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第五章 怪物

怪物 〜曖流のなんでもない日常 三十二

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 言わなくちゃ、言わなくちゃ。
 店を飛び出した曖流は、残暑でゆがむ街を転びそうなほどの大またで闇雲に歩く。
「実梨果、黙っててごめん。あたしは知ってたの、ずっと前から……」

     *

「諦めてくれないか」
 溝巻の冷酷な悪魔みたいな言葉に、二十六歳だった曖流は嘔吐した。
「千景の子供がいる。待ってくれ」
 意表を突く短すぎる台詞に曖流は混乱自失し、2cmにも満たない小さすぎる命は、意図せずともあっけなく流れた。それは神に言い訳なんてできない大罪だし、その時誰にも言わないと決めた。
 曖流の溝巻と自身への憎しみはぶわぶわ膨らみ、同じ子なのに生を受けられた罪なき子に、いつしか心の深い底で微かに羨みと妬みを覚えた気がする。

     *

 あの時のの意味が今判った。符号が疑いの余地のない程曖流の中でカチリと嵌る。
「あれは溝巻のメッセージよ。忍者の溝巻が唯一意図的に遺した、だから……」
 LINEを開き、遥か下方に蒼の黄色キノコのアイコンを見つける。蒼から通知が途絶えたのは梅雨入りの頃だったか。
 もしも蒼の憎しみがな父親なのだとしたら、もしもそれがあたしの知ってる溝巻希なのだとしたら、憎まないでと伝えなくちゃ。
 彼はあなたの存在を知っていた。彼女とあなたを忘れたことなんてなかったって伝えなくちゃ。
 もう曖流には興味がないのだと確信できるほど、ぱったりと途絶えた蒼からの通知を思うと、爪の間に白い絵具の残る指先は、蒼のアイコンに触れることができない。心臓が青く痛い。
「ばかじゃないの、あたし!」

 会えるかなんて万に一つでも、今は会えそうな気がした。
 あれから迂回して通らないようにしていた三角公園。あのベンチに腰掛けたらきっと会える。蒼が来るまで待とう。上手く言えなくてもきっと伝わる、そう思った。
 晩夏の断末魔のようないびつな太陽の照りつけの中でも、久しぶりの三角公園は柔らかい光の中にあるように見えた。そしてあのベンチ……
 数人の若い女性が楽しそうに野良猫に何かあげている。
 遠目にもわかってしまう。一年前、本屋で蒼のところによく来ていた女子大生たち……ベンチに座っているのは蒼が弟の家庭教師をしているあの……なんでそこにいるの。
「そのベンチはベンチなのに……」


 目に貼り付く蜘蛛の巣をとり除きなさい





 



 

 

 
 
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