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4.正体
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元々限界は感じていたのだ。
銀狗もまた、自分の食事を取らなければならない。その度に金霞を街へと遣いにやっていたのだが、ここ数年は随分と怪しまれていたようだった。
銀狗が帰る頃には既に金霞が戻って何刻も経った後だったり、銀狗が一人で何処かへ出かけようとすると金霞に引き留められたりもした。
――俺を他所へ行かせて、アンタは一体何処で何をしてるんだ――?
適当にそれを躱しながら、銀狗はこれまでその正体を隠し続けてきたのだ。
銀狗が金霞から離れるべき時はもう、とっくに過ぎていた。それでも離れられなかったのは、銀狗の弱さ故だ。
けれどこれで、銀狗は金霞に嫌われて心置きなく彼から離れられるのである。喜ぶべき事ではないか。何も悲しむ事はない。
震える手を握り締めながらそう覚悟を決めると。銀狗は血に濡れた口許をその手で拭い、ゆっくりと振り返りながら彼に向かって言い放った。心にもない、その言葉を。
「ああ、そうだぞ金霞。――だから早く、私から離れろと言っただろうに」
自分は笑えているだろうか。そんな事を思いながら、彼は金霞の顔を見た。
いつもコロコロと表情を変えるその彼が、今ばかりは無表情に銀狗を見つめていた。
「いつからだ? お前はいつから疑っていた」
「ずっと、前から。……容姿が全く変わらないから変だとは思ってた」
「そうか。ならばとっとと私に捨てさせてくれれば良かったものを。知らずにいた方がお前も傷は浅かったろうに」
「……」
「分かったならさっさと行ってしまえ。見逃してやる。そうでなければ、ここで喰うてしまうぞ」
想像していた以上に金霞は聡明だった。もしくは、いつまでもずるずると金霞と共にいた銀狗が阿呆だったのかもしれない。
こうなっては、意地でも金霞とは離れなければならない。そうでなければ、彼自身が人間としても生きづらくなるに決まっているのだ。
そんな事を思いながら、銀狗はわざと彼の傷付くような言葉を選んで使った。心にもない事をツラツラと。
「お前さえ居なければ、私は鬼として自由になれる。お前に振り回されるのも、もう疲れ――ッ!」
だがその時だった。
突然、何かに縛られたように体が動かなくなってしまったのだ。上半身、腕なんかはピクリともしない。
今までに経験した事もない現象に、銀狗は困惑した。
そんな彼の目の前で、金霞は静かに言ってみせた。
「そこまでにしてくれ、銀狗。俺の我慢がきく内に済ませたい」
「ッおい、何だこれは……!」
冷静にそんな事を言う金霞を前に、銀狗は叫んだ。
金霞は右手の人差し指と中指を上に立て、それを胸の前で構えている。今までに銀狗が見た事がない仕草だった。もしや、この見えない拘束も金霞がやったのであろうか。
銀狗は訳の分からない不安に駆られながら、目の前の金霞に目をやった。
彼は相変わらず気味が悪いほどの無表情でいる。どうしてだかこの時ばかりは、金霞の事が恐ろしく感じられた。
「アンタが鬼だとか怪異だとかいうのは、薄々感じてた事だからこの際どうでもいいんだ」
「は」
「アンタは解ってないんだろうけど、俺が一番恐れてるのは……銀狗、アンタが俺の前から姿を消す事だ」
「何、言って……鬼は人を喰う! お前のような人間と共に居たところで相容れない。私が、お前を襲うかもしれないだろうが」
「それなら子供の頃に俺を襲ってる筈だ。わざわざ俺が成人するまで育てた事自体が不自然だ」
金霞は冷静に言葉を紡ぎながら、銀狗をじわじわと追い詰めてゆく。大股で一歩一歩、ゆっくりと近寄ってきていた。
縛られているせいで時折よろけながら、銀狗はそれから逃れるように後ずさる。
「ッ、だから、私は人を襲――」
「戦場にばかり出る鬼が居ると聞いた」
「!」
「その鬼に出会すと、その美しさ故に自ら進んで死んでしまうらしい。そんな力があるなら、何故鬼は戦場にばかり出る? 山中や街中で出たという噂は聞かない。その方が断然、楽だろうに」
「……」
