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黄昏の吸血鬼
61.噛み合わない歯車*
しおりを挟む目の前に立ったセナに、ジョシュアは言った。
「何というか、巻き込んで済まない……」
セナはただこの一連の事件の事情を知るために来ただけで、きっとこの場で吸血されるだなんて思っていなかっただろう。あの時のあれだってただ、エレナに近付くジョシュアを良く思っていなかったからの嫌がらせであって。
セナはただ、ヴェロニカの猛進ぶりに巻き込まれてしまっただけなのだと。ジョシュアは本気でそう思ってそんな事を言った。けれど、それを聞いたセナはといえば。
「はぁ……、別にこんなの、アンタに謝ってもらうような事でもないし。俺が好きで巻き込まれに来てる」
「!」
そんな事を言われて、ジョシュアは思わずセナの方を見た。彼は自分の服の袖口を捲り上げながら、ジョシュアと目を合わせようともせずにさらに言葉を続ける。
心なしかその頬に赤みが差している気がして、ジョシュアは何とも言えない気分でその様子を見ていた。
「じゃなきゃ、誘われたとしてもこんなとこ来ないっての。エレナの事はもちろん、そうだけど。……いいから、とっとと済ませようよ」
「あ、ああ」
「……あのさ、アンタらのあの能力の効果って、薄めらんない? 毎回ああだと困る……エレナと同じような考えなら、きっとあの人も俺らの中から血を貰えとか何とか言ってくるだろうから」
そう言ってジョシュアを見上げながら、セナはその片手に短剣を取り出していた。きっと前回と同じように、それで己の腕を傷付ける気なのだろう。
それに気づいたジョシュアはそして今度こそ、その行動を阻止した。
「それは止めとけ」
「え、何で?」
「さっきは誤魔化したが、俺らの催淫の効果は催眠術と体液によるものだそうだ。普通に牙を突き立てた方が効果は薄くなる」
「へぇ、なるほど、それで……」
「……そういう事だ。ヴェロニカに咎められる前にさっさと――」
終わらせてしまおう、そう言おうとしたジョシュアの声は、突然聞こえてきた悲鳴のような声に阻まれた。驚いて顔をそちらへ向けると、イライアスがヴェロニカの腕を掴み上げ、その手にあった短剣を取り上げている所だった。
「アンタ、ばっかじゃないの! そんな事する必要ないし!」
「あら、吸血鬼様が一体何をそんなに怖がって――」
短剣とヴェロニカの腕には血が滴っている。きっと彼女自身で傷を付けたものだろう。いつかのセナと同じように。
二人は先ほどまでと同じように何かを言い争っている。
けれどこの時、ジョシュアの耳には彼らの声などこれっぽっちも聞こえていなかった。
何せこの時どうしてだか、ヴェロニカの腕を伝うその血から、目を逸らすことができなかったのだから。
「――おい……ちょっと、聞こえてる? ジョシュア?」
傍で名前を呼ばれている気がした。けれどそれさえジョシュアの気を逸らすことはできなかった。部屋中に漂うその香りに、何故だか頭がクラクラとした。初めて嗅ぐ、むせかえるような甘い香りに目が眩みそうになる。
「――っおい! しっかりしろ!!」
そう肩を掴まれ揺すられて、ジョシュアはようやくハッとした。声のした方に目をやれば、すっかり見慣れたセナの顔がそこにあった。
しかし、漂ってくる甘い匂いに頭がぼうっとして、自分が何をしていたのかも分からなくなっていた。ジョシュアの思考力は、この一瞬で何処かへ飛んで行ってしまったらしい。
どうしてだか、何も考える事ができなくなっていた。感じた事がない程の空腹にみまわれている。
そんな中で何故、彼は自分を呼んでいるのだろうか。
目の前に居るセナの険しい顔を見ながら、ジョシュアはそんな事を思った。強い香りと空腹とで、ぐるぐると視界が回り始める。
段々と立っている事さえ難しくなってくる。目の前で誰かが叫んでいる。眩むほどの甘い香りが、その身に纏わりついて離れなかった。
「おい……?」
「――ち、……」
「え?」
「きもち、わる――」
「おい!!」
「ぐぅ……!」
そう言ったのを最後に、ジョシュアはその場に崩れ落ちた。意識はあるのに気分は最悪で、ぐるぐると回る視界に唸るような声が出た。床に這いつくばりながら、少しでもその匂いから逃げようと口元を自分の服で覆う。
けれども完全には逃げられなかった。頭に残ったあの香りが、ずっと自分の脳ミソを刺激していた。
