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黄昏の吸血鬼
53.異文化コミュニケーション
しおりを挟むジョシュアは屋根を伝いながら夜の街を駆け抜けていた。唐突な邂逅を思い出しながら、次々と集まりつつある彼女の仲間たちのことに思いを馳せる。
エレナ含めて全員、元から強い人間達ばかりだったが、近年その活躍は目を見張るものがあった。
彼女は名だたる【S】級達の中でも常にトップ層を爆走し、一般人からの支持は圧倒的なものだった。魔道剣士たる非常識な彼女は、高難易度の依頼成功率はもちろん高かったし、関わった者達の死者数は驚くほど少なかった。
彼は聖教会とのつながりが深く、ハンターになる以前から専門家だった経歴を持つ。聖魔術に関する知識や実力は他の追随を許さず、誰にも分け隔てなく接する彼の性質から内外から支持者が多い。
彼女は、ハンターの中でも特に貴重な高位の魔術師であり、国に仕える魔術師として最高峰の大魔術師にも匹敵する知識と実力を併せ持つ。貪欲なその知識欲の対象は魔術だけに留まらず、あらゆる物事の知識を欲している。一匹狼の性質が強く孤立しがちではあるが、他で手に負えない魔族専門の殺し屋であることもあり、その孤高で崇高な考え方から影なる信奉者が多い。
そして最後の一人。彼は国内随一の剛力を誇り、彼にしか扱えないような大剣を平気で振り回して何もかもを粉砕していく。技術に基づいた彼の大剣による攻撃は、一度始まれば止まることなく敵を薙ぎ倒し続ける。寡黙で自ら話すことが少なく勘違いもされやすいが、優しいその性質もあって一部からは特に高い評価を受けている。
ジョシュアも共に過ごした期間はあるが、エレナと比べればその年数も関係も圧倒的に少なかった。けれども確かに、彼らとは数年を共に過ごした。それなりの情はあるし、世話になった恩もある。出来の悪い自分にも優しかったのだ。同等の仲間として、ではなかったような気はしたけれども。
――今更、あの人らと関わり合いになるというのは妙な気分だ。こんな、今日みたいなことがまたあるかもしれない。
ジョシュアにとってのそれは喜ばしいものなのか、それとも足枷に過ぎないのか。今の彼にはよくわからなかった。
ジョシュアが窓から部屋に入ると、あの男の気配が消えていた。姿が見えない。一体どこへ行ったのか、ジョシュアはぐるりと部屋を見渡してから、窓の方へと体を反転させた。
そう遠くへ行っている訳ではないだろう。だが、あの音を聞きつけて出て行ってしまったという事も考えられる。探しに行くべきだろうかと、ジョシュアが窓の外を眺めながらそんな事を考えていた時だった。
「外ですっごい音してたけど、何かあった? また襲われた?」
背後、室内の方から声がした。振り返る間もなく、ジョシュアは後ろからぐいと引き寄せられた。多少びっくりしながら振り返れば、そこには案の定イライアスの姿があった。こうして大人しくジョシュアを待っていたのだ。気配を断って驚かされる位は可愛いものだ。
また、というのは余計な一言だとは思ったが、その通りではあるのでジョシュアは何も言わない。
「まあ……」
「焦げ臭い」
鼻を寄せられ匂いをかがれる。その顔を腕で遠ざけながら、ジョシュアはイライアスを引き剝がした。
「魔術かな? 焦げ臭いってよっぽどじゃない?」
「魔術だな。……相手が相手だった」
「相手がって、知ってる奴だったの?」
問われて一瞬言い淀んだが、ジョシュアは答えた。イライアスには隠すべきではないと、そう思ったのだ。それ以外の理由ももちろんあったが。
「知ってる、奴だった。――ナザリオと同じだ」
その瞬間、イライアスは目を軽く見開いた。
「元のお仲間?」
「そうだ」
「ふぅん。ジョシュアだってバレたの?」
「まだ、だが。時間の問題のような気もする。あの人は魔族専門で鼻も効く。……ナザリオが上手くやってくれるとは思うが」
「うん? あの胡散臭い奴も居たの?」
「ああ。仲裁してくれた。説明もある程度はしてくれるだろう」
「……ふぅん。ただの葬儀と墓参りだってのに、毎度毎度君はほんっと色々と引っ掛けてくるよね」
「……」
それはジョシュアも思っていたところで、指摘されて黙り込む。
あの場でもう少し、彼女の死を悼みたかったところだったが。やはりここは王都。ジョシュアのような者が、あまり下手に出歩かない方が良いのだろう。そう思わずにはいられなかった。
