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黄昏の吸血鬼
57.Stray
しおりを挟むジョシュアとイライアスはその日、指定された通りにハンターギルドの中央部へと向かった。急な呼び出しだった事もあり、生憎とミライアは会合に間に合わなかったのだ。
そんな彼女の代わりにこの日は、姿を知られても問題のないイライアスが話を聞く事になったのである。こんな大事な時にミライアが不在なんて事は始めてで、ジョシュアは不安だった。
自分よりも余程長く生きているイライアスならばまあ、大丈夫なのではないか。そうは思えども、どうしたって不安を拭い去る事はできなかった。
何せあのイライアスである。人身掌握のすべを心得ているからといって、それがいつでも通用するとは限らない。親たる吸血鬼が遠く離れている所に居るせいあるのかもしれないが。ジョシュアはジョシュアだった。
その日の会合では、中央部所長のデメトリオとナザリオ、セナ、そして何故だかあのヴェロニカの姿もあった。
部屋に入った途端に感じた彼女の気配に、ジョシュアは面食らった。
「一人見慣れないのがいるようだけど?」
会議室に脚を踏み入れて早々、イライアスは不機嫌丸出しでそう言った。それを今、声に出して咎める訳にもいかず、ジョシュアはハラハラとした気分でそれを見守る事しかできなかった。
「あら、ごめんあそばせ? 私の事ですわよね。認識違いがあったようでつい先日、あなた方の一人を襲撃してしまって。公式に謝罪をと思いやって参りましたの」
「ふぅん……?」
「私、ヴェロニカと申します。以降お見知り置きを。このナザリオと、エレナとは古い友人で。同じ【S】級仲間としてよろしくやっていたのですわ」
「あっそ」
その二人のやり取りに、誰も口を挟む事ができなかった。どこか殺伐としたオーラが二人から漂ってくる。
ヴェロニカも元は貴族であるが、イライアスもまた貴族の端くれではあるのだ。元々は金で買った貴族の地位ではあったが、今やワケあって長らく続く旧家の扱いだ。
普段は引っ込んで代理に任せるけれども、いざという時はイライアスも矢面に立つ事だってある。こういった腹の探り合いは、ジョシュアよりは余程手慣れているのである。
ただ、イライアスのその手腕が相手に通じるかどうかは、その時次第である。
「あら、私怒らせてしまいましたの? そう怒らないでくださいまし。私、何も知らなかったのですわ。無二の友人を失って気が動転していましたの……ですから、こうして公式に謝罪をと。それをどうか解ってくださいませんか?」
「……」
「ああ、それとひとつ、私からも良いかしら?」
そこまではしおらしく懇願するように言ったヴェロニカは。そこで一度言葉を切ると、少しばかり口調を変えながら言った。
「私が襲ってしまった方の主人は……貴方ではありませんわね? 女性の吸血鬼だと伺いましたもの」
「!」
「なぜ、主人でもない貴方がそう不機嫌で、当人でもないのに私がここまで責められなければならないのかしら。吸血鬼は単独行動を好むと聞きましたのに。不思議なものだわ」
その瞬間、ピシリと空気が凍った。追い討ちとばかりにはぁとため息を吐き、ヴェロニカはその頬に手を添える仕草をする。相手を煽る際の彼女の常套手段である。
殺気こそ出なかったものの、イライアスの気配が不穏な空気を纏っている。ジョシュアはイライアスの額に青筋が浮かぶ姿を想像した。これ以上は場の空気が悪くなるばかりだ。
ジョシュアは咄嗟にイライアスの腕を掴み、気持ちを抑えるように声を掛けようとした。けれどもそれと同時に、別の声が割って入った。
『イラ――』
「ヴェロニカ、ここには喧嘩をしに来たのではないだろう? そんな態度では嫌われてしまうよ」
ジョシュアよりも早く、彼らの間に割って入ったのはナザリオだった。彼は嗜めるようにヴェロニカにそう言うと、イライアスの方へと顔を向けた。
「悪いね。彼女も仲間の事で少し気が立っていてね。大目に見てくれるだろうか」
「ナザリオ……別に貴方が謝る必要は――」
「ヴェロニカ、君にとっての私はもう仲間ではないのかい?」
「いえ、そんな事は……ごめんなさい。私一人で勝手に……」
