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黄昏の吸血鬼
78.そこへと至る道筋(前)
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ぼんやりと歩いていたら、ジョシュアは目の前のものに激突した。
「わっ、びっくりした……“影の”?」
「あ、……悪い、ボーッとしてた」
自分でも驚いて視線を持ち上げると、目の前にはイライアスの背中があった。どうやらジョシュアの気付かぬ内にイライアスは立ち止まっていたようで、そこに彼が激突したという事らしかった。
余程驚いたようで、イライアスも目をまん丸にしながら後ろのジョシュアの方をを振り返っていた。よろけそうになったジョシュアを支えるように、イライアスの手がその肩を掴んだ。
鼻を強めにぶつけたようで、その微かな痛みに顔を顰めた。
「珍しいね……いつもしっかり周囲見てるのに」
「……どこか具合でも悪いのでは?」
イライアスに加えてヴェロニカからも、ジョシュアを心配する声がかかった。
「少し考え事をしてただけだ。何もない」
肩に置かれた手をそっと外しながらジョシュアは言った。慌てて取り繕うような言い方になってしまって、二人は無言のまま目を合わせるとすぐ、帰ろうだなんて提案をしてくる。過保護な保護者、なんて言葉がジョシュアの頭に浮かんだ。
「駄目ですわ、そんなの。この所色々ありましたし、貴方も疲れているのよ」
「……うん、そうだね。そろそろ帰ろっか?」
「え」
「ええ。わたくしはほとんど観たいものは観れましたし、それがいいと思いますわ」
「っおい、二人共……」
「んじゃあそれで」
こんな場面でボーッとしていたジョシュアも悪いのだが。そういう息の合った様を見せ付けられると、ささくれ立った心が益々荒んでいくようだった。二人に近付き過ぎないで欲しいだなんて。そんな事、言えるはずもなかった。
大丈夫なんだと止めるジョシュアの声も聞かず、二人は強引にジョシュアの体の向きを変えてしまう。背中をぐいぐい押されながら、なす術もなくあの屋敷の方へと足が向いた。
「ほら、突っ立てないで……帰りますわよ!」
「ちょっ……、いや、ほんと別に何も……、まだ見れてない所あるだろ?」
「別に今日でなくても構いませんわ。わたくしも、もうしばらくは滞在できるようにしてもらうつもりですの」
「ね、こうやって当人がいいって言ってるんだしさぁ? ここは大人しく帰ろ?」
ジョシュアの気持ちなんて知った事かと、イライアスとヴェロニカは二人で結託してどんどん先へと進んで行ってしまう。彼らのそういう示し合わせたような気遣いが今は、ジョシュアにはどうしてだか鬱陶しくすら感じられさえする。
それでも無碍にするだなんてのは到底考えられなくて。ジョシュアはいつものように流されるまま、彼らの指示に従ったのだった。
「――では、頼みましたわよ」
「はいはーい」
そうして結局、ジョシュアは真っ直ぐにあてがわれた部屋へと押し込められてしまった。当然イライアスは同室だからとヴェロニカを見送る訳なのだが。
ほんの一瞬で部屋を出ていってしまった彼女との別れ際。意味ありげな視線をイライアスに投げかけるヴェロニカを見て、ジョシュアは奇妙なほどもやもやとした気分を抱えてしまう。
これが何なのか分かりそうで分からない。自分の感情の置き所が分からず、ジョシュアの感情はほとんど途方に暮れていた。まるで初めての経験にどうして良いかまるで分からなかった。まるで、子供にでも戻ったような気分だった。
ジョシュアは今はそんな有り様であるから。イライアスが目の前に立った事に、しばらく気付く事ができなかった。
「……ジョシュア?」
名前を呼ばれてようやくハッとする。僅かに俯いていた顔を上げれば、目線をジョシュアに合わせてくるイライアスの視線とかち合った。
