるように、その場で深く息を吐き出したのだった。
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