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黄昏の吸血鬼

56.キス

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 ナザリオにより告げられた通り、その翌日には例のギルドより手紙が届けられる事になった。
 宿を変えるその日の事だった。部屋の鍵を女主人へ返した際、手紙を渡されたのだ。

「ギルドから朝一で届けられたもんだよ。アンタらハンターだったんだねぇ。まぁ、気をつけなさいねぇ」

 かの女主人は、フードを深く被った二人組に特に違和感を感じた様子もなく、愛想笑いを浮かべながら手紙を渡してそう言った。
 先日【S】級ハンターが訪ねてきた、と騒いでいた時に比べると随分とあっさりとした様子だ。それもそのはず。
 何せ今の彼女には、イライアスとジョシュア、加えてミライアに関する記憶がごっそりと消えているのだから。

『記憶、いつの間に消したんだ?』

 早朝の早い時間だ。まだ外も薄暗い中、宿から外へと出た途端にジョシュアはイライアスへと問いかけた。他者には聞かれないよう、二人にしか聞こえない声で言う。

『うーんとね、この前ジョシュアが気ぃ失ってた時にちょこちょこーって。暇だったし』
『そうだったのか……、助かる。だがそういうのは、言っておいてくれると助かる。咄嗟の事で反応が出来ないかもしれない、そういうアドリブは苦手なんだ』
『あー、そっかぁ。分かった、次はやったら言っとくね』
『それで頼む。……それと、彼女には次の宿の事も伝えてるのか?』
『うん、多分伝わってるんじゃない? 姐さんなら伝わってなくても探せるでしょ。“下僕”がいるし』

 唐突に飛び出したイライアスのその呼び方に、ジョシュアは思わず黙り込んだ。昨日からだろうか。イライアスは時々、こうやってジョシュアに対してチクチクと嫌味な事を言う事があった。

 本当に些細な事であるし、ジョシュアもそこまで気にするような内容ではない。けれども、こうやって忘れた頃に飛び出すイライアスらしくない呟きに、ジョシュアだって不安になってしまうのだ。
 
 何か、嫌われるような事でもしたのだろうか。こんな時、ジョシュアは自分が何をすれば良いかなんてさっぱり分からないのである。

『……なぁ、イライアス。何か怒ってるのか?』

 ジョシュアは恐る恐る問いかけた。けれども、イライアスの返答は珍しく至極冷めたものだった。

『べっつにぃ。俺怒ってないし』

 そうは言うものの、声音からもイライアスの機嫌がよろしくない事は明らかなのだ。ジョシュアは困り果ててしまう。
 こういう時、友人同士ならばどう対応するのが正解なのだろうかと。

 ジョシュアにはエレナ以来、きちんと向き合えるような友人がいなかった。口下手で強面、自信がなくて時折とんでもない事をやらかしてしまう。大抵は彼のやらかしに怒るか呆れるかして離れて行ってしまって、長く付き合ってくれるような人間はいなかった。

 化け物狩りのハンターだなんて、どちらかと言えば特殊な仕事に就いていたせいもあるだろう。自然と己の強さを自負している自信家ばかりが集まり、ジョシュアのような性質の人間は浮いてしまった。

 時折気の合う人間に出会す事もあったけれども、ハンターとしての実力の差という問題もあり長く共には居られなかった。そんな彼にようやくできた、末永く共に居られる友人だ。ミライアとはまた違った意味で、この関係を大切にしていきたいとジョシュアも思っているのだ。
 
 兎にも角にも、後ほどきちんと聞かなければなるまい。ジョシュアもジョシュアなりに考え、イライアスとはきちんと向き合っていきたい。当人はそう、思ってはいるのだけれども。

 彼のその微妙な認識のズレに、イライアスが不機嫌な態度をとっているだなんて思いもしないのである。ジョシュアはイライアスを、少なくともパートナーであり友人だと思っている。その時点でもう、既に認識が違うのである。