この香りを嗅ぎ続けてしまったらダメな気がする。本能的に悟りながらも、ジョシュアはどうしようもなかった。耳元で、誰かの声が聞こえた気がした。
「ちょっと、アンタ! おい! ……一体何だって――」
「待った。そこ退いて、俺がどうにかするからさ……ねぇアンタ、そこの、ヴェロニカだっけ?」
「っええ、何かしら」
「その傷とっとと治して! アンタだけでも部屋の外出ててよ。できれば、建物の外に出ててほしいんだけど」
「え?」
「……多分これ、アンタの血のせいだと思う」
「わたくしの――?」
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「……そうですわね。失礼するわ。けれど実際、あなた方の食事にも協力する意思はありますからね。――彼を、頼みましたわ」
「言われずとも」
ジョシュアの訳も分からないまま次々と人の気配が消え、その場に静寂が戻ってくる。自分の傍にはたった一人。
何故だかジョシュアは、血が飲みたくて仕方がなかった。
◇ ◇ ◇
目の前で、床に倒れ臥しているジョシュアに声をかける。
「ジョシュア、意識ある?」
けれどもそれにすら応えられず、彼はただそこで蹲っているだけだった。
この症状にはイライアスも覚えがあった。自分もつい、ひと月ほど前にやってしまったものと同じ。何とも形容し難い気分で彼はジョシュアを見下ろしていた。
まさかこんなにすぐに、ジョシュアと相性の良い血を持つ者が現れるだなんて。どうしようもなくこの状況が小憎たらしかった。
相性の良い人間の血筋というのは、人それぞれによって違う。生涯をかけて何人にも出会う吸血鬼も居れば、相性の良い相手と会ったこともないままその生涯を終える吸血鬼も多い。
そのような存在とまさか、ジョシュアがこんなに早く出会ってしまうだなんて。
相手が普通の人間ならば、距離を置いてとっととその人間から離れろと言えば済む話なのに。今の状況においてはそう軽々しくは言えなくて、それがどうしてももどかしかった。
このような状態になってしまった吸血鬼を正気に戻すには、それなりのショックを当人に与えれば良い。ジョシュアがイライアスに対してそうしたように、息が詰まるほどの衝撃を与えてやるのもひとつだが。やり方はいかようにもあった。
這いつくばっているジョシュアをグイと持ち上げて、壁際に縫い付けるように背をもたれさせた。顔を近付けて見てみても、その焦点が中々定まらないのが分かる。目の前にいる彼の事すら認識しているかどうか。
そうして、今日の苛立ちをぶつけるように。イライアスはその唇へと噛み付いた。
「んぐ、ん、うぅっ――!」
比喩でも何でもなく、噛み付きながらキスをした。この前してもらったものよりもずっと乱暴に、その唇から血が滲む程に強く噛み付いた。口の中で血の味がする。
イライアスが欲して止まない、ジョシュアの血の味だった。
けれど目の前の彼は、自分ではなく別の人間の血に我を忘れた。それがどうしてだか、無性に腹が立った。何故自分ではないのか。運命の悪戯にしても、このタイミングでこの状況、それがどうしても腹立たしくて仕方なかった。
ジョシュアには非が無いのも分かっている。彼がイライアスにほとんど傾きかけているのだって分かっている。
けれどもそれが、永遠では無い事だってイライアスは重々承知しているのだ。
「んう……、あ、はぁっ」
わざとらしく音を立てて吸い上げながら、いつもよりもしつこく吸い上げる。意識が覚束なくとも快楽は拾うようで、キスの合間に漏れ出る声は、幾分か苦しそうであった。
唇を離して首を押さえ付け、その首筋に顔を寄せる。その体を巡る血液を感じながら肌を舐り、イライアスはゆっくりとそこに、己の牙を突き立てた。
「んぐっ、う……ぁ」
悲鳴とも嬌声とも似つかない声を聞きながら、枯れない程度にその血を吸い上げていく。こうやってこの男の血液を吸うのは、その身内が死んだというあの時以来だった。本当は、同意も取らずにこうやって飲むなんて事したくなかった。
けれどどうしても、この欲を抑えきれなかったのだ。あんなやり取りを目の前で見せつけられて、自分なんてほとんど蚊帳の外だ。
自然な成り行きで仕方なかったとはいえ、まるで自分のものを盗られたような気分だった。覚悟はもちろんしていたはずだ。けれどもそれにしたって、自分がこんなに嫉妬深いだなんて。イライアスは想像だにしていなかった。自分でも笑ってしまうほどだ。
けれどだからこそ、この場で取り返したくなってしまったのだ。これは、自分のものであるのだと。