人間ごっこももう、潮時なのだ。少しばかり感傷を覚えながら、ジョシュアは言う。
「あまり、外を彷徨くのは止めておく」
「うん?」
「今回のような事があって顔を見られても厄介だろう。もう、十分だ」
「…………」
「ミライアが戻るのを待とう。しばらくジッとしてる。アンタとの別行動も無しだ」
ジョシュアはそう言うと、微かに焦げ臭いローブを脱いでそれを椅子の背にかけた。そのままどっかりと自分のベッドに腰掛け、靴紐を解きにかかった。
それは、ジョシュアがずっと考えていた事だったのだ。昨日や今日で決めた事ではない。人間臭いと何度も言われ続けながら、けれどこうして魔族として狩られかけてきた。
体と心が乖離している。そろそろ、それを続ける事も難しいだろう。
昼間に出歩く事が難しくなってきた。血液を飲む事にも抵抗を覚えなくなった。こうして一目で見破られる程、気配は吸血鬼に寄っている。
目を背けずにはいられなくなっている。誤魔化さずに向き合うべきなのだろう。
ジョシュアがぼうっとそんな事を考えていた時だった。再び、イライアスが問いかけてきた。
「それ、どんな奴?」
「どんな……?」
「うん、その魔術師。また出会すかもしれないでしょ。俺も知っておいた方がいいと思うんだよね」
靴を脱ぐ手前で動きを止め、ジョシュアはイライアスを見上げる。普段のように小首を傾げて腕を組みながら、彼は窓際の方からジョシュアを見下ろしていた。
少しばかり言い淀みながら、ジョシュアはかの魔術師について知っている情報を口にする。どこか他人事のように、白々しく聞こえた気がした。
「彼女は……元々は貴族の血筋で、魔術師としては万能だと、偏りがなく満遍なくこなすと聞いた。最近じゃ“知恵の女神”と言われてる」
「は……? それ、その魔術師、ハンターの【S】級じゃない?」
ジョシュアがその魔術師について告げると、イライアスは途端に顔を引き攣らせた。
元の仲間について言っておかなかったジョシュアも悪いとは思っていたのだ。ただ、ここまで大事になるだなんて予想もしていなかっただけで。
「…………そうだ」
「ねぇちょっと、待って、もしかして君の元仲間って全員そうなんじゃない? あと何人?」
珍しく眉間に皺を寄せて半笑いになりながら、イライアスはジョシュアに向かって聞いた。ジョシュアは咄嗟にイライアスから目を逸らした。
「あと、一人だけだ。大剣士で、大型獣専門のハンターだ」
「それって……ねぇ、その人さ、“歩く兵器”とか言われてない? “バーサーカー”とか」
「……言われて、いたかもしれない」
かもしれない、ではない。ジョシュアは知っている。その大剣士が、最近何かと話題のとある一団に貸し出されていて、この王都にはしばらく戻ってこない事も。ジョシュアは把握しているのだ。
「あの妙な連中の一員にされてない?」
“妙な連中”というのは、ほんの一年程前、この国に突然現れた恐ろしく強い人間たちの一団の事を指す。
モンスターや魔族に苦しめられる人々を助ける為に旅をしているらしいのだが、彼らはハンターに所属している者達ではない。素性は一切不明だが、彼らの噂は最早、国中に広まりつつあった。
その噂を聞きつけたこの国の王が一度王城へと招いた事がある。その際、彼らの手助けにと同行を任された人物がいた。それが、その大剣士の男だったのだ。
彼らの手助けがしたい、と王は彼らを上手く言い包めたようだが。その実、大剣士の男は彼らに付けた首輪がわりなのだ。この国であまり下手に暴れ回っては困る。それを制御する為の監視のようなものである。
お陰で彼らの動向は国が全て把握し、上手い具合に制御しているらしいのだが。そこまで詳細な情報はさしものジョシュアも未だ手にする事はできていない。
けれども噂は瞬く間に広がっていくもので。ジョシュアがその“妙な連中”の動きを把握する事くらいはできている訳なのだ。
そこまで思い浮かべたところで、ジョシュアがチラリと伺い見れば。イライアスの顔には、本当に珍しく引き攣ったような笑みが浮かんでいた。
「貸し出されてるだけだ」
付け加えるように言えば、イライアスはしばらく黙り込んだ。
そして、次にようやく口を開いたかと思えば、イライアスは僅かに咎めるような口調でジョシュアに言った。
「君さ、その魔術師の事もそうだけど、実はそこそこ情報把握してるね?」