「その解はきっと、その鬼が生きている人間を喰わないからだ」
金霞のその言葉に唖然とした。共に暮らしていながらずっと、金霞もまたそれを隠していた事になる。噂に聞くその鬼が誰であるか、それを知りつつ銀狗を泳がせていたのであろうか。
銀狗は何も考えられなくなった頭のまま、金霞の言葉を聞いていた。
「戦場なら、何人喰われようが居なくなろうが元々死んでる。死体が一部無くなろうが誰も気にしない。……だからその鬼は、人を殺したくないのだろうと俺は思ったんだ」
「そんなのはただの噂に過ぎない。憶測に過ぎない。私がその鬼だという証拠すらもない」
「ああ、そうだな。――だが、俺は知ってる。アンタは、決して人里へ出ようとはしなかった。誰であろうと、人間のフリをしていても会おうとすらしなかった。普通の鬼であったならそれは不自然だ」
金霞の言う通りであった。
銀狗は人前には決して現れなかった。日中外に出ることすら滅多にしなかった。少しでも、正体が公になる可能性を排除したかった。
「それは何故か? 銀狗こそが、出会うだけでその人間を殺してしまう鬼からだ。戦場に出るというその鬼以外で、それ程強力に人を魅了する鬼の話は聞いたことがないそうだ」
そんな金霞の話の途中で、銀狗は違和感を覚えた。金霞があまりにも鬼の事情に詳しすぎるのだ。
その好奇心を抑えられず、銀狗は恐る恐る彼に聞いた。
「聞いた事がないそうだ――? 金霞お前、誰からそんな話を聞いた? 私以外の鬼の話など、そうそう聞ける筈が――」
「俺の師匠だ」
「!」
「京の都で長いこと、あやかしの退治人をしていたそうだ。鬼の話はすべてその人から聞いた。今、アンタを縛ってる術もその人から教わったものだ。俺にはその手の才能があると――」
その瞬間、銀狗の中で何かが繋がった。
金霞が何故、消えた銀狗の居場所をすぐに突き止めてしまうのかも。そしてお喋りな金霞が何故、その師匠や仕事については何も話そうとしなかったのかも。
全部が繋がってしまった。
金霞は化け物の退治人として恐らく唯一、銀狗を殺す事ができるのである。
気付けば目の前に立っていた金霞を、銀狗は茫然と見上げていた。
銀狗もまた、自分の食事を取らなければならない。その度に金霞を街へと遣いにやっていたのだが、ここ数年は随分と怪しまれていたようだった。
銀狗が帰る頃には既に金霞が戻って何刻も経った後だったり、銀狗が一人で何処かへ出かけようとすると金霞に引き留められたりもした。
――俺を他所へ行かせて、アンタは一体何処で何をしてるんだ――?
適当にそれを躱しながら、銀狗はこれまでその正体を隠し続けてきたのだ。
銀狗が金霞から離れるべき時はもう、とっくに過ぎていた。それでも離れられなかったのは、銀狗の弱さ故だ。
けれどこれで、銀狗は金霞に嫌われて心置きなく彼から離れられるのである。喜ぶべき事ではないか。何も悲しむ事はない。
震える手を握り締めながらそう覚悟を決めると。銀狗は血に濡れた口許をその手で拭い、ゆっくりと振り返りながら彼に向かって言い放った。心にもない、その言葉を。
「ああ、そうだぞ金霞。――だから早く、私から離れろと言っただろうに」
自分は笑えているだろうか。そんな事を思いながら、彼は金霞の顔を見た。
いつもコロコロと表情を変えるその彼が、今ばかりは無表情に銀狗を見つめていた。
「いつからだ? お前はいつから疑っていた」
「ずっと、前から。……容姿が全く変わらないから変だとは思ってた」
「そうか。ならばとっとと私に捨てさせてくれれば良かったものを。知らずにいた方がお前も傷は浅かったろうに」
「……」
「分かったならさっさと行ってしまえ。見逃してやる。そうでなければ、ここで喰うてしまうぞ」
想像していた以上に金霞は聡明だった。もしくは、いつまでもずるずると金霞と共にいた銀狗が阿呆だったのかもしれない。
こうなっては、意地でも金霞とは離れなければならない。そうでなければ、彼自身が人間としても生きづらくなるに決まっているのだ。
そんな事を思いながら、銀狗はわざと彼の傷付くような言葉を選んで使った。心にもない事をツラツラと。