 次の宿ではしっかりと聞かなくては。そう自分に気合を入れながら、ジョシュアは新たな宿探しに精を出す。

 
「――あんたらハンターの類いかね。うちの宿は何故だかそういうお客が多いんだ、ゆっくりしていってくれ」

 次に選んだ宿も、それほど大きくはない古びたところだった。奥まった路地にちょこんと鎮座するこぢんまりとした所で、初老の主人が柔らかい笑顔で迎えた。
 フードを深く被り、部屋を2つとった不審な二人組に対して特に気にした様子もなく、慣れたようにそう言ったのだ。きっと、こういう怪しい風体のハンターがよく利用するのだろう。

 名の知られた有名人か、或いは本当に後ろ暗い人間か。皆考えることは同じらしい。そんな考えを抱きながら、ジョシュアは鍵を受け取り足早に部屋へと向かった。
 イライアスはこの時、珍しくも無言を貫いていた。

 部屋はごく一般的な造りをしていて、小綺麗に整えられていた。二台、並ぶようにして設置されていたベッドにそれぞれ腰掛けながら、ジョシュアはまず前の宿で受け取った手紙を手にとった。

 その手紙には、ハンターギルド中央部のエンブレムを象った封蝋が押されている。それが重要なものであるには違いなくて、道の往来で開けるのは不用心だとジョシュアは判断したのだ。

 隙間から爪を差し込み封を開ける。すると不意に、何かの魔術が発動したのか、キラキラとしたものが宿屋を飛び出しどこかへと飛んで行ったのが目に入った。
  それは開封を知らせる類の魔術で、今までにジョシュアも何度か見た事のあるものだった。それだけで、この手紙が重要なものであることが分かる。取り出すその瞬間、少しばかり緊張した。
 
 入っていた二つ折りの紙を広げると、とある日時と場所が記載されていた。ちょうど、明日の夕方近くの頃だ。
 それがハンターギルドへの召喚の依頼だと受け取ったジョシュアは、おもむろにイライアスへと声をかけた。

『イライアス、明日の夕方、ハンターギルドへ行く必要がある』
「え、何でそっち?」

 ジョシュアが声に出さずにそう言うと、イライアスはギョッとしたように声を上げた。

『盗聴の可能性があると思った。この手紙は開封の瞬間からしばらくは周囲の音を拾う。そういう類のものだ。誤って誰か別の人間に伝わっていないかを把握する』
『ああ、あれか。――よく気付いたねぇ』
『飛んで行くのが見えた』
『見えたって……まぁいいや。了解、一応姐さんにも伝えとくねぇ』
『ああ、頼んだ』

 そしてジョシュアは、開封した手紙をその場で燃やした。そうするのが一般的であるし、手紙がなくなれば魔術の効力も切れる。この後はイライアスと話す事もあって、ジョシュアはとっとと不安の種は取り去っておきたかったのだ。苦手なものは早いところケリをつけたい。そういう思考が透けて見えるようだった。

 手にしていた手紙の残骸を近くの屑入れへ捨ててしまうと、ジョシュアはそのままイライアスのベッドへと近寄った。
 
「イライアス、さっきの話」
「うんん!?」

 ジョシュアがそのまま、イライアスの隣に腰掛けると、イライアスからは驚くような声が上がった。
 ジョシュアの方から彼に近寄るのは、恐らくこれが初めてだろう。それを、イライアスもまた感じているに違いなかった。

「さっき、不機嫌じゃないかって聞いたろう。誤魔化してはいたけど、俺だって気になる」
「……」
「気に食わないなら言ってくれ。俺も、少し鈍いところがあるのは自覚がある。直せるものであればそうする」

 イライアスは無言で、隣にすわったジョシュアを見つめている。ジョシュアもまたその視線を見つめ返し、そして、意を決したように言った。

「イライアスには嫌われたくない」

 途端、イライアスは息を呑んだように軽く目を見開いたけれども、やはりしばらくは無言のままだった。
 だが、その無言はジョシュアには辛い。ジワジワと自分に襲いくる羞恥に耐え切れなくなって、ジョシュアはふいと顔を逸らして前を向いてしまった。
 手持ち無沙汰に両手の指を組みながら、そのイライアスの言葉を待つ。こんな経験は久々の事で、顔から火が出るように熱くなる。
 