「さっきからボーッとしてる。観光の途中からだよね? ……どうしたの? なんか、機嫌悪そうにも見える」
早速不機嫌を言い当てられてしまって、ジョシュアは無意識に視線を逸らした。
「や……ただ、考え事をしていて」
「……それって、何か嫌な事についてとか?」
「嫌な事かは分からない。ただ、何でそう思うのかと考えていた。別に、不機嫌な訳でもない」
咄嗟にそう嘘を吐いた。嫌だと思う自分の醜い感情を知られたくなくて、子供じみた不機嫌を押し隠しながら普段通りに振る舞おうとする。
けれど、イライアスは納得がいっていないようで。ジョシュアを真っ直ぐに見ながら小首を傾げている。見透かされているかのようなその視線に、ジョシュアは益々機嫌を損ねていった。
「――ふぅん……?」
「……何だよ」
何やら言いたそうな声を上げる彼に、ジョシュアまるで睨み上げるようにして視線を合わせた。
どこまでもいつも通りなイライアスの姿が、どうしてだかこの日ばかりは不服に思われた。
自分ばかりが振り回されている。いつもはそれも悪くないとさえ思われていたのに。不服だと思うのは、今回が初めての事だった。
そのまま結局どちらも喋らず。ジョシュアはぶすっとして黙り込んだまま、人間のように寝支度を整えた。
イライアスには背を向け、無駄に豪華なベッドに横になる。そのまま目を瞑ってジッとしていると、睡魔が訪れるのはあっという間だった。
これから本格的な夜を迎えようというのに、吸血鬼であるジョシュアがこんなにも睡眠を欲しているだなんて。何が原因かは分からないけれど、疲れていたのは指摘された通りのようだった。
薄らとヴェロニカとの血の相性について考えながら。ジョシュアはそのままひと足先に、眠りについてしまったのだった。
意識の落ちるその間際。
慣れ親しんだ重みが自分の身体にかかったような気がして。ジョシュアはたちまち安心感すら覚えながら、眠りについた。
◇ ◇ ◇
すぅすぅと眠りについた呼吸音を耳に、イライアスは背中から抱き付いたジョシュアの身体を自分の方へと引き寄せた。
こうして彼の背や腹に抱き付きながら眠るようになってから随分と経つ。初めの頃は、ジョシュアには無言で腕や脚を突っ張られて抵抗されたりもしたが。今ではすっかり慣れてしまったのか、特に何も言われなくなった。いっその事添い寝がジョシュアのなかでも定着しつつあるのだ。
時折暑苦しい、だなんて文句を言われたりもするが、抵抗はされない。それどころか、最近では無意識なのか、イライアスのスペースを開けたままジョシュアが眠っていたりする。自分からイライアスの方へと寄って来てくれるようにもなった。
自分がずっと共に居たいと告げてから結構経つのだが。そういう行動の一つ一つがもう、ほとんど答えのような気すらしていた。ジョシュアの方からハッキリと返事を返された記憶はないけれども、そういう態度で十分、イライアスにも伝わっていた。
何せ自分とジョシュアとは男同士で、しかもジョシュアなんて、つい最近までは人間だったのだ。そういった知らない世界の諸々を受け入れるのに時間がかかっても仕方がない。
長い間生き、それに合わせて随分と気も長くなったイライアスには、ジョシュアの言葉を待てるだけの余裕はある。
それにイライアスには確信があった。ジョシュアはきっとこのまま自分を受け入れてくれる。そういう直感のようなものを感じていた。
徐々に徐々に、優しく強引に彼の懐に入り込んでいって、自分というオトコを刻み込んできた。それがようやく最近、実を結びつつある。
――イライアスが喜ぶ事を、返せればと
そんな事を言われて嬉しくないはずがない。誘ってる自覚もあるだなんて言われて、イライアスが本気で気絶しそうな程嬉しかったのは記憶に新しい。
それに加えてだ。先程のジョシュアとのやり取り。それを思い出すとどうしても、イライアスは顔のニヤつきが止まらなくなりそうだった。