「いや、いいんだ。君の気持ちも分かるから。――そこの君達、何か言いたい事があれば私が聞こう。彼女にも非はある」
「……いや、ないよ。俺の方は、早いところ用事を済ませたいだけだし」
「そうか、それは良かった。では、仕切り直しといこうか。デメトリオ所長、至急で呼び出したその用件、お話し願えますか」
そうやってあっという間に場を収めてしまうと、ナザリオはデメトリオの方を向いて軽く会釈をする。
相変わらず混乱した場を纏める手腕は見事なものだ、とジョシュアはナザリオを伺い見た。彼はただ変わらぬ微笑みを浮かべるだけで、何を考えているかなんてジョシュアにはひとつもわからなかった。
その上で、ジョシュアの隣で少しばかり不貞腐れた様子のイライアスの背を数回、そっと叩いてやった。相手が悪かった。何せ彼らは貴族よりも余程タチが悪い。
ヴェロニカもナザリオも、貴族どころか国さえ相手にする、現役のネゴシエーターでもあるのだから。
「ああ、それでは早速始めさせてもらおうか」
ゴホン、と咳払いをしてから、デメトリオは話し始めた。
「君達も話には聞いたことがあると思うが、例の集団についてだ。彼らがこの一件に目を付けてしまったようだ」
「!」
途端、その場にいる全員から息を呑むような声が聞こえた。
「彼らも悪い人間ではないんだが……私達の領域と被る所が多い。着いて行ってもらっているニコラス君からの報告によれば、彼らはこの王都へ向かって来ている」
デメトリオからは、彼らの詳細な情報を聞かされた。
彼らのメンバーは、同行をしているニコラスを除いて5人。それぞれが一騎当千の強者達だという。
長剣の使い手が2人、大剣使いが1人、そして魔術師が2人も所属しているという、現役のハンターパーティでも中々見られない豪華な布陣だ。
「その中でも特筆すべきなのは、彼らのリーダーとも言えるその男が……魔導剣を使用するという点だ」
そうデメトリオが言った瞬間、ナザリオとヴェロニカはほとんど同時に反応した。ジョシュアも思わず顔を上げかけたが、何とか気合いで思いとどまった。
「魔導剣って……それはつまり――」
「そうだ。その男は魔導剣士だ。エレナ君と同じように。もしかすると……彼女の上をもいくかもしれないと」
どこか震える声で言ったヴェロニカの声に、デメトリオは固い表情でそう応えた。
彼はしばらく考え込むように黙り込んだかと思うと、再びジョシュア達に向けて話し始める。
「リーダーの男はそのメンバーを従え、南から北上してきている。その街の途中で、彼らはその失踪事件の話を聞いたそうだ」
ハンター達がどうしても行きにくい僻地を中心に、彼らは国を巡っていた。時々国外へと出る事もあったそうだけれども、すぐにこの国へと戻ってきたそうだ。
この国ほど、モンスターが強力に育つ国は他にはないのだという。その原因は未だに解明されていないが、不思議とこの国にはそういう強力な怪物達が集まってしまうのだそうだ。魔族然り、モンスター然り。それ故に、他国よりも強いハンターが求められている。
彼らは他国でそれを知り、ならば自分達こそが、とその原因を探り始めた。
そして、この国へと戻ってきた彼らは偶然、消える人々の話を聞いたのだという。
「彼らのリーダーは、強い使命感を元に行動しているようだが……それが少々厄介な事態を引き起こす事もある」
「厄介な事態?」
「彼らは一度、教会の人間と揉め事を起こしている」
「それはまた……随分とピンポイントで厄介なところと」
そこで不意に、ナザリオが口を挟んだ。彼も元は教会側の人間だ。その問題の厄介さは、身に染みて知っているのだろう。
「ああ。いつもの、互いの領分に関する問題だ。どちらが片付けるべき獲物か、というそれだ。……見て見ぬふりをする教会の対応が気に食わなかったんだろう」
「またアレですか」
「そうだ。寄付をしない民間人の助けを彼らが拒んだ。教会の手に負えない獲物だと判断したんだろう……そこに偶然、何故だか彼らが居合わせて。そこから先は、まあ、分かるだろう?」
教会とハンターの間には、細かく規定事項が定まっている。モンスターが現れた場合、地域ごとにどちらが出張るかを細かく定めているのだ。
