上 下
2 / 7

2.子供の話

しおりを挟む

 銀鉤ギンコウはその日から、赤子の世話に奔走されていた。病気をすることもあったけれども、赤子は順調に成長していった。

 老いで死ぬことのない、何百年と生きた鬼にとってはわずかな時だった。それでも赤子と過ごした時間は今までの何倍も長く、そして楽しいものとさえ彼には思われていた。それほどに孤独というのは退屈なものだったのだ。退治に来る者さえ現れない、特殊な彼にとっては。

 獣の乳を飲み川の魚を食べ、すくすくと少しずつ大きくなっていく子供に、銀鉤は何故だか妙な心地を覚えた。できるはずもないのに、このままずっと子供のままで自分と共にいてくれたらどんなに良いことだろうかと。らしくもなくそんな事を思った。

 彼が喋らずともそれでよかった。このままこうして共にいてくれるだけで、銀鉤は退屈を忘れられた。

 銀鉤はその男児を金霞キンカと名付けた。
 空が黄金色に輝くその一時をそう言うのだと、小耳に挟んだ事があった。
 
 闇の中でしか生きられぬ自分とは違い、この子供は人として生きることができる。青く冴えた空の下、彼が他の者たちと同じように人間として生きるその時を銀狗は想像した。

 朝焼けに見える黄金色の空のように、この子には人間としての明るい未来が約束されている。それを思って付けた名だった。

「私の名は銀鉤ギンコウだ。金霞キンカ、言うてみろ。ギ、ン、コ、ウ」

 銀鉤は自分を指さしながら言った。
 それをまん丸な目でジッと見たかと思うと、金霞は嬉しそうに声を上げ、銀鉤を見上げながら真似するように言った。

「ギンコ! ギン!」
「……少し違うが、まぁ、それでよい。お前の名は金霞キンカだ。言うてみろ。キ、ン、カ」

 褒めるように頭を撫でてやってから同じように金霞を指さし、ゆっくりと言って見せる。すると金霞は銀鉤の方を指さすと、キャッキャと笑いながら言ってみせた。

「ギンコ! ギン! ギン!」

 余程頭を撫でられたのが嬉しかったのか、何度も何度も繰り返し銀鉤の名前を呼ぶ。それに苦笑しながらも、銀鉤は再び金霞の頭をぐりぐりと撫でてやった。

「……お前にはまだ早かったな。――どれ、そろそろお前のために魚を採ってこよう。昼にお前が食えるように用意しておかねば。ついてきなさい」
「ギン! たかな!」
「ああ、そうだ。お前の好きな魚だ」
「あかな! しゅき!」

 子が少しずつ人間らしく成長していく内、彼がとても輝かしい容姿に恵まれ、聡明で吞み込みの早い子供だというのが分かってきていた。
 この分だと、自分を育てているのが同じ人間ではないのだといつかは必ず気付いてしまうだろう。

 銀鉤はそれを、どうしてだか少しずつ恐れるようになっていった。自分が金霞と同じ人を喰らう異形の者だと知った時。この子供は一体、何を思うのか。



 金霞が成長してしっかり言葉を話すようになると、昼時に人里へ行かせては買い物の遣いをさせるようになった。

 金霞は人間だ。いつかは人里に下りて暮らすことになるに違いない。だとすれば、人としての知識もそれなりに持っているべきなのであって。これはその訓練でもあるのだ。

「おじさん、これちょうだい!」
「おや坊主、お前さんそんな小さいのに偉いなぁ。お使いかい」
「そう! にぃちゃんがかってこいって」
「よしきた、お前さんには特別にでかいのをやろう」
「やったー! おじさんありがとう」
「いいやいいや、また、ごひいきにな」
「あらやだお前さん、かわいい子にでれでれしちゃって」
「うるせいやい! てめぇこそ――」
「またねーおじさん!」
「……おう、気を付けてけぇれよ!」
「はぁい!」
「あらかわいい、あの面相で男の子なのねぇ……ちょっとわたしあの子送っていくわ、心配だもの」

 
 ああしていつまでも野山を駆け回っていては、いつか自分のような鬼になってしまうのではないか。そもそもあの輝くような美しさが損なわれてしまうのではないか。銀鉤のこれは、それらに対する危惧からくるものだった。どちらかといえば後者の思いの方が強かったが。
 銀鉤は腐っても元は貴族筋の男だ。美醜に対する思考もそれなりにまともなのだ。もし万が一そうなっては親としては見過ごせない。金霞にすっかり毒されていた銀鉤は、親バカ的な思考でもってそんな事を定期的にさせるようになった。