ヴェロニカというハンターとジョシュアと共に行った観光巡り。ほとんど引き籠りの吸血鬼だったイライアスにはそれすら初めての経験で、邪魔者は居たけれども結構楽しんでいたりした。
それに、多少の打算もあった。
もし自分が他の人間と仲良くしている所を見たら、ジョシュアはどう思うのだろうのかと。嫉妬してくれたり、機嫌を損ねたりしてはくれないだろうか。そういう願望を胸に、少しだけ気安めにヴェロニカと接したりなどした。
彼女に対する罪悪感がない訳でもないけれど。ヴェロニカの方もいっそ楽しんでいる気配すら感じ取れたから、それならばいいか、なんてその寛容さに甘えた。
時折フッと熱い視線を送られたりもしたが、イライアスがそれに応えられないのは既に彼女も分かっているはず。だからその視線に気付かないフリをした。接し方も変えなかった。
好意が無意識に溢れ出してしまうのは、長年の経験からイライアスも十分に承知している。それに、優しくてで沢山の事を理解している彼女には、化け物である自分なんかよりももっと相応しい人間が居るはずだから。
内心を隠しながら人の恋路を応援するだなんて。そんな事ができる彼女ならばきっとすぐにでも。
そんなヴェロニカの協力を得た結果が、ご覧の通りなのである。
――考え事をしていて――
――別に、不機嫌な訳でもない――
あんな風に口を尖らせながら言った所で、その言葉に説得力なんてありはしなかった。元々感情の起伏が見え辛いジョシュアだが、アレはどう見たって拗ねているとしか思えなくて。
イライアスの内心は、歓喜に踊り出したい程だったのだ。その不器用さが愛おしくて愛らしくて撫で回したくなった。結構本気でそうしたかった。
もし本当にそんな事をしていたら、十中八九嫌がられただろうし、いっそ蹴り飛ばされていたかもしれないけれども。
それほど、イライアスにとっては嬉しかったのだ。
ひとりきりの人生なんてつまらない。そう思ってきたイライアスにもとうとう、死ぬまで共に居てくれるパートナーができる。そう思うと、吸血鬼になったのも悪くなかったと思える気がしていた。
すっかり眠りについた彼の頸を眺める。
いつもジョシュアからは芳しい血の香りがする。自分にとっての最上級のご馳走。そんなヒトがまさか、こうして共に居る事を許してくれるだなんて、初めの頃はイライアスも思ってもいなかった。彼が同じ吸血鬼だから遠慮しなかった、というのもあるかもしれないけれども。
その首筋に噛み付きたい衝動はいつでもイライアスの中にあった。大食漢であるのは今でも変わらないけれど、何人もから血を得ていた過去からすると随分と少食になったと思う。
魔族は欲望のままに生きる。それを証明するかのように、イライアスもまた愛に飢えながら生きていたのかもしれない。だからその欲望が満たされつつある今、イライアスには沢山の愛はそれ程必要ないのかもしれない。最近は特に、そんな事を思う。
ああ、この頸に消えない自分の痕を残したい。少し前に言ったその気持ちは、未だにイライアスの中で消えてはいなかった。
どんな傷でも親が生きてさえすればたちまち治ってしまう化け物。その性質が少しばかり憎らしく思われるのだ。
あのヴェロニカという魔術師。彼女はイライアスとジョシュアの事を知りながらこうして協力してくれる訳なのだから。彼女に少し、聞いてみようと思っていた。
隷属以外でシルシを刻む方法。
あの、ジョシュアにとっての大切な女には先を越された。今は亡き彼女の亡霊は、確実にジョシュアの中に何かを刻んだ。それを少し恨めしく思うのと同時に、超えてやろうという闘争心に火が付いたのだ。
だから、強く縛るものではない何かのシルシが欲しい。幼稚な闘争心かもしれなかったが、イライアスはどうしても負けたくなかった。
兎にも角にも。
彼が起きたら、嫌がる程どろどろに甘やかしてやろう。しばらくは街の外へ出る予定もないはずだから。昼夜問わず、イライアスの気が済むまでずっと。