万が一それを破った場合、両者によって話し合いの場が設けられ、退治した獲物がどちらの成果になるかが決定される。時折その決定に納得がいかず、ハンターと彼らとの間で諍いが発生する事も多々あるのだ。
教会側は、自分達の利益にならない戦いをしない。損になる場合も然り。助けを求めた民間人を見殺しにする場合さえある。
それを咎めれば彼らは一貫して、『神の御意志』だと言って憚らない。罪の意識すら恐らくないだろう。自分達は神によって選ばれた特別な人間であると信じて疑わず、『死』とは神によってもたらされる福音の一部であると主張する。迷える人間達を導く導師なのだと。
彼らは一般の人々とは考え方が根本的に異なる。それが故に、衝突が起こりやすい。
ハンターギルドに所属する人間は特に、気性の荒い人間が集まりやすい。そのような教会側との揉め事も日常茶飯事で、その度に【S】級ハンターや各地のギルド所長達が駆り出される。
そんな小競り合いが、ハンターギルドに属していない人間と教会との間で起こった場合。やはり大抵は、ハンターギルドがその場を収める事になるのだ。名目上は教会からの依頼、という形で。
だからこそ、この野良ハンターの一件は、ハンターギルドにとっても無視できないものとなりつつあるのだ。
一体彼らは何者で、ハンターギルドにも所属せずにどうしてこのような事をしているのか。疑問は膨らむばかりだ。
「本当に、ニコラス君を付けていて良かったよ。何とかその場は収めてもらい、無事にその地域から去ったようだけれど……彼らは教会に目をつけられた。向こうからの圧力や介入も予想される。これについては君らにも頭に入れておいてほしい」
「承知しました」
「了解。教会の連中は相変わらず面倒だねぇ」
「……」
「まぁ、仕方のない話だ。そこはどうにか折り合いをつけながら上手くやっていくしかない。……で、本題なんだが」
そこで再び言葉を切ったデメトリオは、少しばかり躊躇したような様子で、その先の話を続けた。
「彼らにはどうやら、人間とそうでない者とを見分ける“目”があるようだ。魔術師の一人が、そういった能力を持っているらしい」
それを耳にした途端、驚きの声があちこちから上がる。
「は?」
「そのような“目”があるなど……私聞いたことがありませんわ」
「ああ。私も報告を受けた時には何かの間違いだと思ったが……だが、これは間違いないようだ。現に一人、街中で吸血鬼らしき者と接触して戦闘になったそうだ」
「!?」
「結局は両者共決着は付かず、その吸血鬼はどこかへ逃げ果せたそうだ」
これには、ジョシュア達も驚きの余りに言葉が出ない。いくらパーティで挑んだとはいえまさか、吸血鬼相手に渡り合うなど。ハンターギルドに属する者ですら難しいだろうに。
吸血鬼側が攻撃する気も何もなければまた別だろうが、気性の荒い吸血鬼ならば本気で戦闘になっていた可能性も否定できない。ジョシュア達にとってもそれは、随分と聞き捨てならない情報だ。
「ねぇそれって、相手の吸血鬼はどんな奴だって?」
イライアスはそうデメトリオに問うた。
「吸血鬼は見たところ、女性のようだったと報告にあった」
その瞬間、ジョシュアの頭には彼女の姿が思い浮かんだが。いやまさか、と一瞬で否定する。けれどそう思ったのはジョシュアだけではなかったようで。立て続けにイライアスが問いかけた。
「女性……見た目は? どんな奴?」
彼には珍しく、随分と硬い声音だったようにジョシュアには感じられた。
「見た目は……ローブに隠れてほとんど見えなかったそうだが、恐ろしく強いと――」
「あの連中、次に会ったら一人残らず戦闘不能にしてやる」
突然の事だった。デメトリオが話をしている最中。不意に、その場にいるはずのない女性の声が、頭上から降ってきたのだ。
慌ててジョシュア達が天井を見上げると、見覚えのある姿が上からふわりと降ってくる所だった。彼女のローブは珍しくも随分とボロボロで、その戦闘の激しさを物語っているかのようだった。
「遅れてすまんな。戻る途中で特大の邪魔が入った」
人前に相応しくないローブを脱ぎ去りながら、彼女――ミライアはその場ですっくと立ち上がったのだった。
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