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七話 ③

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 さて。
 その頃の魔王はと言えば。

「ああ、我らが王の御慈悲に感謝致します! 我々こそが貴方様と共に世界に選ばれた存在だと、その御姿こそが我らの救いであると、この身を焼く恐怖が教えて下さる……!」
「あー、うん、そーね……」

 とある大聖堂の地下で、顔面から翼を生やした無数の信徒に囲まれていた。

 床に描かれた魔法陣の真ん中で、珍しいことにその姿の殆どを晒して、身体の諸々に適当な呪具を突っ込まれながら、八つの目で詰まらなそうに天井を見上げていた。可変なので、たまに四つになったり、九つになったり、十六個になったりしていた。
 詰まらなそうに持て余している腕も、六本になったり、三本になったり、十本になったり、それから吸盤が生えたり関節が減ったり増えたり、色が黒くなったり白くなったり赤くなったり、皮膚が結晶化したり羽が生えたり毛が生えたり、まあ、なんだりかんだりしている。

 魔王は基本的には全魔族ごった煮の不定形の化け物だが、それでもここまで形状が遊びまくるのは珍しい。それだけ暇をしていると言うことだ。あるいはうんざりしている。

 魔法陣の外側、円状に並んだそれぞれの文字の上に立つ信徒たちは、その誰もが穴という穴から体液を垂れ流し、うわ言のように感謝を口にしている。
 魔術式を通して注がれた魔力が、彼等に酩酊に似た幸福感を与えているのだろう。

 彼らは、イティル族という有翼種だ。美しく混じり気のない白い羽根を持つが、彼らは鳥型の魔族とは性質が異なり、飛ぶことは出来ない。
 腕と呼べるものを持たず、背に生えた一対の大きな羽根と、獅子に似た足でその身体を支えている。頭部には縦に割れた三つの目があり、後頭部から生えた四対から八対の羽根によってその視線を覆っている。
 何分、高貴なる身分だそうで、下々のものと視線を合わせるような真似はしないのだそうだ。

 それにしちゃあオレとも目ぇ合わせてくんないんだけど?と思ったりもしたが、別に見たくもないので魔王がわざわざ言うことはなかった。
 大体にして、呪具込みで視認しなくてもこの有様なのだから、まともに見たらみんな発狂して終わりである。

「怠ぅ…………」

 彼方此方にだらりと伸ばし切った複数の足が、退屈を持て余して床を叩く。帰りてえ~、ともう三十回は思っていたが、そこから更に二十回ほど思ったところで信徒が皆気絶し、ようやく薄暗い祭壇の奥からひとりの男が姿を現した。

 白地に金の装飾が施された祭服を見に纏った男は、背に生えた一対の羽根を広げながら、ゆったりと魔王へ歩み寄る。教会の最高権力者である彼の名は、シルネスという。

「やっほー、シルネス。元気ー?」
「ええ、魔王様のお陰で今日も健やかに過ごせております」
「そう。なら良かった。ほんとにね」

 魔王は本音と嘘を半々にして、そこに皮肉と八つ当たりを混ぜて、ほんのちょっとの安堵で覆った声で呟いた。そうでもしないと反吐が出そうだった。

 魔族領内で教会といえば、基本的には皎翼教のものを指す。皎翼教はイティル族を神の使徒と崇め、穢れなき絶対的正義を持つ種として扱っている。
 彼等は魔族内でも少々特殊な立ち位置にあった。

 魔族領に伝わる神話によれば、彼等の羽根は、遥か昔、何もなかったこの世に天より降り注ぎ、その神聖な魔力が降り積もることによって地を作ったとされている。
 彼等がこの世に愛を注ぎ、力を与えたからこそ、この世界は存在する。故に、気高く清らかな彼等を害することは何人たりとも許されないのだ。

 ちなみに嘘である。
 全部が全部嘘っぱちだ。

 彼等は魔力を注がれると身体から翼を生やし、そこから稀有な魔力に満ちた羽根を生やし、不恰好に歪んでは死んでいくだけのか弱い種族だ。大昔は資源として扱われ、魔力を注がれては羽を毟られるだけの存在だった。
 その内の一人が魔族の貴族を誑かし、洗脳とも呼べる程にのめり込ませて、今の教会を作った。麗しき、純潔の無垢なる存在だと。世界を創りたもうた始祖が新たな形で顕れたのだと嘯いて、純白の羽を持つ麗しの存在を虐げることはこれ以上ないほどの罪なのだと教え込んだ。そうでもしなければ、彼等は未来永劫、搾取され続けるだけの存在だった。