「お前さえ居なければ、私は鬼として自由になれる。お前に振り回されるのも、もう疲れ――ッ!」
だがその時だった。
突然、何かに縛られたように体が動かなくなってしまったのだ。上半身、腕なんかはピクリともしない。
今までに経験した事もない現象に、銀狗は困惑した。
そんな彼の目の前で、金霞は静かに言ってみせた。
「そこまでにしてくれ、銀狗。俺の我慢がきく内に済ませたい」
「ッおい、何だこれは……!」
冷静にそんな事を言う金霞を前に、銀狗は叫んだ。
金霞は右手の人差し指と中指を上に立て、それを胸の前で構えている。今までに銀狗が見た事がない仕草だった。もしや、この見えない拘束も金霞がやったのであろうか。
銀狗は訳の分からない不安に駆られながら、目の前の金霞に目をやった。
彼は相変わらず気味が悪いほどの無表情でいる。どうしてだかこの時ばかりは、金霞の事が恐ろしく感じられた。
「アンタが鬼だとか怪異だとかいうのは、薄々感じてた事だからこの際どうでもいいんだ」
「は」
「アンタは解ってないんだろうけど、俺が一番恐れてるのは……銀狗、アンタが俺の前から姿を消す事だ」
「何、言って……鬼は人を喰う! お前のような人間と共に居たところで相容れない。私が、お前を襲うかもしれないだろうが」
「それなら子供の頃に俺を襲ってる筈だ。わざわざ俺が成人するまで育てた事自体が不自然だ」
金霞は冷静に言葉を紡ぎながら、銀狗をじわじわと追い詰めてゆく。大股で一歩一歩、ゆっくりと近寄ってきていた。
縛られているせいで時折よろけながら、銀狗はそれから逃れるように後ずさる。
「ッ、だから、私は人を襲――」
「戦場にばかり出る鬼が居ると聞いた」
「!」
「その鬼に出会すと、その美しさ故に自ら進んで死んでしまうらしい。そんな力があるなら、何故鬼は戦場にばかり出る? 山中や街中で出たという噂は聞かない。その方が断然、楽だろうに」
「……」
「その解はきっと、その鬼が生きている人間を喰わないからだ」
金霞のその言葉に唖然とした。共に暮らしていながらずっと、金霞もまたそれを隠していた事になる。噂に聞くその鬼が誰であるか、それを知りつつ銀狗を泳がせていたのであろうか。
銀狗は何も考えられなくなった頭のまま、金霞の言葉を聞いていた。
「戦場なら、何人喰われようが居なくなろうが元々死んでる。死体が一部無くなろうが誰も気にしない。……だからその鬼は、人を殺したくないのだろうと俺は思ったんだ」
「そんなのはただの噂に過ぎない。憶測に過ぎない。私がその鬼だという証拠すらもない」
「ああ、そうだな。――だが、俺は知ってる。アンタは、決して人里へ出ようとはしなかった。誰であろうと、人間のフリをしていても会おうとすらしなかった。普通の鬼であったならそれは不自然だ」
金霞の言う通りであった。
銀狗は人前には決して現れなかった。日中外に出ることすら滅多にしなかった。少しでも、正体が公になる可能性を排除したかった。
「それは何故か? 銀狗こそが、出会うだけでその人間を殺してしまう鬼からだ。戦場に出るというその鬼以外で、それ程強力に人を魅了する鬼の話は聞いたことがないそうだ」
そんな金霞の話の途中で、銀狗は違和感を覚えた。金霞があまりにも鬼の事情に詳しすぎるのだ。
その好奇心を抑えられず、銀狗は恐る恐る彼に聞いた。
「聞いた事がないそうだ――? 金霞お前、誰からそんな話を聞いた? 私以外の鬼の話など、そうそう聞ける筈が――」
「俺の師匠だ」
「!」
「京の都で長いこと、あやかしの退治人をしていたそうだ。鬼の話はすべてその人から聞いた。今、アンタを縛ってる術もその人から教わったものだ。俺にはその手の才能があると――」
その瞬間、銀狗の中で何かが繋がった。
金霞が何故、消えた銀狗の居場所をすぐに突き止めてしまうのかも。そしてお喋りな金霞が何故、その師匠や仕事については何も話そうとしなかったのかも。
全部が繋がってしまった。
金霞は化け物の退治人として恐らく唯一、銀狗を殺す事ができるのである。
気付けば目の前に立っていた金霞を、銀狗は茫然と見上げていた。
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