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黄昏の吸血鬼

51.黄泉の入り口にて

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 王都の外れに位置する墓地で、身内だけを招いた葬儀は、【S】級ハンターのものとしては随分とささやかなものだった。公的な一般向けのそれは既に終えており、この日行われているものが正式なそれだ。
 この日はナザリオやセナ、ギルドの代表者達と、ジョシュアの知らない数名のハンター達が出席していた。
 普通は昼間に執り行われるそれが、日も暮れそうな頃に行われる事になったのは誰の為か。それは火を見るよりも明らかだった。

「――、永遠の安息を得られ――」

 教会よりの使者である男が、歌を口ずさみながら祈りを捧げている。
 ジョシュアはそれを、木の上から遠目に眺めながら聴いていた。あの場に自分が並ぶのは違うと、何となくそのような気がしていた。

 今日はジョシュアだけが一人、この場へと来ている。ミライアは相変わらずどこにいるのか検討もつかないし、イライアスは置いてきたのだ。このような場に付き合わせるのも悪い気がしていた。もちろん、それ以外の理由もあったのだが。
 一人で行くと告げた時、イライアスの拗ねたような顔が随分と子供っぽくて、ジョシュアは苦笑してしまった。またしても埋め合わせはするだなんてそう軽々しく言って、彼を納得させて来た訳なのだけれども。
 嘘を言って宥めた事に、ジョシュアは僅かに罪悪感を覚えている。
 付き合わせるのも悪いと言いはしたけれども。ジョシュアは単に、イライアスをエレナの事に関わらせたくなかっただけ。ジョシュア自身がそうされたくなかった。ただ、それだけなのだ。

 聖なる歌だというそれらは、邪悪なるものを退けるものらしいが。生憎とジョシュアには効かないようだ。耳にしても特に何ともなかった。多少胸の辺りがざわついたが、あくまでもその程度だった。

「それでは、これより――」

 男の掛け声に従うように、集まった者達が棺を持ち上げる。
 その瞬間、ジョシュアはチラリとその男と目が合った気がした。けれど何の反応も返さずにただジッと、ジョシュアはその様子を眺めるだけだった。


 粛々と執り行われた儀式が終わりを告げ、集った人々はひとり、またひとりとその場を後にした。
 そして、最後にその場に残ったのは――

「来ているんだろう? 降りておいで」

 目が合ったのは気のせいではなかったようだ。ナザリオはそう言うと、ジョシュアの潜む木を見上げた。周囲はすっかり暗くなり、人間の目で木陰に隠れているものをその目で捉えるのも限界があるだろうに。彼もまた、いとも容易く見破ってくる。
 このまま隠れていても無駄だろう。ジョシュアは彼の言葉通り、その前に姿を現した。身に付けていたフードを取り去り、彼ら――ナザリオとセナの前に顔を晒す。

「昔からそうだったけれど……随分と隠れるのが上手くなった。しばらくは、本当に来ていないかと疑ったよ」

 ニッコリといつもの朗らかな笑みを浮かべ、ナザリオはジョシュアに向かってそう言った。
 その隣に並ぶセナはといえば、何も言わずに意外そうな顔をしながらジョシュア達の様子を眺めている。この場で口を挟む気はないようだ。
 肩をすくめるような仕草をしたジョシュアに、ナザリオは尚も言葉を続ける。

「君の今の相棒は置いてきたのかい? 姿が見えないようだけれど」
「まぁ……アイツは今回の件、あんまり関わりがなかった。俺に付き合って良く知りもしない人間の弔いに連れて来るのも酷だろう。無理矢理置いて――なんだ? なんかおかしいのか?」

 ジョシュアはただ、ナザリオの問いに答えただけだった。半分は嘘で、半分くらいは本気でそう言ったのだが。
 ナザリオとセナの反応が、ジョシュアが声を上げる位には妙だった。どこか悲痛な表情で、ジョシュアを見てくるのだ。ジョシュアは不安になった。
 そしてとうとう、少しばかり呆れたようにナザリオは言う。