 イライアスが口を開いたのは、それからすぐの事だった。ため息混じりに、小声でボソリと呟くように彼は言う。

「いや、うん……まぁ少し、機嫌が悪かったのは認めるよ。ごめんね」

 頬を軽くかきながら、イライアスは言った。それから少し言葉を切って間を置いてから。彼は眉尻を下げ、どこか困ったように言う。

「ちょっと思ったんだけど……ジョシュアってさ、俺のこと友人の延長くらいに捉えてるんじゃないかなぁと、思ってね。ジョシュアの方からは全然来てくれないし」
「!」
「俺はね、部屋でくらいはもっとこう、いちゃつきたい訳なんだよ。たまには君の方から誘ってくれたりすると、俺は嬉しいんだよなぁ。……ってかきてよ、誘ってみせてよ」
「そ、それっていうのはつまり……」
「セックスでもなんでも。他との差を見せてほしいよ? 君の周囲には何だか俺の知らない関係もたっくさんあるようだし、俺がそれにムカつかないように」

 そんなことをイライアスに言われてしまって、ジョシュアはぐ、っと微かに唸った。
 友人の延長のようなものと、まさにジョシュアが考えていたような事を言い当てられてしまった。おまけにイライアスは、ジョシュアからの行動を求めている。

 よくよく考えれば、恋人だとすればそれは当然の事ではあるのだが、ジョシュアはすっかりそういう一般的な考え方ができなくなっていたのだ。
 恋人なんて、職柄上作る気はさらさらなかった。一般的な恋人同士というのはどんなものなのか。知らないものは知らないのである。

「それを、俺がか……?」
「うん。やってほしい。俺の機嫌、直したいでしょ?」
「そりゃ……けど、どうすればいいかなんてさっぱり分からないんだが」
「ええー……もう、仕方ないなぁ。ジョシュアの方からキスしてよ。それで勘弁してあげる」
「キス……」
「うん、そう。キスだよキス。ちゃんと唇にね?」

 そうやってようやくニコニコと笑い出したイライアスの顔をジョシュアは見上げた。無駄に整った顔立ちの彼に、自分から口付けを送る。それがどうしてだか、とてつもなく恥ずかしい事のように思われた。

 けれどもたったそれだけで、イライアスは機嫌が直るという。彼のその気持ちが解るような解らないような複雑な気分で、ジョシュアは少しだけ考える。けれどもすぐにやめた。まだまだジョシュアには理解できそうにない。そんなものは、考えてもどうしようもないのだ。

「ジョシュア?」

 イライアスが急かすようにジョシュアを呼ぶ。ジョシュアもこんなのはとっとと終わらせて、イライアスを納得させてしまいたいのだけれども。中々踏ん切りがつかなかった。

 それでもやるしかあるまい。イライアスには嫌われたくはない。と、ジョシュアは決心を固める。
 そんな事を考えている時点でもう既に、ジョシュアの中でのイライアスは随分と特別な存在である事を、本人は自覚していないのである。

 その場で膝立ちになり、イライアスの肩に手を添える。あまり時間をかけると益々羞恥に死にそうになるはず。ジョシュアはそう思ってとうとう、ひと思いにイライアスへと口付けた。柔らかい唇同士が触れる感覚が、妙に生々しく感じられた。

 今までも何度もしたはずであるのに、この時の口付けの感触は何故だかいつまでも唇に残った。数秒ほど触れて、すぐに離れた。普段のそれと比べると、随分可愛らしいものだったろうが。
 今までのどの口付けよりもどうしてだか、ジョシュアにはひどく心地好く思われたのだった。羞恥よりも別の感情が表立つ。

「……ねぇジョシュ、それ、今のもう一回」

 イライアスもきっと、それは同じだったのだろう。目の前のジョシュアの体を引き寄せながら、強請るように顔を上げていた。
 それから何度か繰り返し口付けをした後で。何かするでもなくいつものように、二人は揃って同じベッドで眠りにつくのだった。
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