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王都とギルド潜入
29.何事もなかったように
しおりを挟むジョシュアが目を覚ましたのは、夜もすっかり深まった夜半頃の事だった。
身体は随分と休息を欲していたのか、いつもより遅い起床である。
実のところ、彼には今朝ベッドまで戻った記憶がなかった。客間のスペースで何やら聞かれていた事は覚えていたが、その時からぷっつりと記憶が途切れてしまっている。
きっとあの場で眠ってしまい、あの二人にここまで運ばせてしまったのだろう。そう思うと、ひどく申し訳ない事をした気分になった。
髪をかき上げながら床に立てば、枕元に己の装備品が置かれていた事に気付く。流石、武器をこうやって暗器のように身に着けていた事にも、あのハンター達には気付かれてしまっていたのか。
それをほんの少しだけ恐ろしく思いながら、サイドテーブルに置かれていた水差しより水を汲んだ。一口喉を潤し、装備品を再び身につけると、ジョシュアは部屋を後にした。
屋敷の中は自由に使ってもらって構わない、とエレナには事前に言われてはいるので、散策がてら彼女を探す事にする。
各部屋の気配を探りながら、人の気配を探した。夜中とあって、人の動く気配はほとんど感じられず、捜索はそれほど難しいことではなかった。
管理の責任者だろう人物が何かの書き物をしているらしき部屋が一つ。そして、それ以外は階下の談話室に集中していた。
成る程、恐らくそれらがエレナ達に違いない。
ジョシュアはあたりを付けると、静かに音を立てずにそちらの部屋へと向かった。
「あら、ジ──ゲオルグおはよう、起きたのね」
部屋に入ってすぐ、大ぶりのソファに腰掛けたエレナに振り返って声をかけられた。その隣に座ったセナは、チラリと目を寄越したかと思うと、すぐに前を向いてしまった。一瞬、ギョッとされたような気もしたが、気のせいだったろうか。
ジョシュアは大して気にも留めず、エレナへと言葉を返した。
「おはよう。すまない、昨日は寝室まで運ばせたか?」
「大丈夫よ。疲れてたのに最後まで付き合わせて悪かったわね。運ぶのはセナにも手伝わせたし、あれくらい何でもないわ」
そうか、ありがとう、と彼女に相槌を打ったところで。正面のソファへと座るように促される。誘われるがまま、ジョシュアはエレナ達の正面へと腰掛けた。
それと同時に、エレナによってセンターテーブルに置かれたポットから、琥珀色に色付いた紅茶がカップへと注がれた。
「今淹れたばかりだから」と、そう言って差し出された花柄の描かれたティーカップからは、かぐわしい果実のような茶の香りと共に湯気が立ち上っていた。
礼を言って遠慮なくその場で口に含めば、鼻腔に香りが広がった。味など良くは分からなかったが、こんな高級そうな茶を自分のような者にも軽々出せるとは。
彼女は自分には手の届かない、大した人物になってしまったものだ。ふと、そんな感想を覚えた。
ジョシュアはそれを振り払うかのように、続けて何気なく質問を口にした。
「動くのは、明日の昼間か?」
昨晩のミライアとの打ち合わせでは、ジョシュアとハンター達二人の体力回復を待ち、ギルドへと報告に出向く事になっていた。
第一報は既に、文で昨日中に届いているはずではあった。エレナの【S】級としての義務と、不審に思われていないかの確認の意味もあった。
「ええ、その通りよ。召喚の手紙は来ていないけれど、念の為に行くつもり」
「それなら、俺も行こうか?」
念の為だ、とジョシュアがそのように申し出れば、エレナはポカンとしたような顔で聞く。
「え? ……でも、昼間よ?」
「昼間に出歩けない訳じゃない。多少苦労はするが、いつもやってる事だ」
「そう……一緒に来てもらえるのはありがたいけども。犯人も、昼間は動かないんじゃない?」
「それもそうだが、少し、周辺を見ておきたいというのもある」
只人には分からない何かがあるかも、とジョシュアは端的に説明した。
「成る程ね、ゲオルグがそれなら、いいけど。――じゃあセナ、アンタも来なさいね」
「え、俺も?」
「あったり前じゃない。チビ助」
揶揄うように言ったエレナのその一言に、セナはすぐに反応した。余程嫌なのか、眉間に皺を寄せながら不快そうに声を張り上げる。
「その呼び方ほんっとヤメテ! エレナ性格わるい!」
「アンタが言う事聞かないから──」
そうして始まってしまった二人の姉弟喧嘩のようなやり取りに、ジョシュアはただ、その場では笑みを浮かべるだけだった。
セナにお株を盗られてしまったような気がして、少しばかり寂しく思ったというのはジョシュアだけの秘密である。
そんな愉快な話し合いは、しばらくの間続いたのだった。
あっという間に夜が明け、次の昼の時間がやってきた。
2人のハンターとジョシュアは、エレナの大きな屋敷の玄関口で身支度を整えているところだった。
ジョシュアに至っては、顔も手も、露出を限りなく抑えた装備で、フードも被ってしまえば、目元が辛うじて見えるような状態だ。そんなではもう、一体誰だかも分からないような有様で。けれどもそれは仕方のない事であった。
闇を生きる魔族の端くれ。昼間の環境下というのはもう、それこそ地獄の釜の中だ。