「ああ、いや……うん、君の相棒は苦労するね」
「?」
「ジョシュア、昔から言ってるけどね、あまり自分を下に見過ぎるのも時として失礼になる事があるからね」
「…………」
「昔から君の周囲には、確かに尋常じゃない人ばかりが集まってたよ。ただ、だからと言って君が自分自身を卑下する材料にはならない。君にしか任せられない事も多かったんだ。君には見えていなかったのかもしれないけれど。だからエレナはあの時――」

 随分と熱が込もっていたようにジョシュアには思われた。ナザリオが時折こうして熱くなってしまうのは昔からだったが、ジョシュアとのこれは久々な事もあってか、今日はやけに饒舌だった。

 けれど、そこまで言ってハッとしたのだろう。ナザリオは突然言葉を切ったかと思うと、今度は少しばかり疲れたような表情で言った。

「ああ、いや……私はこんな話をする為に君をここに呼んだ訳じゃあない」

 目元を揉みながらナザリオがそんな事を言うものだから。
 ジョシュアはほんの少しの罪悪感に見舞われる。
 いつもこうだった。自分が何かをするたびに、誰かが疲れたような表情をする。ジョシュアが昔から他者を気にし過ぎるせいなのかもしれなかったが。
 ずっと誰かの背中に護られながら、安全な場所でのうのうと小賢しい真似ばかり。それが、ジョシュアの性には合わなかったのだろう。それらが積もり積もり、延々と負の連鎖を引き起こしていた。それをまざまざと思い出してしまった。
 ここ最近はずっと振り回されてばかりだったのもあって、こんな気分になるのは随分と久しぶりの事だった。

 ここでどうしてだか、ジョシュアはイライアスの事を思い出した。
 自分で無碍にしておいてこんな時ばかり。虫の良い話だとは思いもしたが。知らず知らず、ジョシュアはあの男に救われていたのだ。
 矮小な自分にすら情け容赦のない攻撃を浴びせてきたあの男は、庇護する存在としてではなく、れっきとした一人の吸血鬼としてジョシュアを扱った。死なない体のせいもあっただろうが。あの男は、本当に殺す気でジョシュアを鍛えたのだ。
 それが、彼にとってはどれほど嬉しい事だったか。きっと、それは誰にも理解される事などない。

――敵わないと知りながら嬉々として厄介事に首を突っ込んできた時点で、お前もまた同類だ。

 いつだったか。出会った初めの頃にそう言ったミライアの言葉が思い出された。

 ジョシュアがそんな事を考えていた時だ。彼に向かって、ナザリオが静かに言い放った。

「色々と話しておきたいとは思ったんだけれども――これが、君の答えという訳なんだろうか?」

 いつもの彼の笑みはなりを潜め。軽く首を傾げながら言ったその言葉にはもう、決め付けているかのような彼の確信が見え隠れした。
 これ、というのが何を指すのか。ジョシュアにもハッキリと理解できた。理解できたその上で、ジョシュアは言う。

「そう、なのかもしれないな。ただ、まだ三日あるんだろう? それまでにはハッキリさせる」

 ナザリオに問われたその問いに答える時。きっと自分は酷い気分になるのだろうとジョシュアは思っていたのだが。心は随分と凪いでいて、そんな自分に驚く。

「なるほど。……そうかい、分かったよ――ゲオルグ。また、三日後に」

 そう言ったナザリオは、踵を返してその場から立ち去っていった。どうしてだか、その背中に拒絶の気配を感じた気がして、ジョシュアはしばらくその場から動くことができなかった。
 あれだけすぐ傍に在ったはずの背中が遠い。

 どれ程の間、ジョシュアはそうしていただろうか。

「なぁアンタ、……大丈夫?」

 不意に声を掛けられてハッとする。振り向くと、そこにはまだセナの姿があった。すっかり存在を忘れてしまっていたが、彼もまた、ナザリオと共にここに残っていたのだ。
 セナはジョシュアの表情を窺うように見上げている。
 ジョシュアがぼうっとナザリオの去った方向を見ていたせいだろう、僅かに心配するような雰囲気が伝わってきた。それにジョシュアは、普段通りに応えてみせる。