きっともうすぐ。ジョシュアもちゃんと、その言葉を返してくれる。そう信じられる男だから、イライアスはいつまででも待つ事ができるのである。
「わっ、びっくりした……“影の”?」
「あ、……悪い、ボーッとしてた」
自分でも驚いて視線を持ち上げると、目の前にはイライアスの背中があった。どうやらジョシュアの気付かぬ内にイライアスは立ち止まっていたようで、そこに彼が激突したという事らしかった。
余程驚いたようで、イライアスも目をまん丸にしながら後ろのジョシュアの方をを振り返っていた。よろけそうになったジョシュアを支えるように、イライアスの手がその肩を掴んだ。
鼻を強めにぶつけたようで、その微かな痛みに顔を顰めた。
「珍しいね……いつもしっかり周囲見てるのに」
「……どこか具合でも悪いのでは?」
イライアスに加えてヴェロニカからも、ジョシュアを心配する声がかかった。
「少し考え事をしてただけだ。何もない」
肩に置かれた手をそっと外しながらジョシュアは言った。慌てて取り繕うような言い方になってしまって、二人は無言のまま目を合わせるとすぐ、帰ろうだなんて提案をしてくる。過保護な保護者、なんて言葉がジョシュアの頭に浮かんだ。
「駄目ですわ、そんなの。この所色々ありましたし、貴方も疲れているのよ」
「……うん、そうだね。そろそろ帰ろっか?」
「え」
「ええ。わたくしはほとんど観たいものは観れましたし、それがいいと思いますわ」
「っおい、二人共……」
「んじゃあそれで」
こんな場面でボーッとしていたジョシュアも悪いのだが。そういう息の合った様を見せ付けられると、ささくれ立った心が益々荒んでいくようだった。二人に近付き過ぎないで欲しいだなんて。そんな事、言えるはずもなかった。
大丈夫なんだと止めるジョシュアの声も聞かず、二人は強引にジョシュアの体の向きを変えてしまう。背中をぐいぐい押されながら、なす術もなくあの屋敷の方へと足が向いた。
「ほら、突っ立てないで……帰りますわよ!」
「ちょっ……、いや、ほんと別に何も……、まだ見れてない所あるだろ?」
「別に今日でなくても構いませんわ。わたくしも、もうしばらくは滞在できるようにしてもらうつもりですの」
「ね、こうやって当人がいいって言ってるんだしさぁ? ここは大人しく帰ろ?」
ジョシュアの気持ちなんて知った事かと、イライアスとヴェロニカは二人で結託してどんどん先へと進んで行ってしまう。彼らのそういう示し合わせたような気遣いが今は、ジョシュアにはどうしてだか鬱陶しくすら感じられさえする。
それでも無碍にするだなんてのは到底考えられなくて。ジョシュアはいつものように流されるまま、彼らの指示に従ったのだった。
「――では、頼みましたわよ」
「はいはーい」
そうして結局、ジョシュアは真っ直ぐにあてがわれた部屋へと押し込められてしまった。当然イライアスは同室だからとヴェロニカを見送る訳なのだが。
ほんの一瞬で部屋を出ていってしまった彼女との別れ際。意味ありげな視線をイライアスに投げかけるヴェロニカを見て、ジョシュアは奇妙なほどもやもやとした気分を抱えてしまう。
これが何なのか分かりそうで分からない。自分の感情の置き所が分からず、ジョシュアの感情はほとんど途方に暮れていた。まるで初めての経験にどうして良いかまるで分からなかった。まるで、子供にでも戻ったような気分だった。
ジョシュアは今はそんな有り様であるから。イライアスが目の前に立った事に、しばらく気付く事ができなかった。
「……ジョシュア?」
名前を呼ばれてようやくハッとする。僅かに俯いていた顔を上げれば、目線をジョシュアに合わせてくるイライアスの視線とかち合った。
「さっきからボーッとしてる。観光の途中からだよね? ……どうしたの? なんか、機嫌悪そうにも見える」
早速不機嫌を言い当てられてしまって、ジョシュアは無意識に視線を逸らした。