「…………」
「言わなかっただけで」
「……聞かれなかった」
前にミライアにも同じように詰められた事があった気がしたが。ジョシュアは本当に、こうなるとは思っていなかったのだ。
彼らと再会する事になるだなんて、こんな偶然がそうあるわけが無い。それぞれが忙しく、遠くへ行かされている者も多い。再び見える事があっても、もっとずっと先の事だと思っていた。
だから全部油断した。そんな事がある訳ないのだと。王都で次々出会すなんてそんなこと、あるはずがない。ただでさえ込み入った話であるのに、ジョシュアの事でその手を煩わせるのも気が咎める。そう考えていた。
全てが悪い方向へと向かっている今では、それはある意味で間違いだったとも言えるが。
ジョシュアは兎に角イライアスから視線を逸らした。
そんな時不意に、目の前の気配が動いた。
ジョシュアが恐る恐る顔を上げれば、イライアスがゆっくりと近付いてくる所だった。ベッドへ腰掛けるジョシュアを真っ直ぐに見下ろしながら、その顔には笑みが浮かんでいる。内心の読み取れない、貼り付けたような笑み。
思わず、ジョシュアの体がギクリと強張った。この気配には覚えがあった。
――怒られる。
体は自然と、イライアスから距離を取るようにずるずると後ずさった。
「ジョシュアさ、なーんでそんな大事な事言わないかな」
前にも同じような事を言われた気がする。ジョシュアは焦燥感を覚えながら、ミライアの言葉を思い出していた。
靴を脱ぎながらベッドに乗り上がり、壁際にまでずり下がる。イライアスから逃げられないのは承知で、けれども逃げずにはいられなかった。
「他には? 他に俺に言ってない事はない?」
ジョシュアの顔の横、壁に手をドンと突かれ、反対側の方から顔を近寄せられながらそう聞かれる。すっかり萎縮してしまったジョシュアは、文字通り目と鼻の先で目をギラつかせるイライアスから目を逸らしながら必死で考えた。
少しでもイライアスの怒りを収めさせるには、正直に全てを話すしかあるまい。けれども本気で、何から話して良いのかも分からないのだ。
いざという時にポンコツなジョシュアの頭は、碌に動いてもくれなかった。
「なに、何を、話せばいいんだ」
「うん? ……ああ、そうだねぇ。あのナザリオとかいう奴、いつもああだって言ってたけどさ、あれはハグだけ?」
耳元に顔を近付けられ問われる。ジョシュアは一瞬、何を言われているのか分からず思考が停止した。
「は、ハグ? え? 何の話だ?」
「ん? だってさ、前々からいっつもああやって触られてたんでしょ?」
「え」
「ジョシュアはね、俺のになったんだからあんまり勝手に手を出されると非常にムカつく訳。パートナーなんだから。こうやってゾロゾロと昔のオトコだとかオンナだとか出てくるとさ、ぶっ壊したくなっちゃうよ。……まぁ、俺はちゃんと理性しっかりしてるしそんな事しないけどね! 八つ当たりくらいしてもいいでしょ?」
「…………」
「ほら、ジョシュア白状する! 俺を置いてったのも少し気に入らないし、その上襲撃されてしかもアイツに助けられたとかさ……あのムッツリ、次やろうとしたら絶対阻止してやる」
ぐちぐちと呪詛のように恨み言を吐き出しながら、イライアスは益々ジョシュアとの距離を詰めていく。
そんな彼の本音に、若干ながら肩の力が抜けたジョシュアは、途端に申し訳なくなってくる。
相変わらず理解できない所も多いが、こんなに腹に抱えながらもイライアスはジョシュアの我儘を受け入れてくれたのだ。この後の事を考えると怖いのは山々ではあったが、少しくらいは暴露しても構わないという気にはなれた。羞恥心を堪える位、わけない。この場にはイライアスとジョシュアしか居ない。
まるで子供だった昔の事を思い出しながら、ジョシュアは話し始めた。
微笑ましい、若い頃の思い出話のつもりで。ジョシュアにとってそれは、全くもって自然な話だったのだ。
「ジョシュア、今度アイツに会ったら――」
「ナザリオは、ただ親代わりのようなものだっただけだ。向こうも聖教会で子供の面倒を見る事も少しはあったと聞いた。ハグもキスも、教会の挨拶のようなもので――」
「は?」
「え?」
その瞬間、何故だか場の空気が凍りついたのをジョシュアは薄らと感じ取ったのだった。
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