「ああ……問題ない」
「そう? そんならいいけど。俺にはよく分かんないけどさ。アンタもエレナと付き合いがあったんだから、あの辺の【S】級連中とは皆、知り合いな訳だ?」
「まぁ、そうだな。今は全員【S】級になってるか」

 セナの言う通りだった。ジョシュアのかつての仲間達は、その素晴らしい能力と功績を讃えられ、各々がハンターとして活躍している。各人の多忙さ故にパーティ自体は消滅してしまったらしいが、未だに集まる程には仲が良いと聞く。ただひとり、ジョシュアを除いて。
 ジョシュアのそんな事情などは何も知らないセナは、更に言葉を続けた。

「ほんとなんつーか……アンタっていつも化け物連中にばっかり絡まれてんだな」
「…………」
「――とっくにバレバレじゃんか」

 そう、どこか拗ねたように言ったセナに、ジョシュアは疑問符を浮かべる。セナが一体何を言いたいのか、ジョシュアには計りかねた。

「何がだ?」

 そうやってジョシュアが聞いてやると。セナは口を尖らせながら、まるで拗ねる子供のように言い放った。

「名前! アンタらの言う真名ってやつ。何で、俺だけ知らないのさ……俺以外皆知ってるんでしょ?」

 瞬間、ジョシュアは思わずポカンとする。まさか、あのセナにそんな事を言われるだなんて思ってもいなかったのだ。しばらくそのまま、口を尖らせながらそっぽを向く彼を見つめたのだった。

「ちょっと……おい、なんか言ってよ」

 しばらくして、ジョシュアが何も喋らないその空気に耐え切れなかったのだろう。セナがどこか恥ずかしそうに言った。きっと、自分でもその要求のおかしさに気付いたのだろう。頬が微かに赤らんでいる。

「だって……こんだけ協力して共闘しといて、俺だけ知らないってひどくない? エレナもナザリオも赤毛の奴も皆、知ってんだろ? じゃあ俺だって教えてくれたっていいじゃんか! べっつに悪用するつもりなんて更々ないし」

 早口でそう捲し立てたセナは、最後にポツリと溢す。

「それ位の信用はあるだろ? 俺だって……」

 そんなセナの言葉に、ジョシュアは思わず口許を覆った。名前について懇願されるのはもちろん初めての事であるし、何よりセナのような若くて才能のあるハンターにそんな事を請われるだなんて。嬉しくないはずがなかった。
 らしくもなく、油断するとニヤけてしまう口許が憎らしかった。

「そんな事を言うために残ったのか?」
「っ悪いか! 俺だけ除け者みたいで気分良くないし」
「……あのヴィネアとかいう魔族に目を付けられるかもしれない」
「上等。俺だってあの時、アイツにとどめを刺そうとしてた。そんなの今更でしょ」

 ジョシュアの名前を知る上での懸念点を、セナはきっと理解している。何せあの時まで、エレナの傍にずっといたのだから。
 ジョシュアはその手を口許から離しながら、気持ちを落ち着けるように大きく息を吐き出した。
 名前を教える事の意味を、ジョシュアも理解している。ミライアにもイライアスにも散々言って聞かされた。

「後悔するかもしれないぞ」
「くどい! アンタの状況考えれば、俺に教えるのだってそう大して変わんないでしょ」
「……それもそうか」
「ん」

 彼にそうまで言われてしまっては、ジョシュアにも教えない理由はない。
 ナザリオにあんな事を言われて、少しばかり気分が落ち込んでいたせいもあるかもしれない。セナのその要求は、今のジョシュアにはどこか心地良かった。

 一歩足を踏み出し、セナに顔を近付けて耳打ちする。微かに屈んだ瞬間、セナの肩に手を置くとその体が微かに震えた。

「ジョシュアだ」

 言ってしまってから、奇妙な気恥ずかしさがジョシュアを襲う。
 そんな気分を誤魔化すように、ジョシュアはセナの横を通り過ぎ、そのままエレナの墓に向き直った。彼女の目の前でこんなやりとりを見せる事になるなんて。出会ったあの時はまさか、こんな事になるとは思いもしなかった。エレナの事も、そしてイライアスの事も然り。
 彼女に会えなくなってしまったのは悲しいし、あの魔族がのうのうと生きている事を思うと腹立たしい。けれどそんな中でも、ジョシュア達は前を向いていかなければならない。彼女もきっとそれを望んでいるはず。でなければ、ああやって夢に出てきたりもしないだろう。
――仲良くね
 そんな彼女の言葉が、今更になってしみじみと思い出された。