 金霞が何者かに絡まれぬよう、影に潜み見守りながらその様子を盗み見た。決して他の者に見られぬよう細心の注意を払う必要があったが、ずっと使わずにいた鬼の能力が役に立った。

 鬼は人に憑くことができる。影に潜むことができる。
 なるべく死んでもかまわないような粗暴な男を探し、取り憑き、その子の様子を見守った。眠気を我慢しながらの観察は骨が折れたが、金霞の安全と将来のためだ。人を食う鬼が人の成長のために様子を見守るだなんて、何とも奇妙な心地ではあったが、不思議と苦痛には感じられなかった。

 巷では鬼を見破る術師の類いがいるともっぱらの噂だが。そんな術師すら銀鉤の姿を見てしまったら、きっと自らその身を捧げるに違いない。
 この世に銀鉤を殺せる者がいるとしたら。それは、銀鉤の姿を美しいと思わず、この姿に少しも魅了されない特異な者なのだろう。そんな者、この世にいるとは思えない。それは彼の確信だった。

 隣に先程の店の女を連れながら、金霞は笑いながらてくてくと歩いている。
 願わくばこの子供が、鬼の事など何も知らずに大きく成長するようにと。鬼らしからぬ思考でもって、銀狗はそんなことを思った。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ゆるふわメスお兄さんを寝ている間に俺のチンポに完全屈服させる話

さくた
BL
攻め:浩介(こうすけ) 奏音とは大学の先輩後輩関係 受け:奏音(かなと) 同性と付き合うのは浩介が初めて いつも以上に孕むだのなんだの言いまくってるし攻めのセリフにも♡がつく

嫌がる繊細くんを連続絶頂させる話

てけてとん
BL
同じクラスの人気者な繊細くんの弱みにつけこんで何度も絶頂させる話です。結構鬼畜です。長すぎたので2話に分割しています。

肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?

こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。 自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。 ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

平凡な研究員の俺がイケメン所長に監禁されるまで

山田ハメ太郎
BL
仕事が遅くていつも所長に怒られてばかりの俺。 そんな俺が所長に監禁されるまでの話。 ※研究職については無知です。寛容な心でお読みください。

潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話

あかさたな!
BL
潜入捜査官のユウジは マフィアのボスの愛人まで潜入していた。 だがある日、それがボスにバレて、 執着監禁されちゃって、 幸せになっちゃう話 少し歪んだ愛だが、ルカという歳下に メロメロに溺愛されちゃう。 そんなハッピー寄りなティーストです! ▶︎潜入捜査とかスパイとか設定がかなりゆるふわですが、 雰囲気だけ楽しんでいただけると幸いです! _____ ▶︎タイトルそのうち変えます 2022/05/16変更! 拘束(仮題名)→ 潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話 ▶︎毎日18時更新頑張ります!一万字前後のお話に収める予定です 2022/05/24の更新は1日お休みします。すみません。   ▶︎▶︎r18表現が含まれます※ ◀︎◀︎ _____

プロデューサーの勃起した乳首が気になって打ち合わせに集中できない件~試される俺らの理性~【LINE形式】

あぐたまんづめ
BL
4人の人気アイドル『JEWEL』はプロデューサーのケンちゃんに恋してる。だけどケンちゃんは童貞で鈍感なので4人のアプローチに全く気づかない。思春期の女子のように恋心を隠していた4人だったが、ある日そんな関係が崩れる事件が。それはメンバーの一人のLINEから始まった。 【登場人物】 ★研磨…29歳。通称ケンちゃん。JEWELのプロデューサー兼マネージャー。自分よりJEWELを最優先に考える。仕事一筋だったので恋愛にかなり疎い。童貞。 ★ハリー…20歳。JEWELの天然担当。容姿端麗で売れっ子モデル。外人で日本語を勉強中。思ったことは直球で言う。 ★柘榴(ざくろ)…19歳。JEWELのまとめ役。しっかり者で大人びているが、メンバーの最年少。文武両道な大学生。ケンちゃんとは義兄弟。けっこう甘えたがりで寂しがり屋。役者としての才能を開花させていく。 ★琥珀(こはく)…22歳。JEWELのチャラ男。ヤクザの息子。女たらしでホストをしていた。ダンスが一番得意。 ★紫水(しすい)…25歳。JEWELのお色気担当。歩く18禁。天才子役として名をはせていたが、色々とやらかして転落人生に。その後はゲイ向けAVのネコ役として活躍していた。爽やかだが腹黒い。

白雪王子と容赦のない七人ショタ!

ミクリ21
BL
男の白雪姫の魔改造した話です。

処理中です...