 そうして紡いだ生きるための嘘は、長い長い時を経て、いつしか真実になってしまった。騙した側も、騙された側も、今ではすっかり信じ込んでいる。
 別に信じるのは構わない。問題は、騙した側の方がのめり込んでいることにある。彼等種族は自分達は真に無垢で美しい、唯一にして完全なものだと信じている。真実を受け継ぐ責任者、白妙教主のシルネスを除いて。

 先代から真実を知らされたシルネスは、その重みに耐えきれなかった。故に、絶対の力を求めた。求めて縋って、探し出して、そうして、真面目で真摯で直向きなシルネスはそれをきちんと手に入れた。故に、魔王は此処に居る。

「もう終わりでいい? いいよね。はい終わりー」

 魔王は気絶した信徒が次々に運ばれるのを眺めながら、ずるずると身体を戻し始めた。すっぽ抜けた呪具があちこち転がり落ちて、耳障りな金属音を響かせる。
 儀式ついでに魔力欲しいならこんな方法じゃなくてオレが全員抱けば良くない?と魔王は常々思っているのだが、高貴で清らかなイティル族の方々は性交渉を忌避する傾向にあるので、今のところはこの方式を黙って受け入れていた。
 あと、人型を見るとそれはそれで吐きそうな顔をするし。失礼な奴らである。

 魔王はいつも通りの『かわいい魔王ちゃん』を綺麗に作り上げてから、不満を露わにした顔でシルネスを見つめた。

「前回から一年も経ってないじゃん。来るの年一で良いって言ってなかった?」
「申し訳ありません。近頃の貴方様の噂を聞いて、愛し仔たちが不安に思っているのです。貴方がまさか無毛の猿のみを選んでその寵愛を注いでしまわないか、と」
「そういう不安を取り除いてあげるのが白妙様のお役目だろうに。職務怠慢じゃねーの」
「勿論、日頃は私が彼等の無垢な心を守る為に惜しみない愛を注いでおりますが。やはり救いの主たる貴方様の姿を見せて頂くのが何より彼等の心の支えとなるのです」
「その割にはすげえ吐いてたけどね」
「天に選ばれし我々だからこそ、その程度で耐えられていると言うことです」

 魔王は首を傾けながら、ぼんやりとアルドのことを思った。正確には、ぐずぐずに溶けた魔王をかわいいかわいいと大層愛でているアルドの顔を思い出していた。へー、あいつって天の使いなんだ~~と思ってから、とりあえず腹の中でだけ笑っておいた。糞食らえである。

「我々は唯一無二の、天界の使いなのです。貴方様は我々こそを救うために遣わされた存在だということを自覚して頂かなければ、愛し仔の不安は増すばかりでしょう。如何です? そろそろ例の無毛の猿を処分なされては」
「まー、飽きたらね」

 飽きる予定は一切ないが、面倒なので魔王は適当に同意したフリで流した。言うことを聞く気は一切ないが、聞いているふりか、あるいはある程度までは本当に聞く必要はあるのだ。
 教会だけは『魔王』を押さえつけておける、と高位種族が判断しているからこそ、魔王の素敵なセックスライフは余計な邪魔が入らずに済んでいる。
 魔王は出来る限り楽しく生きたいし、殺し合いよりセックスの方が余程好きだし、全魔族が結託して魔王に戦争を仕掛けてきたりしたら最悪なので、割と素直に従っている。たまに無視もするけども。基本的には。

 教主たるシルネスは、自分達がいかに脆弱な種族であるか、よくよく知っている。作り上げた虚構で身を守らなければ、再び便利な魔道具と同じように使い潰される存在だと。
 彼等は魔法が使えない。ただ純粋な魔力のみで生き、注がれるままに甘美で特異な魔力を宿した羽根を生む。彼等の持つものの中で、その羽根の価値だけが純然たる真実だった。

 イティル族は、一歩間違えれば容易に崩れるような、柔く脆い、肥大した権力しか持ち合わせていない。
 だから、魔王をなんとしても手に入れようと画策し、その身を教会の保護下に置いた。魔王が魔王になるより前の話だ。

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