「や……ただ、考え事をしていて」
「……それって、何か嫌な事についてとか?」
「嫌な事かは分からない。ただ、何でそう思うのかと考えていた。別に、不機嫌な訳でもない」
咄嗟にそう嘘を吐いた。嫌だと思う自分の醜い感情を知られたくなくて、子供じみた不機嫌を押し隠しながら普段通りに振る舞おうとする。
けれど、イライアスは納得がいっていないようで。ジョシュアを真っ直ぐに見ながら小首を傾げている。見透かされているかのようなその視線に、ジョシュアは益々機嫌を損ねていった。
「――ふぅん……?」
「……何だよ」
何やら言いたそうな声を上げる彼に、ジョシュアまるで睨み上げるようにして視線を合わせた。
どこまでもいつも通りなイライアスの姿が、どうしてだかこの日ばかりは不服に思われた。
自分ばかりが振り回されている。いつもはそれも悪くないとさえ思われていたのに。不服だと思うのは、今回が初めての事だった。
そのまま結局どちらも喋らず。ジョシュアはぶすっとして黙り込んだまま、人間のように寝支度を整えた。
イライアスには背を向け、無駄に豪華なベッドに横になる。そのまま目を瞑ってジッとしていると、睡魔が訪れるのはあっという間だった。
これから本格的な夜を迎えようというのに、吸血鬼であるジョシュアがこんなにも睡眠を欲しているだなんて。何が原因かは分からないけれど、疲れていたのは指摘された通りのようだった。
薄らとヴェロニカとの血の相性について考えながら。ジョシュアはそのままひと足先に、眠りについてしまったのだった。
意識の落ちるその間際。
慣れ親しんだ重みが自分の身体にかかったような気がして。ジョシュアはたちまち安心感すら覚えながら、眠りについた。
◇ ◇ ◇
すぅすぅと眠りについた呼吸音を耳に、イライアスは背中から抱き付いたジョシュアの身体を自分の方へと引き寄せた。
こうして彼の背や腹に抱き付きながら眠るようになってから随分と経つ。初めの頃は、ジョシュアには無言で腕や脚を突っ張られて抵抗されたりもしたが。今ではすっかり慣れてしまったのか、特に何も言われなくなった。いっその事添い寝がジョシュアのなかでも定着しつつあるのだ。
時折暑苦しい、だなんて文句を言われたりもするが、抵抗はされない。それどころか、最近では無意識なのか、イライアスのスペースを開けたままジョシュアが眠っていたりする。自分からイライアスの方へと寄って来てくれるようにもなった。
自分がずっと共に居たいと告げてから結構経つのだが。そういう行動の一つ一つがもう、ほとんど答えのような気すらしていた。ジョシュアの方からハッキリと返事を返された記憶はないけれども、そういう態度で十分、イライアスにも伝わっていた。
何せ自分とジョシュアとは男同士で、しかもジョシュアなんて、つい最近までは人間だったのだ。そういった知らない世界の諸々を受け入れるのに時間がかかっても仕方がない。
長い間生き、それに合わせて随分と気も長くなったイライアスには、ジョシュアの言葉を待てるだけの余裕はある。
それにイライアスには確信があった。ジョシュアはきっとこのまま自分を受け入れてくれる。そういう直感のようなものを感じていた。
徐々に徐々に、優しく強引に彼の懐に入り込んでいって、自分というオトコを刻み込んできた。それがようやく最近、実を結びつつある。
――イライアスが喜ぶ事を、返せればと
そんな事を言われて嬉しくないはずがない。誘ってる自覚もあるだなんて言われて、イライアスが本気で気絶しそうな程嬉しかったのは記憶に新しい。
それに加えてだ。先程のジョシュアとのやり取り。それを思い出すとどうしても、イライアスは顔のニヤつきが止まらなくなりそうだった。
ヴェロニカというハンターとジョシュアと共に行った観光巡り。ほとんど引き籠りの吸血鬼だったイライアスにはそれすら初めての経験で、邪魔者は居たけれども結構楽しんでいたりした。