「じゃあ、いいかしら? 私とセナは真っ直ぐにギルドへ向かう。ゲオルグも私達の後に続いて向かいつつ、ギルド手前で路地に入る。──さっき見せた地図は覚えたでしょ?」
エレナとセナがジョシュアの前に立ちながら、玄関口で最後の確認を行った。
エレナの慣れたような口調にどことなく懐かしさを覚えながら、ジョシュアもまた、それに応えていった。
「ああ、地図も問題ない」
「三番街方面は小道が多くて隠れやすい造りになってるから、タイミングを見計らって屋根上に登る。それから、周囲を観察してちょうだい」
「分かった」
「極力、魔力は使わずにね。敏感な人も多いから」
「探るだけに留める」
「うん、よろしく。で、セナ、アンタはギルドの方でゴネて文句言い続けてなさいよ」
「はいはい……俺、こんな役回りばっかじゃん、最近」
「人望の違いなんだから仕方ないじゃない。【S】級に上がらないのは、アンタのその性格のせいだ、っていい加減わかれ? ただそれが、今は利用しやすいから助かるって話なんだけど……」
「世知辛い。俺の経歴が穢される」
「気持ち悪いこと言わないで」
そんな確認を終えると、彼等は早速王都の市街の方へと歩き出して行くのだった。
ジョシュアにとっては初めての王都だ。人の多さや様々なものの匂いに面食らいはしたが、あちこちで掲げられた看板や施設はどれも珍しく見えた。
もし、未だにジョシュアが人間だったならば、キョロキョロと見回し、さぞ田舎者感も丸出しに歩いて回ったに違いない。
しかし、今やジョシュアは吸血鬼だ。陽の光や騒がしさに、歩いて寸刻とせず辟易してしまった。
感覚が強過ぎるというのも考えものなのである。というのも、ジョシュアのそれは吸血鬼の中でも鋭い部類に入る。
ただでさえ人の多い所が苦手な吸血鬼が多いというのに、平均以上である彼が昼間人混みに出てきてしまっては、耐えるのも難しかった。
結局ジョシュアは、半刻としない内に、彼等との別行動を申し出るのだった。
「覚悟はしていたが……これは無理だ、屋根を伝って向かう」
「大丈夫? 顔色が悪い」
「姐さん、そいつ相手に顔色って、それジョークか何か?」
「黙れチビ」
エレナは余程チビ助というあだ名が気に入ったようだ。セナが何かをやらかすたびに、エレナはそう言ってセナを嗜めるのだった。
相変わらず騒ぎ出した彼等のやり取りを背に、ジョシュアは気配を消しながら暗い路地の方へと向かった。
目的の三番街へは、少し遠回りになりそうだ。身を屈めて人の気配を避け、騒ぐ二人の声を頼りにジョシュアは目的地へと向かった。
路地裏の日陰に隠れてホッと胸を撫で下ろしながら、ジョシュアはしばし休息をとる。
二人のハンター達と離れてしばらく経つが、未だ屋根に登る事は叶わなかった。
布ごしとはいえ、陽の光に当たるだけで思っていた以上に体力が削られる。唯一露出せざるを得なかった目の周囲の皮膚は、火傷したようにヒリヒリと痛んだ。
周囲に人の気配がない事を確認し、積み上がった木箱に隠れてしゃがみ込む。はぁ、と大きくため息を吐きながら、ジョシュアは両手で顔を覆った。
(分かってはいた。分かってはいたけれど……、ああいうのが出来なくなったっていうのは、流石にへこむ)
ジョシュアも理解はしていたのだ。
けれども。陽の光に嫌われた夜の生き物の生きにくさを、今日ほど感じた事はなかった。
こんなに人に溢れ、それぞれが楽しそうに笑って歩く中で、自分はひとり夜の闇を歩かなければならない。
隣にかつての仲間がいたとしても、共に歩く事すらもはや叶わない。それが少し、堪えた。
(いや、でも、望む望まざるに関わらず、ここまで堂々と来れたのはミライアのお陰だ。以前なら、絶対に来れなかった。エレナとも会えるだなんて、思ってなかった)
なってしまったものは変えられない。代わりに自分は、彼等と並び立つチャンスを得たのだ。悪運だと言えなくもないが。
世の中はそれほど甘くはない。何の代償もなく、簡単に力を得られるはずないのだ。自分の場合のその代償が、普通の人間としての生活だっただけ。
あのまま各地を追い出されるように転々としながら、一人寂しく生きるよりも、今の方が何倍もマシなのだ。
(臆病なのは変わらないし変えられない。でも、それ以外ならちゃんと変われるとは思う)
もし、“ミライアに殺された”あの日を変えられるとしても、ジョシュアはきっと今を選ぶはず。
悪い事ばかりではなかったのだ。心のどこかで欲していただろう力に加えて、新たな出会いも確かにあった。寂しがり屋だと言ってしょっ中、布団の中にまで忍び込んできたあの男の事を思い出しながら、ジョシュアは少しの間だけ、その場で蹲った。
ほんの数分、その間で何とか気持ちの整理をつけたジョシュアは立ち上がった。
(無いものねだりがどうしようもなく無駄な事なんて、身に染みて解ってる。虫の良い話なんてない)
だから、と薄暗がりを再び歩み始めながら、ジョシュアは前を向いた。
苦しいのなんて慣れている。この程度、苦しみの内にも入らない。ジョシュアは欲張りになっているだけなのだ。
大声で話す二人の会話に耳を澄ませ、時折笑みを浮かべながら、彼は再びいつものジョシュアへと戻っていくのだった。
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