ごくりと喉を鳴らしながらその生命を吸い上げる。共に生きたいと思ったこの男の一部を取り込んで自分のものとする。すると、自分と彼とが混じり合ってまるでひとつになれたような気がして、想像するだけでどうにも心地良かった。
他の何者にもできない、自分だけの特権。そう思えば、ささくれ立った気持ちも随分とマシになるのだった。
イライアスは少し口を付けただけでその血に満足すると、そっと牙を抜いた。その傷を舐めて塞いでから、再びジョシュアの唇へと口付けた。
今度はジョシュアの唇ではなく、己の唇を傷付けて。口の中が自身の血で濡れていく。
そして、その血の匂いに反応するように、ジョシュアの舌はイライアスの口内を探った。時折傷口を抉られるように舌を這わされたが、最早その痛みすらイライアスの背筋をゾクリとさせる。
互いの血を交換するようなこれが、イライアスは存外気に入っている。本当のところ、食事という意味では吸血鬼の血などあまり意味は無いのかもしれない。
けれどもどうしたってやめられそうになかった。
いつかのようにまんまと誘われてくれたジョシュアに笑いながら、イライアスは彼の服をどんどん剥いでいった。
捲り上げて露わになった上半身に、いやらしい手つきでその両手を這わせた。時折びくりと大げさなほど背筋が震え、悶えるように吐息が吐き出された。段々と気持ち良さそうに蕩けていく彼の表情をジッと眺めながら、イライアスもまた、己に熱が灯っていくのを自覚した。
そうして散々吸い付かせた後で。
イライアスは自分の唇から彼を引き剥がした。相変わらず意識は覚束ないのに、不服そうにその眉間には皺が寄っていて、イライアスの苦笑を誘った。
こんな量ではきっとまだ物足りないのだろう。そんな事を考えながら、その上半身に舌を這わせた。
「んんっ、あ――っ!」
胸の飾りを中心に舐ると、途端に上から声が降ってくる。反応のヨかった所を何度も繰り返し突けば、ジョシュアの手がイライアスの服を掴み、まるで引き剥がすような動きを見せた。けれど力はすっかり抜けてしまっていて、いっそ悶えているようにすら見える。
イライアスはそれに一層気を良くして、緩く反応し出していたジョシュアのものを、下穿きの上からそっと擦り上げた。すると途端、ジョシュアからは声が上がった。
「ああっ、ん、んんん、は――っ!」
いつものように堪えるような声ではない。自然と溢れ出てしまったかのような、どこか恍惚としたものだ。同じはずなのに普段とはまるで違う反応に、イライアスは頭に血が昇るような興奮を覚えた。
舌を這わせていたそこに軽く歯を立てる。掻き抱くように引き寄せながら、下穿きのの中にまで手を伸ばした。先程からの愛撫でなのか、すっかりしどしどに濡れていたそれにすら興奮する
その手で強めに擦りながら肌を吸い上げると、仰反るようにびくびくと震えた。
「いっ、あ、はああっ!」
しばらくそれを繰り返していると、先程までよりも更に声が高く出た。限界が近いのか、ひっきりなしに震えている。
このまま自分の手の中で盛大にイッてしまえばいい。そんな事を思いながらイライアスは、自分もまたそれに興奮しながら。
その肌にぐいと噛み付いて、手の中の起立の先端をぐにぐにと強めに擦った。
「ああ――ッ!」
すると、たちまち昇り詰めたジョシュアは絶頂し、恍惚とした声を上げて、数度大きく体を震わせた。
すっかり吐き出し切ってしまうと、途端にぐったりとジョシュアの上体から力が抜ける。イライアスはそれを受け止めながら、顔を上半身から離してやった。
目の前には未だに恍惚とした表情のジョシュアの顔がある。普段のセックスの時ですら滅多に見る事のない、すっかり気の抜けた素の表情だ。
それにどうしてだか込み上げるものがあって、イライアスはそこでまたキスをした。緩く宥めるようなそれに、ジョシュアからも反応が返ってくる。
先程の切羽詰まるようなそれもヨかったけれど、ジョシュアからキスをおくられたあの時や、今のような穏やかなキスも中々に捨て難い。
珍しくそんな気分に浸りながら、しばらくそのまま口付けていた。
口付けをしたまま再びその手を動かす。
イライアスの手の中がジョシュアの吐き出したものでべっとりと濡れている。それを生々しく感じながら、イライアスはゆっくりとその手を後ろへと伸ばした。
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