それに、多少の打算もあった。
もし自分が他の人間と仲良くしている所を見たら、ジョシュアはどう思うのだろうのかと。嫉妬してくれたり、機嫌を損ねたりしてはくれないだろうか。そういう願望を胸に、少しだけ気安めにヴェロニカと接したりなどした。
彼女に対する罪悪感がない訳でもないけれど。ヴェロニカの方もいっそ楽しんでいる気配すら感じ取れたから、それならばいいか、なんてその寛容さに甘えた。
時折フッと熱い視線を送られたりもしたが、イライアスがそれに応えられないのは既に彼女も分かっているはず。だからその視線に気付かないフリをした。接し方も変えなかった。
好意が無意識に溢れ出してしまうのは、長年の経験からイライアスも十分に承知している。それに、優しくてで沢山の事を理解している彼女には、化け物である自分なんかよりももっと相応しい人間が居るはずだから。
内心を隠しながら人の恋路を応援するだなんて。そんな事ができる彼女ならばきっとすぐにでも。
そんなヴェロニカの協力を得た結果が、ご覧の通りなのである。
――考え事をしていて――
――別に、不機嫌な訳でもない――
あんな風に口を尖らせながら言った所で、その言葉に説得力なんてありはしなかった。元々感情の起伏が見え辛いジョシュアだが、アレはどう見たって拗ねているとしか思えなくて。
イライアスの内心は、歓喜に踊り出したい程だったのだ。その不器用さが愛おしくて愛らしくて撫で回したくなった。結構本気でそうしたかった。
もし本当にそんな事をしていたら、十中八九嫌がられただろうし、いっそ蹴り飛ばされていたかもしれないけれども。
それほど、イライアスにとっては嬉しかったのだ。
ひとりきりの人生なんてつまらない。そう思ってきたイライアスにもとうとう、死ぬまで共に居てくれるパートナーができる。そう思うと、吸血鬼になったのも悪くなかったと思える気がしていた。
すっかり眠りについた彼の頸を眺める。
いつもジョシュアからは芳しい血の香りがする。自分にとっての最上級のご馳走。そんなヒトがまさか、こうして共に居る事を許してくれるだなんて、初めの頃はイライアスも思ってもいなかった。彼が同じ吸血鬼だから遠慮しなかった、というのもあるかもしれないけれども。
その首筋に噛み付きたい衝動はいつでもイライアスの中にあった。大食漢であるのは今でも変わらないけれど、何人もから血を得ていた過去からすると随分と少食になったと思う。
魔族は欲望のままに生きる。それを証明するかのように、イライアスもまた愛に飢えながら生きていたのかもしれない。だからその欲望が満たされつつある今、イライアスには沢山の愛はそれ程必要ないのかもしれない。最近は特に、そんな事を思う。
ああ、この頸に消えない自分の痕を残したい。少し前に言ったその気持ちは、未だにイライアスの中で消えてはいなかった。
どんな傷でも親が生きてさえすればたちまち治ってしまう化け物。その性質が少しばかり憎らしく思われるのだ。
あのヴェロニカという魔術師。彼女はイライアスとジョシュアの事を知りながらこうして協力してくれる訳なのだから。彼女に少し、聞いてみようと思っていた。
隷属以外でシルシを刻む方法。
あの、ジョシュアにとっての大切な女には先を越された。今は亡き彼女の亡霊は、確実にジョシュアの中に何かを刻んだ。それを少し恨めしく思うのと同時に、超えてやろうという闘争心に火が付いたのだ。
だから、強く縛るものではない何かのシルシが欲しい。幼稚な闘争心かもしれなかったが、イライアスはどうしても負けたくなかった。
兎にも角にも。
彼が起きたら、嫌がる程どろどろに甘やかしてやろう。しばらくは街の外へ出る予定もないはずだから。昼夜問わず、イライアスの気が済むまでずっと。
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