「……ありがと」

 考え込んでいたジョシュアの耳に、そんなセナの呟きが入ってくる。

「この前も言ったと思うけど……エレナさ、消えたっていうアンタの事、本当に必死で探してたから。会えて嬉しかったと思うよ。ジョシュア」

 最後の方は消えるような声音でそっと、そう言ったかと思うと。セナはその場を後にした。どうやら、彼女と二人きりにしてくれるらしい。
 ジョシュアはその場で、ひどく一杯になってしまった胸元をぎゅうと握り締めながら、しばらくの間エレナと向き合っていた。

 それからどれくらいの時間が経ったろうか。気付けば周囲は暗闇に覆われていて、空に浮かんでいる月や星々が、ジョシュアには妙に明るく感じられた。
 今日は満月だ。月の満ち欠けで魔力の変わる魔族は多く、吸血鬼もまたその影響を受ける存在のひとつだった。
 今までに感じた事がない程、魔力が満ち溢れるような感覚を覚えつつジョシュアは佇む。まるで、エレナから貰った力が自分に宿っているような、そんな感覚を覚える。
 飲み干した者の魂を取り込む。ミライアもイライアスも同じ事を言っていた。迷信だとイライアスは言ったけれども、あながちそれは間違いではないのかもしれない。
 ジョシュアはひとり、エレナの墓を見下ろしていた。

 だがそんな時の事だった。ジョシュアは突然、何者かの気配を感じた。意図的に気配を消したような、手練れの気配だ。
 咄嗟にフードを被り、周囲を警戒する。こんなエレナの墓前で仕掛けてくるなんて、何と罰当たりな事か。こんな罰当たりのような存在になって尚、ジョシュアはそのような事を思うのだった。
 バチッと微かに、魔力の弾ける音がした。ジョシュアは咄嗟にその場から大きく飛び退く。
 すると途端に、その場に火柱が上がった。ジョシュアが先程まで立っていた場所を焼き尽くすような、煉獄の業火のようだった。専門ではないジョシュアにも分かる。強力な魔術の類いだ。
 それともう一つ。ジョシュアには、その魔力の気配に覚えがあった。知っている魔力の気配だった。

「あの人の墓を荒そうって訳ではないのかしら? 魔族」

 フッとその場から突然現れたように姿を現したのは、真っ黒い装束に身を包んだ女性だった。

「お前、何者?」

 偉そうな口調でそう言った彼女は、帽子の下から睨め付けるように、危なげなく地面に着地したジョシュアを見ていた。
 今時古臭く感じられるウィザードハットを好んで被り、ケープマントの下からスラリと長い彼女の脚が伸びている。

(ああまた……何でこうもすぐ、見付かってしまうかな)

 暗闇の中では分かりにくいが、その帽子の下から覗くその目がアメジストのような輝きを持っているのをジョシュアは知っている。

「やっとの思いで一仕事を終えて駆けつけてみればこうだもの」

 魔術師というのは、貴族出身である事が多い。彼女もまたその例に漏れず、地方貴族の出であった。
 ただし彼女の場合、家はとうの昔に取り潰しの憂き目に遭っており、帰るべき家はない。
 ジョシュアは、そんな彼女の事情も知っているのだ。

「お前達は私を苛立たせる天才だわね」

 魔術師ヴェロニカは、エレナに魔術を教え、そして共に【S】級へと駆け上がっていったハンターの一人だ。そして当然、かつてジョシュアと共にパーティを組んだ内の一人。

「さて、心臓を抉り出される覚悟はよろしくって?」

 魔族退治、そして魔術のエキスパートであるハンター、魔術師ヴェロニカだ。

「化け物よ」

 冷たく恐ろしげに言い放った彼女は、銀糸のような長い髪を風に靡かせながら、退治すべき対象を見るような目でジョシュアをギロリと睨み付けていた。
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